映画評

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アリー/ スター誕生:A STAR IS BORN (2019/1/02)(1000円)

今日の一言:レディ・ガガ誕生

スター誕生(1937年版)をTVで見たのは小学生の頃だったか。しかしそのストーリーは今でも頭に残っている。

この映画は3度目のリメイクとのこと。となれば、このかっこいいブラッドリー・クーパーのたどる運命は。

そんなことを忘れさせるのが、レディー・ガガの圧倒的な歌唱力。彼女がステージの上で放つ歌声は何度聞いても鳥肌もの。最初は彼と一緒にステージに立つが、そのうち彼女単独でのデビューが決まり。

最初はバックダンサーを断り、髪をブロンドに染めることを拒絶していた彼女がどうして髪を染めダンサーと一緒に舞台に上がるようになったのか。そんなことを考えながらスクリーン上のレディ・ガガをみて「確かに圧倒的な歌唱力と今一のルックスの持ち主だな」と思う。それゆえ彼女は素顔がよくわからないレディー・ガガになったのだ、と現実を再確認するのだが。

旦那の没落と悲しみがちゃんと伝わってくるだけに、前述のような筋が荒いように思えるところが残念。あるいはそれはレディー・ガガの演技力の限界だったのかもしれないがよくわからない。映画の終わり方も1937版に比べると少し弱いように思え「もったいない」という感想が頭をよぎる。


search/サーチ:Searching (2018/11/03)

今日の一言:父親の愛情/母親の愛情

画面が全部PC画面上の映画と聞いていた。主演は映画版スタートレックのMrカトーことジョン・チョー。俺この人好きなんだよね。

映画の冒頭いきなりWindows XPのあの緑の丘が映し出される。ユーザ登録から始まるPC画面上のいろいろな操作だけで、主人公が成長し、そして母親が悲劇的な運命に見舞われることがわかる。「ママが帰って来る!」が先に伸び、そして削除される。

そして高校生になった娘と父親。ゴミをちゃんと捨てろというiMessage上での会話(彼と彼女はApple製品を使うようになったのだ。正しいぞ!)の後、父親が寝ている間に娘から3度着信がある。それを最後に彼女からの連絡が途絶える。

そこからお父さんは必死に情報を辿り始める。そもそも娘にはどんな友達がいるのか?連絡先は?その様子をみていて「娘の友達のお母さんに挨拶しなきゃ」とうちの奥様がいつも言っていることには意味があるのだな、と実感する。

何かで読んだが、人間はいつも普通の退屈な日常が続くと思っている。自分がそれに直面していても、そうとう後にならないと「緊急事態」だとは認識しない。Mr.カトーもとうとうそれを認めざるを得なくなり、警察に連絡する。担当してくれるのは、子供を持つ女性刑事。

映画を観終わって考えれば、そこかしこに存在していたほころび。それらにほとんど全て意味があったことに気がつく。そして映像を見ている方はMr.カトーとともに文字通り一喜一憂する。自分に近い存在と思っていた娘の姿は、得体のしれないものに見えたり、自分の娘に戻ったり。緊迫感が途切れないまま、二転三転した物語は結末を迎える。

この映画では父親の子供に対する愛、それに母親の子供に対する愛が描かれる。それはどちらも完璧というわけではなく、暴走したり行きすぎたり。昔何かで読んだ「母親の愛情にはちょっと抜けたところがある」という言葉を思い返す。相手のことを思いやっているつもりでも、それは結局自己満足の域を出ることはない。しかしそれでも相手のためになんでもしたい。この映画で描かれているのはそうした人間の心情。画面をPC上に限るのはちょっとした着想だったかもしれない。しかしその制限ゆえにより描きたいものがより鮮明になったのではないだろうか。

そして日々ネットを使っている身には「あるある」もてんこ盛りである。検索窓に一度打ち込んだ文字を、消して書き直す。「言いたかったけど、飲み込んだ言葉」を描けるのはPC画面ならでは。本当は友達でもないのに、全国ニュースになった途端「彼女は私の親友よ!」とアクセス数を稼ぎに走る女。葬儀のオンライン中継サービスの「無料ご招待」。Facebook上のFriendsは289人いるのに、毎日一人でランチを食べているとか。ジャスティン・ビーバーはアメリカだったら大笑いなのだろう。この映画の数少ない笑いポイント。いや、それが存在することがすばらしい。

タンブラーの人はうれしくないかもしれないけどね。


ワンダー 君は太陽:Wonder (2018/06/16)

今日の一言:「太陽」の持つ意味

生まれた直後、27回手術をしてようやく助かった弟君。結果として顔が奇妙になってしまいずっと自宅学習をしていた。しかし小学五年生から学校に通うことなる。

となるとまずいじめられ、そしてちょっと救いがあり、それが裏切られ、最後は大団円と思う。それは概ね正しいのだが、この映画はそれだけでは終わらない。

彼には年が少しはなれた姉がいる。彼女はとても手がかからないいい子なのだが、かといって何もかもうまくいっているわけではない。いきなり訪れる親友との別れ。なのに両親は弟にかかりっきり。そして親友には親友の物語が、弟君の友達にもその友達の物語がある。映画中のセリフにある。家族にとって弟君は太陽。つまり何もかもがそれを中心に回っている。しかし現実には回っている惑星もちゃんとした人間なのだ。ちなみに映画では描かれないが、「いじめっ子」にもいじめっ子の物語があることを後で知った。

そうした多様な視点をうまく取り入れ、最後の大団円につなげる力量は素晴らしいとしか言いようがない。そしてこれも劇中のセリフだが

「変な顔は見慣れる」

映画が終わるころには、観客の誰もが彼の顔を気にしなくなっているだろう。確かにまとめ方は綺麗すぎるかもしれない。しかしこれは2chにあったセリフだが

「この映画は”現実はこうだ”ではなく”現実がこうだったら素晴らしいね”と提案しているのではないか」と。

彼を「バイキン」と呼ぶ小学校の友達をみて、自分が小さい頃なら確かに同じことをしたかもしれんなと思う。しかしそこからこの映画のように素直に拍手を送れるようになれば、確かに素敵だ。

私が愛するジュリアロバーツは確かに老けた。しかし老けたなりによい演技を見せる。自分も父だからその旦那さんのほうに共感することは多いけど。


デッドプール2:DEADPOOL 2 (2018/06/03)

今日の一言:ダメ映画を見る喜び

いや、この映画はダメ映画ではないよ。ダメな主人公だが映画は見事。一昨目:デッドプールに引き続き見事と簡単に書くことはできる。しかしほとんどの「2」がダメ映画になることを考えれば、この出来は驚異と言えるのでは。

