私のMacintosh-iPhone 4S

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ここで話はいきなり私と携帯電話に飛ぶ。

Detroitに幽閉されていたとき、ポケベルと携帯電話を持たされていた。「携帯」といっても、厚さはいまのスマホの5倍以上あったのではないか。あれをどうやってズボンのポケットに突っ込んでいたのか。おまけに電池は8時間も持たない。オフィスで、車に乗るとつねに電源に接続していた。そしてかかってくる電話は常にロクなものではなかった。インターネット接続ってなんのことと、という音声通話専用機だった。
そのトラウマも少しはあったのだろうか。皆が携帯電話を持つようになっても、私はしばらく持たなかった。一度PHSを持とうかとあれこれ調べたが結局断念。某自動車部品メーカーの子会社にいたときは、会社からケータイ電話を支給された。なんでもマネージャーは全員持てとのこと。最初に選んだのはNEC製。これは3G通信を最初に採用したもののうちの一つで、最初からバッテリーが二つついてきた。それほど電池の持ちが悪かったのだろう。とはいえ、そもそも持ち歩いた記憶がない。
そのうちauがinfobarというなかなか美しいデザインのケータイを出した。どうせ持つならこれだ、というわけでそちらに乗り換える。(もちろん会社ケータイである)その外観には満足していたが、こちらも持ち歩いた記憶がない。
その会社を辞め、移った新しい会社はベンチャー企業。当時の社員は10人だった。私はDirectorというタイトル持ちになったので携帯電話を持たされる。何にしましょう。時あたかも日本でiPhone 3Gが発売されるとアナウンスされた時でもあった。私は「iPhoneにします」と宣言する。営業担当は「iPhoneはバッテリーの持ちが悪いから」とか言っていたし、日本支社のGMは「我が社の製品はまだiPhoneで動いていないから、デモに使えない」とか言って渋い顔をしていたがそんな些細な問題は私のような狂信的原理主義者の意欲を削ぐものではない。
iPhone3Gが売り出されてすぐ総務担当の女性がソフトバンクに買いに行ってくれた。しかし異常に混んでおりいつまでたっても順番が回ってこないらしい。「もう帰る!」というメールがきて私がiPhoneを購入するのは少し先になった。しかし数日の遅れはあったものの確かに私はiPhoneオーナーになったのである。
とはいえ一朝一夕にしてiPhoneが日本で支配的な地位を築いたわけではなかった。今となってはお笑い種だが

「iPhoneは日本で普及しない。もはや敗戦処理が必要な段階」

と大真面目に公言した「アナリスト」もいたのである。それと同時に私は会社から携帯電話を支給されることの意味を身を以て知ることになる。それまで携帯電話では会社メールをチェックすることができなかった。しかしベンチャーではそんなことは言っていられない。それとともに「出社」と「退社」と言う言葉の意味がぼやける。家にいても仕事で届いた恐ろしいメールが目に入ってしまう。子供を遊びに連れて行き、ふとiPhoneをみると未読メールの数が大変なことになっている。それだけで胃が痛くなる。便利といえば便利だが、仕事オフの時間がなくなる。

インターネットが普及すればどこでも仕事ができる、というのを売りにしていた時代があったように思う。しかしそれは呪いである。海外出張が増えると、私にとって唯一の安らぎの時間は飛行機に乗っている時になった。この頃はまだ機内でインターネット接続ができなかったのだ。

もちろんいいこともあった。ある時家族ででかけて「この近くに何か子供と遊べるところがないか」ということになった。iPhone上のSafariでさっと検索し「をを、こんなことができるのか」と驚いたのも今となっては昔話である。しかしあれほど憧れていたiPhoneを手に入れたのに、今思い返すといい思い出がこれと、あと熱帯魚を育成するアプリで子供と遊んでいたことだった、というのも事実。当時幼稚園児だった長男は

「貧乏なので、卵からかえった魚を育てて売るんです」

と友達のお母さんに力説していたいのだそうな。私は出張先から彼にこんなメールを書いた。

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●●●へ

おとうさんはシアトルでげんきにはたらいています。
いまのすいそうのようすをおくります。 ちょっとたかい さかなを2ひきかいました。タマゴをうんだので、いつさかなになるかたのしみにしています。
かえるまでにできるだけおかねをためようとおもっています。

