映画評

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レディ・プレイヤー・ワン:READY PLAYERONE (2018/05/06)

今日の一言:俺はガンダムで行く!

スピルバーグがVRを題材にした映画を作ると聞いた。どーんなだろうなと思っていると米国での評判はいいような悪いような。。とにかく見てみないことには始まらないというわけで観に行った。

物語の舞台はオハイオ州コロンバスとVR世界の中のOASIS。なぜコロンバスか、というのは米国人なら笑えるのだろうか。主人公は何をして生計を立てているかわからないがVR世界に慰めを見出している。

でもってその世界を作った男が「三つの鍵をみつけたら、遺産とOASISの管理権をあげるよ」と遺言を残した。かくして皆で鍵探しが始まったのであった。

というところからして話は正直どうでもいい。VR世界に綺麗な女の子が出て来る。現実世界の彼女が「Detroitに住む体重140kgのデブ」だったらもっとよかったのになと思うが、残念ながらそういうことはない。分かりやすい敵役がおり、それとの戦いに皆が参加し。いや、本当にどうでもいい。

しかし

観終わったとき、私の目には涙が滲んでいた。この映画はスピルバーグのおもちゃ箱をひっくり返したようなものだ。それはただ集めただけでなく、それぞれに深い理解と愛情が注がれていることが伝わってくる。今やシャイニングを完全にCGの中で再現することができるのだな。あのホテルで黄色いボールが転がってくる。ああ、そっちに行っちゃだめだ。

Youtubeにあがっている動画を見ると、この映画に秘められた「イースターエッグ」は300以上にも上るらしい。私が理解できたのはその何十分の一でしかないだろうが、それでも目に涙を浮かばせるのに十分。アメリカの映画で日本人の少年がこんなにかっこよく描かれたことがあっただろうか。悪の親玉が乗り込む「メカゴジラ」にたち向う時、彼は

「俺はガンダムで行く!」

と日本語で言う(ここだけ英語の字幕がでる)このガンダムのかっこいいこと。ああ、どうして日本人にこれができないのか。

そう考えると私の目に浮かんだ涙は半分悔し涙だったかもしれない。ベイマックス を見た後のように。ええい。理由はどうでもいい。どうでもいいストーリーでも、都合がよすぎても、私はこの映画に心を揺さぶられた。だから1800円。

あと「悪い会社のブレインたち」がまるっきり「自分の知恵を使うことだけの興味があり、その結果どうなろうと知ったことじゃない」のが笑えた。だって、主人公がナゾを解くと拍手してるんだもん。ここらへんの描写はさすが。


リメンバー・ミー :Coco(2018/04/01)

今日の一言:pixar最後の輝き?

メキシコにも日本のお盆のような風習があるらしい。一族の写真を祭壇に飾り祖先の霊を迎え入れる。日本だったらナスとかキュウリに乗るんだろうか。

さて、靴職人の一家に生まれた少年。その一族では音楽が禁じられている。なぜならひいひいばあちゃんの旦那が家族を捨て音楽の道に進んだから。彼の顔は写真の中で破り取られている。しかし少年は心に宿る音楽への憧れを隠しきれず、その道のスーパースターだった国民的歌手に憧れている。

ここまでくると「家族に押しつけられた夢なんか捨てて、自分の夢をかなえるんだ!」に思えるがどうにも危うさが漂う。その国民的歌手も実にうさんくさい。これはどう決着をつけるのか、と興味を持って眺めていれば。

映画の後半はそういう余分なことを一切(ほんとうはちょっとあるのだが)考えなかった。頭をよぎるのはいくつかの思い出。昔メキシコで友達の結婚式に出席し、二次会で皆が歌って騒いでいる場所につれていってもらった。本当にメキシコ人は歌うのが好きだ。飲み屋を流しがまわってきて演奏をしてくれる。本当はその日体調が悪かったのだが、そんなことはすっかり忘れて彼らの歓待を堪能した。そして2週間前になくなった父。実家に飾ってある父、祖父、祖母の写真。思い出。

最後リメンバー・ミーが歌われるところでは周りから鼻をすする音が聞こえる。自分の頬も濡れていることに気がつく。それはなんの涙なのかはわからない。

家族で見に行った。映画の後食事をしたのだが、映画自体についてはあまり語られなかった。つまらなかったからではなく、皆が自分の心の中で感動を咀嚼する時間が必要だったから。

ちょっとだけ気になったのは、主人公が高いところから落ちるところで、トラさんが助けてくれるところ。あそこだけは普通のハリウッド映画っぽかった。なくてもよかったんじゃないだろうか。

