題名:何故英語をしゃべらざるを得なくなったか

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日付:1998/5/29


7章:一ヶ月の出張-Part2前半

さて一回目の出張でエライ目に遭ったこともなんのその、私はそれから5月の中旬まで結構ご機嫌にくらしていた。しかし例によって例のごとくであるが、前途にはあまり明るい日差しばかりがさしているとは言えなかったのである。

一番私の将来を暗くしていたのは、「英語での社内研究の発表」である。こう訳してしまうと、まるで社内で発表を行うようであるが、そうではない。不思議な論理であるが、今回の契約では、客先に当社が自分の費用でやっている社内研究の内容を発表する、というのが義務づけられていたのである。

発表場所はハワイにある客先の大きな「施設」である。本来この日は中間審査の日なのであるが、その後に2件の発表をしなさい、ということだった。そしてその2件を担当していたのは、私とBig Eなのである。となればどうあがいても我々が英語で人前で発表する、という恐ろしいアサイメントから逃れる手だてはないわけだ。

 

渡米の当日私は実家に帰って朝食をとっていた。そしてとても憂鬱だった。今回は私の上司が会議に参加してくれることになっていた。しかし日常業務の多忙な上司は会議の途中からしか参加できないのである。ということは最初の二日はまた自分がとりしきらなくてはならない。前の出張は「漠然とした期待と不安」に胸をおどらせていた私であるが、今回は「明確な不安とほとんど皆無の期待」でもって眉間にしわを寄せていた。母「2度目になって様子が分かるとあまりうれしそうじゃないわね」とまことに的を得た指摘をした。

さて私がスキップしていようが眉間にしわを寄せていようが出発時間はくるのである。そして私は苦虫をかみつぶしたような顔をして機上の人となった。

今回は向こうについた途端に、メモリアルデーの3連休があったのでI社員とBig Eと3人でフロリダのオーランドまでドライブしてディズニーワールドに行った。このとき私とBig Eがなんでもかんでも「あれはなんですか」とか質問するので、しまいには「俺はお前らのツアーコンダクターじゃねえんだ」と怒り出す一幕もあった。これと前後してI社員は「なんでも英語をしゃべる仕事を俺に持ってくる奴がいる」と時々ご機嫌斜めだった。I社員だって最初から英語がしゃべれたわけではない。自分で苦労して、時には冷や汗をかきながらいろいろ勉強したわけだ。それにただのりするとはまことに失礼ではないか、というわけである。なるほど。。。と思いながら、まだいろいろな面でI社員におんぶにだっこになっている自分をちょっと反省した。しかし反省してばかりはいられない。一年後には自分一人でなんとか生きて行かなくてならなくなるのだ。

さて今回の出張もいろいろなことがあったが、例のみんなでの会議。及びそれに平行して行われた私とBig Eの発表の準備に関して書いてみよう。

いつも通り2週間ばかりの準備の後、全体会議となった。そして最初の2日は私一人がしきらねばならないのである。TOEIC705点の私がだ。前より少しはましだとはいえ、例によって英語はさっぱりわからないのである。それでもいい加減Freemanが役立たない奴だというのはわかり始めていた。従って彼が何かいってもそれをそのまま受け入れる事はしない、と思って時々反撃にでようか、とも思ったのである。

今回のスタディには例によってすばらしいproposal-提案書がついていた。それには私が担当してる分野で、如何に参加企業-特にSAIC-が解析ツールを持っていて、すばらしい解析が可能か、というのを示してある部分があった。

例によってFreemanは何もしないし、何か頼んでものらりくらりと逃げる。私は「あのproposalにあったいくつものツールはなんなんだ?」とつめよった。ところが横で話を聞いていたHadroから"You are disturbing"と言われた。

ここでは英語がわからない事が幸いしたかもしれない。Disturbingという言葉がなんとなくあまりよくない言葉だ、とはわかっても正確な意味がわからなかったので、とりあえず黙るくらいですんだからである。続けてFreemanが言ったのは次のような事だった。

"In this country, proposal is promotion. 「この国では提案書はプロモーションだ。続けて彼は言った「多くの場合、プロポーザルを書く人間と実際に仕事をする人間は全然違うよ」

これは今回の仕事で印象に残ったいくつかの言葉のうちの一つである。私は唖然としたが、それがこの国の慣習であるならば、なんともしがたい。しばらくしてI先輩に"you are disturbingっていわれたんですけど、どういう意味ですか?’と聞いた。先輩は「邪魔してるっとか、いいがかかりをつけてるとか。。。」と言った。なるほど、提案書を盾に取ると「いいがかり」になるわけか。この国では。

