題名:何故英語をしゃべらざるを得なくなったか

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日付:1998/6/15

 


12章:Exceptional Individual

さてこの英会話講座は「英語能力云々よりも、異文化とのコミュニケーション能力を高めるのが目的」というふれこみだった。そしてそのふれこみに恥じない見事な構成となっていた。

講座の間、特に英語の使用を強制されることは多くない。「日本語で話してもいいわよ」と言われることも多々あった。それは「英語で話したから意味が通じなかったんだ」ではなく「同じ日本語を使っても、自分の意図するところを伝えるのはこんなに難しい」ということを体験させるためだそうだ。

異文化に対するときに、どのような認識、評価のサイクルをとるか、という点については実に参考になる話があった。すなわち、「観察、理解、評価」をきっちりと区別する必要があるという点である。

これはInstructorが使った例ではないが、よく言われる「日本人は黙っているので米国人に馬鹿とみられる」という話にあてはめてみよう。

たとえばディスカッションの場で日本人があまり発言しないとする。まずはこの「事実」が「観察」される。

次にこの「観察結果」をどのように理解するか。本来「黙っている」理由というのはいくつかあるはずである。一つには英語能力がおいついていない。もう一つは、日本の文化の中では米国文化に比べてあまり発言をすることが重要視されず、換えって沈黙を守る方が重要視される、というのもある。また「発言することが思いつかないから発言しない」という理解の仕方もあるだろう。

大抵の場合、米国人は違う言葉をしゃべる苦労をあまり体験していないし、日本文化に対しての理解も深くない。従って自動的に3番目の解釈をとるわけである。

すると、結果的にどのように「評価」するか?「この日本人は発言することが思いつかないから、黙っているのだ。従ってこいつは馬鹿だ」と「評価」するわけである。

この「評価」は多分ずいぶん一般的に行われていることなのだろう。しかし「黙っているから馬鹿だ」を前述の3段階に分けて考えれば、途中でかなり「文化的偏見」が混じっている事に気が付く。すなわち、「観察結果」「理解」「評価」を切り離して考えることが、異文化に対する偏見を免れる第一歩となるのだ。

この考え方はなにも言語が異なる国同士だけに適用されるわけではない。人と人とのコミュニケーションギャップによる誤解はだいたい上記の過程のどこかで生まれているのだ。また「観察結果」と「評価」を区別しなくては行けない、というのは会社生活の中でも何度も(痛い目に遭いながら)学んだことでもある。

さてこの講義は実に興味深い物で、今でも大抵の内容を思い出すことができる。全部上げていくととんでもない文章量になってしまうので、特に印象深いエピソードのみいくつか示すことにしよう。

さて各自のプレゼンの後は二つのグループに分かれてディベートであった。題材は当時話題になっていた「消費税」である。このディベートはやり方がきっちりと定義されていて、両方が主張を述べ会う、次に双方に対しての指摘をする。最後にお互いが相手の指摘をふまえた上でまとめを行う、という手順である。

 さて以前出席した英会話講座で、ディベートがディベートにならなかったことは前述した。それは、まず我々が手続きを知らず、かつ討議の訓練も受けていなかったことによると考えている。

今回は手続きは非常に厳格に規定されていた。しかし結局ろくなディベートにならなかったのである。理由は定かではない。しかし私を除いた発言者は常に照れ隠しの笑いをしていた。そして論点がろくにかみ合うというレベルの発言は滅多になかった。実際のところ何を言っていたかもよくわからなかったのである。そしてInstructorはまたもや大変失望した顔をした。

この事実を「日本人はディベートの訓練を受けていない」という一般的な事実のせいに帰することは適当でない。Instructorは少なくとも日本人相手の講座をいくつも経験しているはずなのである。それがことさらに失望した表情をした、ということは、おそらく私が努めていた会社のメンバーが論議に巧みでない-他の日本企業の社員と比べても-ということを示しているのだと思われる。これがどこからくるかは私の知るところではない。

