題名:私のMacintosh

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日付:2000/8/22


22章:Twin PowerMac G3+G4-Part2

さて、中身ができあがったら今度は外を作らなくてはならない。しかし自慢ではないが私が工作が一般的に大変下手である。どうすればよいか。

今回の構想は基本的に「丈夫な骨に薄い外皮」ということだった。となれば外側のケースは薄い物でよいのだ。幸いにしてこうしてケースを自作する人、というのも(数人だが)インターネット上で見つけることができた。そのサイトを観ると

「発泡塩ビ」

なるものを使うように書いてある。

ではでは、と思い、すっかりなじみになった東急ハンズに向かう。これまた内部に何があるかはだいたい解っているので、まっすぐ目的の階と棚に向かう。そこは板状の素材があれこれおいてあるところだ。さて、発泡塩ビはどこだ。

私はそれから棚の前を数度往復し、上から下まで調べたがどうやら東急ハンズ横浜店では発泡塩ビなるものはうっていない、という結論に達した。となれば別の物をさがさなければならない。

しかたないなと思って見ているとそのうち

「プラ板」

なるものが目に入った。これは私が昔プラモデルを作っていたころに何度かお世話になったことがある。値段も安いしこれでいいや。とにかく今回は

「薄い外板でも大丈夫」

なのがうりだから、とにかく薄いものを買っていけばよい。そう考えると数枚のプラ板と接着剤を購入した。

帰るとさっそくあれこれの工作タイムである。Twin PowerMacの表面は(自分がそうしたからだが)かなり複雑な形状をしている。予定ではこの複雑な形状を覆う外皮を作ったときには、結構かっこいいケースができあがるはずであった。そうかんがえてプラ板をあれこれちょんぎっていく。本来であればきちんと図面など引いてつくるべきなのだろうが、とにかく元の寸法をきっちりととることができないから、現物あわせで作って行くしかない。

板と板を接合するところは90度のアングル材と、細長い三角形のような断面の材料を組み合わせて作っていく。こうした材料をはさんで板と板をはりつけていくのだが、そのうち接着がなかなかな難事であることに気がつき始めた。

基本的に接着剤というのは薄く広くのばして、張り合わせ、その後或程度きっちりと押さえておけばくっつくものだと思っている。確かに原則はその通りなのだろうが、この

「速乾性」

接着剤は薄くぬっていると私が材料を張り合わせる前にきれいに乾燥してしまう、という事実に気がついた。となると今度はやたらと厚く塗ることになるのだが、そうすると今度は乾燥が遅くなるのでずっと持ち続けていなければならない。おまけにはみだしたりするとそこらへんにくっついて大変快適な生活とは言えなくなる。

さて、そんなことを始めるとこれが結構面白かったり、先を急いだり。数枚のプラ板を張り合わせ、側板がおおよそ70%ほどできあがったところで問題が生じた。

最初は寸法に余裕を持ってつくるから、どうしても大きめになる。そうしてできあがっていった外板の固まりは結構巨大になってしまった。今回2台ぶんの部品を多少共用したりして、小さく収めるというのも目的の一つだったのだが、どうみてもその大きさは素直に2台並べたものよりも大きくなってしまったように見える。

しょうがない、と思いあれこれの寸法をつめだす。すると今度は寸法を縮めすぎてしまい、どうにもおさまりがつかなくなる。あれこれやっているうちに

「仮にこれをなんとか作り上げたとしても、あまり見栄えがよくないのではないか」

という脅迫観念にとらわれだした。

 

さて、こうして一時作成が中断したところで、私は東北旅行にでかけた。この顛末は「東北の夏祭り-一年後」を参照したもらいたい。この旅行中に私が考えていたことはいくつもあるが、その一つに

「あの灯籠は大変きれいだ。内側にあかりがあって、それを半透明の外皮でかこう、というのは結構美しい効果をもたらすものだ。せっかく薄い外皮でいい、という構造にしているのだから、なんとかあの灯籠のようなものができないか」