私はげんなりしながらも会議は素知らぬ顔で続いていくのである。やがてランチタイムとなった。

その日のランチにはFortune Cookieがついていた。いつかみたSpace ballというくだらない映画では「おみくじクッキー」と訳されていた奴だ。中国圏ではついてこないそうだが、アメリカではChinese Foodにたいていついてくる。割ると中に小さな紙がはいっていて、それに何か暗示的なフレーズが書いてある。

しょんぼりしながらご飯をたべていた。すると先ほど'you are disturbing'と言ったHadroが私に紙をくれた。それには'your effort will pay off'と書いてあった。"pay off'とは何だ?と聞くとかれはRewardedだと答えた。そしてこう続けた。

"you are good man...."この後の言葉はわからなかったが、おそらくあまり悪いことは言ってなかっただろう。今は苦労しているけどいいこともあるよ、と言おうとしていたのだ、ととりあえず私は勝手に解釈して少し元気になった。

 

さて二日目の夜に私の上司が来た。別に用があったA先輩が空港でPick Up する手はずになっており、私は部屋でTVか何かを見ていた。するとBig Eが部屋をノックする。上司が呼んでいるという。

挨拶かな、と思っていって見ると、いきなり強烈なお説教をくらった。曰く、

「大坪君とBig Eは僕の部下なんだから、私がついたときはホテルのフロントまで出迎えにくるべきだ」

さて翌日から上司が会議に参加したので少しは楽になるだろうと思ったのは甘かった。彼は私がやった仕事が全くなっていないと怒り通しだった。「今までの会議の結果ではなく経過を詳細に説明しろ。なに?経過を全部メモにとっていない?メモもとらずに会議をやるとは何事だ!全くなっていない。米国に来て作業効率が落ちてるんじゃないか!」というわけだ。こちらはメモを取れるほど聞き取りができない、と言ったところで聞いてもらえそうになかったが。

おかげでフラストレーションの量は減らず質だけが変化した。ある日は昼食の時に「ちょっと本屋によりますから、遅れます」と我々のプロジェクトリーダーに言って外出した。1時を過ぎてかえれば、さっそくBIG Eと呼び出しをくってお説教だ。「プロジェクトリーダーに言いました」と言えば「君たちは僕の部下なんだから私に言わないのはけしからん」というわけだ。二つの部屋に閉じこもって総勢5-6人のグループで作業してる際でも職制のラインはしっかり守ろうというわけか。

人間楽ができる、と思うとろくなことはない、と思い知らされた。そしてこの経験は例によって長い目でみればとても安かったのである。

また当時の私には気がつかなかったことだが、この上司は多少張り切りすぎのケはあったがちゃんと自分のやるべき仕事はやったのである。張り切ってどなりちらし、周りにフラストレーションをためたあげくに何も仕事をしない上司が高く評価される世界もある、ということを知ったのはそれから数年たってからだった。

さてぶつぶつ言いながらも全体会議はなんとか終わった。このときの別れの挨拶は"See you in Hawai"だった。ハワイでまた会いましょう、なんてかっこいい挨拶ではないか、と普段ならば考えるところだが、今回はそんな悠長なことは言っていられない。ハワイには客先への20分のプレゼンテーションが待っているのだ。

まずはモーテルの部屋で、上司とI社員を相手に練習をした。自分でも「こんな内容でいいのだろうか」と思いつつも原稿をちゃんと書いておけばしゃべることはできるのである。I社員は練習の途中から横を見て何か別のことを考えていたようだが。

このときはSimulation という言葉のシの発音が悪いと直された。あとよけいな事をいいすぎていること、また間違ったときにやたらSorryと連発するなと注意をうけた。確かに日本語ではやたら「すいません」を連発するが、英語では滅多にSorryという言葉は使わない。これは大変勉強になった。Sorryの代わりにCorrectionを使え、ということだったのでこれからはそうすることとした。おかげで私のプレゼンは良くなったかもしれないが、今度は他の日本人がやたらSorryと連発するのが気になるようになってしまった。

私の上司は内容については何もいわず「これで米国人相手にしゃべったときに難と言われるかだな。。。」といった。

さて日本人の内輪の練習はなんとか終わった。次はSAM副所長、SAICのPastrickを観客にしたプレゼンの練習である。

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注釈

結構ご機嫌にくらしていた:「YZ姉妹」で、最初にティーチャーYZに話を付けたKTに「早く合コンをやれ」とプレッシャをかけた、とあるのは、この2回目の出張が迫っていたからである。詳しくは「YZ姉妹」参照のこと。本文に戻る