例によって主人公は人類を救おうとか全く考えていない。(今回は結果的にそうなるけどね)あの綺麗な奥さんが冒頭あっさり死んでしまう。すっかり世の中が嫌になり死のうとしても死ねない。あれこれあって、超能力少年と仲良くなり一緒に特殊能力者用の刑務所に放り込まれ、そこに未来からの刺客が登場する。

というわけでぼこぼこ殴り合いが始まる。「運がいい」というSuper Powerをもっているおねえちゃんがなかなかよろしい。そうだよね。結局運だよね。

といった殴り合いの合間に、爆笑シーンが放り込まれる。アメリカの文化とか映画の教養に依存しているものが多いのだろうが、一部は私でもわかる。いや、足組み替えるなって。オチのつけ方もタイムトラベルのパラドックスとかまあ細かいことはどうでもよくて、でもちゃんと見ている方は爽快感を味わえる。しかしここで話は終わらない。

エンドロール後のおまけシーン。グリーン・ランタンを見たのは七年前。その時の失望感はいまでも思い出せる。その思い出が一瞬で蘇り大爆笑。いや、すばらしい。これ笑い飛ばしているけど、あの映画のオファーをもらった時は本当に「これで俺もメジャーだ!」と思ったんだろうな。

前作もでていたX-Menの短髪姉ちゃんには女性のパートナーがでてきた。これがユキオという日本人女性。彼女の扱い方も見事。ダメなヒーローのバカ映画に込められた技と工夫に改めて気が付いたのは見終わってからだいぶ経ってからだった。


ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男:DARKEST HOUR (2018/05/03)

今日の一言:許される創作

邦題は全く正しくない。原題のDarkest Hourが正しい。米国は中立を指向しており、ヨーロッパは壊滅。強大なドイツ軍にイギリスは単独で立ち向かわなければならない。なのに陸軍は大陸に取り残され、その命運は風前のともしび。

現代に生きる我々は「ネタバレ」を知っている。だからまずこの映画の製作者がするべきは、観客をDarkest Hour-最も暗い時-につれていくことである。それでなくても複雑で長い物語を2時間にするのだから創作-脚色はやむおえない。新人タイピストの役割を含めいくつかのエピソードは純粋なフィクションと思う。しかしそれは事実を尊重した上で許されることだろう。チャーチルが地下鉄にのるシーンはその典型だ。

とはいえ

多少やりすぎと思ったのは、ドイツによるイギリス上陸の可能性を説明する言葉の背景にナチのプロパガンダ映像を流すところ。しかしそれは些細なこと。

ゲイリー・オールドマンと特殊メイクの力によりスクリーン上に登場したチャーチルの言葉を聞きながら考える。彼の徹底抗戦を呼びかける言葉と「進め一億火の玉だ」の差異はなんなのか。国民向けに「進軍中」などと「演出」をいれると国王からお叱りがくる国と、軍艦マーチで自分自身も騙しご機嫌になっていた国の違いということなのか。ハリファックスの「和平提案。話し合い」は今の日本人にはとても好ましく響くだろう。しかしもしそれをしていれば、大英帝国はユダヤ人虐殺を含む数々の犯罪行為に加担した国家として記憶されることになった。それどころか、ナチス・ドイツが今も存続していたかもしれない。ではカレーに取り残された部隊を見殺しにし、若者をたくさん殺すのか?

映画を観ながら考える。日本には政治家がいなかった、と。そして映画の最後のチャーチルの演説に心を動かされる。We shall never surrender.事実を尊重した上でのフィクションの芸が炸裂している。


アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー:AVENGERS: Infinity War(2018/4/30)

今日の一言:え?ここで終わり?

というわけでヒーロー大集結のアベンジャーズである。一時のプリキュア・オールスターズ状態で、もはや何人いるかもわからない。今回は元から集団のガーディアンズ・オブ・ギャラクシーも合流するし。(そういえば弓矢の人はどこに行ったのだろう)

いままでちょろちょろ名前と姿だけでてきたサノスとかいう無茶苦茶強い人があれこれする。映画の冒頭いきなりロキが殺される。そのあとも「これは絶対時間巻き戻しでみんな生き返るんだよね」と思うくらい景気良くヒーローが死ぬ。それくらい相手が強い。その部下まで無茶苦茶に強い。

サノスくんは、「とにかく人口を半分にすれば世界はいいところになる」という信念の持ち主。昔人口増加が問題だと言われていた頃は、こういう話もあったな、と星新一のあるエピソードなど思い出す。日本人なんかほっといても減っていくから見逃してもらえるかもしれん。

このサノスが「ただの狂った悪魔」でないところがよい。彼は「目標」を達成したあと、宣言通り朝日を一人静かに眺める。それは彼にとっても愛するものを失うという犠牲を払ってまで手に入れた「苦い勝利」なのだ。地球もいろいろな星も大混乱になってるけどね。

といったところで唐突にエンドロールが始まる。え?後で調べれば来年アベンジャーズ4が公開されるとのこと。なんとこれは2部作か。しかしこれだけうじゃうじゃいるヒーローをまとめてよく一本の作品にするもんだ。その力量には感服せざるを得ない。さて、来年が楽しみだ。

それとともにそろそろこのシリーズ一旦終わりにしなければならないことを痛感する。男どもはいいのだけど、女優陣の衰えはかくしようがない。ヨハンソンはいいとして、ケロンパの首筋とかもうどうしましょう。


ゴッホ 最期の手紙:LOVING VINCENT(2018/2/18)

今日の一言:真面目に敬意を

映画館についたが時間がいいのはこれだけ。どんな映画かさっぱりわからないが見てみるか。しかし「吹き替え」が気になる。おまけに映画の冒頭にNHKなんちゃらのロゴもでてくる。ひょっとしてお子様向け教育映画か。90分と短いし。

映画の冒頭字幕で「この映画は100人のアーティストにより手書きでつくられました」と表示される。続いて映し出されるのはゴッホの絵のような世界。しかし日本で言うところのアニメではなく実際の役者を撮影した映像を上書きしているようだ。

最初は90分ゴッホの絵を見せられたら胸焼けするよなぁと思っていた。しかしそのうちそんなことは気にならなくなる。ゴッホは弟テオに頻繁に手紙を書いていた。主人公はその手紙を配達していた男の息子。ゴッホが書いたが届けることができなかった手紙を、弟に届けてくれと言われる。かくして息子はいやいやながらパリに向かうのであった。

この映画を見たあと、wikipediaのゴッホの項目を読んでみる。死が近づくにつれ絵が病的な様相を見せてくることに気がつく。これでは自殺するのも無理はないと思うが、死の直接の原因については異説もあるようだ。この映画でもそれが語られるが、いたずらにセンセーショナルにすることもない。異説を主張する主人公に女性が「結局同じことじゃない」と言う。確かにそうだ。