おかあさんのいうことをよくきいて、

▲▲▲となかよくしてください。

おとうさんより

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海外出張の行き先はシアトル。確かに日本に比べると気候はいい。しかし飛行機が空港につくとすぐ相手の会社にいって会議。朝から晩まで会議漬け。昼食、夕食も仕事相手と一緒。そんな日が続き昼頃の飛行機で帰る朝

「さすがに今日は会議がないだろう。少しのんびりしよう」

と思っていたところに客先から連絡がはいり、ホテルのロビーでわけのわからない話を延々とされる。家に連絡すれば「日本より湿気がない」というだけで妻に「いいなー」と非難めいた言葉を投げかけられる。

2年ちょっとのこうした苦闘の後、会社を離れることとなった。本来だったらとっても愛しているはずのiPhone 3Gとの別れがちっとも寂しくなかったというのは本当のところである。このような事情だから次の会社に移った時個人で携帯電話を持とうとは毛頭考えなかった。そしてそれで問題なく日々を送れていたのである。2011/3/11までは。

その日私がどのような行動をしたかは、別の文章を読んでもらいたい。なんとか無事に帰れたものの、出先でなんらかの連絡手段を持つ必要があると感じ始めていた。あの日携帯電話がほとんど不通になっていたのは確か。しかしもしiPhone上の地図があれば、そしてGPSが生きていれば自分の行動はもっとマシになったのではないか。しかし携帯電話って高いしなあ。

そうこうしているうちに「USB接続してPCをネットに繋げるドングル。PHS回線使用。ただし1年限定で更新はできません」という今から考えても不思議な製品があることを知る。値段は1万円くらいだったか。月に833円でネット接続ができるなら悪く無いのでは無いか。私はだいたいどこにでもMacをかついていくし。というわけでそれを購入する。とはいっても活躍する場面は(今から考えれば幸いなことだが)あまり多く無い。Wifiが提供されない研究会でちょっとメールチェックをするくらいである。はたしてこの安心感は私が払っている金額に見合っているのだろうか、と考えても、もう最初にお金払っちゃってるもんね。

さて、その「更新できない1年」もそろそろ終わりに近づいてくる。どうするか考えなくてはならない。確かにこの1年で「外出しているときにネット接続したい」というニーズがあることがわかった。問題は普通のキャリアを使う限り月に七千円以上とられるところにある。私はそんなにケータイを使わないし、お金もない。どうしたものか。

ちょうどその頃IIJという会社がMVNOというサービスを始めていた。平たく言えば「NTTドコモから回線を借りて、安く使えるようにしてくれる」というものである。一番安いプランは月980円。これならなんとかなるかもしれない。しかし一つ障害がある。これを使おうとするとSIMフリーなるスマホでなければならない。携帯電話を使うためにはSIMなる小さなカードがはいっておらねばならず、かつその時点では各キャリアが売っているスマホは全て自分の会社用のSIMしか受け付けなかったのである。Apple自らSIMフリーのiPhoneを売るようになるのはそれからしばらくたってからのこと。

あれこれ調べてみると、どうやら個人輸入に頼るしかなさそうだ。壊れた時の対応とかあれこれ心配だが、この際それは問わないことにしよう。安いAndroidならそんなに端末代金もかからないだろうし、とSIMフリースマホを売っている店のサイトをあれこれ眺める。

そのうちふと気がつく。Apple原理主義者たるものこれでいいのか。

そりゃ確かにAndroidのほうが安いけど、もう少しだせばSIM フリーのiPhoneが手に入るじゃないか。お前はiPhoneではなく、Androidで本当に幸せになれると思っているのか。一旦そのことに気がつくともう2度とAndoirdを探さない。ひたすらiPhoneの情報を漁る。SIMフリーを輸入して販売しているサイトはいくつかあるようだが、ネットの評判も考え、あるところで「えいっ」と購入ボタンを押す。(正確に何をしたかは忘れた)値段は5万円くらいだったような記憶がある。それとともにIIJの申し込みも行う。データ通信専用SIMである。音声通話機能付きのもあるけど、そこはIP電話でもなんとかなるだろう。月に1000円未満という安さは捨て難い。

IIJのSIMが届いたのが2012/4/4。翌4/5は娘の小学校の入学式である。あれやこれやと忙しい1日になったが、家に帰るとFedexの不在票がはいっていた。(香港から輸入するのだ)電話をかけるとすぐ再配達がきた。iPhoneをあけるときとてもどきどきした。

それからiPhone所有者の道が始まった。

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