さてこうした事を繰り返していると私は「けっこうしゃべれるじゃないか」とまた例によって例のごとくの自信過剰に陥り始める。おまけに悪いことに今回のInstructorが説こうとしている内容は、不思議なくらい私が考えていたことに似ていた。前述した「観察」と「評価」を区別することなどといい。。。従ってそちらの面でも私は自信過剰に陥り始めたのである。

さて世の中結構うまくできていて、自信過剰になると必ずそれを抑制してくれる働きが発生するのである。普通の言葉では「鼻をへしおられる」というが。

あるグループでやるロールプレイがあった。設定としてはいくつかのマーケットセグメントのある一つに対し、不利な決定がなされたことを伝えなくてはならない、とかいう奴だった。当然のことながらその決定を伝えると、マーケットセグメントの担当者は怒り出すのでそれをなだめるというのがグループの使命だ。

さてグループのチェアマンはあるちょっと変わった感じの人ということになっていた。私は彼のご氏名により、黒板に決まった事を書く役目だ。他にも何人か役割が設定されていたのだが、結果としてこの役割設定は何の役にも立たなかった。

ロールプレイにおいては、Instructor側は完全に設定の人物になりきることを要求される。そして彼らは実にそれをうまくやってのけた。最初に数語こちらが「うれしくない決定」を述べたところで相手は怒ってわめきだした。すると心優しい○○重工の人達はみな黙りこんでしまうのである。

さてそこでちょっとご機嫌の私が登場する、という寸法だ。ところが私はとんだ馬鹿をやった。相手の言っていることがわからない部分を「想像力」でおぎなったのはいいのだが、言わなくても良いことを言って、相手をさらに怒らせてしまった。

その模様はビデオで全て録画されており、終わってからクラス全員で反省会となった。そして私は自分が如何にあほなコメントを言っていたかをみて深刻な自己嫌悪になったのである。

さてちょっと若い頃だったらここから大分静かになるところだ。しかし私はこの講座にあまり経験したことの無いほどのおもしろさを見つけていた。クラスの構成、内容、教材などは実によく考えられており、興味が尽きることがなかったからである。多少の自己嫌悪がなんだってところだ。

特に次に述べる集団ロールプレイは興味深かった。

説明によるとこれはいかに「文化的偏見」というものが相互理解を阻害するか、ということを海外に行く米軍兵士に教えるために設計されたものだそうである。まず二つのグループにわけられる。そしてそれぞれのグループは、別々の「文化」を持つ国の住民を演じるように要求される。

たとえば私が所属していた「国」では、とにかく相手を捜して、相手よりはやく「目をぱちぱち」すると、「勝ち」となり、お金のようなものをもらえる。(これは本当のお金ではなくて、まあ趣味で集めるカードのようなものだ)この「目をぱちぱち」は一種の勝負なのだがこれは相手に対して親愛の情を示すことでもある、とかなんとかだった。

さて説明が終わったところでグループないで一通り練習が行われる。最初はちょっととまどいがあるが、結構やってみるとおもしろい。とにかく相手を捜さなくてはいけないので、クラスの中をみんなで走り回ることになる。そして相手よりも早く目をぱちぱちしなくてはいけない。結果として部屋の中は大変活気に満ちることになる。

さて一通りみんなが「文化」を学んだところで、数人ずつ、相手の国に行って観察結果を自分の国に報告するわけだ。

私が「相手の国」に行くとまず異様な雰囲気に気が付いた。彼らはみんな一様に顔に笑顔をうかべて、やたら人の肩に手をまわそうとする。そして何か断片的な質問をなげかけてくる。ところがその質問自体にはあまり意味が内容で、特に話が進展するわけではない。しかしある言葉を口にするといきなり態度が冷淡になり、何もしゃべらなくなり、ぷいっとどこかに行ってしまう。

また彼ら同士では、なにやら紙幣のようなものを交換したり、相手からもらったりしている。ところがこれが何らかの勝負の結果なのかどうかがどうしてもわからない。そして彼らの動きは非常にゆっくりで、こちらの「国」から見ると、にやにやした男が肩に手を回してなでなでしているのはちょっと異様な感じだ。