人の記憶や語ることというのは驚くほど間違いが多い。後付けて考え出した理由に合わせ現実を歪めることなど当たり前。だから主人公が言う通り、ゴッホの死の真相について語ることはみんなバラバラ。しかしそれこそが現実に近いのだと思う。そして誰もがゴッホに敬意と愛をもって接していたこと。直接の原因がなんであれ、自分を責めていることが伝わってくる。原題を改めて思い起こす。LOVING VINCENT。

エンドロールで、登場人物はゴッホが描いた絵からヒントを得ていることがわかる。つまりこの映画はゴッホとその作品に対して十分な敬意を持った上で極めて真面目に作られているように思うのだ。その真相がなんであれ、画家は死去しもう帰らない。素晴らしい作品だけが残る。



ローガン・ラッキー:Logan Lucky (2017/11/25)

今日の一言:地味に楽しく

とにかく運が悪いローガン一家。兄は職場をクビになり、弟はイラクで片腕を失う。この弟がカイロ・レンだったのには驚いた。いい役者さんだなあ。

八方ふさがりの兄弟は現金強奪を計画する。金庫をふっとばさなければというわけで一味に加わるのが007ことダニエル・クレイグ。いつもはかっこいい007が、まるでアメリカの片田舎の犯罪者(いや、本物知らんけど)この人も見事な役者さんだなあ。まだ刑務所に入っている彼をどのように計画に取り込むのか。

監督はソダーバーグ。この人本当にいろいろな映画をとる。監督自ら「地味目のオーシャンズ11」と言ったらしいが確かにそういう映画。テンポ良くしかしよく考えられた犯罪が進行する。その中に美人コンテストにでる女の子がちょっと音痴に歌うカントリーロードを入れるところが見事な技。この歌詞を何度聞いたかわからないが初めて「心にしみる歌詞だ」と思った。West Virginiaは田舎で炭鉱以外ロクな産業がない。そして炭鉱は衰退している。そんな背景を知りながら歌詞を聴くと。

あれこれやって見事犯罪成立かと思えば、その後ちゃんと2段階のオチが待っている。いや3段階か。ローガン家の呪いはちゃんと継続している。予告編ででていたヒラリースワンクは映画の終盤に登場するが、その存在感は見事。こういう映画が作られ、公開されるのはうれしいことだ。


マイティ・ソー バトルロイヤル:THOR: RAGNAROK (2017/11/4)

今日の一言:安定の楽しさと深さ

アメコミのマーベルシリーズ。その中でもそれぞれの系列に少し色があるようで、このソーというのはなかなかおちゃらけもあって楽しい。ただ面白いだけでなくちょっと悪いようで存在感抜群の弟ロキとか。 さて、ソーのお父さんのアンソニー・ホプキンスは老衰で死んでしまう。(少しでてくるシャーロックが笑わせてくれる)そこにソー・ロキ兄弟の姉が突然登場。ソーのハンマーを簡単に壊してしまいました。 というわけで、喧嘩が始まる。

マーベルのヒーローは概ね安心してみていられる(時々ハズレもあるけど)1箇所映画館で思い切り声を上げて笑ったシーンがあったな。それくらい楽しい。 しかしこの映画で一番印象に残ったのは脇役である。M-16を2丁ふりわし、相手が強いと見るとあっさり尻尾をふる男。彼の望みは"Prove myself"自分に何ができるか。やってみたいし世の中に問いたい。その彼は善良な市民の首を切るのに躊躇する。そして映画の最後、彼は自分を証明するチャンスを与えられる。彼の活躍は主役の超人たちと何の関係もないのが良い。

この映画を見ている人間の99.999999%はこの脇役のように願いそして誰にも知られないまま死んで行く。それでいいではないか。 というわけで、ケラケラ笑い、ちょっとしんみりして楽しく映画は幕を閉じる。この次のマーベルも楽しみだ。


ワンダーウーマン:Wonder Woman(2017/8/28)

今日の一言:美しくて強くてかっこいい。以上

ひどい出来だったバットマン vs スーパーマンで唯一見る価値のあったワンダーウーマン単独主演作品である。

このワンダーウーマンの造形は見事なもので、美しいが無駄な色気が全くなく、強くてかっこいい。灰色の地獄のような塹壕戦の中、極彩色の衣装を纏った彼女がいきなり飛び出すところは印象的。男性に対して恋愛感情はあるが、頼るとかすがるとかそういったところは全くない。21世紀の女性ヒーローというのはこういうものであるか。

世の中には悪い神様がいて戦いを起こしているのだ、という「神話」を純粋に信じる彼女は

「わーい。悪い奴をやっつけた」

と開放感にひたる。もちろんそんなことでは戦いは終わらない。そのあとのカーク船長ことクリス・パインのセリフは見事。そのまま「悪の神」を出さずに映画をまとめることができれば、歴史に残る名作になったかもしれぬ。そのあとの神様の出現はなあ。最後神様やっつけて平和になるが、あんたさっきまで怒りに任せてなんの罪もないドイツ兵殺しまくってましたよね。それはチャラですか。生き延びてほっとし、ガスマスクをとるドイツの少年兵にどんな顔向けをするのか?とか考えてはいかんのだろう。

というわけで主役とその相手のカーク船長と例の音楽はかっこいい。不幸にして他の部分は穴だらけである。こうした話の常として、任務にチームで挑むのだが狙撃手は全く存在感がなく、調達屋にいたってはそれ以上。結局秘書の姉ちゃんも意味なかったし。

という穴はあるにせよ、主役がかっこいいから不問にふす。女性監督ということで、女性の目からみた「強くてかっこよくて可愛いところがある女性」の描き方は見事。微塵も「男性にとって都合のよい女性像」が見えぬ。これだけで十分金の取れる芸になっている。あと悪い女性科学者が、カーク船長から(その毒ガスの製造技術を)口説かれていた時、視線が自分を飛び越しているのに気がついて去っていく。あそこらへんも女性側からの視点かもしれんなあ。(とはいえこの悪い科学者もあまり意味なかったな)


パトリオット・デイ:Patriots Day(2017/6/18)

今日の一言:スター総出演

2013年に起こった「ボストン・マラソン爆破事件」はリアルタイムで見ていた。仕事の傍abcニュースを見ていたのだ。そしてその展開に「まるで映画のようではないか」と思った。誰もがそう考えたのだろう。というわけで映画化。

マーク・ウォルバーグ演じる(おそらくは)架空の警官を軸に話が進む。ユナイテッド93が思い出される。あれは個人の話を一切切り捨てた緊迫した映画だった。どうやらこの製作者はそこまで割り切れなかったようだ。ウォールバーグは話をスムーズに進めるための架空の人物。多分誰かをけっとばし謹慎中。最後の罰としてボストン・マラソンの警備を任されると、どかんどかん。

