映画評

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/6/28
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950 円-Part18(Part17へ | 560円へ)

PITY ある不幸な男:Oiktos/Pity(2021/10/9)

今日の一言:全ての受験生に捧ぐ

男がベッドに座ったまま泣いている。だがどうにもその泣きかたが嘘っぽい。

妻は事故で昏睡状態にあり目覚める可能性はない、と男が人々に語る。それを聞いた人は一様に慰めの言葉をかける。世界は彼に同情し、彼は注目を浴びる。

主人公は終始悲しげな表情を崩さない。しかし映画が進むとともに、彼がそうした「かわいそうな自分」に依存していることが見て取れる。明るい曲をピアノで弾く息子を止め、自作の「妻の葬式」で歌う歌を披露する。葬式用のスーツも準備する。彼の中では妻の葬式は世間からの同情が頂点に達する「晴れの舞台」になるはずなのだ。そして妻がいなくなれば、自分は「新たな出会い」を求めることもできる。家事手伝いの女性相手に「結婚していますか?」と聞き、「はい」と答えが返ってきた後の微妙な間。

ところが

妻は奇跡的に復活する。それどころか以前と全く同じように生活している。妻の臨死体験談に皆が聞き入る。誰も彼には注目しない。ここで「意味もなく冷蔵庫の扉を開け閉めする」演出はお見事。馴染みのクリーニング屋に言った「妻は以前のまま」という嘘も見破られ、これからどうすればいいのか。どうやってこの映画のオチをつけてくれるのか、と期待しながらスクリーンを見守る。

すると確かに映画は結末を迎える。なるほど。。そうしちゃったかぁ。まあ確かに話の辻褄はあっているけれど、オチていない。というわけで受験生の演技担ぎにこの映画はいいのではないか。

とはいえ


日本映画だったら、主人公が「お前らに俺の気持ちがわかるかー!」と雨の中で叫ぶだろうし、アメリカ映画だったら、復活した奥様がすごい悪妻で旦那を惨めにさせるところがこれでも描かれるだろう。そうした安直な演出を排除したのは悪くない。ギリシャの静かで美しい日常風景を見るたび、一度だけ行った彼の地が思い出される。

とはいえこの内容ならば90分にして欲しかったと思う。テンポが悪すぎるし、催涙ガスはどう考えても余分。


キャッシュトラック: WRATH OF MAN(2021/10/10)

今日の一言:原題はネタバレ

映画の冒頭、現金輸送トラックが何者かに襲われる。その際犯人が発砲し何人かが犠牲になる。

場面は変わり、警備会社にジェイソン・ステイサムが応募してくる。トレーニングを終えさっそく仕事を始めるといきなり強盗が襲ってくる。しかしステイサムはあっさり強盗を皆殺しにするのであった。こいつは何者だ。

何度か最初の場面が繰り返される。その度にステイサムが何者で何をしようとしているかが明らかになっていく。私のように息子をもつみであれば辛い状況だが、仕事の特殊性ゆえと言えないこともない、とはならんか。

考えてみればステイサムを映画で見ることは2−3本目と言う気もするが、このハゲかっこいいなあ。私より4歳年下なだけなのに。というわけでスターになっているのだろう。彼が冷徹に敵を追い詰めていく。そして最後には人が虫けらのように死んでいく。

人類愛を説くわけでも世界平和を説くわけでもなく、親父の孤独な戦いは幕を下ろす。ちょっとまて、死んだはずだよお富さん、とも思うがこうでないと決着はちかないからまあいいとしよう。この値段分は楽しませてもらったと思うし。


007/ノー・タイム・トゥ・ダイ :No Time to Die(2021/10/02)

今日の一言:ありがとう、ダニエル・クレイグ

話は正直言ってよくわからない。ラミ・マレック演じる悪役が大して強そうに思えないし、ロシア人科学者もどんな人かよくわからないし、なぜスペクターを壊滅させるかもわからないし、ヒロインも特に印象に残らない。

私が愛するアナ・デ・アルマスはキューバ限定のエージェントということであっさり「私の出番はここまで」と宣言する。お前はABEMAの将棋ライブの解説者か。彼女の「三週間トレーニングしたのよん」というおどおどっぷりと、その後の暴れ方は素敵だが。

というなんともしまらない映画なのだが、ラストシーンのダニエル・クレイグの姿をみて目に涙が滲んでいることに気がついた。彼が参加する前の007は「あーはいはい」といったものの連続だった。クレイグ主演シリーズも出来に波はあるが、それでも全く違ったボンド像を提示してくれた。

南部訛り丸出しのアメリカ人とか彼は実にいろいろな役を演じてみせる。それでありながらボンドはボンドだった。彼が最後にミサイルを見上げる表情。これで彼の007もおしまいだ。ありがとう。楽しませてもらいました。


レミニセンス :REMINISCENCE(2021/9/18)

今日の一言:❤︎の抜けた技の羅列

温暖化が進み、半ば水没したマイアミ。現在でも治安は悪いが、さらにひどい状況。その地でヒュー・ジャックマンはお客に過去の記憶を体験させる仕事で日銭を稼いでいる。そこに不思議な女性が現れ「鍵を無くした場所がわからない」と記憶を辿ることを依頼する。鍵が見つかりやれやれと思ったところで、ジャックマンは彼女の歌に引き寄せられる。