いや、それも些細なこと。死後の世界を描く映像の素晴らしさに驚嘆し、ディズニー名でリリースされる作品とは異なるいかにもピクサーで完璧な脚本。トイストーリー3を最後に低迷を極めていたピクサーに何が起こったのか。 とはいえ、これでピクサー復活とは考えられない。今ピクサーで予定されているのはインクレディブル2にトイストーリー4。もはや過去の作品の続編しかないのだ。となるとこれは最後の輝きになるのだろうか。


ペンタゴンペーパーズ:最高機密文書 :THE POST(2018/03/31)

今日の一言:熟練の技

アメリカ人はとても歴史が好きだと思う。日本だと関ヶ原とかばかり言っているし、歴史に対して興味はないから本筋と関係ないアイドル出すけどね。

というわけでこの映画で扱われるのはニクソン政権下で発覚した政治的スキャンダル。といっても対象はニクソンではなく、トルーマンからジョンソンに至る歴代大統領。彼らは皆ベトナムへの支援が無駄に終わることを知っており、そのことを隠してひたすら戦争に邁進していった。

「本当のところこの戦争勝てるの?」というリサーチがちゃんと政府内部で行われているのも面白い。そしてそれを公表することに対し、廃業の危機に直面しながら「ジャーナリズムの矜持」を貫くのも興味深い。まさか朝日新聞はこの映画を見て「森友にまつわる改ざんを報道した我々も素晴らしいジャーナリストだ」とか悦に入ってないよね。

という背景はさておき、才能ある旦那が自殺したため、社主をついだのがメリル・ストリープ。モデルとなった人の子供が証言する「母は自分に自信がもてない人でした」を熱演する。その観点からすると、「気弱な社主が立派な決断をするところ」はもうちょっとなんとかなったのではないかと思うけど、それは些細なこと。彼女が不安を抱えながら銀行家との会議に臨む場面では、観客である私の心拍数も上昇する。

彼女を支える編集長?がトム・ハンクス。こちらも安定のすばらしさ。監督はスピルバーグとなればこれは熟練の技を安心して楽しめば良い。映画の最後に映し出される「ドアロックに無造作に貼られたガムテープ」だけでアメリカ人の多くはウォーターゲートとわかるんだろうな。


シェイプ・オブ・ウォーター:Shape of Water(2018/3/11)

今日の一言:いろいろな形

映画の冒頭水没した廊下にカメラがはいる。なんだこれは。そもそも「水の形」とはなんのことなのか。

聴力は問題ないが喋れない女性が主人公。よくこの役者を持ってきたと思う。典型的な美人ではない。しかしどこか不思議な魅力を持っている。彼女にちょっかいをだそうとする「イヤな役人」は大抵の男の中に住んでいるのだろう。彼女の向かいには会社を首になった画家が住んでいる。あれ?この二人仲よさそうだけど、男女の関係は全く、、と思っているとその理由が明かされる。そうだね。今の時代だったらまだよかったと思うのだけど。映画の中では米ソがミサイル・ロケット開発を競っている。

米国政府の秘密基地にも雑役婦は必要。主人公は黒人女性(この人どこでもでてくるな)と組んであちこちを掃除する。そこに運び込まれてきたのは半魚人。女性はその半魚人を恐れるよりも興味を抱く。

一見とっぴな組み合わせにも見えるが、映画は丁寧に丁寧に「二人」の愛を描く。解剖して中身を調べたい米ソと、その狭間で苦悩する科学者/スパイのディミトリ。その揺れ動く気持ちが観客にも伝わってくる。こうした映画に必要な「悪役」ですらこの映画ではどこか「我と我が身」を感じさせる。自分の指が腐り始めているのに「ねえ、犬飼いたいとおもうの」と無邪気に語りかける妻。確かに権威は持っている。しかしそれはボスである元帥の気分のまま。いつまで「成功」を積み重ねればいいのか。そうした心の隙間にもぐりこんだ古典的高級車は滑稽とも、哀れとも、「あるある」とも思える。彼が元帥と話すシーンは監督がスタジオの偉いさんと話すシーンそのままなんだそうだが。

LA LA LANDばりのミュージカルシーンは、少し浮いているかな。しかし丁寧に真面目に愛を描いたこの作品は見ている側の心に残る。アカデミー賞の投票権を持っている人たちが何を考えようが考えまいがいい映画。


gifted/ギフテッド:GIFTED(2017/12/29)

今日の一言:肩をぽん、と

小学校1年生にして、MITの教授が出題した数学の問題をすらすら解いてみせる少女。2+2=?とか退屈で叶わない。

一緒にいるのはボートの修理を生業としている男性。祖母は英国人でとても厳格。彼女をどう育てるべきなのか。普通の学校で普通の人生をおくらさせるべきか、あるいは特殊な学校に通わせ100万人に一人の才能を開花させるべきなのか。