 

だから私たちは自分の「国」に帰って「あいつらはどこかおかしい。まるでホモの集団のようだった」などと感想を述べる。そして相手の「国」から来た人も同じようなCultual Shockを受けて「あいつらは狂っている。部屋の中を走り回り、落ち着くひまもない」と報告するわけだ。

一通り報告が終わったところで、たねあかしがされる。相手の「国」の行動にもそれなりの理由があったわけだ。笑顔と肩に手をまわすのは、親愛の情を表す方法であり、交換される「紙幣」に見えた物は、「勝負」とはなんの関係もなく、「単に交換される」物であるらしい。従って彼らには彼らの立派な理由があるわけだ。

このロールプレイは私にとってショックであった。確かに言われてみれば、彼らの行動を容易に理解できる。ところが、高々数分「自分の国の文化」にそまった私は、相手の国の行動を全て「自分の国の価値観」から「評価」してしまっていたのである。曰く「連中の動きは鈍い」曰く「連中のほほえみは気持ち悪い」曰く「お金をやりとりしているが、そのルールがわからない」

たかだか数分の体験でこうなのだから、自分が長年住んでいる世界-それが国であれ地方であれ会社であれ-から外を見たときの偏見、というか「不当な評価」はいかばかりのものであろうか。

ここでも前述した「観察」と「評価」の問題が出てくる。私は全て自分の立場から「相手の観察結果」を自分勝手に「評価」してしまっていたのである。

この経験は貴重なものであり、、、未だに私の頭の中にときどき響くことがある。結局「評価」というのは常に相対的なものであるわけだ。すると、他の人の行動について何か言う、というのはどういうことなのか?要するに自分の偏見を押しつけているだけではないのか?

こうした「評価の相対化」をだんだん進めていくと、何を聞いても「ふーん。まあいいんじゃない?」と言い出すことになる。おまけに会社の就職の際の「性格診断」の中に「人から気が短いと思われている」とかいう質問があった場合、[はい][いいえ][どちらでもない]を選択するとすると「まあ人が自分をどう思うかは、相手の判断基準によるからね」と全ての項目に[どちらでもない]と答えざるをえなくなってしまう。私はある会社の役員面接でNGをくったが、この「性格診断試験」の変な答え方が問題だったのではないかと今でも考えている。

さて本題に戻そう。この講座の最後は各グループごとのプレゼンテーションだった。

それぞれのグループがあるテーマ-多分「如何に世界の相互理解に貢献するか」とかそんな題だったと思うのだが-に沿って、各グループが自由にそのテーマに関して発表をする、とそんな話だった。各グループごとに、特定の分野が与えられており、その範囲での貢献を考えるのである。我々のテーマは「産業」であり、もう一つは「教育」だった。あと一つは覚えていない。

私が所属したグループはなかなか人員の構成がうまくできていた。一人非常にアイディアに富んだメンバーがいて、彼は「国際企業サミット」なる会談を提案した。国同士が話し合ってもぐでぐで言っているばかりだから、企業同士でサミットを開いて問題を話し合おう、というわけである。また○○重工業が持っている広い製品分野のなかから、環境分野、宇宙分野など三つのカテゴリーの製品を選び、その分野に世界の企業と協力して取り組んでいこう、というものだった。また○○重工は利益の何%かを、このサミット開催のために使うことをコミットする、とまで付け加えていた。

また違う国の違う文化を紹介するために、「ひょっこりひょうたん島」を作ることも提案していた。この島に国の人々を乗せて各地を訪問しよう、というわけである。この発案者などはこの島の設計図まで引いていた。つまりこの発表内容は我々のグループ全員にかなりアピールする物だったのである。