 

というのがある。一旦こうした考えにとりつかれると、これまたなかなかとまらないものである。横浜に帰ると今度はまたもや東急ハンズにいってあれこれ別の材料を買い込み出す。

基本的な構想は以下のようである。骨組みはピアノ線をまげてつくる。その上に和紙を張る。元となったPower Mac 7500には緑色の電源用LEDがついているし、G4には基板上に赤色の非常に強い光を放つLEDがついている。従って和紙の下からこれらの光が外に漏れだし、灯籠のような美しいものになるだろう。

そう思ってあれこれピアノ線をまげる。最初に気がついたのは、ピアノ線というのはなかなか素直に曲がってくれない、という事実だ。あれこれ苦心すれば曲がることは事実なのだが、それには異常な力と忍耐を必要とする。さらにこのピアノ線を切断する、というのはより一層の苦痛を伴う物だというものに気がついた。正直いってあと2−3カ所切断する箇所が多ければ私は簡単にこの構想をほうりなげていただろう。

そうしたしばらくの格闘の後になんとか上と下の枠ができあがる。最初の構想ではこの間に和紙をはれば、下の枠は上の枠につりさげられるような形となり、通気性といい、光を透過する性質といい文句ないものができあがるはずである。

そうした大いなる期待とともに和紙を張り出す。選んだのは最初からちょっとしわくちゃになっているような奴である。これならば

「ああ。しわがついてしまった」

といちいち天を仰いで長嘆息することもあるまい。そう思って張っていくのだが、どうにもおさまりが悪いことに気がついた。

3枚ほど張ったところで私は手を休めた。和紙というのは、障子などにきっちりとはりつけられたところばかりみているから、ぴんとしたものかと思っていたが、こうしてみると、上下左右をきっちり拘束しないと好き勝手にねじまがってくれるものである。結果としてできあがりつつあるのはなんだか和紙が好き勝手にあちこちにうねっている物の固まりである。どうも頭の中に描いていた構想に近いとは言い難い。

 

何度もできかけの固まりを持ち上げたりおろしたりした後に決心した。どうもこの構想はうまくないようだ。

 

ではどうしよう?

 

ふと気がつくとしこたま買い込んで、中途半端に組み上がり、放り出してあるプラ板の山があることに気がつく。基本的なサイズはかわりないから、これを和紙の変わりに使うことはできないだろうか。ピアノ線の骨組みにこれを張っていくことには変わりはない。ただしプラ板は和紙にくらべればしっかりしているから、勝手に曲がることもなかろう。きっちりと板同志をくっつけようと思うと大変だが、逆に最初から隙間をあけたような構造にするのもそんなに悪くないのではないか。

勝手にこうした考えに浸ると、今度は和紙をひっぺがし、プラ板構想にまっしぐらである。ところがこの和紙を接着したときに使った接着剤は実に見事に本来の使命をはたしてくれて、はがしにくいことこの上ない。苦闘の末にすべてひっぺがすと今度はプラ板を張り出す。張るといっても接着剤でつけるわけではない。針金を買ってきてそれをひんまげ、取り付け金具をつくるのである。自作の金具だから妙な形をしているが、この部分は外から見えないからいいであろう。

などと考え、途中まではできあがった。後一息で完成というところまではこぎ着けたのだが、問題が一つあることがわかった。

縦にしてみたり、横にしてみたり、遠くから(部屋の中だからしれているが)見てみたり、目を細めて見てみたり。どんな秘術を使ってもこのケースがかっこよく見えない。

しばらく自分をだまそうと工夫を重ねたが、そのうち行き先の見えないこの構想に関わり会うよりも、別の構想に邁進するべきではなかろうか、という考えが頭をもたげ始めた。

上の写真で手前にころがっているのが、その「プラ板+ピアノ線」構想のなれのはてである。ここまでできあがったところでこの構想はキャンセルだ。そして偶然渋谷の東急ハンズに行ったときにあれほど探しても見つからなかった「発泡塩ビ」がたくさんおいてあることに気がついた。やはり正攻法でこの材料を使ってみてはどうだろうか。

