映画評

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ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密:KNIVES OUT(2020/2/2)

今日の一言:あと半歩

有名作家が自分で喉を掻き切った状態で発見された。自殺ということで一見落着しそうなところに探偵が登場する。

この探偵が南部なまりの英語をしゃべりまくる007のダニエル・クレイグ。007との落差がものすごい。彼があれこれ聞き出すと家族の複雑な事情が明らかになる。作家は自分の家族に多大の支援をしていたが、「自殺」前日にその支援を打ち切ろうとしていた。となるとこれは本当に自殺か?

という謎の70%は結構早く明かされる。嘘をつくと吐いてしまう看護師がどうやら話の中心らしい。映画が終わるまで、この看護師がブレードランナー2049のJoyだとは気が付かなかった。この人本当にブレードランナーではとんでもなく可愛く作られていたから。

この映画でも彼女は魅力的な人物を演じる。ここまで一途な人間を見るのは気持ちがいいものだ。少し道を踏み外しそうになった彼女が元に戻ったところで、残り30%の謎が明らかにされる。

キャプテン・アメリカとして絶対的アメリカの正義を演じていたクリス・エバンスがクズ男を熱演。クリス・プラマーとかみたことある人がぼんぼんでてくる映画で、最後まで概ね飽きずにみられた、、と言いたいところだが、細かいところが気になる。最初の「死体発見のシーン」とかその後の家族の罵り合いとかどうにもテンポが悪く無駄な動きが。というわけで途中で一度時計をみたのも事実。

悪くないけど、あと半歩足らんなあという感想を持ちながら映画館を後にする。


リチャード・ジュエル:Richard Jewel(2020/1/19)

今日の一言:自戒

必要以上に太り、良い歳をして母親と二人で住んでいる男。米国ならこれだけで「ダメ人間」ということになるのだろう。

彼は法を守り執行する仕事に就きたい。しかし結局得たのは大企業の内部で備品を配る仕事だったり、アトランタオリンピックの警備員。それでも真面目に職務をこなしていると、ベンチ下に不審なリュックがあるのに気が付く。

アトランタオリンピックで爆発事件があったことはすっかり忘れていた。というかアトランタオリンピック自体何も覚えていない。しかしこれは東京でも起こりうることだな。そんなことを考えていると、映画はどんどん進む。爆発物を発見したということで最初は英雄と祭り上げられ、そして次には「世間の注目を集めるための自作自演ではないか」とFBIに目をつけられ、そしてそれが新聞にリークされる。

そこからは私のような無責任にして頭の悪い野次馬達の餌食にされる。趣味の鹿狩りで使うといいながら、山のように銃器を所持している。逮捕歴がある。テロリストが使う爆発物についてやたら詳しい。「常識」は彼が犯人であると告げ、メディアは彼と彼の母親を追っかけ回す。そして最後には嫌疑が晴れると知りながら、FBIに質問をうけるシーンでは脈拍数が上がる。

いつものイーストウッド節なので、クライマックスを殊更に盛り上げることはしない。映画は静かな終わりを迎える。おそらく現実もそうしたものだったのだろう。FBIは結局彼を逮捕するだけの証拠すら集められなかった。映画では色仕掛けでFBIから情報を得る新聞記者は若くして薬物の過剰摂取で死亡してしまったとのこと。この映画での描かれた方について、彼女が勤務していた-そして嫌疑を最初に報じた-新聞社が「不当な扱いだ」と文句を言っているのが皮肉である。リチャードジュエルも糖尿病で44歳で死んでしまっている。

登場人物は死んでしまったが物語は残る。そして「怪しいのと犯人ときめつけるのは別物」という教訓を、今の私の心に刻み付ける。


フォードvsフェラーリ:FORD V FERRARI/LE MANS '66(2020/1/11)

今日の一言:Who are you ?