私のグループの準備はかなり順調に進んだ。意味のない論議や逡巡などがなかったからである。その日の最後にInstructorの一人を捕まえてリハーサルまでやった。Instructorのほうは連日の講義で疲れ果てていたようだったが。私にしてもこのリハーサルには多少ぶつぶついいたいところもあった。なんといっても時間は真夜中を超えていたからである。中級英語の時にも実感した「私を怒らせる一番簡単な手段は、意味の無いことで私の睡眠時間を削ることである」という信条を再び確認することになったのである。

 

さて翌日は発表だ。この研修所は○○重工の偉い方々の会議室も兼ねている。発表が行われた部屋は、各席にマイクが据え付けられている大変見事な部屋だった。まるで国連の安全保障理事会のテーブルのようである。我々は「このテーブルに研修じゃなくて座ることがあるだろうか」とお互い笑い会ったものだが。

私のグループは元私が働いていた事業所の人が発表をやり、これは実に見事な物だった。さて発表が終わると質問が飛んでくる。

我々はもっと技術的な質問が飛んでくるのではないか、と予想していた。ところが質問はほとんど政略的なものだった。あまり質問の内容は覚えていないが、いくつかの質問に回とした覚えがある。こういったでっちあげの設定に、さらに答えをでっちあげる、なんてのは私のもっとも得意とするところだ。

一人だけいた男性のInstructorは実に意地悪な質問をした「企業サミットをやるというが、社会主義国の企業も含めるのか?」というやつだ。私が「そのほうが理想に近いかもしれないが、おそらくそうすると美しくはあるが抽象的な結果を生むだろう。従って資本主義国の企業だけで構成した方がよい」と答えた。

あと二つのグループの発表はほとんど内容を覚えていない。「教育」グループは「ハイテク寺子屋」を各国に開設して、日本に関する宣伝を行う、という案をだしてきた。自由にいじわるな質問ができる機会、ってのは会社では滅多にない。私は全くご機嫌であれこれ質問を乱発していた。

これは後で気が付いたことだが、このときの参加者の中では私はわりと若年の方だったようだ。当時私は単なるヒラだったが、肩書き付きの方々もたくさんいらしゃったのである。彼らから見ればヒラが偉そうな顔をして言いたい放題質問を言っているのはさぞかし目障りだったことだろう。

さて一通り質問が終わると、今度は各グループごとに部屋に分かれて好き勝手に論議をすることができる。私は自分のグループの部屋で応答に当たっていたが、この時自分たちの提案の受けの悪さに驚かされることになった。ある人は「本当にその製品を全部やるのか?それは全部赤字製品だぞ」と言って、去っていった。しかし私はこの反応を前向きに考えた。元々でっち上げの発表にこれだけ具体的な反応を示してくれるとは、ある程度みんなの心のどっかに触れる物があったからじゃないか。

グループの討議が終わると、そのまとめを発表する段になる。私はすこぶる上機嫌であった。ぺらぺらとまとめをしゃべったあと「みなさん、あたかも明日このプロジェクトが始まるかのように、Aggressiveに意見を言ってくれてありがとう」と付け加えた。これは当時のいつわらざる気持ちであったが、、、私は○○重工の社員の体質を買いかぶっていたことが翌日判明した。

翌日は、毎日の日課となっていたグループごとのミーティングで、自分たちのグループ自身の評価、並びに自分たち以外の2グループでどちらを高く評価するか、ということを討議し、発表することになっていた。Aグループはおおむね自分たちの成果について好意的であったが、私はこう付け加えた「大変よかったと思いますが、12時までに準備がおわなかったことだけが気に入らない」

この発言に対して、その日の晩に行われたパーテーで、多分40歳くらいの人から「俺なんかは成果が得られるのであれば、何時まででもやるべきだと思うが。若い人は考え方が違うのかな」というコメントをもらった。提出してはいおしまいのような仕事ならともかく、翌日も大変な仕事がまっているのなら、早く寝るべきだというのが私の信念だが、これは全く世間でうけが悪いようだ。

