映画評

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プロミシング・ヤング・ウーマン:PROMISING YOUNG WOMAN(2021/7/17)

今日の一言:Shut up and watch

若い女性がバーで一人酔いつぶれている。すると「善意の男性」がやってきて「送っていこう」と言う。タクシーで言われた住所に向かうが「そういえば僕の家は近くだ。一杯飲んでいかない?」と誘う。

その女性はコーヒーショップで働いている。実家暮らし。両親からはそろそろ独立しろと言われる。しかし両親の言葉にはどこか奥歯に物が挟まったような雰囲気が。それがなんなのかはだんだん明らかになる。

彼女は医大を中退し、今の仕事-表も裏も-している。なぜそうなってしまったのか?画面を見るのが辛い。しかし見入ってしまう力がこの映画にはある。そもそも女性が男性がいるところで女性が酔い潰れるのが悪い?確かにそれも一つの意見。しかしその代償を女性だけが払い、男性は何も罪に問われない世界が正しいというのか?主人公が行動するたび画面に縦の棒が引かれる。

しかし

そうした理不尽さのあまり心を病んでしまった「加害者」も存在することを主人公は知る。そしてそんな主人公によろめきながらも声をかけてくれる男性もいる。一人男性を「始末」するたび縦の線を引いていた本をゴミ箱に放り投げる。平和になりかけた画面を見ながら、観客たる私の不安は極限まで高まる。この映画がこんないい話で終わるわけがない。するとやはりやってくるのだ。現実との対面が。

映画を見終わって、頭の中にはいろいろな思いが到来する。この映画は何を描こうとしたのか。教訓、復讐、爽快感、そんなものではないことだけは確か。

もう一つ確かなのは、私が最後まで画面に見入っていたと言う事実。後でアカデミー脚本賞を取ったことを知る。なるほど。

以下余談:アメリカ映画見るたびに思うのだが、ああいうことはアメリカの大学では当たり前に行われているのか?私が知らなかっただけで。(学部長は毎週そんな訴えを聞いていると言っていたし)私が知らないだけで日本の大学でも行われているのか?

せめて息子には「いつも心に煉獄杏寿郎を」と伝えておこう。彼が理解してくれるかどうかわからないが。


シカゴ7裁判:The Trial of the Chicago 7(2021/5/8)

Netflixの強さ

ベトナム戦争が激化し、リンドン・ジョンソン大統領は次期大統領選への出馬断念を表明する。そして民主党の大統領候補を選ぶ党大会がシカゴで開かれる。

そこに向かった四組の全く関係ない若者達。現実に起こったのはベトナム戦争に反対する人たちと警官隊との衝突。しかしニクソン政権の司法長官ジョン・ミッチェルは八人の若者があらかじめ共謀して暴動を計画したと逮捕したのであった。かくして裁判が始まる。

ジョンソン政権は、彼らの起訴は不可能だと判断した。そして結局彼らは概ね無罪となったのだから基本的に無理な政治的裁判だったのだろう。しかしそんなことは実際の法廷では関係ない。明らかに有罪の予断をもって裁判を進める判事。有罪無罪を決めるのは陪審員の判断だが、被告達に同情的な陪審員には脅迫が行われる。この状況でどうやって裁判を戦えばいいのか。

さすが訴訟国家アメリカだけあって、こうした裁判ものは手慣れている。映画では真面目一本やりという容貌の検事が見せ場をさらうが、現実の検事は何も悩まず裁判に邁進していたとか。なぜ知っているかといえば、映画館を出て家についてすぐ調べたから。それほど「現実には何があったのか」と興味をひく。

調べてみれば事実とはかけ離れた部分も多いようだ。しかしそもそも複雑な話を2時間に収めることが難しいのだし、記録映画ではないのだからそれにめくじらを立てることもあるまい。エンドロールでNetflixの作品と知ってひっくりかえりそうになった。こんな面白い映画を彼らは独力で作っているのか。


ザ・スイッチ:Freaky(2021/4/10)(1000円)

身体が入れ替わった時、男がすること

予告編を見る。ホラー映画のようだが、なぜか殺人鬼と女子高生の体が入れ替わってしまう。そこからドタバタ。うーん、あんまり観る気がしないが。

と思っているとどうも評判がよろしい。これは一つ見てみるか。主人公は冴えない地味な女の子という設定。ビーバーの被り物をしているときに、フットボールの選手から「ブス」とからかわれるのだが、どう見ても無理がある。だって美人だもん。

とはいえ、とにかく殺人鬼がやってくる。映画の冒頭「これぞホラー映画で最初に殺される役」という男女がでてきて予想通り皆殺し。結構残酷なシーンのはずなのだが、怖くもグロくもない。ホラー映画は苦手だが、これなら見られるかも。