「よくある話」なのだと思う。しかしその「よくある話」をきっちりと観せる技は見事。祖母は男性と裁判で争うことになる。双方についている弁護士、判事、それに少女の担任教師。それぞれの脇役が見事な存在感を見せる。考えてみればこの映画にはイライラさせるバカがいない。

男性はどこかで見た名前と顔だなと思えば、キャプテン・アメリカ。彼は単なるムキムキではなくいい役者なのだな。そして何よりも強烈な印象を残すのが天才少女。数学の難問に取り組む表情、校庭で友達とはしゃぐ姿。それらを見事に演じ分けて見せる。マルモリの女の子も見事な演技と思っていたがそれどころの話ではない。

こうした設定ならば最後にどうなるかは誰もが分かっている。しかしありきたりな「父の愛情が勝ちました」ではない。誰も自分が正しいことをしていると確信できないのだ。しかし確信がなくても勇気をもってそれぞれに進もうとする。

考えてみれば現実世界もそうではないか。正解がわからなくても、とにかく進むしかない。それが一番いい方法だと確信しているのか?と聞かれNoと答えるキャプテンアメリカは現実世界の我々の姿でもある。

この映画を観ると「それでいいんだよ」と肩をぽん、と叩かれたような気になる。キャプテン・アメリカにそう言ってもらえるなら心強い。というわけで年末に観るのにちょうどよい映画であった。来年もがんばろう。


ブレードランナー 2049:BLADE RUNNER 2049(2017/11/3)

今日の一言:最後は誰も一人

ブレードランナー(無印)は未見。しかしハリソンフォードがでていたことは知ってます。映画の冒頭説明がでるからそれだけ読んでおけばよかろう。

監督はメッセージの人。主役はライアン・ゴズリング。とはいっても歌って踊りはしない。役柄とはいえ彼は全く笑顔らしきものを見せない。感じるのは

「そもそも人間とはなにか。人間らしさとは。自分とは」

という問い。ゴズリングと暮らしているのは電源をいれる時起動音がなる「製品」。しかし見ているほうも彼女の「愛」が本物なのか、それとも単なるプログラムなのか揺れ動くことになる。街中にある巨大な広告映像とおなじ「製品」ということはわかっている。なのにみているうちに「もうどちらでもいいじゃないか」という考え出す。でもどうだろう。もし自分が惚れた相手が

「うん。そうプログラムしておいたからね」

と言われたらやはり動揺するだろう。それはなぜだ。

レプリカントと呼ばれる人造人間。人が作ったものだから大人の形で「製造」されるのだが、子供のころの記憶が埋め込まれる。しかし埋め込まれた記憶とはなんなのか。さらに人造人間が子供を出産したらしいからいろいろな人たちが大騒ぎを始める。人造人間は「大義のために死ぬことは人間らしいことだ」という。しかしそもそも人間らしい、とはなんなのだ。

映像は美しいが長い。途中で「この映画は永遠に続くのではないか」とちょっと退屈する。しかし後半それまでの想定がひっくり返るところから話は静かに、そして激しく終結に向かう。というか何の結論も得られないのだけど。世の中はそうしたものか。

最後のシーン。降りしきる雪の中、階段にゆっくり腰を下ろすゴズリング。悩んだこと、考えたこと、悲しんだこと。そうしたことを経て、映画は寂しく静かに終わる。見る人を選ぶ映画だと思う。幸いなことに私の心にはこの映画のいくつものシーンが残っている。エンドロールでジャレッド・レトーが出ていたことを知り驚く。そうか、あの会社社長が。


ドリーム:Hidden Figures(2017/10/9)

今日の一言:映画の嘘

現実世界では数年にわたって行われたことを、映画では2時間ちょっとに収めなければならない。しかも世に知られていない物語を語るためには観客への説明もしなくては。

それゆえ映画には「嘘」が必ず含まれる。複数の人物を一人にまとめたり、あるいは話を単純化するためわかりやすいキャラクターを作り上げたり。しかし私の考えではこの「嘘」には「良い嘘」と「悪い嘘」がある。

「悪い嘘」とは話を作り上げる側の都合のためのもの。主要人物が都合よく瞬間移動したり、「実はこうでした」と観客を置いてけぼりにした設定が披露されたりする。映画を作る苦労はぼんやり想像しながらも、そういう嘘をつかれるとげんなりする。

この映画にも「嘘」がたくさん含まれている。しかしそれは現実に起こった事、生きた人間に対して敬意を払った上の嘘であることが伝わってくる。主役は三人の女性。NASAの初期の宇宙計画で計算に活躍した女性、初の黒人エンジニアとなった女性、それにプログラミングを担当し、初の管理職になった女性。