さて各グループでのミーティングが終わると、全員集まっての結果発表となった。我々以外の2グループはいずれも、我々のグループでないほうに高い点を与えた。その理由は概略以下のようである。「Aグループの意見は感情にアピールするが、具体的な提案にかける」「企業サミットは企業で働く人達の家族の親睦を深める会のほうがいいのではないか」等々

彼らの「批評」を聞きながらぼんやりと考えた。なんということだ。彼らは「生真面目に」この提案に「そんな大それた話ができるわけはない」文句を言っている。新しい提案に拒否反応を示すのは、正常な機能と言うべきだろう。しかしこれはいわば「お遊び」なのだ。英会話講座の一環として、ちょっとばかり夢のある企画をぶちあげたのを評価してやろう、という余裕はみじんも感じられない。まじめと言えばまじめ、頭が硬直化していると言えば硬直化している態度だ。

 

さてこの講座の最後は、各参加者の感想を述べて、修了証書をもらうという儀式だった。私は最後に発言した。

それまでの「感想」はおおむね「これからも英語を勉強したいと思います」とか「たまにはテキストを開きたいと思います」といったものが多かった。私は概略次のような事を述べた

「今回の講座で違う立場の人達とコミュニケーションをとることの難しさを実感した。これは別に言語が違う人達相手ばかりの問題ではない。出身地、年代、性別が違えば、私にとっていつも問題となることだ。今後もコミニュケーション力を向上させ、世の中にはどんな問題があるのか、本当に問題はなんなのか?という事を知りたい」 

前段で言っていることと後段で言っていることの間に論理的なギャップがあるのは、私にとっていつものことだ。みんなの「ぽかん」とした反応にちょっと照れていると、Instructorの一人が、"He was an exceptional individual"と言いながら卒業証書を手渡してくれた。

 

全ての日程が終わり、駅に向かうバスを待ちながら考えた。この講義でInstrcutorが教えようとしたことは、確かに不思議なほど私の考えと一致していた。だから彼らにとっても私は目立つ存在だったのだろう。しかしそれは彼らの物の見方でしかない。

今回の講座は楽しかった。会社では絶対に味わえない、ちょっと夢のある企画を打ち出すという経験もできた。しかしそれももうおしまいだ。帰れば待っているのは整備マニュアル作成とビデオ作りだ。創造力などひとかけらも必要としない、升目をきれいに塗っていくような仕事だ。そしてそういう仕事を生業とする人達から見れば、私は単なるミスの多い変人にすぎない。そしてここでは一応好きなように発言したし、それを聞いてもらうこともできた。しかしこの講座が終わればまたヒラに逆戻りで上司の言うとおり升目を塗るしかできることはない。

 

おそらくそんなことを考えていた私は憂鬱そうな顔をしていたのだろう。私に卒業証書を手渡してくれたInstructorは「どうしたの?」と声をかけてくれた。「楽しい研修もおしまい。また設計室に帰ると思うとね。。」というと「ガンバリマショウ」と言ってくれた。

 

それから数ヶ月、私はひたすら升目をきちんと塗った後に渡米することとなる。さて今度は講座などではない。なんとかしゃべらなくては、2年堪え忍ぶことはできないのだ。

 

(続く)


注釈

 照れ隠しの笑い:私は何故か照れ隠しの笑いを極端に嫌っている。自分でもできるだけしないように気をつけているだが、時々やってしまう。すると深刻な自己嫌悪に陥る。本文に戻る

 

私を怒らせる一番簡単な手段は、意味の無いことで私の睡眠時間を削ることである:トピック一覧)中級英語の時は実際にはけずられなかったので、怒ることはなかった。このときは実際に睡眠時間が削られたのでおかんむりであった。本文に戻る

 

整備マニュアル作成:この整備マニュアルが防衛庁相手の仕事であることを強調しておきたい。普通の製品の整備マニュアルならば何かと工夫のしがいもあるかもしれない。防衛庁の整備マニュアルは形式が実に厳格に規定されていて、かつ整備専門の部署の方のご意見を一字一句反映させるという、大変「柔軟」なしくみになっているのである。本文に戻る