体が入れ替わると演技力が必要とされるのは殺人鬼の方である。でかいガタイで、女子走りをしなくては。どこかで見た顔だと思ったら、ドッジボールの人だった。女子高生中身は殺人鬼も結構苦労する。今まで腕力に物を言わせて殺しまくっていたのが、女子高生だと力負けしてしまうのだ。あと男は女性の体に入れ替わった時、かならずああやって確認をするのだな。

体が入れ替わると環境が変わり、お互い学ぶことがあるというのは王道ではある。この映画でもそれはでてくるが、あまり説教っぽくないのがいいところ。そして最後のオチにもちゃんと繋がる。この設定でもっと凝ることもできるだろうが、そこはあえて軽くしているのだろうか。若いカップルがデートでみるのにちょうどいい映画だが、一人者の年寄りが見ても十分ご機嫌に時間を過ごせる。

おそらくはギャラの安い人たちを使い、感動はしないが楽しく怖くなく、気軽に見られる映画を作るのはすごいと思う。


ノマドランド:Nomadland(2021/3/27)

See you down the road

企業の事業撤退によって、一つの街が消滅したという字幕から映画は始まる。Amazonの配送センターでおそらくは私と同じ年代 の女性が働くところが映し出される。Amaoznはキャンピグカーの駐車場を確保しているのだな、と妙なところに感心するがそれが何を意 味するかわかるのは映画の後半。

カメラはひたすら一人の女性と周りの人間を描く。Amazonでの仕事が終わると彼女には行くところがない。まだ季節は冬。彼女 は懸命に居場所を探す。 スーパーでかつての教え子と会う(彼女は代替教員をしていたこともあるのだ)先生ホームレスになったって聞いたけど本当?ホームレスじゃなくて、ハウスレ スよ、と彼女は答える。

この映画には筋がない。彼女は同じようにキャンピングカーで暮らしている人達の集まりに参加したり、「関わるな」という旗をかかげてい る車に止むおえずコンタクトをしたり。

エンドロールで知ったのだが、この映画には「役者」が二人しか出ておらず、あとは本当にノマド生活を している人たちのこと。その生活は確かに苦しい。しかし安易に「社会の歪み」と言う気もしない。実際彼女は知り合った男性に「ここで一緒 に住まないか」と誘われるが、黙ってその居心地のいい家を後にする。

そして彼女はまた砂漠の中にあるAmazonの配送センターに戻ってくる。なるほど。ホリデーシーズンだけの季節労働者なわけだ。そし て彼女はそうした季節労働があるところを移動しながら生きている。

歳をとると無理が効かなくなる、というのは私も実感するところ。その生活はつらいだろうが、自由でもある。そしてこの映画はその一人の 人間が生きる様を真摯に描き出す。筋も派手さもない映画だが、高く評価されているというのがよくわかる。

職を転々としている私もある意味ノマドかもしれない。ある中途採用の面接で言われた。経歴を聞いていると、だんだんと自由を求めている ように見えます、と。



私をくいとめて(2020/12/28)

のんという女優

原作は小説なのだそうな。30代(映画でははっきりと示されないし、のんは30代には見えないが)の独身女性。職場では小お局となり、 おひとり様のあれこれにチャレンジ。脳内のAという人格としょっちゅう会話しているが、Aが自分だということもわかっている。そんな彼女 に職場に来ている年下の営業くんとの縁が生まれる。しかしずっと「お一人様」だった彼女には彼との距離の取り方がわからず。

途中イタリア旅行に行くのだが、それさえなければ超低予算でも作れただろう。ばっさりカットしたほうがよかったとも思うが、ちゃんと意 味はあった。旅先にいたのは主人公の親友でイタリア人と結婚した橋本愛。「あまちゃん」コンビではないか。彼女のクレパトラ風おかっぱ頭 はヨーロッパ在住アジア人女性としてなかなか美しい。橋本愛は確かにイタリアでちゃんと生きてはいるが、怖くて家を離れることができな い。それでもお母さんになり生きていく。

彼氏との馴れ初めとかがばがばな設定。にもかかわらず最後までちゃんとスクリーンを見つめていた。何度か笑い声も上げた。カフェで隣の 女性同士の会話を聞くところとかね。こんなたわいもないシーンで笑うのかと驚いた。これは監督の腕だろうか。

片桐はいりとか、地味顔だけどちゃんとした人間を演じる彼氏もよかったが上映時間の多くは「のん」の一人芝居。この時間を一人の演技で 持たせるというのは尋常なことではない。この女優と監督でもっとたくさんの映画を作って欲しい。そう考えていた。

かくのごとく心に残るものが多い映画ではあったが、遺憾ながら長すぎる。せめて2時間以内、できれば90分にできれば傑作たり得たので はなかろうか。

とはいえ

個人的には大瀧詠一の「君は天然色」に思い入れがあるので、あの曲がかかったシーンでは泣きました。


鬼滅の刃(2020/11/15)

今日の一言:素晴らしいド直球の原作(多分)なのにアニメになると..