 

そう考えると今度は発泡塩ビをしこたま買い込み、工作の時間である。さすがに3度目だからだいたいどういう形になるかは解っている。それにこれはうれしい誤算なのだが、発泡塩ビとはかなり加工性が良いものであることにも気がつきだしていた。4−5度カッターで切ると熱さ3mmの材料でも素直にきれてくれるのである。

試しに天井の板と側板をいくつか作ってみると結構ご機嫌である。今までの構想と違って板に一定の厚みがあることから、できあがったところもどっしりとしていて感じがよろしい。私はご機嫌になるとひたすら製作に励んだ。

そのうち避けては通れない関門がやってきた。所謂

「曲げ」

である。板を90度に組み合わせて接合するのは、補強のアングル材を使えばそんなに難しいことではない。しかしどうしても曲げた部分に比べると「一生懸命つなぎました」という外見になってしまうのは否めない。しかしこの「曲げる」というのは例によって例のごとく一筋縄ではいってくれない。

最初、短い部分を曲げたときは、予想に反して非常に素直にまがってくれた。片方に少しカッターで切れ込みを入れておき、逆のほうをライター(私はたばこなるものを今だに一度も口にしたことがない人間だが、何故かこんなものが部屋に転がっているのである)であぶり、ぐいっとまげる。そんだけである。この成功に気をよくした私は次にもっと長い曲げ部分に挑んだ。

切れ込みを入れる。反対側をあぶる。そして力をぐっと加えるだが、材料はいっこうに曲がってくれない。しょうがないからまたあぶる。つまるところ端から端までライターの炎であぶっている間に、反対側の端は冷えてしまう、ということらしい。そして何度もライターの炎を往復させて今度こそは、と曲げてみると確かに変形はするのだが、今度は均一に曲がってくれない。

こうした苦闘を何度も繰り返していると、今度はライターの口がね部分が耐え難いほど熱くなってくる。考えてみればライターなるものはこのように長時間炎を維持するようにはできていないのである。となると一旦休憩し、ライターの口金を扇風機で冷やしたりすることになる。

 

さて、こうした苦労はあったが、なんとか物はできつつある。なかなか感じもよろしい。これでいえば、結構格好いいものができるかもしれない、と初めて感じることができた。そこで一気に完成に進めばよかったものをここでまた

「なんとか和紙の裏側から光が漏れる、構想を実現できないか」

と考え出すのである。

最初は細い塩ビの棒で枠をつくり、そこにきっちりと和紙をはってみた。今度は周りに固い枠があるので、さしもの和紙も好き勝手にねじ曲がることはできない。よしよし、と思って前面にはめて混んでみるが、どうにも収まりが悪い。今度は枠と出来上がりかけのケースがきっちりと合っていない感じである。

これまた遠くから見てみたり、目を細めてみたりしてなんとか自分を納得させようとしたが、それは不可能である、という結論に達した。しょうがないから和紙を張る部分はかなり少なくした。窓のような形に塩ビ板をくりぬき、そこだけに和紙をはったのである。そしていくばくかの格闘の後に、ケースは完成をみることになった。

上の2枚の写真が完成した姿である。こうした不鮮明な写真でも天井の板と、側板の間にかなりの隙間があいていることに気がつかれるであろうか。しかしいい加減ケース作成に疲れている私にはこれしきの隙間は何の問題にも感じられないのである。

私はデジカメを暗闇の中で取るような技術をもっていないからここに載せることはできないが、この和紙の裏がわからはLEDの光がきれいに透けて見える。実際このケースが一番きれいに見えるのは、灯りを全部消して、この

