題名:❤︎の歌

五郎の入り口に戻る
日付:2022/2/20


2022/1/30

狭心症という診断が出てからというもの朝の運動をサボっている。早朝周りに人がいない所でぱたっと倒れるのはいやである。しかしこの日は久々に少し歩いた。

日が登る間際の時間。細い三日月とおそらくは金星が空に光っている。ブツダは暁の星を見て悟りを得たらしいが、私は特に悟りを得るわけではない。しかしその風景は心に残る。

明け方

しばし歩いた後家に帰る。家族はまだ寝ており、今から朝ごはんを作ったのでは少し早い。髭を剃る。私は髭の発育が遅いのでここで剃っておけば2泊三日だろうが三泊四日だろうが再度髭を剃る必要はないだろう。私が家を出た瞬間に奥様が私の部屋を掃除し始めることがわかっているので、床に置いてあるものを全てベッドの上に移す。

今日は家族一同特に予定がない日。普段なら10時ごろまで起きてこない人が多いのだが、本日は8時に皆起きて私が作った朝食を食べる。朝から奥様にあれをしろ、これはできたかとご指導される。息子が私の部屋にきて少し喋る。奥様が顔を出し「窓の結露は拭いたのか」と言う。これは質問ではなく、命令。

息子は

「カテーテルをつっこんで、動脈を逆流して心臓まで行くというのが信じられない。自分の体ではやりたくない」

と言う。私は「説明を読む限り、あまり怖い話ではなさそう。お父さんの検査体験記を楽しみにしておいてくれ」と言う。潰瘍性大腸炎の人が書いた漫画を父と子で愛読している。その患者さんが「食事が怖い」というと「じゃあ動脈から栄養を入れるしかないな。安心しろ、麻酔はしてやる」と主治医が言う。ああいうノリではないかと予想しているが。

などと言っている間に家を出る時間になる。ではお父さんは行ってきますよと言って歩き出す。ひたすら歩く。途中で遅刻するかと心配したが時間通り病院に到着した。しかしいつも使っている正面玄関が閉まっている。案内に従い傍に回って夜間受付にはいる。


10:30

地下から1階にあがり、入院受付に書類をあれこれ出す。しばらく待っていると名前を呼ばれリストバンドなど一式を渡され8階のBエリアに行くように言われる。その前にトイレに行く。(後で知ったのだがこれは懸命な判断だった)

エレベータで8Fに上がる。さてどこに行ったものやら。ナースステーションという表記があるのでそちらに書類を出す。受付してくれた人が男性の看護師を呼びその人が担当してくれるという。病室に案内される。窓際のベッドが空いているのであそこだといいなと思っていたら一番入り口に近いところに案内された。他人の見舞いで病室を訪れたことは何度もあるが、自分が入院するのは初めてである。なんだか不思議な気持ちがする。

病室

ロッカーの場所を教えてもらい、着替えておいてくださいと言われる。ロッカーに服をあれこれ放り込む。着替えが済むと暇である。周りから声が聞こえている。どうやら同じ部屋に退院間近の人がいるようだ。「寂しくなりますね」という看護師さんの声。寂しいということはめでたいことでもある。などと考えながら私はひたすらパソコンのキーを叩き続ける。入院中は他のことができないから、入院の記録を書き、新しい本の構想を練ると決めていたのだ。


11:30

身長体重を測定。体重が今朝測った時から1kg増えている。朝食を食べたためなのか、家の体重計がアレなせいなのかは考えないことにする。身長はいつも通り。

その後に血圧測定。血圧測定とは長い戦いの歴史がある。宇宙飛行士の試験で痛い目に会って以来白衣高血圧になっているらしいのだ。一人で測定する時は問題がなくても、白衣を着た人を見た瞬間自分が緊張するのがわかる。しかし伊達にマインドフルネスを行い精神を鍛えているわけではない。今日は周りが白衣だらけだが負けないぞ。

などと気負うと血圧が上がってしまうので、意気込みはあっさり捨て、自分が乾涸びた骸骨になったところを想像する。乾涸びているから血圧も存在しない。ただ骸骨が崩れていくだけ。そんなことを考えてながら両腕を測定した結果は高い方が130以下。これが意思の勝利。

今日は点滴をつけるから早くシャワーを浴びてくれと言われる。空いている時間帯の中で14時を指定する。三人入れるシャワー室だが一人で使えるとのこと。礼を言ってまた病室に戻る。車椅子で移動している人が多く、自分の足で歩いていると「いいのだろうか」と不安になる。一人になるとベッドの上でひたすら文章を書く。当たり前だが病院は基本的に寝る場所であり、パソコンで文字を書くようにはできていない。腰が痛いような気もするが無視する。



12時過ぎ

などと書いていたらお昼ご飯が運ばれてきた。

昼食;カレー

ああ、私の愛するカレー。なのに最近なかなか食べることができない。なぜか。

テレワークになってからというもの、私が晩御飯を作る回数がとても増えた。これ幸いとばかり、好物のカレーを時々選択していたのだが

「カレーは私が晩御飯を家で食べない時に作れ」

と奥様から指導が入る。かくしてカレーの頻度は激減する。奥様が

「今日は一日中仕事だから晩御飯いらない」

とおっしゃると隠れてガッツポーズをする。よーし、今日は久しぶりにカレー作っちゃうもんねと材料を揃えていると

「コロナのせいで予定がキャンセルになった。晩御飯家で食べる」

と連絡が届き涙を流す。ああ、いつになったら私はカレーを食べることができるのか。

そう思っていたところにこの献立。このカレーが食べられただけで今回の入院はいいものであったということができる。などと感激していたらあっという間に食べ終えてしまった。デザートのカステラの中にクリームがはいっておりちょっと得した気分になる。