コロナウィルスが流行り始めて以来多くの産業が危機に瀕している。とにかく人が集まってはいけない、というわけで映画館も苦労している。ようやく再開した ものの海外からは新作映画がさっぱりはいってこない。

その状況にあって、朝の7時台だけでも数回上映されるのがこの映画。映画が公開される前から話題になっていることは知っていた。しかし 私はひねくれものである。世間で流行っていると聞くと目をそらしたりする。我が家ではまず中学生の娘が見に行った。感想を聞くと「見終 わったあと声がかれていた」とのこと。要するに大感激である。次に高校生の息子が見に行く。前半は普通だけど後半はすごい、という。子供 たちにここまで言われては見に行かないわけにはいかない。息子は「お父さんはほおっておくと、金曜ロードショーで十分とか言い出しかねな い」と指摘するし、娘は「あれは映画館でみるべきだ」という。かくして朝8時15分の回にのこのこでかける。日曜日の早朝というのに(我 が家は私以外皆寝ている)映画館は子供達と一緒にきたお父さん、お母さんでほぼ満員である。

さて、この映画は長い漫画の一部分を映画化したものという。予習が必要?というわけで子供達に概要を教えてもらう。炭焼きをしていた主 人公は鬼に一家を殺され、一人残った妹は半分鬼になってしまったと。それくらい知っておけばいいでしょう。

スクリーンに様々な物語が展開される。正直最初はイライラする。主人公と思しき少年と行動を共にしている二人がおちゃらけをやるのだ が、どうにも長過ぎ、しかも最終的には何の役にも立っていない。そのうち列車に鬼が現れ、柱と呼ばれる強い人とともにそれを対峙し。

アニメに関わる人には映像だけにやたらと固執する人がいるのは知っている。そうした人からみれば本作は「見事な映像化」なのかもしれな いが、その感性を共有しない私には、「あーはいはい」の連続である。主人公が何やら叫ぶ度テンポががたっと落ちる。あれ、下っ端二人で鬼 をやっつけたと思えばもっと強い鬼が出てくる。

そこからも映像は凝っているのかもしれないが「映画」として見た時には価値を認め難い。思うにこのアニメ化をした会社は映画とは何かに ついて根本的に考え違いをしているのではないか。Motion Pictureならば言葉ではなく映像で観客に考えさせるべきなのに、この映画は「ほーらこんなすごい映像つくっちゃいましたー。筋はセリフで説明しま す」ばかり。

じゃあなぜ私はこの値段にしているのか。

そうしたダメな映像化の下から大人気となった原作の価値が浮かび上がるからだ。「友情・努力・勝利」の少年ジャンプそのものを真正面か らフルスイングで描き、なおかつ受け取り手の心を動かす。これは尋常な技ではない。主君への忠義や、正義という手垢のついた言葉ではなく 「人は助けあって生きなければならない」という恐らくは普遍の真理をしっかり物語にしている。これには驚かされた。

家に帰ると子供達に告げる。君たちはいろいろな才能や環境に恵まれて生まれてきた。煉獄さんのお母さんの言葉を忘れてはいけないよ、 と。こうしたなんの飾りもひねりもないまっすぐな心意気の漫画が多くの人の心を動かす。この世の中はそう悪いことばかりではないのではな いか。映像は別の会社に再度作り直してもらいたいが。


ある画家の数奇な運命:WERK OHNE AUTOR/NEVER LOOK AWAY(2020/10/16)

今日の一言:邦題と英語題名とドイツ語題名がみんな違う

映画はナチスドイツが開催した「政治的にダメな美術展」から始まる。ナチが何をいおうが、それは現代美術の傑作。若くて美しい叔母につれられた少年はそれ に観入る。

少年が住んでいるのはドレスデン近郊。戦争末期、戦争に決着はついているのに無慈悲な無差別爆撃にさらされた都市。美しい叔母はこれも ナチの政策により強制収容所送りとなる。それを決定したのが「教授」。彼はナチスの親衛隊で断種、収容所送りの判断をしていた。ナチス政 権下では「エリート」だったが戦争が終わると全てが反対になる。ソ連に逮捕されるが、最高の産科医としての腕が彼を救う。

戦争は終わったが、共産主義の効率性のおかげで、1950年代になってもドレスデンの街には瓦礫の山が残る。少年は美術大学にはいり 「社会主義リアリズム」の壁画家として成功を収めるが「なんか違う」という気持ちは消えない。

