題名:何故英語をしゃべらざるを得なくなったか

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日付:1998/5/22


3章:次の英語教室

さて数万円を費やして、2-3回しか出席できなかったYMCA英語教室の後、私の会社生活はほとんど「息も絶え絶え」という状況がほとんど一年続いた。

ああ。こんなことでこれから生きていけるのだろうか。。こんな生活をしていて幸せといえるのだろうか。。同期と食堂でご飯を食べながら「我々とこのお箸とどちらが幸せだろうか」などとわけのわからない会話を交わす毎日が続いたのである。

しかし時の流れとは偉大なものだ。そうした忙しい日々にもついに終止符が打たれる日が来たのである。おまけに私のストレスの80%の根元となっていた、上司はそれから数ヶ月出張で米国に行くことになっていた。

私はこの上司が出張に行った翌日の朝礼の様子を覚えている。空は青く、世の中のものが全て光り輝いて見えた。そしてその日は合コン兼グループの宴会だった。このときほど楽しく酒が飲めた事はそう多くない。屋根がふっとんで、空までつながるような気持ちだった。

 年をとると時間がたつのが早くなる。そしてだんだんと「明けない夜はない。日が高くなればそれはもう傾いている」ことに気がつく。だから「こんな生活が永遠に続くのだろうか」とも思わない代わりに、「底抜けの明るさの」の中に傾きかけた日を見るようになる。一年を通してもし平均をとれば、薄ぼんやりと暗い明かりなのかもしれないと思うようになる。

 

当時の私はそんなことを考えもしなかった。ひたすらご機嫌だったのである。そうした「滅多にない光り輝く日々」に、私は会社主催の「中級英語合宿」に向かうことになった。1987年6月16日から26日までの10日間である。

この合宿は私が出張でやたら来ていた富士の裾野にある研修場で行われるのである。偶然の一致だが、仕事上でとてもお世話になった人と一緒のクラスであった。

当時の日記からこの研修の感想を見てみると

「他の事業所の人と話ができたのが多かった(ママ)。防衛産業をやっている、というと皆一様にVery dangerousと言った。TWILIGHT ROOMにZIMBACOってなもんでした」ということが書いてある。

これだけでは何のことかわからないので、英会話講座の一日を追いながらぼちぼち説明していこう。

この講座はまず朝の「散歩」から始まる。散歩というが、これが結構長距離を歩かされるのである。そして必ずこういうところに来ると「体力自慢」の方が何人かいることに気がつかされる。

その人達が先頭を切っててけてけと歩いていく。彼らより若いのだろうが、運動なんて考えたこともない私たちは、その後を黙々とついていく。早く一周が終わることだけを祈りながら。

最終日にはInstructorの連中もこの「散歩」に参加しようとした。その中に一人ブロンドのすごいグラマーの女性がいたのである。彼女のトレーニングウェア姿は当時の若かった私でなくても目の毒だっただろう。

さてトレーニングが終わり、朝食をみんなで食べる。私は正直言ってこういう時間がとても苦手だ。(何で、と言われても困るのだが)だからいつも一人でさっさと食べて部屋に戻ってひっくりかえっていた。それでもこの食事中にInstructorを含めた他の人と話す機会があるのである。

Instructorの中に一人"Vegetarian"という人がいた。我々はなんとなくこの人に「何故?」と聞くのがためらわれていたのである。もし何かややこしいことに関係ある理由だったらどうしよう?それどころか「そんなことも知らないのか」などと言われたらさらに話しはやっかいである。

この人は食事の時も"Vegetarian Special"を食べていた。生徒の中にVegetarianがいて、「特別の食事を用意してください」などと言おうものなら、「外の草でも食ってろ」と叩き出されるのが落ちだろう。かくのとおり「先生」というのは権力のあるものなのである。

さて我々の「Vegetarian 用どんぶり」を食べ続けるInstructorへの好奇心はある日一線を越えた。「何故動物を食べないんですか?」と誰かが聞いたのである。

彼の答えは「別に深い意味があるわけではない。両親がVegetarianだったから、小さいときから動物性のものを食べたことがないだけだ」だった。

彼の答えがもし真実だとすれば、究極の「食わず嫌い」ということになる。今にして思えば、もっと「わけのわからない」理由があるが、とりあえず「面倒をおこさない」答えをしたのかもしれない。しかしこの答えは確かに、今まであった数人のVegetarianの答えの中で一番普通に聞こえるものだった。