経営が怪しくなってきたフォード。のちにクライスラーのCEOになるリー・アイアコッカはモータースポーツに進出し、ブランドイメージの刷新を提案する。しかしフェラーリ相手の買収提案は手ひどく断られ、フォードはル・マンでの復讐を決意する。

でもって車の開発者であるマット・デイモンとドライバーであるクリスチャン・ベールがあれこれする映画。いまこうして書いていて思うのは、この二人の役割ががあまり説明されていないように思うのだ。彼らは経営者なのか、営業なのか、エンジニアなのか。どうも全ての役柄をこなしてたように思うのだが、よくわからない。これが1800円でない理由。

しかし

画面はそしてストーリーは迫力に満ちている。話の筋からすればルマンの前のデイトナで優勝するに決まっているのだが、それでも最後の加速ではこちらにも力がはいる。そしてサラリーマンなら思わず微笑むようなセリフもある。「自動車会社の連中は、ボスのご機嫌をとることばかり考えて、そんな自分たちを嫌っている。そして俺たちのようなよそ者はもっと嫌っている。」確かにそうだねえ。なんなんだあの人たちは。そしてデイモンたちが一番戦わなくてはならないのは、そうしたDetroitのエリートサラリーマン達。これも妙にリアリティがあってなんというか。

エンジンの回転数が7000rpmの世界では全ては消え去り、重要な問いだけが残る。Who are you ?この質問は今の私には辛い。somebodyと答えたいがnobodyと答えるしかない。

そんな感慨をよそに映画は史実通りの静かな終わり方を見せる。家に帰るとさっそくReal storyはどうだったのかと検索して英文を読み始める。


ドクタースリープ:Doctor Sleep(2019/12/08):1000円

今日の一言:二つの映画を見事につないだが

かの有名なキューブリック版シャイニングの続編。この「シャイニング」という映画はキングの原作なのだが、キューブリック版は原作とだいぶ異なっており、キングは嫌悪していたのだそうな。でもってキング版のシャイニングも存在する。

この「続編」は二つの異なる「シャイニング」両方をつながなければならない、という宿命を負って生まれてきた。おまけに監督はキューブリックのような極め付けの変態ではない。

そうした厳しい条件の中で製作者は見事な技を示した。当時少年だったダニーはアルコール依存になり荒れた生活をしていた。心機一転のため見知らぬ街に来る。一方全米を放浪し続けるジプシーのようなグループがいる。彼らは何歳かもよくわからない。そしてシャイニングという能力を持っている人間を探し、その精気を食べて生きている。当然のごとくダニーとジプシーグループが激突することになるのであった。最終決戦の場面はあのホテル。あの道を辿る光景に、重くアレンジされたあの音楽が鳴り響く。

映画の筋書き上やむおえないとわかってはいても(そして製作者は無駄な残酷さを持ち込んではいない)なんの罪のない少年が惨殺されるシーンは父親である私にはつらい。「今日、いい人がたくさん死んだ。なのに結果はかわらない」というジプシー一行の男の声が重い。とはいってもジプシー軍団あんなに簡単にやられちゃうんじゃ、何千年も生きることは難しいのではないかと思わんでもないが、そうしないとアベンジャーズになっちゃうからいいのだろう。何千年生きたところで、結局は終末を迎える。千年生きても数日しか生きなくても大した違いはない、というマルクス・アウレリウスの言葉を学ばなかったのか。あんたたち言葉を直接聞ける時代から生きてたくせに。

かくして2本の異なるシャイニングはこの映画で見事に融合された結末を迎える。その手腕に拍手を送るが、やはりあの「シャイニング」はキューブリックのような奇才にしか作れないのだな。


ジョーカー:Joker(2019/10/6)

今日の一言:信頼できない語り手の行く先は

見終わってしばらくして気がついたのだが、この映画のジョーカーは超人的な体力、知力、悪賢さ、残虐さとか一切持ち合わせていない。幼い頃のつらい体験による精神障害を持ったただの男。それだけに見ているのがつらい。

母と二人暮らし。市からの補助により医療と生活をかろうじて支えている男。緊張すると自分でも制御できない笑いに陥り、それゆえのトラブルにも巻き込まれる。仕事は派遣のピエロ。