妻と電車で西ベルリンに。壁ができる前はこんなに簡単に移動できたのだな。そこで現代美術の盛んな街に行き美術学校に通いだし。

映画が終わってから、モデルとなった画家の絵をみて驚いた。とにかく多様。ピカソと比類させる声もあるようだが、さもありなん。「教 授」と主人公の物語がどこで交錯するのだろう、と思っていたら「そう来たか」

決して帽子を取らない美術学校の教授。最初に言ったことは「私に作品を見せるな。自分で考えろ」その教授が「作品を見せろ」というので 主人公は自分の作品を見せる。このいかにも「何も考えてない若者がイキって作った作品群」が実に見事。いつも思うのだが、見事な作品ばか りみせるより、こういうダメ作品を見た方が傑作の良さがわかると思うのだけど。

「これは君じゃない」美術学校の教授からはそう言われる。

主人公は数日白いキャンバスと向き合う。「教授」は世渡りの才能を発揮し、西側でも成功を収めるが、では幸せな生活かといえばそうでは ない。親衛隊の地位を断れなかったといいながら、鏡の前で制服を着て悦に入る。ナチ式の優生学を信奉しておりそれを実の娘に強制するよう な人間だが、主人公に語ったアドバイスはこの世の真実を取らえている。つまり矛盾に満ちた魅力的な人物像ということ。

苦闘の末主人公は「自分の一番」を作り上げそれを世に問う。映画の都合上、登場人物をまとめたコラージュ作品がでてくるのだが、それの できだけ明らかに劣っているのが面白い。かくして映画は心穏やかなエンディングを迎える。


ルース・エドガー:Luce(2020/6/6)

今日の一言:人間社会に生きるということ

ハンサムで優秀な黒人の青年。彼の両親は白人。つまり養子なわけだ。しかも彼は7歳の時内戦状態の国からアメリカに来た。まず英語を覚 え、そして心の傷をいやし。

そうした道に必ずしも旦那は賛成していなかった。母親は子供に注ぐ愛情に限界はないという。だからといって、子供が言うことを尊重し切 れるかといえばそうでもない。彼は「歴史上の人物になりきって書きなさい」というレポートに不穏当な言葉を連ねる。そして教師がロッカー を漁ると不法な花火が見つかる。本当に彼は優等生なのか、それともテロを企てるような人間なのか。

彼の姿、そして両親の意見もこの映画の間中揺れ続ける。人間はコンピュータと違い、外部から内部の動きを把握することができない。だか ら日常生活においても、相手の心を勝手に推察して行動している。そんなたあたりまえのことをいやというほど思い知らされる。

主人公がレポートを提出した教師がまた一筋縄ではいかない。彼女は他人を型に当てはめようとし、そこから逸脱すると容赦無く攻撃を始め る。これもよくある困った人だが、彼女はそれを黒人に対する差別と結びつけどこか正当化しようとする。

そうした押し付けは、その教師だけでなく主人公がずっと戦っている問題でもある。スピーチのリハーサルで彼の名前を母親が発音できず、 父親の提案で「ルース」という名前を与えられたと語る。そしてアメリカに来たことが幸運だったと。その時彼の頬には涙が流れる。そこで彼 は名前を消され、アメリカ人式の名前を与えられたのだ。その涙の意味は観客に委ねられている。

明白にわかるのが、彼がそのスピーチを実際に行う場面。彼はリハーサルの時と同じ言葉を連ねる。しかしその笑顔は嘘の表情。それはか えって恐ろしさを観客に感じさせる。

この映画の筋書きは言葉では説明されない。誰もが自分が押し付けられる役割と戦っている。しかし主人公の苦しみを私が理解することはな いが、彼の闘う姿に一筋の希望を見出したのも確かである。このように派手さは全くないが、観ている私にいろいろなことを考えさせる。


ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密:KNIVES OUT(2020/2/2)

今日の一言:あと半歩

有名作家が自分で喉を掻き切った状態で発見された。自殺ということで一見落着しそうなところに探偵が登場する。

この探偵が南部なまりの英語をしゃべりまくる007のダニエル・クレイグ。007との落差がものすごい。彼があれこれ聞き出すと家族の 複雑な事情が明らかになる。作家は自分の家族に多大の支援をしていたが、「自殺」前日にその支援を打ち切ろうとしていた。となるとこれは 本当に自殺か?