食後に看護師さんが来た時、ベッドについているテーブルは動かせるし、高さも変えられるということを教えてくれる。それまで「はたしてこれは自由に動かしていいものか」と勝手に恐怖心を抱き動かしていなかった。あれこれ動かしてどの配置が一番いいのか試す。

その後しばらくして薬と明日の予定を書いた紙を持ってきてくれる。

指示

こういう細々とした仕事を、担当している全員にわたってやらなければならない。本当に大変だ。というか私がやったら間違いなく「あれ?まだやってませんでしたっけ?」と間違える自信がある。

説明を聞くと朝は絶食とのこと。私は朝ごはんをたくさん食べる人なのでこれはつらい。しかし文句を言っている場合ではない。朝一で検査ですぐ終わるだろうから、そのあと下に行って何か買えばいいだろう。そう考え、この紙の右上にある文字は完全に無視する。

お昼ご飯と一連の説明がすむと暇である。というか元気な入院生活はこれが初めてなのだが、圧倒的にやることがない。というわけでトイレに行く。なぜトイレが暇つぶしになるか。

最初に説明があったが、入院中はお小水を全て採取し、なにやら測定するということらしい。トイレの壁にこんなものがある。

壁


自分のカップをとりだし、お小水を全ていれる(最初の時、いつもの検尿ののりで「規定量とったらあとは捨てようなかな」とか考えてしまったが)その後自分の名前を押すとおごそかに口が開くので、カップを入れる。するとまたおごそかに口が閉じ量と比重が表示される。他に何を測定しているかは病院とメーカーだけが知っていることである。

最初にやった時私は阿呆のごとく感動してその様子を眺めていた。しかしこんな感動も最初だけでそのうち「はいはい」になるのだろうな。


14:10

当初シャワーの予定は14時からだったが、10分ずつ遅れているとのことでこの時間になる。時間になり看護師さんが呼びに来る。私はタオルを持って後に続く。「そのタオルで大丈夫ですか?貸しますよ」と言われるのでお言葉に甘え大きなタオルを使わせてもらう。

旅館の大浴場にありそうなシャワーとカランが3っつ並んでいる。しかし桶はない。だからシャワーを浴びることしかできない。お湯をだすとさっとあびる。終了。5分もかかっていない。体を拭くと部屋に戻る。考えてみれば明日からは入浴できそうにないから、これが唯一のシャワー体験だったか。


14:45頃

うとうとしていると看護師さんが来る。点滴の針だけいれさせてくださいとのこと。ベッドに横になり、看護師さんがあれこれやっているのを感じる。実際に何をしているかはよくわからない。この日の処置は文字通り「針をいれる」のであり、点滴に繋がれるわけではない。早く針だけいれるとご利益があるのですか?と聞くと明日の朝一番で検査をするので、あれこれ準備がある。午前7時に起きていただいてあれこれ忙しいですよと言われる。こちらはいつも3時45分に起きているので、7時までどうやって暇を潰すべきかの方が心配である。いや、忙しいのは私ではないか。看護師さんとしては今日中にやっておけることはやっておきたいのだろう。この日のうちに点滴の管を繋がれるとあれこれ行動に支障がでないかと心配していた。しかし針だけなので安心である。


16:20

お小水:168cc 比重1.022

暇なので少し8Fを探検する。自動販売機が置かれたデイルームと呼ばれる部屋がある。そこに行ってPCで文章を書く。病室でキーボードをぱたぱたやっていると他の人に迷惑ではないかと心配になっていたが、ここなら大丈夫。この日は将棋の王将戦が行われており、ちょうど盛り上がる局面に差し掛かっている。しかしスマホばかり眺めているのは勿体無い。角部屋であるデイルームからはすばらしい景色を見ることができる。

デイルームの景色

今日半日窓のない部屋にいた。それほど気にもしていなかったがこうやって景色のよい部屋にくるとやはりいいものだと思う。

部屋に戻ると看護師さんが足にマーキングをするという。カテーテルを差し込んでいる間は動脈が細くなる。その影響を図るため、足の動脈をみるとかなんとか。理屈はよくわからないが、素直に足をだすと2か所に丸が書かれる。


18:10

王将戦が終盤に向かって盛り上がるころ、食事専門係と思しき女性が名前を呼び食事をもってきてくれた。

夕食


質素である。しかしそう感じると言うことは、私が普段歳不相応な食事をしているということかもしれない。想像するのだ。検査入院というのはお寺に泊まることに似ているのではないか、と。静かな環境でじっと座り続ける。食事は質素。いつもは聞こえる家族の声もここにはない。聞こえるのは自分の中の声だけ。


18:41

遠くから男性の叫び声が聞こえる

「ばっきゃろーばっきゃろーわーわー」

看護師さん達は大変だ。


19:22

再びデイルームに来る。甘みが欲しいと思い紅茶を飲む。王将戦に決着がついた。

夜景

座っているうちいろいろな人が来る。体操をする人、夜景を見る人、お湯をもらいにくる人。今のところ私は2泊か3泊しかしない予定だが、長い間ここにいたらどのような気持ちになるのだろう。ふと病院で亡くなった父のことを思い出す。


20:12

お小水:120cc  比重1.028

いつも通り8時半ごろ寝る。9時半ごろ看護師の人が来て体温をはかってくれと言われる。ずーっと体温計を脇に挟むがなかなか音がしない。一旦見せると35.4.これはまだ測定中かもしれませんね。もう少し挟んでおいてくださいといわれる。看護師さんは同室の人のところにいって何かやっている。

ピピピとなる。値は35.4のまま。体温が下がっているのか。看護師さんが電気を消してくれる。

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注釈