職場仲間から「護身用に」と持たされた銃。それを勤め先で落としてしまい解雇される。其の足で乗った地下鉄で、女性が男性3人組にからかわれ身の危険にさらされているのに出くわす。そこで笑いの発作が起こってしまい。

そこから彼の生活が変わったように見える。しかしその一部は彼の妄想に過ぎなかったことが観客に伝えられる。そうだよな。あんなにうまく話が進むわけないもん。彼はただ父親にハグしてもらいたくて、バットマンの父親に会いに行く。しかし「父親」とは母親の妄想に過ぎなかった。それどころか唯一の肉親たる母親がどういう人間かを思い知らされる。時を同じくし、地下鉄の中で3人を殺害したピエロという概念が一人歩きし、現状に不満を持つゴッサム市民はピエロの仮面をかぶって不穏な動き。

そんな中彼はよく妄想の中で出演していたTV番組にゲストとして呼ばれる。しかしこれも「そんなにうまく話が進むわけない」話でもある。いやそれは一旦おいておこう。そのあと彼は人々の歓声に迎えられる。しかしそれは彼が望んだことだったのか?

そう観客に考えさせたところで画面はまた大きく変わる。そして最後にもっとあやふやなシーンにつながる。ここで観客たる私は置いてけぼりを食った。「信頼できない語り手」はいいとして、この監督は「正解」を提示する気はないのだな。

狂気と嘘と妄想に満ちた映画の世界に触れ観客がどう考えたを問いたかったのだろうか。それは良い。しかし最後のシーンはあまりに弱い。あるいは見ている側の望みが高くなるほど興味深い映画だったということかもしれないが。


アド・アストラ:Ad Astra(2019/9/21)

今日の一言:一人で遠くまで

ブラッド・ピットが宇宙飛行士役。といいながら冒頭のシーンでは「宇宙アンテナ」を修理する。アンテナだから地上に根が生えており、手を離すと下に落ちる。ブラピはパラシュートで地上まで降下することになるのだが、その間も心拍数があがらない。ニール・アームストロングのような男。

その父親はだいぶ昔に地球外生命の探索のため、海王星に向かったまま消息を絶った。ところが最近地球に頻発している異常現象(ブラピが地上に落下する羽目になったのもそのせいだ)が海王星から来ているらしい。ひょっとしたらあんたの父さん生きていて何かしているのかも、ということでブラピはメッセージを送れと言われる。

画面はとても静かで真面目に進む。それはあたかも2001年宇宙の旅を彷彿とさせる。ゼロ・グラヴィティみたいに、船外活動中にふざけているような宇宙飛行士はこの映画では登場しない。しかしキューブリックなしではあの静けさは実現できなかったのだろう。月面上での謎の強盗団との戦いとか唐突に挿入される。あれはいらなかったんじゃないだろうか。かわいそうな中尉殿。

人によっては退屈と思うかもしれない。しかし私もどちらかといえば一人でいることが好きな人だから、「一人になった。これは私にとって好ましい状況だが」というブラピの気持ちはなんとなくわかる。そして一人になったとき自分の過去がフラッシュバックしいろいろな感情が溢れることも。

考えるのは行く先にいるかもしれない父のこと。別れてしまった妻(リブ・タイラー)のこと。ロケット推進の進歩は著しく数十日で海王星に到達する。そこで父と対面するのだが。

(ここから重要なネタバレ)

ずっと恐れ、そして望んでいた父との対面。それはすれちがいのまま終わる。父ことトミーリージョーンズには地球外生命の探索しかないのだ。会う人誰からも「お父さんはヒーローでしたね」と言われる父。探査に行った仲間を殺したと知ってもなお会うことを望んでいた父。しかしその再会はあっけなく、予想と異なる形で終わる。仮に父が一緒に地球に帰ったとしても、彼の中で一旦父は死んだのだ。

そこからの「帰り道」は「いくらなんでもこの方法はないだろう」とちょっとがっかりする。そこまでは科学的にもがんばってるなと感心していたのだが。しかし最後のリブタイラーとの再会は悪くない。そこでブラピが飲んでいるコーヒー?が当たり前のことが貴重に思える。映画を見ている間自分の心が何もない孤独な宇宙空間に行っていたことを知る。