という謎の70%は結構早く明かされる。嘘をつくと吐いてしまう看護師がどうやら話の中心らしい。映画が終わるまで、この看護師がブ レードランナー2049のJoyだとは気が付かなかった。この人本当にブレードランナーではとんでもなく可愛く作られていたから。

この映画でも彼女は魅力的な人物を演じる。ここまで一途な人間を見るのは気持ちがいいものだ。少し道を踏み外しそうになった彼女が元に 戻ったところで、残り30%の謎が明らかにされる。

キャプテン・アメリカとして絶対的アメリカの正義を演じていたクリス・エバンスがクズ男を熱演。クリス・プラマーとかみたことある人が ぼんぼんでてくる映画で、最後まで概ね飽きずにみられた、、と言いたいところだが、細かいところが気になる。最初の「死体発見のシーン」 とかその後の家族の罵り合いとかどうにもテンポが悪く無駄な動きが。というわけで途中で一度時計をみたのも事実。

悪くないけど、あと半歩足らんなあという感想を持ちながら映画館を後にする。


リチャード・ジュエル:Richard Jewel(2020/1/19)

今日の一言:自戒

必要以上に太り、良い歳をして母親と二人で住んでいる男。米国ならこれだけで「ダメ人間」ということになるのだろう。

彼は法を守り執行する仕事に就きたい。しかし結局得たのは大企業の内部で備品を配る仕事だったり、アトランタオリンピックの警備員。そ れでも真面目に職務をこなしていると、ベンチ下に不審なリュックがあるのに気が付く。

アトランタオリンピックで爆発事件があったことはすっかり忘れていた。というかアトランタオリンピック自体何も覚えていない。しかしこ れは東京でも起こりうることだな。そんなことを考えていると、映画はどんどん進む。爆発物を発見したということで最初は英雄と祭り上げら れ、そして次には「世間の注目を集めるための自作自演ではないか」とFBIに目をつけられ、そしてそれが新聞にリークされる。

そこからは私のような無責任にして頭の悪い野次馬達の餌食にされる。趣味の鹿狩りで使うといいながら、山のように銃器を所持している。 逮捕歴がある。テロリストが使う爆発物についてやたら詳しい。「常識」は彼が犯人であると告げ、メディアは彼と彼の母親を追っかけ回す。 そして最後には嫌疑が晴れると知りながら、FBIに質問をうけるシーンでは脈拍数が上がる。

いつものイーストウッド節なので、クライマックスを殊更に盛り上げることはしない。映画は静かな終わりを迎える。おそらく現実もそうし たものだったのだろう。FBIは結局彼を逮捕するだけの証拠すら集められなかった。映画では色仕掛けでFBIから情報を得る新聞記者は若 くして薬物の過剰摂取で死亡してしまったとのこと。この映画での描かれた方について、彼女が勤務していた-そして嫌疑を最初に報じた-新 聞社が「不当な扱いだ」と文句を言っているのが皮肉である。リチャードジュエルも糖尿病で44歳で死んでしまっている。

登場人物は死んでしまったが物語は残る。そして「怪しいのと犯人ときめつけるのは別物」という教訓を、今の私の心に刻み付ける。


フォードvsフェラーリ:FORD V FERRARI/LE MANS '66(2020/1/11)

今日の一言:Who are you ?

経営が怪しくなってきたフォード。のちにクライスラーのCEOになるリー・アイアコッカはモータースポーツに進出し、ブランドイメージ の刷新を提案する。しかしフェラーリ相手の買収提案は手ひどく断られ、フォードはル・マンでの復讐を決意する。

でもって車の開発者であるマット・デイモンとドライバーであるクリスチャン・ベールがあれこれする映画。いまこうして書いていて思うの は、この二人の役割ががあまり説明されていないように思うのだ。彼らは経営者なのか、営業なのか、エンジニアなのか。どうも全ての役柄を こなしてたように思うのだが、よくわからない。これが1800円でない理由。

しかし

画面はそしてストーリーは迫力に満ちている。話の筋からすればルマンの前のデイトナで優勝するに決まっているのだが、それでも最後の加 速ではこちらにも力がはいる。そしてサラリーマンなら思わず微笑むようなセリフもある。「自動車会社の連中は、ボスのご機嫌をとることば かり考えて、そんな自分たちを嫌っている。そして俺たちのようなよそ者はもっと嫌っている。」確かにそうだねえ。なんなんだあの人たち は。そしてデイモンたちが一番戦わなくてはならないのは、そうしたDetroitのエリートサラリーマン達。これも妙にリアリティがあっ てなんというか。

エンジンの回転数が7000rpmの世界では全ては消え去り、重要な問いだけが残る。Who are you ?この質問は今の私には辛い。somebodyと答えたいがnobodyと答えるしかない。

そんな感慨をよそに映画は史実通りの静かな終わり方を見せる。家に帰るとさっそくReal storyはどうだったのかと検索して英文を読み始める。


ドクタースリープ:Doctor Sleep(2019/12/08):1000円

今日の一言:二つの映画を見事につないだが

かの有名なキューブリック版シャイニングの続編。この「シャイニング」という映画はキングの原作なのだが、キューブリック版は原作とだ いぶ異なっており、キングは嫌悪していたのだそうな。でもってキング版のシャイニングも存在する。