並行していろいろな人のボストン生活が描かれる。若いカップルのいちゃつきシーンはいらんのではないかと思ったが、映画の後半になって、ここで二人の足がからむことには意味があったことを知る。しかし振り返ってみれば、ウォールバーグの個人的な物語は全く機能していない。なくてもいいのだ。事件が十分映画的なのだから、事実を淡々と追ったほうが緊迫した恐ろしい映画になったのではないか。

犯人逮捕が伝えられると、捜査関係者、それにボストン市民から歓声があがる。これが日本ではまず起こりえないこと。誰かが歓声をあげれば「不謹慎だ!」と言う人間が必ず出て来る。この事件で死んだのは三人であり、その直前に学校での銃乱射事件では二十三人が死んだのにとかいろいろなことも考える。

私でも知っているような脇役スターが総出演。みんなこの映画出たかったんだろうな。最後に「本人たち」のインタビューが続く。そこで気がつく。おそらく「銃乱射事件でもっと死んでるじゃないか」と考えるのは正しくない。映画の途中で容疑者の妻が語る「シリアでは毎日もっとたくさんの無実の人が殺されている」というセリフも受け止めた上でこの映画は作られている。おそらくアメリカという組-クラスは外から攻撃された時、「クラスの学級委員」である大統領と星条旗を中心に一番団結しそして強烈に反応するらしい。かの国が未だに「真珠湾がどうの」と言い続けるのは理由のないことではない。

映画をみてあらためて思う。犯人、犯人の嫁、それに犯人弟のルームメートたちの馬鹿さ加減に呆れる。ルームメートたちの(後から考えれば)信じられないほど愚かな判断は、彼らの人生をひどく捻じ曲げた。苦労してアメリカの大学にはいったというのに、数年刑務所に放り込まれ本国へ強制送還。しかし所詮人間とはこうしたものなのだろう。そしてそのバカでも巨大な被害を社会に与えることができる。世の中とはこうしたものか。

などと考えるネタはつきないが、映画として見るともっとよくできたのではないかと思う。誰か再映画化しない?ユナイテッド93の監督でさ。


LOGAN/ローガン:LOGAN(2017/6/04)

今日の一言:静かにほろり

強力な爪、とんでもない治癒力で無敵を誇っていたウルヴァリンにもとうとう最後がやってくる。車椅子のプロフェッサーは発作を起こすと周りが大変になる。二人が隠れているのはメキシコの砂漠。船を買って海に行こうと相談していると、女性が助けを求めてくる。

その女性の頼みで目のぎょろっとした少女をカナダに届けることになる。車椅子にのったプロフェッサーとともに。

というわけで、この映画はメキシコからアメリカを縦断するロードムービーでもある。その途中彼らに関わりあった人間は例外なく不幸になる(あの町医者は大丈夫だったのだろうか)おそらくプロフェッサーもそのことは知っていたのだろう。しかし彼は黒人家族の家に厄介になることを選択する。それは彼が最後に味わった

「普通の家庭のなんてことない1日」

だったのだ。ちなみに映画の設定は今から十数年後で、自動運転トラックが走っているところとか微妙に未来なのがリアル。しかし南部の田舎では銃を持っているものが法、というのもリアル。

映画の途中にシェーンが挿入される。最近の若いものは知らんのだろうし、私だって子供のころTVで見ただけだから筋を覚えていない。弱り切ったローガンは最後の戦いに挑む。それまで他人との関わりを一切断っていた彼が。不死の力を失っているから殺されれば本当に死んでしまうと知りながら。

こうやって文章に起こすと本当になんてことないロードムービー+戦いの映画。しかしなぜこうも心に残るのだろう。ラストシーンで涙がこぼれそうになったのも本当のところ。彼が握った少女の手はどんなふうに感じられたのだろう。背景は美しいノースダコタの山々。年老いたものが退場し、若い世代が立ち上がる。おそらく私は退場してく者達の側だ。


ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス:GUARDIANS OF THE GALAXY VOL. 2(2017/5/14)

今日の一言:馬鹿笑いしてほろり

というわけで例によってロクでもないヒーロー達が大騒ぎである。クリス・プラットたちがクソ真面目で怖い人を怒らせる。必死に逃げていると誰かが助けてくれる。さて、助けてくれたのはだれでしょう。

ヒーローものだから良い者は絶対に死なない。それをわかった上で、ちゃんと笑いに仕立てるのは見事としか言いようがない。日本語の「ツンデレ」が軽く思えるほどの本気の殺し合いとその裏にある愛情。アイスラッガーで矢を自由に操るプラットの「育ての親」に「惑星つくっちゃいました」の「生みの親」。この二人の印象が場面によって見事に入れ替わる。一作目で「緻密に作り上げられた馬鹿さ加減」に驚いたがそれは今作でも健在。

とはいえ

1作目と比べるとちょっと詰め込み過ぎかなあとも思う。妹はいらなかったんじゃないか、とかスタローンださなくても、とか。いや、それぞれなかなか良いエピソードなんだけどね。

しかし

私としては、愛するCheersがでてきて大満足である。そうだよねえ。ダイアナ・チェンバースとサム・マローンは結ばれないからこそ、、とか日本の観客置いてけぼりの要素満載にもかかわらず観客席から笑いが起こるのもお見事。触角付き上戸彩とか次のシリーズにもでてくるのかな。

エンドロールが始まると「これでもか」というくらい「おまけシーン」がでてくる。3作目はもっととっちらかった設定になりそうだけど、はたしてうまくまとめられるでしょうか。乞うご期待。


ムーンライト:Moon light(2017/4/7)

今日の一言:この世界の片隅に

ドラッグの売人が闊歩するエリアで少年がいじめられている。あの年からゲイってわかるものなのか。母親はドラッグに溺れ育児を放棄。手を差し伸べてくれる親切な人はドラッグの売人。

その少年が、高校生になり「初恋」を経験する。そしていきなり話は青年時代に飛ぶ。少年はドラッグの売人になっている。そんなある日故郷から電話がくるのだった。

見ながら思う。作品賞を取らなければ絶対日本で上映されなかったと思うし、されたとしてもミニシアター限定だっただろう。そもそも映画の終盤になるまで黒人しか登場しないし、ドラマティックな何が起こるわけでもない。起こるのは私の日常感覚からすればロクでもないことばかり。画面を見ているのは正直苦痛だ。