その女性と再会したジャックマンは恋仲になってHappyと思っていたらいきなり彼女が失踪した。彼女はどこだーとジャックマンがひたすら探し続ける映画。

真面目に作られている。脚本はよくねられており、無駄な要素がほとんどなく最後には全てが糸で繋がる。彼女の存在は映画の進行とともにあちこちに揺れるが最後は綺麗に収まる。ラブシーンと格闘シーンになるとあくびがでるが、まあそれは不問に付そう。というわけで確かに技は見事なのだが、見終わって10分後心に残っているのは

「マイアミは確かに水没するだろうけど、アメリカなんてあんなに土地があるんだから、内陸に新しく都市つくりゃいいじゃないか」

だけ。なぜこうなってしまうのか。

思うにこの映画には技がいっぱい詰まっているが、「それで何が言いたかったのか?」がない。聞くところによればこの映画の脚本及び監督はWest Worldという人気TVシリーズの制作者とのこと。だから確かに腕はあるのだが、❤︎がない。結果として登場人物の誰もがリアルが人間に感じられずたんなる「映画の登場人物」で終わってしまう。

予告編はよかった。ところがRotten Tomatoesを見ると評価がとても低い。どうしてだろうと思っていたが、観て納得である。


シャン・チー/テン・リングスの伝説 :SHANG-CHI AND THE LEGEND OF THE TEN RINGS(2021/9/5)

 

今日の一言:東西ドラゴン対決

いや、昔から不思議に思っていたんですよ。欧米でDragonといえば羽の生えたリザードン。中国でDragonといえば空飛ぶマンダかキングギドラの首一本。日本だと中日ドラゴンズで、金鯱?

というわけでだがどうだか知らないが、映画の最後は画面上で東西ドラゴンががおがおと喧嘩をする。しかしCGだから「うん。怪獣映画だね」としか思わない。魔物を閉じ込めた蓋を守っている平和な村。そこに「蓋の向こうには嫁さんがいるんだ」と信じ込んだオヤジが乗り込んでくる。お互い喧嘩を始めるのだが、魔物が飛び出てしまい「協力しないとみんな死ぬ」といわれ、乗り込んできた「悪者」たちがあっさり協力し始めるところがかわいい。

あとはオークワフィナ。私の中では大桑雛。わざとらしくなく、ちょっと力が抜けた振る舞いでこの映画が「ありきたりな映画」に陥るのを少し防いでくれたと思う。Hotel Californiaの絶唱はいつか試してみよう(そんな機会がないことを祈るが)

逆にいえばそれくらいしか良いところがない。主役は絵に描いたような美男子でないとこと無駄に筋肉ムキムキでないところはよい。確かに悪くないのだが、よくもない。他のストーリーも同様。いや、そもそもヒーロー物にそんなの期待する方が無理だという意見もあろう。

そう考えると私の中でMCU映画に対するハードルが勝手に上がっていることに気づく。全てのMCU映画とは言わないが、時々「をを、こんな視点があったか」と驚かせてもらった。残念ながらこの映画にはそうた要素が存在しない。そもそも主人公は何がしたいのか、とか大桑雛の特技がちょっとやっただけの弓矢って何?とかとにかく残念な要素に満ち溢れている。聞くところによると検閲を通るため思いっきり中国の意向を取り入れた挙句、中国では公開されていない、と。いかにもそんな感じ。

アベンジャーズが終わった後MCUがどう展開していくかはこれからの物語。期待半分不安半分で見守ることにしよう。


HOUSE ハウス(2021/8/6)(1000円)

 

今日の一言:大林監督の始点と終点

名前だけは知っていたが未鑑賞。もうすぐ見放題期間終了の字幕にせかされ、Amazon Primeで鑑賞

映画が始まってすぐ「ちょっと待て」と出演者を確認する。なんと大女優というか有名人が目白押しである。そういえば最近池上季実子って何してるんだろう。あれこの可愛い子は、、なんと大場久美子。それに懐かしの南田洋子。どうでもいい男は尾崎清彦にへんなおじさんとして小林亜星。みんな若いなあと思って考えればもう四十四年前かあ。。

話の筋は単純そのもの。演劇部の女子高生七人が夏合宿のために池上季実子のおばちゃまの家に行く。そこでひとりずつ家に食べられてしまう。以上。

この映画は大林宣彦監督の劇場用初作品なんだそうな。でもって見ていると思い浮かぶのは同監督の最後の作品「海辺の映画館―キネマの玉手箱」両者を比べると、結局監督がやりたかったことが最初から最後まで変わらなかったのだなと思う。よくわからないストーリー。チープな特殊効果。美少女。監督自身の出演にピアノ、そして女優を裸にすることへのこだわり。いや、もちろん間に尾道3部作を作ったりしていたのだが。

とはいえこの作品では画面に若い力がみなぎっている。それは出演者だけでなく、監督も。主人公の継母は出演時常に布をひらひらさせているし高校生はきゃーきゃー騒ぐ。監督は女性をかわいく、美しく撮影することに異常な情熱を傾けており、剥き出しの熱意が画面から伝わってくる。

対するに最後の作品にも監督の熱意はあった。反戦という。しかしその熱意は記号として羅列されるばかりで、画面から観客たる私には伝わってこなかった。反戦ね。はいはい。それは彼が最後に縋った錦の御旗だったか。

そんなことを考えているうち映画は静かに唐突に終わる。私はこの映画に関係した人たちのその後の人生をぼんやり思い返す。



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注釈