さて食事が終わり、ひとときの休憩が終わると、さっそく英語の勉強である。

講義の内容はそれほど目新しいものがあるわけではない。カセットテープを聞いてのListening Comprehensionをやる。これはまあ気が楽だが全くおもしろくない。大学受験のころから、英文がうまく理解できないと(それが読みとりであれ、聞き取りであれ)「これはきっとこういう内容に違いない」と「根拠の薄い思いこみ」を駆使して、問題を解こうとする。そしてその結果として大はずれを経験したことの方が遙かに多いのではないか、、、しかしこういった状況でどうすればいいというのだろう。

さてこの講座のListening Comprehensionでも私は時々「独創的なストーリー」を考え出して、Instructorの失笑を買う事になった。先ほどの日記にでてきたTwilight Roomというのは、このListening Comprehensionででてきた部屋の名前である。実際のところ、結局なんだったのかわからなったし、 Instructorも「別に意味はないんじゃない」とか言っていた。しかしながらろくに聞き取りができなかった、私は(筋は忘れてしまったが)とんでもないストーリーを「聞き取って」しまって、結構恥ずかしい思いをした。他のクラスのみんなも聞き取れないことに関しては同様であった。それから何故かこのTwilight Roomという言葉は何度も皆のギャグのネタとして登場することとなった。

 

Listening Comprehensionの変形版としてビデオも使用された。

何故かこのビデオの内容を結構覚えいてる。日本人ビジネスマンが米国にでかけて、ホテルの部屋を借りてレセプションかなにかをやるという筋だった。

彼が部屋を借りる交渉をする場面があった。そこで我々のInstructorは「日本人は必ずDiscountを要求する」と言っていた。今から思えばこれは結構偏見がはいっているのではないかとも思うのだが。当時はこうしたご意見を「アメリカ人はこう思うらしい、気をつけなくては」とじゅぱひとからげに信じ込むほど純真というか無知だったのである。

またある場面では、主人公が薬局か何かで薬を探してうろちょろしていると、それまで「客」の一人としか思えなかった禿の男がいきなり振り返ってとくとくと薬の説明を始める場面があった。正直言って制作者が何を考えていたのか(あるいは何も考えていなかったのか)全く理解できないのだが、我々のInstructorは「あいつはSecret Sales Manだ」と言って笑い転げていたし、聞いた話によるとくだんのブロンドInstructorは「あの男はホモにちがいない」と顔を真っ赤にしてわめていたらしい。

 

さて次にやったのは二人一組でのRole Playingとかいうやつである。ある設定を与えられて、二人で寸劇みたいなことをやる。実のところ、"Twilight Room"を借りるという設定で、「ところでDiscountしてくれない?」とやったら、Instrcutorがひっくり返って笑っていた、なんてこともあったが、そんなことはどうでもいい。二人でどんなことをやるか、ってな相談は日本語でやってもいい(少なくともInstructorには聞こえない)のでここで初めていろいろな人達と会話することができたのである。

私が努めていた会社は全国に何カ所か事業所がある。そしていったん事業所に配属されるとまずよその事業所に動くことはない。(これが不思議なことに私に起こったのであるが、これはまた後述)おまけに仕事を同じくしない事業所の方とは滅多に仕事でも話すことがない。某社に入社したのはいいのだが、私はほとんど自分が担当していた「通称」航空宇宙関係の事しか知らなかったのである。

だいたいRole Playの打ち合わせなんかはさっさと終わってしまう。すると、いろいろとおもしろい話が聞けるわけである。まず「何やってるの?」から始まる。相手は大抵発電所関係の何かをやっているのだが、こちらは正直に「防衛庁を客先としている」と答える。すると相手の答えは決まって"Very Dangerous"である。

実のところこの漠然とした疑問は入社して配属が決まったときから私につきまとっていた。そして長年の間に(結局部署を移ることはほとんどあの会社では不可能なのだから)私は自分の職業を防衛する理屈を開発したのである。

