題名:巡り巡って

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日付:2002/12/26


かぐや姫竹御殿:京都府(2002/12/19)

かたこんかたこんと電車に揺られることしばらく。JR嵯峨嵐山駅で下りる。さて、どうしよう。苔寺というところの近くにあるとは読んだのだがその苔寺とはどこだ。観光案内図を観るとかなり離れたところに書いてある。あまり深く考えずそちらとおぼしき方向に向かって歩き出す。

まだ早い時間だが観光客は結構いるし、修学旅行生もいる。彼らと彼女たちを追い越しひたすら足を進める。途中で「これは徒歩で行こうというのが無謀ではないか」と思い出した。すすめどすすめど気配が感じられない。途中あきらめてバスにのることにした。まつことしばらく、乗り込んだバスはすいすいと進んでいく。ああ、歩こうなどと無茶な事を考えなくて正解だった。

しばしの後終点の苔寺というところで下りる。この近くにのはずなのだが、と見回すと。それはあった。

をを、これがそうか。確かに「かぐや姫竹御殿」というあやしげな文字が門にかかっている。しかし私はいやな予感にとらわれていた。門が閉まって居るではないか。近づいてみれば無情にも「要予約」という言葉が張られている。

げげげ。ここまで来たのに中には入れないということか。しくしく。横にある看板にはこう書かれているというのに。

「此の地に住んだ竹工の名人 長野清助翁が日本の竹文化と竹工技術保存の為二七年の歳月を費やして創建した竹の芸術遺産である。ここに文化財保存の為一般公開するものであります。」

全然一般公開ではないじゃないか。くやしいから横に回ってみると、「竹でつくった金閣寺」がちらちらと見える。屋根のてっぺんには本体に比べて異様に大きい鳳凰がたっている。

全体的に金閣寺というには小さすぎる気がするがこれもおやじが一人で作った物であることを考えればよくぞここまで、ということかもしれない。門に張ってある記事には死ぬ直前まで製作を続けており、死んだときも未完成だったと書いてある。この狭いエリアは彼が竹と自分の思いのタケをぶつけた空間だったのだろうか。

しかし如何せん中に入れないことには変わりがない。ええい、くやしい。あの金閣寺の中にはかぐや姫が祭ってあるらしいのに。しょうがないから外から見える門の写真を何枚か撮ってみる。最初はそうとも思わなかったがあの竹製金閣寺を観た後ではこの門も結構妙なオーラを発散しているように思える。

まだ帰りのバスまで時間があるので近くにある鈴虫寺というところに向かう。なんでも世にも珍しい草履をはいた地蔵様があなたの願いをかなえにあなたのおうちまで来てくれるのだそうな。願いがかなったらお礼を言いに来て、またお札を買うともう一つお願いができると書いてある。ようするに願望有る限りまたきてお金を落としていってねということか。草履をはいた地蔵にそれだけの御利益があるかどうか知らないが、結構な人が来ており、私の目の前では女性がふたり何事か一生懸命お願いをしている。

その姿を見ながら珍寺と霊験あらたなかお寺の区別たあなんだ、と考える。所詮は信じる(というか思いこむ)人間の数の多少によるのではなかろうか。

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注釈

全然一般公開ではない:様々なサイトを巡ってみると「要予約」「土日は公開。平日は要予約」「不定休」「不定休、雨天休」などあれこれの情報がある。どれが正解かはわからない。とにかくこの日此の時間に閉まっていたことは事実である。本文に戻る