しかし

作品賞を争ったラ・ラ・ランドと同じくこれは後からじわじわくる映画。動かしがたい現実の中でも人はそれぞれに生きている。そんなことを考える。見方によればこれは「純愛映画」。そう考えればどこか「この世界の片隅に」に通じるところがあるだろうか。

しかし

これが作品賞というのは。白人優位の批判にも考慮しました。ほらこんな地味で渋い映画に作品賞あげちゃう僕らって最高!そんな声が聞こえてくる気がする。何がいい映画か、というのは人によるものだからと悟りを開かせてくれたアカデミー賞には感謝だが。


モアナと伝説の海:Moana(2017/1/25)

今日の一言:ハードルを上げ、それを飛び越えてみせる

ここ数年破竹の快進撃を続けているディズニー3Dアニメーション。しかし最初のポスターをみて「これはいくらなんでもやりすぎでは」と思う。南洋の島が舞台。ということは登場人物は褐色の肌をした男女ばかりである。ベイマックスやズートピアでみせた色とりどりの登場人物たちが使えないではないか。

しかし映画がはじまるとすぐそんなことを忘れ、恐ろしいほど綿密に作られた絵に釘付けになる。そして考え続けることになる。話の筋は古典的とも言える単純さ。なのになぜこうも見入ってしまうのか。

結果として冒頭書いたような感想をもつわけだ。この映画を見終わるころには刺青だらけのむさ苦しい男がかっこよく見えていることだろう。主人公の女性はどことなくズートピアのうさちゃんに似ている。赤ん坊時代の彼女がよちよち歩くところは、ディズニーの恐ろしいまでのリサーチ/試作の成果を見せつけられることになる。

今年のアカデミー賞の対象期間中、ディズニーは2作のノミネート作品を世に出した。もはや彼らにとってアカデミー賞などは眼中にないのかもしれない。ロスアンジェルスで何が決まろうが、そんなことは関係なしに自分たちが思う素晴らしい映画を作り続ける、と。ディズニーにもかつてのピクサーのように没落する日が訪れるのだろうが、それはいつになるのか今の所はわからない。


ドクターストレンジ:Dr. Strange(2017/2/1)

今日の一言:アメコミの幅広さ

カンバーバッチが主役だから有能だけど高慢な男に決まっている。ものすごい腕の外科医なのだが、車をかっとばしている最中にレントゲン写真を見ていてはいけません。

というわけで生命線とも言える指がろくに動かなくなった。どうしましょう。前に同じような状況から回復した人間がいる、というわけでネパールに飛ぶ。そこであれこれの修行をするのであった。

アメコミの世界というのは私なんぞが知らないところで果てしなく広がっているようだ。もちろんその中から売れそうなのを選んで映画化しているんだろうけど、今度のヒーローは敵であっても殺すのが大嫌い(もともと命を救う医者だから)師匠が弟子に何か隠しており、それを容赦無く問い詰めるのも西洋流だな。日本だと師匠には絶対服従だからね。

でもって細かいところはわからないうちに「まあなんとかなってんだろう」と話が進む。こうした話の常として敵のラスボスと対峙するのだがその必殺ワザが「勝てない。でも負けることはできる」なのには感服した。よくもまあこんな方法を思いつくもんだ。エンドロールの後にはマイティ・ソーと話とかしていたからまたマーベルの世界が賑やかになるのだろう。今のところマーベルの作品は当たりの方が多いからにぎやかなのは大歓迎である。


ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー- ROGUE ONE A STAR WARS STORY/ROGUE ONE(2016/12/25)

今日の一言:セリフ一行の裏にあった物語

「イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民都市カルタゴと死活の闘争を演じた。これを、ポエニ戦役という。」

という高校教科書の文の背後にある物語は、21世紀の日本で記述しても分厚い本一冊になる。同じようにスターウォーズ Ep4での「この情報を得るために大勢の同胞が命を落としました」というセリフの背後にはこの物語があった,,と書いた後に調べたのだが、このセリフはEp6のものだった。しかし言わんとしていることは同じである。

不思議な映画だ。前半は560円で後半は1800円。映画の冒頭お父さんのところに怖い人が来る。ここでの奥様の行動は全く意味不明。「とにかく逃げろ」と言われた女の子はなぜか戻って来てじっと両親の様子を見つめる。じゃあ両親を助けるべく飛び出していくかといえば、そのまま逃げる。登場人物が意味不明の行動をする映画とは相性が悪いのだがな、と不安になる。

そのあともやたら人や画面が”がちゃがちゃ”するだけで話に乗れない。家族で来ていたのだがこれはハズレだったかなと不安になった頃最後の星での戦いが始まる。

この映画にはジェダイはでてこない。May the force be with usと語られはするが、フォースは何もしてくれない。あるのは生身の人間同士の戦い。とはいえスターウォーズなのだから「良い者」は必ず最後には脱出するのだ、と思っていると。

映画の最後には最近逝去したレイア姫が登場する。この映画を観たあとでは彼女の笑顔の裏側にあるものがより理解できたような気がする。そう考えればこれは見事な外伝と言えるだろう。本家の価値を壊すことなく高めたのだから。絶対に死なないヒーロー達-Immortal:不死身-が能天気に活劇を繰り返している背後には、こうしたあまたの無名戦士-Mortal:死すべき人-達の戦いがあったのだ。

唯一の難点は邦題か。これじゃ意味がわかんない。遠い昔だったら

「独立愚連隊」

とかつけられたんだろうけど。


ニュースの真実 - TRUTH(2016/10/29)(1000円)

今日の一言:再発の防止に努めます

時あたかもブッシュ(息子)の選挙前。彼がベトナムへの徴兵を忌避するため違法な手段を使ったのではないか、というネタを掴んだのが60minutesという有名な米国の報道番組のプロデューサー。

彼女を演じるのががケイト・ブランシェット。野心満々のプロデューサーの強さ、弱さ、傲慢さ、愚かさ、さまざまな表情を見事に演じてみせる。

取材チームはギリギリのスケジュールで番組を作り上げる。無事放映され、初期の反応は良好。祝杯をあげるまではよかった。しかし翌日「ネットで騒ぎになっている」ことから、問題が発覚する。マスメディア渾身の一撃が個人ブログの摘発で崩されるのも今流か。昔だったらあのままで通ったのだろうけどね。

そこからは胃が痛くなるような展開が続く。この映画は多少製作者側に肩入れはしているものの、客観的に見て「不当な処分」という感想は持ち得ない。彼女の主張はわかるが「書類のフォーマットなんて全体からみれば些細なこと」とは誰も思ってくれない。情報提供者に執拗に「嘘をついた」と言わせようとするのも理解はできるが同情はできない。そこもちゃんと描いている。

それより驚くのは、CBSの反応だ。すぐに調査委員会を組織し断固たる処罰を下す。これが日本のテレビ局だったら(そもそもこんな番組は作られないという点は気がつかなかったことにして)「今後は社員教育を徹底し、再発の防止に努めます」の一言でおしまいにするところ。

もう一人の主役ロバートレッドフォードが「最後の挨拶」を見事に演じて場をさらう。老いてしわくちゃになってもかっこいい人はかっこいい。見る価値のある映画とは思うが、どこか危うく感じるのも確か。本当の彼女はこんなに立派だったんだろうかね?



