題名:科学について-相対性理論と疑似科学

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日付:2000/6/30


それが予測する物

さて、かくのごとく定式化された一般相対性理論は何を予測するのだろうか。最初に断って置くが、そもそもの理論の説明からしていいかげんで定性的なのだから、

「何故そうした予測が導かれるか」

についてはいい加減の自乗である。かといって

「とにかくこうなるんだ」

ではあまりにも無責任だと思うので、定性的なものであっても説明を私が見つける(もちろん本の中でだ)ことができたものだけについて書いてみたい。

一般相対性理論によれば質量がある物質の周りの空間がゆがむ事になる。それはどうしてわかるだろう?たとえば太陽のように大きな質量を持つ物質の周りは空間がゆがんでいて、そこを通る光の経路が曲がったりしないだろうか。

実はこの予想がされる前-一般相対性理論が発表される前-に同じ様な事が起こる、と予想した人がいた。予想だけだったらかなり前にした人がいるらしいのだが、少なくともアインシュタインその人は曲がる角度まで計算している。

少し前にE。=mc2という式が成り立つことを説明をした。ここから無理矢理式を変形して

m = E。/c2

と変形すると、光が質量を持っているように見える。質量を持っているならば、きっと太陽の近くのように強大な重力が働いている場所を通るときはその引力によって曲がるだろう。

と考えて光の曲がりを計算したのが1911年のアインシュタインである。こうやっても結果はちゃんと出る。

さて、一般相対性理論が発表されたのが1915年。こちらは前述のように空間がゆがんでいることにより光の経路が曲がる事を予測する。そして導き出される曲がる角度は先ほど説明した「光が質量をもっているとしたら」の場合の2倍である。

さて、かくのごとく二つの理論(ともにアインシュタインが発表したものだが)が別々の値を予測する場合、白くをおつけるのは現実の観測結果である。とはいってもこの観測は(少なくとも当時は)それほど簡単ではない。原理的にはこうすればよい。位置が正確にわかっている星が太陽のヘリ近くを通るのを観測すればよい。光が曲がればその星の位置は本来の位置からは違って見える。

しかしながら大抵の人が知っている通り、太陽というのはやたらめったらと明るい天体である。絶対的な光度はともかく地球に一番近い恒星だからその明るさたるや大変なものだ。そのへり近くにある星をどうやったら観測できるというのか。すすをつけたガラスで太陽は見えるかもしれないが星はみえないよ。

というわけで太陽がきれいにかくされる機会-皆既日食-をねらわなくてはならない。そしてこれも多くの人が知っている通り、皆既日食というのは滅多に起こらない。私だって結構長く生きているつもりだがまだ見たことはないのだ。その観測の機会-皆既日食-は1919年におこった。そしてその結果はホーキングの本から引用しよう。

「やっと1919年になって、イギリスの調査隊がアフリカ西部で日食を観測し、光が理論の予測通り太陽によって屈折することを示した。(中略)したがって、そのときに撮影した写真をのちに検討したところ、測定しようとしている効果と同じぐらい大きな誤差があることが判明したのは皮肉である。彼らの測定は全くの幸運であったか、欲している結果があらかじめわかっているという、科学では珍しくない事例だったのである。」

最近は観測な困難な光に頼る必要はない。電波を使えば皆既日食の時でなくても観測が可能だ。そしてその観測結果は一般相対性理論の正しさを裏付けている。

 

さて、一般相対性理論の予測をもう一つだけあげておく。(もちろん予測がこの二つだけ、というわけではない)重力元に近い時計は、遠い時計よりも遅れる、という予想だ。これは特殊相対性理論の時の時計のおくれとは違って、

「どちらから見ても相手が遅れて見える」

というものではない。遠い時計から見ると近いところにある時計はのんびり動くように見えるし、近いところから見れば遠い時計はやたらと早く回るように見える。

光の周波数というものもつまるところ「単位時間内に何回振動するか」なのだから、時計がおくれればそこからくる光の周波数は低くなって観測される。何故こんなことになるのか。私には今ひとつピンとこないので、ホーキングの本からまるまる引用でお茶を濁す。