「防衛庁相手のどこが悪い?あんただって税金を通じて兵器を購入してるじゃないか」

そしてこの理屈に「おれは購入した覚えはない。国が勝手に買ってるんだ」と反論できるのは、共産党か、旧社会党に投票する人々だけなのである。

もう一つ私の先輩が開発した理屈を紹介しておこう。

「Toyotaが作った車が殺した人間の数と、うちの会社が作った兵器が殺した人間の数とどちらが多いと思う?」

さてそうは言ってもこうした理屈をまともに聞いてくれる人はあまりいない。だからだいたい"Well..."と言って笑うくらいですませる。

それからお互いの仕事の話になる。だいたいの場合「うちの部署はだめだ」という"My Miserable Life contest"から始まる。これが相手から「そうだねえ」と言われたとたん、彼らは自分の部署の弁護を始め、答えた私の部署を攻撃し始める。要するに彼らが聞きたいのは「そんなことはないでしょう。うちのほうがもっとひどいよ」というお返しの愚痴なのである。

まあそんな前哨戦はおいておいて、話はとてもおもしろかった。発電所関係の部署が、いろいろなことをやっているなあ、と阿呆のように感心していたのである。こうして入社間もない私は「会社の全体像」というものにぼんやりさわる機会を得ることになった。そしてこれがこの英語講座の一番大きな収穫だったかもしれない。

 

この講座の中には、"ZIMBACO"という架空のアフリカの国を題材としたディベートもあった。設定は以下の通りである。このZIMBACOという国はアフリカにあり、最近油田が発見された。ただし油田は30年ばかりしか持たない。国内の教育、産業は大変たちおくれている。おまけに周りは大変政情不安定な国に囲まれている。さてこれからどうやってこの国を導いていくべきだろう?

二つのグループに分けられた私たちは、国家予算の分配案とその理由をまとめ、それぞれ発表を行いその後討議をすることになっていた。

我々のグループでは、「防衛費を国家予算の1%に押さえ、外向的に近隣諸国と同盟を結ぶことにより、国家の安全を保障する。ういた予算を教育、国内産業の振興に使う」というまるでどっかの国のような政策をプロモートすることになった。話がまとまるとさっさと国家予算配分案をB紙に書いて寝てしまった。私がこの世で一番愛しているものの中に「睡眠時間」がある。こんなくだらない討議の準備で「最愛の睡眠時間」を削られてたまるものか。

翌日にはさっそく発表と討議があった。相手のグループは、「防衛費を大きくとって、自前の武力による安全保障を」と主張してきた。

それから「討議」らしきものが行われたが、判明したことは「我々が討議というものに対する基本的なルールを知らず、訓練も全く受けていない」ということだった。両グループの「討議」は、相手が出してきたポイントに対し、反論する、といった整然とした形で行われず、ほとんど双方がわめき会う形となった。最終的には両方のグループともZIMBACOの国家予算の計算を間違っており、1%の防衛費でも楽々周辺諸国を撃退できるだけの軍備ができるとわかり、うやむやのうちにディベートは終わった。Instructorは最後に非常に失望した顔をしながら「まあいろいろ意見がでたからいいんじゃない」といった意味のコメントを出した。

 

こうした諸々の経験は数年後に私が再び受けることになる「英会話上級講座」でも類似した形で繰り返されることになる。しかし今にしてこうして当時の自分が言っていたことや、していたことを思い返すと、「今ならばもっとうまくできる」と思ったりもする。少なくともあれから妙な理屈をこねることだけは上手になったようだ。しかしそれが人間として上等になったか否かとはまた全然別の問題であることも事実であるが。

さて最終日にはTOEICの試験があった。いつになっても試験というのは神経を疲労させるものである。

試験を終わった直後、ある人が「いやー。仕事で苦労したかいがあったかなあ」としきりに騒いでいた。彼は講座の間クラスで傑出した英語力を示した人であり、なんでも海外で行う事業の関係の仕事をしているということだった。そりゃ仕事で英語を使う機会があれば英語力も向上するわね。

一方こちらはこの10日間の講習を除けば、過去2年英語などちっともさわっていない。TOEICの試験をする前に、本社の人事担当の人が「結局個人で継続して勉強してもらうしかありませんから、TOEICの結果が悪くてもあまり気にしないでください」と言った。おそらく過去に「前よりも下がった」とまじめに悩んだ人がいたのだろう。

 