「光る和紙」

だけにしているときである。つまり私はせっかくできあがったケースではあるのだが、全体の形がどうにも気に入らない、という事実に気がつき始めていたのである。

 

そうはいってもさすがに今度はいきなり別の構想に走りだすことはなかった。このケースとは一週間くらい暮らしたのである。それまで完全に解放された空気の中で動作してきたMacintoshだから、果たしてケースをはめたときに過熱しないだろうか、とかなり心配だったが、記録的な猛暑だった2000年の夏に、これまた異常に熱い屋根裏部屋とも言うべき私の部屋の中二階に放置しておいても熱望走する気配は見せない。この構想はそんなに悪くなかったかと思ってはみたが、いかんせん格好が気に入らない。こればかりは何ともしようがない。

そう思うとぼんやりとTwin PowerMacを眺め、どうしたらもっと格好よくなるだろうかと考える。とにかく無駄な空間が多い。しょうがないと言えばいえるのだが、あまり複雑な形を避けたものだから、特にG4の側ではずいぶんとがらんどうの空間がある。あれをなんとか削れないものか。そのためにはあのフレームを動かし、ここをちょんぎり。ああ。ファンももう一つつけないとだめかな。

などと考えているうちに、今度は別の考えも頭に飛来する。真ん中にマザーボードをたて、その左側に電源、右側にドライブの類を積み重ねるというのが今回の構想の要だったが、どうも必要以上に横幅をとっている気がする。確かに2台並べたよりは小さいかもしれないが、それにしてもこれではあまりスペースを節約したことにならないのではないか。いっそのこと電源をドライブ類の下においてしまい、マザーボードはマザーボードで背中合わせではなく、お互いカードがついている方を向かい合わせにしたほうがすっきりするのではなかろうか。

そんな事を考え始めると寝てもさめてもそうした構想ばかり考える。そのうちこのマザーボードの「腹」どうしを向かい合わせる、というのは初期に一度考えたが没にした構想であることに気がついた。確かにこれをやると体積効率はよくなるが、メモリをつけたり、カードをさしたり、ということがいちいちマザーボードを取り外さないとできなくなる。

 

しかしだてにここまでフレームと格闘してきたわけではない。私は

「フレームを一部観音開きになるようにしておき、マザーボードの一枚はそこに取り付ける」

という解決策に思い当たった。今回使ったフレームやら、ジョイントの部品の特性を考えたとき、なんとかこれが実現できる目処も考えついたのである。

 

さて、ここで私は選択肢を二つもっていたことになる。一つは基本的に今のままの構造を保ち、無駄なスペースをなくすべく改造する道、もう一つは構造をごっそり変える道である。前者をとった場合、うまくいけば妙な多面体のケースが出来、偶然のなせる技により、それが見栄えのよいものになる可能性もあった。しかし正直言えば、私はこの

「かっこいい多面体」

を作ることがいかに難しい物であるかをそれまでいやというほど思い知っていたのである。そして今の構造のままでは

「コネクタ類の抜き差しが異常に難しい」

という事実にも悩まされていたのである。拡張カードを差したり、コネクタを抜き差しする、というのはそれほど頻繁に行われない、というのが当初の想定ではあり、確かにその通りなのだが、それでもそのたまにしか行われないカードの抜き差し、コネクタの抜き差しは快調とはとても言えなかった。これは外見云々の問題とは別に、基本設計の問題として横たわっているものだ。

 

そう考えると私は東急ハンズに材料を買いに走った。新しい構想に邁進だ。

その日は休日。返ってくると、いきなり組立に走ることはせず、一時間ほど昼寝をする。疲れた時はろくな仕事はできない。

 

