東北の夏祭り

日付:1999/8/8

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秋田へ

翌朝はいつもの私からみるとゆっくりと目覚めた。時計を見ると7時である。寝ぼけ眼で荷物をまとめると部屋を出た。この見事な旅館ともこれでお別れだ。廊下で昨日私を案内してくれた女性とすれ違った。彼女は「ああ。鍵をおいておいてください」とにっこり笑って言った。私もにっこりと笑って答えた。

勘定場に行く途中「食堂」の近くを通った。ここには例によって全館の冷房などというものは存在しない。これだけ風通しが良ければ冷房の必要もないし、やったところで大して効果はあるまい。ここの食堂はとてもClassicな感じがする。その食堂で二組ほどのグループがゴハンを食べている。先ほど会った女将さんは朝食を運んでいくところだったよ。となればおそらくここには今日食堂に入りきれないほどの客が泊まっているのかもしれない。山笠祭りで大繁盛ということか。こちらが食堂を覗いた時に朝食を食べていた一団も一斉にこちらを向いた。私の姿が珍しかったのだろうか?それとも朝食の間ちょっと退屈していたのだろうか、あるいは誰かが来るのを待っていたのだろうか。

 

そんなことをだらだらと考えながら駅に向かった。途中昨日行った店で朝ご飯を食べる。納豆定食というのは結構いろんな店で食べることができるが、それぞれ味が違って興味深い。ここの納豆定食は今までに食べた物とはちょっと違ってこれまた美味であった。おなかがふくれてご機嫌になり、てれてれと歩いて駅に着く。とりあえずメールのチェックをすませる。どこに行ってもこれだけは欠かせない。いつもながら思うが便利な時代になったものだ。どこにいっても大抵Grayの電話があり、そこに線さえつなげばメールの送受信ができる。これなら自分がどこにいても関係ないわけだ。旅の最中でも友達との会話ができる。実際私がこの週放浪の旅にでていると気がつかない人もいたのである。

さて、パソコンを畳むと、今日の行き先を料金表を見ながら考える。選択肢は3っつ。東か北か西である。このうち北だけはバスになる。なんでも山形新幹線を延長する工事をしているとかで電車は不通。バスによる振り替え輸送をしているらしい。そして私はバスの長距離というのがあまり好きではない。何故かと言われても困るが、よくおなかを壊す(最近はそうではないが)身としては、トイレのないバス(たいていのバスはそうだ)で長距離を行くと、「途中でトイレにいきたくなるのではないか」という脅迫観念にさいなまれるからである。実際トルコでトイレにはいっている最中に長距離バスにおいてけぼりを食った身としてはその恐怖はなおさらだ。

さて西に行けば日本海側にでることになる。そこから南に行けば去年ゴールでウィークと同じコース。東に行けばたぶん仙台の方にでる。小学校6年の時に祖父が亡くなって以来というもの、私は仙台に行ったことがない。何十年ぶりに行ってみるのもいいかな、と思ったが一度行ったことがある場所にはかわりない。

思えばたぶんその日私は妙に元気だったに違いない。長距離バスの恐怖もなんのその、とにかく今まで通ったことの無いコース-北に向かうことにしたのである。腰のご機嫌がよければ秋田まで行こう。何も考えていなかったが山形に来たことは大正解だった。ひょっとすると秋田でもなんかやっているかもしれないじゃないか。

さてそう思った私はとりあえずバスの終点、新庄という駅までの切符を買った。そこから矢印に従って「バス乗り場」を探す。階段をおりてしばらく歩いたところに臨時のバス停ができている。。近づいて行くと誰も立っていない。いやな予感とともに時刻表をみれば、なんとバスは2分前にでたばかりで、あと1時間は待たなくてはならない。がびーんとなっったがいたしかたない。またどっかで時間をつぶそう。

一瞬山形の市内観光でもしようかな、と思ったがまだ時間は早く、どこも開いていない。お城くらいはみれるだろうが、別に本物の城があるわけでなし、と思うといく気がなくなった。そこで一番軟弱な手段、冷房の効いた待合室でパソコンいじってくらすことにしたのである。実際このノートパソコンというのは偉大な旅のお供でとにかく電源が続く限りにおいてこれが或限りあまり退屈せずにすむのである。私はさっき受信したメールを読んだり、返事を書いたりしていくばくかの時をすごした。

さて、まだ時間には間があるがちょっくらいってみるべえかと思って再びバス停に行ってみて驚いた。なんと長蛇の列ができているのである。朝とは言え、真夏の太陽は容赦なく照りつけているそのなかにみんな黙って立っている。まだバスがくるのは20分も先の話なのに。私は泡食ってその列の一番後ろに並んだ。まつこと10数分。お待ちかねのバスがやってきた。大変このバスは人気があり、最終的に補助いすまでつかってようやく全員が座れたことと思う。ああ、なんてこんでいるんだ、という私の妙な感慨をよそにバスは発車した。