スター・トレック BEYOND-STAR TREK BEYOND(2016/10/24)

今日の一言:安定の楽しさ

乗組員がみんな若くなったスタートレック第3弾。そろそろ船を降りようか、とカークとスポックが考えているうち、次のミッションが設定される。誰かを助けに行けとのこと。ところが近づいてみれば無数の敵船が襲ってくるのであった。

映画をあれこれみていて思うのだが、巨大なのが一個でてくるより小さいのがわらわらでてくるほうがはるかに始末が悪い。というわけでエンタープライズ号はあっというまにばらばらになってしまった。。一体何人乗っているのかしらないが、多数の犠牲者とともに。

しかし例によって主要人物は死なない。だから主要人物と呼ばれるのだ。おまえに船がなくなってもいちいち落ち込まないしそんな暇もない。使えるものを探して反撃にでる。ここらへんの「からっ」とした感じはアメリカならではと思う。日本人だと「エンタープライズが沈む。。」とかいって敬礼したくなるからね。ミスターカトーことスールーは短いがかっこいいセリフをいつも言わせてもらえる。アジア人がアメリカ映画でこれほどかっこいいのは新鮮だ。

映画の後半は新しい要素がばんばんでてくるのだが、それがかえって心地よい、というシン・ゴジラのような技を見せてくれる。反撃の宇宙船がひどいロックを鳴り響かせながら相手を吹っ飛ばすところは馬鹿馬鹿しいとわかっていても爽快。いや、娯楽大作とはこうでなくてはいけない。映画が始まった時からみんなが知っている着地点に落ち着いても、その間ちゃんとお金分楽しませてくれるのはお見事。いや、感服しました。


ジャングルブック-Jungle Book(2016/5/13)

今日の一言:filmed in downtown Los Angels

というわけでジャングルブックである。原作は小さいころ読んだような気がするが忘れた。黒ヒョウがあれこれ手伝ってくれることは覚えているけれど。

子供のころジャングルに取り残された子供は、狼一族に育てられました。とはいえ、子供も少年になりつつある。さて、問題です。彼はこのままジャングルにいていいでしょうか。というわけで虎がつけねらい、人間の世界に戻ろうかと悩み、森でくまさんに出会い、、

話をすべてここでは追うまい。まず最後の最後までハラハラしながら大人も鑑賞できる映画にしたことは素晴らしい。自分の力で戦うことを最後までつらぬいたのにも感心する。途中で恩を売った相手が最後に助けてくれる、という手はあえてつかわなかったのかな。

それとともに

エンドロールの最後に控えめに付け加えられた"filmed in downtown Los Angles"という一文に驚愕する。多分そうだろうと思ってはいたが、本当にそうだったか。つまりこの映画を撮影するためにジャングルどころか屋外にも一度も出ていないのだ(多分)人間以外の登場動物はすべてCGの所産。だからこれはズートピアの世界に一人だけ俳優を紛れ込ませたような作品。あの可愛い子供オオカミたちも。

いやさすがに全部はないだろう、少しは、、という幻想をエンドロールが打ち壊してくれる。それまで登場していた動物たちが絵本に登場し、最後には駄目押しであの強力なトラが..というわけであれはやはり全部CGだったのだ。

そうしたテクノロジーの進歩はすごいのだが、それに溺れたり、アピールすることなくちゃんとした映画として仕上げるのは見事。ディズニーは依然として駄目な映画も作っているが量産される素晴らしい映画には畏怖の念を禁じえない。


エクス・マキナ-Ex Machina(2016/7/1)(1000円)

今日の一言:再編集希望

IT企業に勤める地味目の男が、社内の何かに当選する。ヘリコプターで連れて行かれた先は創業者の別荘。そこで彼は人工知能を持ったロボットを作っており、地味目の男に「最後のテスト」をして欲しいと告げる。

物語はほとんどすべて閉じた別荘の中で進行する。ロボットはなぜ妙齢の女性の形をしているのか。なぜ地味目の男が選ばれたのか。それが2転3転の逆転とともに描かれる後半は爽快ですらある。(気が滅入るけどね)

とはいえ

全般的に不必要に長い。108分の映画だが再編集して90分くらいにすると傑作になるのではなかろうか。たとえば創業者が種明かしをする場面がある。そこで録音をだらだら再生しなくても、冒頭のところだけでいいよ、とか。彼女の最後の「メイクアップ」の場面ももっと短くていいとか。

そういう細かいイチャモンを除けば「鑑定士と顔のない依頼人」と同じく「男ってバカだよね」と男である私はしみじみと思う。ネットで漁ったエロ動画から合成された女性にあんな目つきで見つめられちゃねえ。ある漫画に「男にとっては、自分に恋している女性が一番魅力的に見える」とあったがそういうことなんだよねえ。

結末を知ってみるとさきほどまで魅力的に見えたロボットちゃんが、冷たくこちらの事を全く考えない身勝手な女に見える。主演女優の演技を称えるべきか。途中唐突に挿入されるkyokoと創業者のキレキレダンスといい、後から思い出せば印象的なシーンはいくつもあったのだが。


マイ・インターン-The Intern(2016/6/12)

今日の一言:すべては自ら変化している

私はアン・ハサウェイと相性が悪い。だから見るのを躊躇していたが、友達が「あれはよかったよ」と言う。しまった。なんとか見る機会がないものかと思っていたら飛行機の上で見ることができた。

妻を亡くし引退したロバートデニーロ。急成長中のベンチャー企業でシニア・インターンとして働き始める。とはいえ直属上司のCEO-アン・ハサウェイは全く興味がない。そこから、、というお話し。

脚本がよく練られている。後から考えてみればデニーロは具体的に何もしていない。ただ礼儀正しくニコニコし、周りに気を使い黙って見守るだけ。ハサウェイには公私ともに問題が出てくるのだが、結局それを解決するのは彼女自身。デニーロは黙って(言いたいことは顔にでているが)インターンとしての職務を遂行する。

苦手なハサウェイだがこの役にははまっている。自分の会社に情熱を傾けているが、とてもリアルな欠点を持っている。衝動的にデニーロを首にしたり、部下の顔を簡単に忘れ、酔っ払ってくだらない演説をする。でも人間とはそういうものだ。そして人が変化するとすれば、それは自らが変わろうと思った時でしかありえない。スーパーヒーローが現れても問題は解決されない。そんなことを改めて思い出す。それゆえデニーロは黙っているのだろう。