めざめるとさっそく作業開始である。それまで問題もあったが、なんとか動いていたTwinPowerMacはまたもや解体の憂き目をみることになった。寸法を取り直すとひたすらフレームの加工である。しかし一度やってみた経験というのは馬鹿にならないもので、今回は最初とは比較にならないくらいスムースに作業が進む。どこに気をつけるべきか。どこの構造はどうしたらいいか、などがだいたい頭に入っているからであろうか。予想を超えたペースである。

最初は

「仮にこの構想が挫折した際にも、元のケースに戻れるように」

考えながら作っていたが、どこかの時点でその「引き返し可能点」を越えて突き進みだした。平たく言えば、元あったフレームはばらばらになり、新しいフレームの部品取りに使われだしたのである。

最初は結構自信がもてなかった「観音開き構想」も実にうまくできあがった。本当は問題があるのかもしれないが、まあそう何度も開け閉めするところではないからよかろう。マザーボードを組み付け、ドライブを組み上げ、とやるとなんとその日が終わるまでに新しいフレームは組上がってしまった。

 

あまりにあっけなくできあがってしまったので、かえって私はビビリ始めた。本当にこんなんでいいのだろうか?しかしどうしたって今更後戻りはできない。慎重は期さなければならないが、立ち止まったところで事態が改善されるわけでもない。私はすべてのケーブルを接続すると意を決してスイッチを押した。

するとあっけないほど簡単にMacintoshは立ち上がった。本当の事を言えば、最初に数度起動を繰り返さなければならなかったのだが、最近はそれにもなれっこである。ご機嫌になった私はさそく写真を撮るとその日は寝てしまった。

 

さて、それからは例によって「最後のささいな仕上げ」である。まず最初に気がついたのは、ドライブからマザーボードにのびるケーブルがうっとうしいことだ。普通のケースであれば、そうしたケーブル類はすべて目がつかないところをはいまわっているから、中の空気の流れを妨げる、とかよっぽどケーブルが込み入っているとかいう理由がなければそれほど気にする必要なないはずだ。ところがこの構想ではそうしたケーブルはすべて外から見る位置に存在している。

そう思ってあれこれ見てみると、なんと「スマートケーブル」といって、本来横にひらべったいケーブルを束ねたようなケーブルが市販されている。それからもあれこれインターネットの情報をあさって気がついたことだが、DOS/Vマシンにおいて、発熱との戦いというのはかなり大切な事になっているようである。放熱のために空気の通りをよくするためであれば、高いケーブルを買うのもいとわない、ということであろうか。

これだこれだと思い買ってみると、今度は長さがたりないとか試行錯誤を繰り返し、使わなくてもいい金をついやしたあげく、なんとか内部はまとまりがつくようになった。となると今度は再び

「ケース作成」

に直面である。

 

正直言えば今度は悩む要素は少ない。発泡塩ビでつくるのが一番の近道だろうし、形は長方形だ。もう多面体の形状にあれこれ考え込む必要もない。

そう考えると結構巨大な塩ビ板を買い込む。色は少し考えて黒にした。今度はけっこうのっぺらぼうの形状になりそうである。普通のPCであれば正面には少なくとも存在しているスイッチだのドライブの入り口すら存在していない。のっぺらぼうならのっぺらぼうで、2001年にでてきた石板のようなイメージにしたいと思った。黒くて凹凸がなくて、とにかく平坦な板。

さて、さっそく材料の曲げに挑戦である。前の経験から、今回前面から見えるところはすべて板をつぐのではなく、曲げで処理しようと考えていた。それはいいのだが、今度曲げる板の長さは前回「長い」と思った長さの1.5倍あるのである。

そうはいってもやれることはかわらない。とりあえずライターであぶり何度も曲げて、最終的に90度にしようと試みる。しかしその長さは膨大であり、おまけに左右の2カ所を曲げなくてはならない。そのうちライターのガスがなくなった。コンビニに走りそれまで買ったこともないライターを購入すると再び作業開始である。

 