この映画では心理テストが定期的に出てくる。映画の冒頭のそれでは、自分は人に頼らずミッションをこなすとブラピが言う。映画の最後のそれは人と共に生きることを語る。彼の中で目標であり、足かせであり、片思いの対象だった父は死んだ。しかしまだ彼は生きており、そして地球には言葉を交わせる人間がいる。

2001年宇宙の旅とも、地獄の黙示録とも違う孤独な長旅。映画が終わって外にでた瞬間「ほっ」とした気持ちになった。さあ、家に帰ろう。


ロケットマン:Rocket Man(2019/8/26)

今日の一言:えっ?この曲も!

まだご存命中のエルトン・ジョンに関する映画。Based on True Fantasyと最初に字幕が出る。

エルトン・ジョンという人は今まで間接的にしか知らなかった。フレディ・マーキュリー追悼コンサートで変な格好をし、オクターブ下げてボヘミアンラプソディをうたった不細工なおっちゃん、というのが最初の出会い。そのあと「キングスマン:ゴールデン・サークル」でますます狂った姿を拝見できた。しかしこれまで意識して「エルトン・ジョンの音楽を聴く」ということをやったことがなかった。

この映画を見ている最中何度「えっ?この曲も!」と驚いただろう。たまたま聞いて「いい曲だなあ」と思っていた曲が何度も流れる。クロコダイル・ロックとかStaturdayなんちゃらとか。いや、体が動く動く。

映画の中でも言及されるが一時は世界のレコードの売り上げの数%をエルトン・ジョンが占めていたとのこと。ふえー。しかしその軌跡は驚くほどフレディ・マーキュリーと重なる。大成功をおさめるが個人としての心には穴が開いたまま。そのうち薬物と乱れた男性との関係に溺れ、、というもの。違うのは彼はAIDSに感染しなかった(多分)というところか。

この映画はミュージカル仕立てになっており、最後はエヴァンゲリオン方式の「みんなが輪になって語る」方式。思いもかけず音楽の才能に恵まれたが、両親からの愛情には恵まれず、自分なりの道を探し続けた男の姿がそこに凝縮される。うちの子供が王立アカデミーに行くと聞いたら、毎週喜んで送り迎えするがなあ。成功してからの冷たい仕打ちといい、なぜそこまでする、と思うがこれも人の在り方か。子供は親を選べないとはどこかで聞いたセリフ。どんな状況にあっても、人は自分で意味を見出さなくてはならない。

まだ存命中の人だから「アルコールは絶ったけど、買い物依存はそのまま」というのも「ああなるほどな」と思える。家に帰るとさっそくApple Musicでエルトンジョンの曲を聞き出す。


名探偵ピカチュウ:POKEMON DETECTIVE PIKACHU(2019/5/11)

今日の一言:ポケモン世界への深い敬意

無理やりカテゴリ分けすれば「子供向け」ということになるのだろうか。しかし日本のポケモン映画とは全く別レベル。

行方不明になった父に記憶を失ったピカチュウ。彼らに何が起こったのかを探っていく道筋もハリウッド映画でよく見るパターンだがしっかりしている。主人公だけがピカチュウとしゃべることができる。そしてピカチュウの声はオヤジ。なぜそうなるのか?この映画はそこも手を抜いていない

ストーリーが練られているだけではなく、登場するポケモンが見事にリアル化されている。最初予告編を見た時ピカチュウが「こんなにもしゃもしゃ?」と思ったが映画を観始めて数分で気にならなくなる。他のポケモンの造形も見事。というかこの映画見た後だと雑魚ポケモンと思っていたコダックが恐ろしくなるな。

そこから窺えるのは、この映画の製作者が多くの人に愛されるポケモンの世界に深い敬意を持ってこの映画を作ったということ。お見事。

ちなみに英語の発音がとても明瞭なので、英語の勉強にも役立つと思いますよ。


グリーンブック:GREEN BOOK(2019/3/09)