一つだけ気に入らないとすれば「なぜデニーロにああも簡単に彼女ができる」ということくらいか。私の友達は正しかった。


デッドプール-Dead Pool(2016/6/5)

今日の一言:世界のためでなく

予告編を見る。これはちょっと斜に構えた「スーパーヒーローもの」だろう、と思う。

映画のオープニングクレジットからふざけている。俳優の名前の代わりに「かっこいいヒーロー」とかそんな文字が続く。背景に流れていたのは銃撃戦の一シーンで話はそこに至るまでの経過に逆戻りする。

美しい彼女に出会いプロポーズに成功し万歳、の瞬間自分が末期ガンだということを知る。直してやるよんと言われてついていったらスーパーヒーローになった。ただし顔がデコボコになった。おい、おまえこの顔を直せ、とある男を追い続ける。

映画が始まってしばらくし、これがX-Menシリーズの一環だということを知る。まあそれはいいや。とにかく彼の行動を支えているのは「俺の顔を直せ」であり人類を救うわけではない。「娘とパンケーキを食べたい」という気の毒な脇役がでてきて、父親である私はちょっとしゅんとする。そういう人間を増やさない、とかいう大義名分のカケラはあるが、ほとんどは利己的な理由で「悪」をやっつける。いや、すがすがしい。

後半少し辻褄を捨てた部分が目につくがまあ気にしない。そうだよねえ。スーパーな力を得たからといって何も地球を救わなくてもいいと思うんだ。彼に思いっきり影響を受けてしまったインド人のタクシー運転手とか。きらーくに楽しく見られる、これこそ娯楽映画というものではなかろうか。

とみせつつも

デッドプールがなんのためらいもなく殺しまくる「悪の雑魚」がいる。そのなかにふと「元同僚」がいることを発見し挨拶を交わす。そしてボコっと殴る(殺さない)そんな細かいところを見ると、この映画は単なる能天気やさぐれヒーローものではないことに気がつかされる。人間だった頃の名前を捨てようとしている悪役と、人間としての顔を取り戻そうとするデッドプール。そう考えれば別の見方ができるかもしれない。


世界にひとつのプレイブック-SILVER LININGS PLAYBOOK(2016/5/13)

今日の一言:We are all crazy

躁鬱気質をもつ主人公。妻が浮気している現場に出くわし、相手を半殺しにして病院に放り込まれる。いや、もう大丈夫。退院したよ、ということであれこれやっているうちに、友達の奥さんの妹に紹介される。こちらも夫を不慮の事故で亡くし精神的に不安定になり。

というわけで映画の前半は主人公の姿をみてイラっとする。さっさと病院に送り返せと思う。しかし徐々に周りの人たちに目がいく。フィラデルフィア・イーグルスを応援する父はリモコンをならべ、主人公に一緒に試合をみろと迫る。そうすればイーグルスが勝つと信じているのだ。担当してくれる精神科医はイーグルスの試合に顔を半分ペイントしてはしゃいで現れる。その駐車場で暴力沙汰を起こすのは主人公ではない。

見方によってはa boy meets a girlの物語。しかしWe are all crazyという言葉と重ね合わせることで心に残る物語になる。誰もが自分の中にある狂気と折り合いをつけながら、なんだかんだと日々生きている。そんなことをふと考える。

「なぜかストーリーに割り込んでくるダンスコンテスト」で主人公たちが(吹き替えで)上手に踊りまくり優勝する、なんてことはなく「周りからみれば素人」で点数もそれなり。周りから慰めらるのだが本人たちは、、とかやはりうまくできている。

などと納得しながら見ているとHappy Endのいちゃいちゃも心おだやかに「よかったね」と見守ることができる。お見事。


塔の上のラプンツェル-Tangled(2016/5/13)

今日の一言:Disneyの覇はここから始まった

正確には、これの一作前「ルイスと未来泥棒」から始まっていたのだな。しかしこの映画の公開時私はそれを認識していなかった。だから「駄目ディズニーだろう」と思って見なかった。今回飛行機の上で見る機会を得たことは幸運だった。

一言で言えば「正統派お姫様物語」である。しかしそのストーリーの完成度、特にラプンツェルの表情の豊かさ、映像の美しさは紛れもなくPixarを吸収した後のディズニー。髪の毛に人を癒し、若返らせる不思議な力がある王女ラプンツェルは悪い女性に誘拐され塔のてっぺんに閉じ込められた。そこにたまたた侵入した泥棒(イケメン)が。

というまっとうなお話でありながら最後までどう決着がつくかわからない。個人的にはアナと雪の女王よりこちらのほうが好ましく思える。しかしなんとなく想像するのだ。この映画の反響をみて

「もっといけるのではないか」

と誰かが考える。こうなったらもっとディズニーの道を踏みはずそう。主人公の性格を破綻させ、愛の対象を彼氏ではなくし、そして印象的な歌をつける。かくしてアナ雪が出来上がり、東洋の島国でもレリゴーという声が響き渡る。

とはいえ

やはり正統派のお話は安心できる。飛行機の中、最初吹き替えでみて、次に英語で見た。そしてこの映画は十分複数回の鑑賞に堪えるものだった。子供を持つ親としては、王様と王妃の悲しみと喜びの姿に一番共感したが。


スポットライト・世紀のスクープ-SPOTLIGHT(2016/4/29)

今日の一言:地味に真面目に

日本ではあまり報道されなかったが、カソリックの聖職者が子供を性的に虐待していた事件があった。この映画はそれを掘り出し、追いかけたボストン・グローブ、スポットライト班の姿を地味に真面目に描いている。

見た後に知ったのだが、バットマンやら超人ハルクや、アイリーン・アドラーとか結構豪華な出演者。しかしそのトーンはあくまでも真面目。アルゴみたいに「間一髪の逃走劇」を付け加えるようなことはしていない。登場人物の怒りは、静かな演技とセリフから伝わって来る。

途中一度だけハルクが心境を吐露する場面がある。しかしそれはどこへもつながらず

「気が済んだか?」

でおしまい。大人の映画はかくあるべきだと思うのだが、なぜ多くの日本映画ではこれができんのかな。

かくのとおり真面目な映画だからアカデミー賞をとらなければ、日本で公開されることもなかったと思うし、されていたとしてももっと小規模にしか公開されなかっただろう。それゆえアカデミー賞の投票権を持っている人たちには少し感謝したい。聖職者の性的虐待をずっと扱っていた男が言う