これは「嘘」らしいのだが映画の中のNASAではトイレ、それにコーヒーポットもColoredとそれ以外に分けられている。私が幼かった頃、アメリカにはこういう州がまだ存在していたのだ。映画の冒頭車が故障し黒人女性三人が立ち往生する。そこにパトカーが通りかかるのだが、女性たちは「これで助かった」という表情を浮かべない。緊張し、言葉に気をつけろとお互い注意する。そういう時代だったのだ。

この映画に描かれているのは、そうした世界でなんとか自分の道を切り開こうとした人たちの姿。それが極東の島国に住むアジア人老人の心を揺さぶるのは、必要な「嘘」を交えつつ普遍的な人間の物語を描いているから。

と思ったがアメリカで初めて地球を周回したジョン・グレンが「あの女性に計算をチェックさせろ。彼女がGoなら俺はGoだ」というセリフはいくらなんでも作り過ぎだろうと思っていた。見終わってから調べれば本当にそう言ったらしい。

彼女たちの道の開き方に比べて、お前はなんなのだ。ぐでぐで文句言っている場合か、という気分にさせられるのはつらいが嬉しいことでもある。白人の女性管理職はどこかでみた顔だなあと思えば、スパイダーマンのキルステン・ダンスト。まあ立派に老けて。ケビンコスナーもかっこいいぞ。黒人女性たちは最初「あまり趣味じゃないなあ」と思うが映画が終わる時にはどこか素敵に見えてくる。お見事。

それとともに

この名作に「私たちのアポロ計画」などというデタラメな副題をつけようとした日本の配給会社には怒りしか感じない。売れりゃなんでもいいのか?嘘も方便で、観客はバカだからわかりやすい言葉を並べればいいのか?黒人とみればゴミを片付けさせるように、観客はバカだからアポロもマーキュリーも一緒でいいんだよ!とでも思ったか?


スパイダーマン:ホームカミング:SPIDER-MAN: HOMECOMING(2017/8/19)

今日の一言:脚本の技

最近日本のTVがつまらないのは、あれやこれやと制約が多いからだという意見を目にすることがある。そういう寝言を言っている人はこの映画をみるべき。どんな制約を満足しているかといえば

・登場人物が白人ばかりではいけない。黒人、アジア人、インド系などとりまぜて

・エログロは絶対禁止。小学生が見ても大丈夫なように。

・そもそも人が死ぬのもいかがなものか

・スーパーヒーローはいつも通り大活躍しないとだめ

・高校生の青春ものの要素をちゃんと取り入れて

・しかも「ありきたり」のパターンは使用禁止


これだけ制約がある中で、面白い物語を作ることができるか?驚くべきことだがこの映画を見るとその回答はYesである。

ちょっと無理もあるがこの映画では人が死なない。悪役ですらちゃんとした「法の裁き」を受ける。スパイダーマンを取り囲むのはアジア系のオタクデブに、黒人と白人のハーフ、それにちょっと肌が浅黒い変わった女の子に少し嫌味なインド系。よくもこうもちゃんと混ぜたものだ。

自分がスーパーパワーを身につけ、あこがれのアベンジャーと一緒に戦う。しかしまだ扱いは「見習い」。なんとか自分を認めさせたい、という若者の焦り。気になる女の子がスパイダーマンのファンだという。「実は僕が」と言ってその女の子の前でカッコよくしたい気持ち。そういう「あるある」な要素をちゃんと取り入れながら例えば「彼女の前でカッコつけようとして、結局彼女を死なせてしまいました」といったことにはしない。

振り返ればこの映画は、少年が自分の周りをなんとかしたい、そうした気持ちからひたすら頑張る姿を描いている。スーパーパワーは偉大だが、それはすべての問題を解決してくれるわけではない。日本のヒーロー物にもそうした要素はあったが、マーベルコミックスはそうした現実をより深く考えているように思える。それゆえこの映画のスパイダーマンはちゃんと

「真面目な高校生」

に見える。「ここから落ちたら確実に死にます」という場面では見ているこちらもムズムズする。どこに糸をかけているか問わないのがお約束のスパイダーマンだが、広い草原では走るしかない。これには笑った。がれきの中から必死に這い出る場面では見ているこちらにも手に汗握る。ヒーロー映画だからいいものはやられない、とわかっているのに。

飛行機の上での最後の戦いがちょっとわかりにくかったとか減点要素は確かにある。しかしこの脚本には本当に驚かされた。私が映画会社の社長なら

「この脚本家にいくらつんでもいいから契約しろ」

と命じるところ。こういう映画を見るとやはり映画において脚本は大きな要素を占めているなあと思う。監督、脚本家の今までの作品をみると小品ばかりのようだが。


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注釈