研修が終わってしばらくたち、また「英語」などという言葉をすっかり忘れかけていた私の元にTOEICのスコアが届いた。640点であり、入社直後から60点アップしたことになる。誰も10日間講習(別にTOEIC専門の講習ではない)をうければ英語力がアップするなどと言った奴はいない。思えばこれは「不確定性原理の神様」がちょっとほほえんでくれたものだったのだろう。

 

しかしこのスコアが数年後に私の進路をねじまげる働きを持つとは、神ならぬ身の私の知るところではなかった。

 

次の章

 


注釈

日が高くなればそれはもう傾いている:このフレーズは、荘子(参考文献一覧)の天下篇から字面だけ引用している。この部分は論理学派の恵施の学説を説明した部分で、原文(日本語訳)は「太陽が真上に来るということはちょうど西に傾くことである。万物が生まれることはちょうど死ぬことである」となっている。これは論理学派らしい詭弁にも見える命題とも取れるが、このフレーズに限って言えば道家風に解釈することも可能だろう。本文に戻る

 

日記:トピック一覧)なんでもやっぱり記録しておくものである。妙なところで役にたつ(このホームページのネタになることが「役に立つこと」かどうか定かではないが)本文に戻る

 

目の毒だった:このこと自体は、本文ともなんの関係もないし、ましてや英語能力の向上とは全く関係がない。しかし彼女のすさまじいスタイルは未だに私の脳裏に「ぼんやりと」焼き付いているので、どうしても書き落とすわけにいかないのである。

ここで付記しておくと、私はこういった「見事なプロポーション」を拝見すると「ほーっ」と感心するが、それでおしまいになってしまう。私がSexyさを感じるのは「純日本的体型」である。何故こうなっているのか自分でもよくわからない。本文に戻る

 

Vegetarian:(トピック一覧この主義を持つ人達には極めて多種多様の理由があるらしい。実際この人達の「動機」について考察することは極めて興味深いことなのだが、それはこの文章の範囲を超える。本文に戻る

 

「先生」というのは権力のあるもの:あるいは会社の側も「なんだかわからないVegetarian」に畏れを為したのかもしれない。もしそれが宗教に関わるものだったらとんでもなく面倒な問題になりかねない。「○○社は宗教に対して理解がない」とかなんとか。。「触らぬ神に祟りなし」とはいつの世にも正しい処世術だ。本文に戻る

 

一番普通に聞こえる:ある男は「人間は動物を食うのは不自然だ」と言った。私は「人間は数百万年雑食性として進化している」と言うと、彼は「じゃあ半分半分がいいのでは」と意味不明の応答をした。ある女性は「自分の良心にといかけて、植物を食べるのは罪の意識を感じないが、動物と魚類はだめだ」と答えた。「そこまで主観的に割り切れるのはうらやましい」と言ったら「別に主観的判断だけにたよっているわけではない」と答えた。もっとも「じゃあなんなの?」という質問に答えは返ってこなかったが。本文に戻る

 

根拠の薄い思いこみ:トピック一覧)これによって自分の思考能力の浅はかさを思い知らされることになるのもいつものことだが。本文に戻る

 

B紙:これは名古屋の方言である。ちなみに関東地方では「模造紙」と呼ぶ大きくて白い、学級新聞によく使われる紙のことである。

このB紙というのは結構宴会のネタになる。(多分あの紙はB0のサイズなのだろう。そう考えれば「模造紙」より妥当な名称だと思うのだが)それどころかこの紙が全国で様々な方言(トピック一覧)でどのように呼ばれているかを調べるのは大変興味深い。今まで聞いた最高傑作は愛媛県の「とりこ用紙」である。本文に戻る

 

最愛の睡眠時間:私がこの事実を発見したのは、入社直後の研修の時間である。その時私は発見した。私を怒らせる一番簡単な手段は、意味の無いことで私の睡眠時間を削ることである(トピック一覧)と。本文に戻る

 

不確定性原理の神様:トピック一覧)もっとわかりやすい言葉で言えば、「まぐれ」である。この神様は結構公平で、結果を平等に上げたり下げたりしてくれる。上がったときは「まぐれ」と思い、下がったときは「実力」と思えば何らかの向上に役立つのだろうが、大抵の場合は逆に考えがちである。本文に戻る