この「続編」は二つの異なる「シャイニング」両方をつながなければならない、という宿命を負って生まれてきた。おまけに監督はキューブ リックのような極め付けの変態ではない。

そうした厳しい条件の中で製作者は見事な技を示した。当時少年だったダニーはアルコール依存になり荒れた生活をしていた。心機一転のた め見知らぬ街に来る。一方全米を放浪し続けるジプシーのようなグループがいる。彼らは何歳かもよくわからない。そしてシャイニングという 能力を持っている人間を探し、その精気を食べて生きている。当然のごとくダニーとジプシーグループが激突することになるのであった。最終 決戦の場面はあのホテル。あの道を辿る光景に、重くアレンジされたあの音楽が鳴り響く。

映画の筋書き上やむおえないとわかってはいても(そして製作者は無駄な残酷さを持ち込んではいない)なんの罪のない少年が惨殺される シーンは父親である私にはつらい。「今日、いい人がたくさん死んだ。なのに結果はかわらない」というジプシー一行の男の声が重い。とは いってもジプシー軍団あんなに簡単にやられちゃうんじゃ、何千年も生きることは難しいのではないかと思わんでもないが、そうしないとアベ ンジャーズになっちゃうからいいのだろう。何千年生きたところで、結局は終末を迎える。千年生きても数日しか生きなくても大した違いはな い、というマルクス・アウレリウスの言葉を学ばなかったのか。あんたたち言葉を直接聞ける時代から生きてたくせに。

かくして2本の異なるシャイニングはこの映画で見事に融合された結末を迎える。その手腕に拍手を送るが、やはりあの「シャイニング」は キューブリックのような奇才にしか作れないのだな。


ジョーカー:Joker(2019/10/6)

今日の一言:信頼できない語り手の行く先は

見終わってしばらくして気がついたのだが、この映画のジョーカーは超人的な体力、知力、悪賢さ、残虐さとか一切持ち合わせていない。幼 い頃のつらい体験による精神障害を持ったただの男。それだけに見ているのがつらい。

母と二人暮らし。市からの補助により医療と生活をかろうじて支えている男。緊張すると自分でも制御できない笑いに陥り、それゆえのトラ ブルにも巻き込まれる。仕事は派遣のピエロ。

職場仲間から「護身用に」と持たされた銃。それを勤め先で落としてしまい解雇される。其の足で乗った地下鉄で、女性が男性3人組にから かわれ身の危険にさらされているのに出くわす。そこで笑いの発作が起こってしまい。

そこから彼の生活が変わったように見える。しかしその一部は彼の妄想に過ぎなかったことが観客に伝えられる。そうだよな。あんなにうま く話が進むわけないもん。彼はただ父親にハグしてもらいたくて、バットマンの父親に会いに行く。しかし「父親」とは母親の妄想に過ぎな かった。それどころか唯一の肉親たる母親がどういう人間かを思い知らされる。時を同じくし、地下鉄の中で3人を殺害したピエロという概念 が一人歩きし、現状に不満を持つゴッサム市民はピエロの仮面をかぶって不穏な動き。

そんな中彼はよく妄想の中で出演していたTV番組にゲストとして呼ばれる。しかしこれも「そんなにうまく話が進むわけない」話でもあ る。いやそれは一旦おいておこう。そのあと彼は人々の歓声に迎えられる。しかしそれは彼が望んだことだったのか?

そう観客に考えさせたところで画面はまた大きく変わる。そして最後にもっとあやふやなシーンにつながる。ここで観客たる私は置いてけぼ りを食った。「信頼できない語り手」はいいとして、この監督は「正解」を提示する気はないのだな。

狂気と嘘と妄想に満ちた映画の世界に触れ観客がどう考えたを問いたかったのだろうか。それは良い。しかし最後のシーンはあまりに弱い。 あるいは見ている側の望みが高くなるほど興味深い映画だったということかもしれないが。


アド・アストラ:Ad Astra(2019/9/21)

今日の一言:一人で遠くまで

ブラッド・ピットが宇宙飛行士役。といいながら冒頭のシーンでは「宇宙アンテナ」を修理する。アンテナだから地上に根が生えており、手 を離すと下に落ちる。ブラピはパラシュートで地上まで降下することになるのだが、その間も心拍数があがらない。ニール・アームストロング のような男。

その父親はだいぶ昔に地球外生命の探索のため、海王星に向かったまま消息を絶った。ところが最近地球に頻発している異常現象(ブラピが 地上に落下する羽目になったのもそのせいだ)が海王星から来ているらしい。ひょっとしたらあんたの父さん生きていて何かしているのかも、 ということでブラピはメッセージを送れと言われる。