「聖職者たちの精神年齢は12-13歳だ」

なぜこうなってしまうのか、とか考えるネタを与えてもらったことも感謝。

しかし

それとともに

「俺たち見た目あるでしょ?こんな地味で真面目な映画を作品賞にするんだから」

というアカデミー賞に投票する人たちの姿勢を感じるのはひねくれすぎというものか。それくらい地味なのだ。これとマッドマックスだったら、、と思わんでもないが、マッドマックスは「ごんざれふ賞」を受賞したから満足だろう。(誰がだ)



マネー・ショート 華麗なる大逆転-THE BIG SHORT(2016/3/09)

今日の一言:ここにいたかもしれない。

バブルの崩壊で大損する人がいる、ということは必ず大儲けしている人がいる。後から「ここで買っておけば」と言うのは簡単だが、バブルの崩壊で儲けるためには、ベテルギウスがいつ爆発するかを当てるのかと同じような困難がある。いつかは破裂することはわかっているのだが、「いつ」かはわからない。逆張りをするのにもコストがかかる。いつ破裂するのか?破裂と破産のどちらが先か?

リーマンショックは「不動産は必ず値上がりする」という(後から考えれば)馬鹿げた前提に基づいた虚構の城が崩れ落ちた出来事だった。この映画では3組がそれぞれの理由でバブルに逆張りをする。オフィスから一歩も出ないで指標だけ見る人。フロリダまで実地調査に行き、ストリッパーまでも数件の家とローンを抱えていることを確認する人。「専門家」に言わせるとこの映画に描かれて居ることは「ほんの表層」に過ぎないそうだ。しかし少しでもリーマンショックに興味がある人は、思わず腰を浮かして観てしまうほどエキサイティング。

CDS、CDO、デリバティブ。最先端の金融工学という「腐りかけた魚を放り込んだシチュー」に群がる人たちが描かれる。その無意味さと強欲さ。しかしおそらく私は物事をシンプルに見すぎている。その中にいながら「おかしいことはおかしい」と言う人間もいたのだ。

映画を観ながら考える。私もここにいたかもしれない。いろいろな会社の面接に行ったが一番私を高く評価してくれたのはソロモン・ブラザーズだった。あそこに転職し、会社がどうなろうが生き残っていたら私はこの映画の登場人物の一人になっていたかもしれない。これはおかしい、と。いや、冷静に考えればあとかたもなく吹っ飛ばされていたか。その前にプレッシャーに押しつぶされ、ホームレスになっていたことだろう。

豪華な出演陣が、控えめの演技で実際に起きた事件を真面目に、冷徹に描く。映画の最後、この事態を招いた「構造」は今もそのままであることが語られる。民主党の社会主義者、サンダースに支持が集まるのも宜なるかな。「賭けに勝った」人たちのその後がエンドロールで語られる。それは熱狂でなく、「華麗なる大逆転」などという邦題と関係なくただ静か。


オデッセイ-The Martian(2016/2/06)

今日の一言:またも惑星に取り残され

というわけでマット・デイモンである。彼が他の惑星に行けば帰れなくになるに決まっている。かくして火星探査チームが帰還する宇宙船に乗り損ね、不毛の地に一人残されたデイモンはイモを育てるのであった。

珍しく先に原作を読んでいた。この膨大な物語をどうやって1本の映画にまとめるのか、と思っていたが予想より遥かに忠実に作っていた。私なら中国は全部カットすると思っていたのだが、マーケティングの都合かな?余計なシーン、感興を一切排して物語は進む。原作にあったユーモアもちゃんと形をかえて存在しているのがうれしい。

かなりいろいろな場面があるし(元の本が長いからしかたないが)セリフによる説明はほとんどでてこない。だから初めて映画だけ見た人は混乱するかもしれない。しかしそれゆえ登場人物の背景、感情などがとても凝縮されたワンカットに収まり引き締まったできになったのか。日本でこうした映画を作れば必ずはいるであろう登場人物の慟哭とかははいる余地がない。しかし火星に一人たたずむワトニーの姿を見れば、彼の心持ちが伝わって来る。

原作とはラストが少し変わっている。救出までのそれはおそらくドラマティックな効果を狙ったものだが、地球に帰ってからのシーンはどういう狙いがあったのか。

打ち上げから遠く離れてしまった者、次のフライトに乗るもの。全く説明のない短いシーンのその背後にはきっとしっかりした物語があるにちがいない。危機を乗り越えました、万歳!ではない人生はその前にもあり、そのあとも続いていく。エンドロールに流れるご機嫌なI will surviveを何度も聞き返しながら考える。


エベレスト 3D-Everest(2015/11/07)(1000円)

今日の一言:なぜ山に登るのか

昔父がヒマラヤに行った時の写真を見せてくれた。遠くに白い山があるが印象的だったのはそこではない。カメラの近くと思しき場所にはとげとげしい灰色の岩が転がっているだけ。樹木どころか生物の気配すらない。それを見て「不毛の地」という言葉が初めて実感できた。

予告編を見たとき「なんだか家族愛を表に出した御涙頂戴かな」と思った。だから期待せずに見始める。エベレストは今や「誰が世界で最初に登頂するか」ではなく「商業登山」の舞台となっているのだな。まず参加者を募集し、ベースキャンプに行き。

そうした様子を淡々と綴っていく。しかしところどころに「前回のツアーでは誰も登頂できなかった」とか「会社の財政状態はあまりよくない」といったことがうかがえる。途中でもう一つのツアーと協力することになるのだが、どうやらシェルパ同士の仲がよくないらしい。それが問題となり、、とならないところもよろしい。商業登山というのは難しいと観客ながら実感させられる。登山に関しては社長であるリーダーの命令に従ってもらわなくてはならないが、金を払っているのは「神様たるお客様」なのだ。その神様にどこまで命令できるのだろう。

こうした映画でおきまりの「嵐」は確かに来る。しかし何か致命的な判断ミスとか災難があったわけではない。ほんの小さなこと、それが重なった結果エベレストの歴史に残るような遭難が起こる。

あとで調べたのだが、事実にかなり忠実に作られていることがわかる。フィクションとして作れば主人公は奥さんとの会話で奇跡の復活することだろう。というかこの復活おじさんの生命力は一体なんなのだ。ということは普通の人間(エベレストに挑戦しようというだけですでに十分普通ではないが)は死んでしまうことになる。高度8000mを超えると人間の体は順応できず緩慢に死んでいく。そうした恐怖は十分に伝わって来る。

といったようにとても真面目に作られた作品だと思うのだが「悪くないがもっとよくなったかも」とも思う。今のように静かに真面目に作っても「観た後観客が風邪をひく」ような映画にできたかもしれない。どこが足りないとはうまく言えないのだけど。

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注釈