今日の一言:真面目に地味に

私が生まれた頃、人種差別が色濃く残っていた米国のディープサウス。そこで演奏ツアーを行おうとした黒人ミュージシャン。彼はドライバー兼用心棒を雇う。選ばれたのがアラゴルンことヴィゴ・モーテンセン。いや、お見事。あの痩せ型ハンサムの印象と全くことなるイタリア系アメリカ人のデブ。イタリア訛りの英語も少なくとも私にはちゃんと聞こえる。さすがプロの役者。

黒人ミュージシャンは、音楽の才能に恵まれ金持ちなだけでなく悩みの深いインテリでもある。劇中でも言われるがヴィゴの方がはるかにTrash。そんなふたりは南部を旅し続ける。最後の最後まで拳銃を出さないところが、プロの用心棒というわけだな。

「平均的なアメリカ人」という言葉ほどバカバカしいものはないと思っている。あまりにも地域によって文化が異なり平均をとることに意味がないのだ。南部で警官に止められることと、東部で警官に止められるということの意味の違いはどういうことだろう。旅先でようこそいらっしゃいました、とうやうやしく迎えた白人は、絶対に自分たちと同じトイレは使わせないし、レストランも別。

そんなアメリカをインテリ黒人とTrashな白人が旅し続ける。異なる二人が旅を通じてお互いを尊敬しあうという典型的なロードムービーであり、劇的な転換点やわかりやすい対立があるわけではない。一回だけ黒人は自分の悩みを叫ぶが、それに対してWhite Trashは何も語らない。しかし最後には観客の顔にもおだやかな笑顔が浮かぶ。お見事。

極めて真面目に作られたよい映画と思う。アカデミー作品賞を受賞するほどいい映画化どうかわからないが、そんなことはどうでもよい。


メリー・ポピンズ リターンズ:MARY POPPINS RETURNS(2019/2/02)

今日の一言:エミリー・ブラントに1000円

実は前作を見ていない。有名な映画だからところどこのシーンは何度も見たけどね。なんだか空から傘をもったお姉さんがが降りてくるのでしょう。

というわけで見始める。舞台はロンドン。冬だからそらはどんより。そこに明るい歌を歌う街灯係のお兄さん。そのアンバランスさがちょっと面白い。

前作子供だった男が大人になり、子供が3人。しかし妻は死別してしまったらしい。このパパのダメ男さ加減を見ているとイライラする。借金し特に理由もなく返済を怠ったがために家を差し押さえられる。うん。それはしょうがないよね。そこまでやっておいて「よよよよ。奥さんが生きていれば」とか、あんたバカ?

でもって差し押さえする銀行の頭取がコリンファース。なぜ彼がそうも差し押さえたいのかも「もうかるから」ではよくわからん。最後種々の事情によって時間をかせがなくてはならない。街灯係の一団がビッグベンによじのぼって一生懸命するのだが一歩及ばない。突然メリーポピンズが空を飛びあっさり助ける。あんた最初からそうしなさいよ。メリル・ストリープもどう考えても余分としか思えぬし。というわけで昨今のディズニーの伝統に従い話の筋はどうにも弱い。

しかし

そんな不満を忘れさせてくれるのが、私が最近愛しているエミリーブラント。彼女はまず立ち姿が美しい。背筋がすっと伸び、キリッとした立ち姿は原作に近いという「ツンツンしたメリーポピンズ」にぴったり。そして踊りの素晴らしいこと。長い手足を存分に活用して見事なダンスを披露する。歌は今ならどうとでも上手にできるが、この踊りまでは(多分)CGでなんとかはならんだろう。彼女がでてこない場面でも群舞がすばらしい。

というわけで、この映画に支払ってもいいと思う1080円のうち、1000円はエミリーブラントに払いたい。彼女を見ていると、邦画にでてくる歌も踊りも演技もできず静止画すら作れない「芸能人」とは一体なんなのかと思えてくる。


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注釈