窓の外の光景をちゃんとみていたわけではないから、どんなところを通っていたかは今ひとつわからない。昨日JHの人たちが「ちゅうおうどう」とかなんとか叫んでいたとおり、まだここを通る高速はできていないようである。一般道を走って行くが信号も少なく流れは非常によろしい。私はうとうとと居眠りをしていた。。そのうち振動がだんだん腰に効いてきて起こされることになった。こうやって座ってじっとしている限り特に問題はない。しかしどうも立ち上がった瞬間に激痛に見回れそうな雰囲気である。何がどうといわれても困るのだが、そんな気がする。。。。新庄:16kmという看板がでてからはやたらと進行が遅いように思えた。早く腰を伸ばしたいが、この補助いすにまで人間が充満している車内ではそれは所詮かなわないことだ。

私が腰痛の恐怖におびえ、「早くつかないか」とのろいの言葉をはいている間にバスは新庄駅についた。ついたと行ったが、駅の姿はどこにも見えない。見えるのは建築中の新駅だけだ。なんと。新幹線をのばす、ということは線路をどうにかすることだけではなく、駅までごっそり新型に取り替えることのようだ。

バスから降りようと立ち上がった瞬間、私は数秒硬直した。やはり長いバスの旅はあまり腰によくなかったようだ。この近くに「ご予約のない方、ビジネスでいらっしゃった方。新庄温泉がお待ちしております」とかなんとかいう看板があったのを思い出した。今日中に秋田まで行く、なんていう野望はすてて素直に温泉かなんかに泊まってゆっくりしたほうがいいかもしれない。なんといっても体が第一。こんな腰痛ではこれから先の電車もおぼつかないではないか。足をひきずりながらとりあえずバスから降りる。そこで数分は硬直状態だ。

実際そこからすぐ目に入る場所に温泉宿の看板でもあれば間違いなく私は挫折してしまったと思う。それくらい腰の具合はよくなかったのだ。しかしまだ時間は11時前である。あまりにも泊まるには早すぎる。おまけに幸か不幸か目に入る限りにおいて温泉宿の看板もみつからない。それに、少ししかめっつらをしてふらふらしていたら腰の具合もだいぶ良くなったようだ。えーい。乗りかかった船とはこのこと。とりあえず行ってしまえとばかりに私は秋田までの乗車券を買い、快速電車に乗り込んだ。

さてこの電車の中はほとんど何も覚えていない。ぐーぐー寝ていたのではないだろうか。途中で一度乗り継ぎ、その待ち時間にカレーを食べた。私の「食事を選ぶときに名物にこだわらない」という傾向はまだ続いている。強いて言えば体重の気になる私はこのときカツカレーでなく普通のカレーを頼んだことくらいが気配りか(なんの気配りだ)

 

もう一度快速にのってしばらくすると目指す秋田についた。昨日よりだいぶ北に来たからだいぶ涼しくなったのでは、という私の予想をよそに、きっちりと外は暑いのである。しょんがなかんべ、と思って荷物をもってふらふらと改札を出た。まずは今日の宿の確保が第一、旅行案内所探しである。

しばしコンコースをうろうろしたあげく、実は案内所が改札のすぐ脇にあるのを発見したのは皮肉である。なるほど青い鳥はすぐ近くにいたわけだ。それまで通ったところであれこれの看板を見ていると、どうやらここでも夏祭りをやっているらしい。竿燈とかいう名前とやたらと提灯が目に付くが何のことかわからない。まあ今日ここまではるばる来たのも無駄ではないらしい。

さっそく案内所にはいってみる。今日も祭り、ということは、こんでいるかもしれん、という私の心配をよそに相手をしてくれた女性は「おひとりですか。。祭りの通りに面したところだと、朝食つきで14000円になります」と言った。14000円!私はその瞬間発狂しそうになったがぐっとこらえた。こんな汚い身なりをした男がそんな高級ホテルに泊まるとおもっているのだろうか。普通の案内所では「おいくらぐらいの所をお考えですか」と聞くのだが、それもなしだ。思うにこの祭りの日に訪れるからには多少値がはっても祭りの通りに近いところを選ぶに違いない、とデフォルトで入力されているかのようだ。あるいはそうした願望をもつ客の相手ばかり朝からしていたのかもしれない。

私が「もうちょっと安いところはありませんか?」と聞くと今度は素泊まりで8400円の宿をだしてきた。8400円。かなり高いが、まあそんなにしょっちゅう泊まることでもなし、たまにはいいか。昨日だいぶ安くあがったことだし、と思い「それでお願いします」と言った。

 