「これは光のエネルギーと振動数(つまり一秒辺りの光の波の数)との間に一つの関係があるためだ。エネルギーが大きければそれだけ振動数も高い。光は地球の重力場の中を上昇するにつれてエネルギーを失い、それにともなって振動数も低くなる(これは、波のある山とその隣の山の時間間隔がのびることを意味する)。このために高いところにいるものには、下の方のできごとはすべてゆっくり起きているように見えるのである。」

この予想は、かなり早期に(1962年)確認されている。その実験方法というのは大変興味深い(少なくとも私にとっては)のだが、ここでは説明しない。もっと日常生活の中でお目にかかる検証の例を後ほど述べる。 

 

 

もう一つの解法

さて、前の「双子のパラドックス」を一般相対性理論の「定性的な性質」を使って説明する方法があるので、それを簡単に書いてみる。

 

さきほどの「一般相対性理論概論」の中で説明した「等価原理」と「重力が働いているとき、下にあるほうが上にあるものに比べると時計がおくれる」という話しを思い出そう。それに加えて今迄みすごされがちだった点にも着目したい。なぜこのパラドックスにでてくるのが、

「双子」

であって、同じ年の他人ではないかという点である。実はこの説明方法のなかでは

「瞬時にして相手の情報がわかる」

ESP能力を想定する。ほら言うじゃないですか。双子にはお互いに通じる特殊なコミュニケーション能力があるって。

「光速が速度の上限だとさんざん言っておいて、この期に及んでなんだ。おまけに疑似科学のような話しまで持ち出すとは不届き千万」

というご批判もあろうが、まあそこはそれ。説明のための便法なので赦してほしい。

 

さて、そうすると、話しは3段階に分けることができる。行きの等速直線運動、加速度が加わる折り返し区間、それに帰りの等速直線運動である。そして例のむちゃくちゃな前提にしたがって兄と弟は心眼によって時間と空間の成約をこえ、相手がどうなっているかわかることにしよう。するとこうなる。

地球にいる弟:

行きの等速直線運動:兄貴の時計はおくれているなあ。

折り返し区間:兄貴の時計はおくれているなあ。

帰りの等速直線運動:やっぱり兄貴の時計はおくれているなあ。

ロケットにのって往復する兄

行きの等速直線運動:弟の時計はおくれているなあ。

折り返し区間:おお!いきなり弟の時計がすすんだぁ。

帰りの等速直線運動:弟の時計はおくれているなあ。

 

ここで兄が往路だろうと復路だろうと等速直線運動をしているとき、

「相手の時計が遅れて居るなあ」

と思うのは全く同等である。同等でないのは加速度が加わる折り返し区間だ。弟は兄の時計が遅れると思うが、兄の心眼には弟の時計が異常な勢いで進むところがうつる。

なぜ折り返し区間でいきなり弟の時計が進むか。兄には方向転換のところで加速度が加わる。等価原理によって加速度と重力というのは区別ができない。したがって兄は

「なんだか知らんがいきなりすごい重力元が出現したぁ」

と思ってもいいわけである。この兄が考える

「重力元」

というのは兄からみて弟とは反対側に出現したように思える。(速度の方向を変えている間、そちらの方に力が加わったように思えるからだ)

さて、重力元があるとき、そこから離れている時計のほうが近い時計より早く進む。

この場合重力元に近い側、すなわち「下」にあるのは兄であり、弟ははるか「上方」にいる。となると、一般相対性理論の教えるところに従い、「下」にいる兄の時計は「上」にいる弟の時計よりおくれる。従ってのんびり時を刻んでいる兄から心眼によって弟の時計をみれば

「すごいスピードで進んだぁ」

となるわけだ。

この折り返し以外、つまり他の等速直線運動の部分ではお互いが相手の時計が遅れていると思っている。トータルすると折り返し区間での時計の進み方の差異によって兄のほうが若いままのわけだ。

さて、この説明の中でどう考えてもうさんくさいのが「ESPによる瞬時通信」だが、これは純粋に説明の都合上であって、別にこの瞬時通信がなかったからといって兄と弟の年齢差が変わるわけではない。と適当に理由をつけたところで他の章以上に習わぬお経を読む苦しい話は終わりにし、特殊及び一般の相対性理論がどのように実験で検証されているかについて述べる。

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注釈