画面はとても静かで真面目に進む。それはあたかも2001年宇宙の旅を彷彿とさせる。ゼロ・グラヴィティみたいに、船外活動中にふざけているような 宇宙飛行士はこの映画では登場しない。しかしキューブリックなしではあの静けさは実現できなかったのだろう。月面上での謎の強盗団との戦 いとか唐突に挿入される。あれはいらなかったんじゃないだろうか。かわいそうな中尉殿。

人によっては退屈と思うかもしれない。しかし私もどちらかといえば一人でいることが好きな人だから、「一人になった。これは私にとって 好ましい状況だが」というブラピの気持ちはなんとなくわかる。そして一人になったとき自分の過去がフラッシュバックしいろいろな感情が溢 れることも。

考えるのは行く先にいるかもしれない父のこと。別れてしまった妻(リブ・タイラー)のこと。ロケット推進の進歩は著しく数十日で海王星 に到達する。そこで父と対面するのだが。

(ここから重要なネタバレ)

ずっと恐れ、そして望んでいた父との対面。それはすれちがいのまま終わる。父ことトミーリージョーンズには地球外生命の探索しかないの だ。会う人誰からも「お父さんはヒーローでしたね」と言われる父。探査に行った仲間を殺したと知ってもなお会うことを望んでいた父。しか しその再会はあっけなく、予想と異なる形で終わる。仮に父が一緒に地球に帰ったとしても、彼の中で一旦父は死んだのだ。

そこからの「帰り道」は「いくらなんでもこの方法はないだろう」とちょっとがっかりする。そこまでは科学的にもがんばってるなと感心し ていたのだが。しかし最後のリブタイラーとの再会は悪くない。そこでブラピが飲んでいるコーヒー?が当たり前のことが貴重に思える。映画 を見ている間自分の心が何もない孤独な宇宙空間に行っていたことを知る。

この映画では心理テストが定期的に出てくる。映画の冒頭のそれでは、自分は人に頼らずミッションをこなすとブラピが言う。映画の最後の それは人と共に生きることを語る。彼の中で目標であり、足かせであり、片思いの対象だった父は死んだ。しかしまだ彼は生きており、そして 地球には言葉を交わせる人間がいる。

2001年宇宙の旅とも、地獄の黙示録とも違う孤独な長旅。映画が終わって外にでた瞬間「ほっ」とした気持ちになった。さあ、家に帰ろ う。


ロケットマン:Rocket Man(2019/8/26)

今日の一言:えっ?この曲も!

まだご存命中のエルトン・ジョンに関する映画。Based on True Fantasyと最初に字幕が出る。

エルトン・ジョンという人は今まで間接的にしか知らなかった。フレディ・マーキュリー追悼コンサートで変な格好をし、オクターブ下げて ボヘミアンラプソディをうたった不細工なおっちゃん、というのが最初の出会い。そのあと「キングスマン:ゴールデン・サークル」でますます狂った 姿を拝見できた。しかしこれまで意識して「エルトン・ジョンの音楽を聴く」ということをやったことがなかった。

この映画を見ている最中何度「えっ?この曲も!」と驚いただろう。たまたま聞いて「いい曲だなあ」と思っていた曲が何度も流れる。クロ コダイル・ロックとかStaturdayなんちゃらとか。いや、体が動く動く。

映画の中でも言及されるが一時は世界のレコードの売り上げの数%をエルトン・ジョンが占めていたとのこと。ふえー。しかしその軌跡は驚 くほどフレディ・マーキュリーと重なる。大成功をおさめるが個人としての心には穴が開いたまま。そのうち薬物と乱れた男性との関係に溺 れ、、というもの。違うのは彼はAIDSに感染しなかった(多分)というところか。

この映画はミュージカル仕立てになっており、最後はエヴァンゲリオン方式の「みんなが輪になって語る」方式。思いもかけず音楽の才能に 恵まれたが、両親からの愛情には恵まれず、自分なりの道を探し続けた男の姿がそこに凝縮される。うちの子供が王立アカデミーに行くと聞い たら、毎週喜んで送り迎えするがなあ。成功してからの冷たい仕打ちといい、なぜそこまでする、と思うがこれも人の在り方か。子供は親を選 べないとはどこかで聞いたセリフ。どんな状況にあっても、人は自分で意味を見出さなくてはならない。

まだ存命中の人だから「アルコールは絶ったけど、買い物依存はそのまま」というのも「ああなるほどな」と思える。家に帰るとさっそく Apple Musicでエルトンジョンの曲を聞き出す。


名探偵ピカチュウ:POKEMON DETECTIVE PIKACHU(2019/5/11)

今日の一言:ポケモン世界への深い敬意

無理やりカテゴリ分けすれば「子供向け」ということになるのだろうか。しかし日本のポケモン映画とは全く別レベル。

行方不明になった父に記憶を失ったピカチュウ。彼らに何が起こったのかを探っていく道筋もハリウッド映画でよく見るパターンだがしっかり している。主人公だけがピカチュウとしゃべることができる。そしてピカチュウの声はオヤジ。なぜそうなるのか?この映画はそこも手を抜い ていない