悪戦苦闘の末、なんとか曲げは完成した。正直言えば、かなりゆがんでいるのだが、もうかまうもんか。そう割り切ると今度は他の部品をつくりはじめる。形状は単純な長方形だし、要領もだいぶ解っているから作業は早い。その日が終わる前には一応仮組ができるようになった。

いそいそと組み立ててみると、じっと眺める。何かに似ている。私がオフィスで使っているゴミ箱だ。

 

当初の予定では、のっぺらぼうの長方形が返ってかっこよくなる予定であった。しかしいかに詰め込んだとはいえ、マザーボード2枚分の厚さはやはりあなどるわけにはいかなかったようだ。石板よりはどうしたってゴミ箱のように見える。これはなんとかしなくては。

そう考えると何度目かしらないが、「内側の灯りが漏れる」構想にすがることにした。一部を透明なアクリル板にし、内側のLEDの光がもれるようにしたのである。

さらに材料を買い込んだり、あれこれ曲げたり切ったりすること数刻。なんとかケースはできあがった。そして若干どきどきしながら本体にかぶせてみる。

 

すると今度だけは、構想通りに事が運んだことがわかった。一応ケースはゴミ箱には見えないし、色がついたアクリルの向こうからはLEDの灯りが漏れて見える。ここで私は一つだけどうしても直したくなった。

 

LEDは本来緑色の光である。それはそれでよいのだが、そうしたアクリルの奥から漏れる光を見ていたら

「これが赤であれば、2001年のHALの目玉のように見えるのに」

という妄想にとりつかれたのである。

そう考えるとさっそくお買い物である。幸いなことにこのLEDなるものはすでにケーブルがついた形でパソコンショップに売られている。値段も安いからほいほい買い込んでみる。ただしここで問題がひとつあった。買い込んだものはすでにしてパーツとして売られているから、本来であればマザーボードのしかるべきコネクタに差し込めばそれでおしまいである。ところが困ったことにMacintoshには本来そんなLEDはないから、コネクタもない。となると

「はたしてこのLEDには何Vかければひかってくれるのか」

という問題に突き当たるのである。電源からは12V、5V、3.3Vの電源がでているがこのどれにつなげばいいのだろうか。

 

しかたないから実験してみる。最初に5Vの端子につないでみた。すると確かに光ってはいるようだが、灯りは今ひとつ弱い。ふーん。それでは12Vはどうだろう。

つないでみると確かに光る。しかし別に明るさが2倍になった、とかそういうことではない。まあ5Vでいいか、と思った瞬間、LEDが異常に熱くなっていることに気がついた。

泡食って結線を外した。もう一度5Vの端子につないでみるが、私は自分がおかした過ちの結果を目の当たりにすることになった。LEDは完全におなくなりになっており、5Vの端子は短絡状態になったのである。忠実な保護回路は一時的に電源をシャットダウンし、その結果として、Power Macは一時的にお亡くなりになった。

 

後悔先に立たず、ふっとんだLEDは元に戻らず、そしてそこから回復するかどうかを知るのは大変恐ろしいことだが、やってみるしか手はない。再び電源を入れてみる。幸いなことにして、短絡は一瞬であり、問題はのこっていないようだ。しかしLEDはお亡くなりになったからまた買いにいかなくちゃ。

翌日新たに赤いLEDを買ってくると、さっそくとりつけである。結果はまあまあだ。思ったよりLED は暗いようだが、十分暗闇で見れば印象的に光って見える。かえってこれくらいの灯りのほうがいいかもしれない。

完成写真は別紙をご参照くださいな。

 

かくのとおりこれで長々と続いたTwin PowerMac構想は一応の完成を見た。これでハードをあれこれするのは一段落だ。そして次にはソフトの方が待っているはずである。9月13日には長らく待たれたMac OS Xのベータがリリースされることになっていた。元々G4を購入したのは、このMac OSXを動かしたいがためである。さて、そのベータの配布方法はいかなものになるのであろうか。

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注釈