渡された地図を見ると秋田市の真ん中にはその名も竿燈通りなる通りがあり、そこに面したホテルである。なるほど。確かに多少高くもなるだろう。昨日花笠祭りを見ているときにその通りに面したホテルから見下ろせる境遇をどれだけうらやましく思ったことか。彼らは前の人間の頭の位置に悩まされることはないし、暑い暑いと汗を流しながらみることもない。となれば今日は私はその立場に回れるかもしれない。礼を言ってそこをでた。まだ時間はあるからいくつか片づけることがある。

まずはメールのチェックである。昨日山形で公衆電話にパソコンをつないでいたらじろじろ見られたが、今日も近くにいた若者の2−3人連れがじろじろ見ている。考えてみれば私だって自分以外にこうやってパソコンをつないでデータ通信をしている人を見ればきっとじろじろみることであろう。自分以外にこうやって公衆電話に電線などつないでいる人間を見たことがないのだ。さて、と思ったときふと明日の帰りのチケットをとっておこうか、という気になった。通常私はこれほど用意周到なことはやらないのだが、そのときは魔が差したというか幸運だったというか。ふらふらと緑の窓口に入って、時刻表をちらちらと確認、そして「明日の10時頃の奴を予約したいんですけど」と言った。

相手は「いやー。明日は混んでますよ。。空いてませんねえ。」と言った。ではその前後は?と聞いたがなんと前後もつまっていて、つまるところ指定がとれるのは朝の6時38分か午後の1時過ぎだという。、どちらにします?と聞かれて私は反射的に「では6時38分で」と頼んだ。後で「午後の1時過ぎにしてゆっくり行けばよかった」と悔やんだが後の祭りである。とにかく明日はとても早くおきて出発することになった。

さてこれで駅でやる仕事は済んだのでのんびりとホテルに向かう。駅からでている太い通りをたどっていけばいいので簡単だ。ちょっと雲がでているが別に雨の心配はなさそうだ。平行して走っている通りからは人の声や太鼓の音が聞こえる。後で知ったのだが、そちらのほうで、祭りの前に技量を競う竿燈コンテストなるものが行われていたらしい。

 

さて途中で水分を補給したりしててくてく歩くとホテルについた。さっそくチェックインをする。高いホテルだけあって、対応はちょっと気味が悪いくらい丁寧だ。部屋に案内されるととりあえずベッドの上にひっくり返った。どうも昨日は暑くてあまり眠れていない気がする。まだ竿燈祭りがはじまるまで2時間はある。普通であればそれまで秋田市内の観光でも、、と考えるところだろうが、昼寝を何よりも愛している私は「そうだよな。時間は有効に使わなくちゃ」とかなんとかわけのわからないことを考えている間に寝てしまった。 

はっと目が覚めると午後6時である。竿燈祭りは6時半からだ。なんと。これから30分で夕飯を食べなくてはならないではないか。秋田と言えばいくつか名物があるはずだ。たまにはちょっくらそういう物でも食べてみるかとは思っていたもののそんな時間の余裕もないようだ。泡を食って部屋を出た。下に降りていくとかなりの人出である。誰かがホテルの人に「どこが見るのにいい場所?」とか聞いている。ホテルの人はそつなく「どこでも見られますが、このホテルの前はいい場所ですよ」と答えている。さてどこが見るのにいい場所かわからないが、とにかく今の私はまず第一に物を食べる場所をさがさなくてはならない。外にふらふらと出ていくと、通りを歩き出した。この通りは大きな通りなのだが、どうもあまり食べ物屋が見つからない。それでなくても次第に混んできていてあまり遠くまで行くのも気が進まないような状況だ。ふと通りを曲がって裏通りに進むとダイエーが見つかった。あそこに行けば何かあるに違いない、と寝起きのぼけた頭で考えた。

今から考えれば何がうれしくて秋田まで行ってダイエーの地下でゴハンを食べなくてはいけないのか、と思うが当時はとにかくそんなことにかまわず早くゴハンを食べたい念でいっぱいだったのだ。地下に降りると確かに何か食べられそうである。そこで「カルビ焼き肉丼」を大急ぎで食べた。姪と甥が帰ってきているときに一緒にごはんを食べると「ごろうは噛んでない!」と怒られる私であるが、たまには早飯も意味を持つ。食べ終わってどどどどどと元の通りに戻ったがまだ始まるまで時間がありそうだ。

歩道はとても混んでいる。アナウンスは「桟敷席はまだご用意ができておりませんので、もうしばらくお待ちください」と繰り返し叫んでいる。見れば中央分離帯のような場所になにやら席ができている。そのうち「お待たせしました」という声とともに歩道にいた多くの人がどどどどどと走り出した。なるほど異様に混んでいると思った歩道はほとんど桟敷席を待っていた人たちであったか。おかげで空いた歩道をふらふらと歩いて見物する場所を探した。大抵の場所はもう人で埋まっていたが、一段高くなったところに開いている場所があった。最初「ここは上ってもいいのだろうか」と不安になったが、屋台までその上に上っているからまあ問題なかろう。そこにぼーっとたって時間がくるのを待った。

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注釈