ストーリーが練られているだけではなく、登場するポケモンが見事にリアル化されている。最初予告編を見た時ピカチュウが「こんなにもしゃ もしゃ?」と思ったが映画を観始めて数分で気にならなくなる。他のポケモンの造形も見事。というかこの映画見た後だと雑魚ポケモンと思っ ていたコダックが恐ろしくなるな。

そこから窺えるのは、この映画の製作者が多くの人に愛されるポケモンの世界に深い敬意を持ってこの映画を作ったということ。お見事。

ちなみに英語の発音がとても明瞭なので、英語の勉強にも役立つと思いますよ。


グリーンブック:GREEN BOOK(2019/3/09)

今日の一言:真面目に地味に

私が生まれた頃、人種差別が色濃く残っていた米国のディープサウス。そこで演奏ツアーを行おうとした黒人ミュージシャン。彼はドライ バー兼用心棒を雇う。選ばれたのがアラゴルンことヴィゴ・モーテンセン。いや、お見事。あの痩せ型ハンサムの印象と全くことなるイタリア 系アメリカ人のデブ。イタリア訛りの英語も少なくとも私にはちゃんと聞こえる。さすがプロの役者。

黒人ミュージシャンは、音楽の才能に恵まれ金持ちなだけでなく悩みの深いインテリでもある。劇中でも言われるがヴィゴの方がはるかに Trash。そんなふたりは南部を旅し続ける。最後の最後まで拳銃を出さないところが、プロの用心棒というわけだな。

「平均的なアメリカ人」という言葉ほどバカバカしいものはないと思っている。あまりにも地域によって文化が異なり平均をとることに意味 がないのだ。南部で警官に止められることと、東部で警官に止められるということの意味の違いはどういうことだろう。旅先でようこそいらっ しゃいました、とうやうやしく迎えた白人は、絶対に自分たちと同じトイレは使わせないし、レストランも別。

そんなアメリカをインテリ黒人とTrashな白人が旅し続ける。異なる二人が旅を通じてお互いを尊敬しあうという典型的なロードムー ビーであり、劇的な転換点やわかりやすい対立があるわけではない。一回だけ黒人は自分の悩みを叫ぶが、それに対してWhite Trashは何も語らない。しかし最後には観客の顔にもおだやかな笑顔が浮かぶ。お見事。

極めて真面目に作られたよい映画と思う。アカデミー作品賞を受賞するほどいい映画化どうかわからないが、そんなことはどうでもよい。


メリー・ポピンズ リターンズ:MARY POPPINS RETURNS(2019/2/02)

今日の一言:エミリー・ブラントに1000円

実は前作を見ていない。有名な映画だからところどこのシーンは何度も見たけどね。なんだか空から傘をもったお姉さんがが降りてくるので しょう。

というわけで見始める。舞台はロンドン。冬だからそらはどんより。そこに明るい歌を歌う街灯係のお兄さん。そのアンバランスさがちょっと面白い。

前作子供だった男が大人になり、子供が3人。しかし妻は死別してしまったらしい。このパパのダメ男さ加減を見ているとイライラする。借金し特に理由もなく返済を怠ったがために家を差し押さえられる。うん。それはしょうがないよね。そこまでやっておいて「よよよよ。奥さん が生きていれば」とか、あんたバカ?

でもって差し押さえする銀行の頭取がコリンファース。なぜ彼がそうも差し押さえたいのかも「もうかるから」ではよくわからん。最後種々の事情によって時間をかせがなくてはならない。街灯係の一団がビッグベンによじのぼって一生懸命するのだが一歩及ばない。突然メリーポピンズが空を飛びあっさり助ける。あんた最初からそうしなさいよ。メリル・ストリープもどう考えても余分としか思えぬし。というわけで昨今のディズニーの伝統に従い話の筋はどうにも弱い。

しかし

そんな不満を忘れさせてくれるのが、私が最近愛しているエミリーブラント。彼女はまず立ち姿が美しい。背筋がすっと伸び、キリッとした 立ち姿は原作に近いという「ツンツンしたメリーポピンズ」にぴったり。そして踊りの素晴らしいこと。長い手足を存分に活用して見事なダンスを披露する。歌は今ならどうとでも上手にできるが、この踊りまでは(多分)CGでなんとかはならんだろう。彼女がでてこない場面でも群舞がすばらしい。

というわけで、この映画に支払ってもいいと思う1080円のうち、1000円はエミリーブラントに払いたい。彼女を見ていると、邦画にでてくる歌も踊りも演技もできず静止画すら作れない「芸能人」とは一体なんなのかと思えてくる。


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注釈