映画評

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ヘイトフル・エイト -THE HATEFUL EIGHT(2016/3/7)

今日の一言:人生に悩んだらタランティーノの映画

雪深いワイオミングを一台の駅馬車が走る。サミュエル・L・ジャクソンが「乗せてくれ」と頼む。駅馬車からライフルが突き出される。

そうして奇妙な一行が出来上がる。吹雪がひどくもうこれ以上進めない、と駆け込んだ店には先客がいた。アウトレイジではないが、「全員悪人」というのが明らかな状況。みなあれこれ身の上などを語るがはたして真実はどこにあるのか。軸になるのは賞金がかけられた女犯罪者。彼女を連れている賞金稼ぎは、Dead or Aliveという条件にもかかわらず、なぜか彼女を殺そうとせず、きちんと絞首刑にすると主張し続ける。

サミュエル・L・ジャクソンが出ている映画を随分見た気がするが、タランティーノの映画に出ている時、彼は一番生き生きとしている。この映画では特に素晴らしい。Star Wars I〜IIIにでていたのと同一人物とは思えない。元南軍の軍人が複数おり、彼らにとってみればジャクソンは「ニガー」。その彼が気がつくちょっとした「違和感」の中、一気に話が展開する。

映画の最後、サミュエル・L・ジャクソンは楽しそうに笑った後安らかな顔を見せる。それを見てふと考える。この映画に描かれているのはたった数時間の物語。しかし人生もそうしたものではないか。結局皆死んでしまうのだ。そこまでの「短い間」笑ったりどなったりいがみあったり。

タランティーノお得意の暴力映画とくくることもできるだろう。しかしなぜ私はこんなややこしいことまで考えてしまうのだろう。不必要な出血、グロ、エロ(ちなみに女性はこの点ではひどい目に合わないのでご安心を)は満載。しかしどうして私はそんなことを考えるのだろう。

彼が描く映画には、上品とかお行儀の良さとは全く別の、しかし何か人間の「快」に働きかけてくるものがある。ソフトバンクのCMで

「タラちゃんです」

とおどけている男が「おもしろい」を突き詰めた結果は、地に足のついた人間の姿を映し出しているにちがいない。それゆえ反道徳的とわかっていながら見てしまい、そして考えることになる。

最後に朗読されるリンカーンの手紙は素晴らしい。血まみれの景色の中で読み上げられるそれは、南北戦争そのものではないか。戦争は地獄だ、とはシャーマン将軍の言葉。しかしその中でリンカーンが掲げた理想はどのように受け取られたのか。

と、なぜ私はこんなややこしいことを考えているのだろうね。



スター・ウォーズ/フォースの覚醒 -STAR WARS:THE FORCE AWAKENS(2016/2/14)

今日の一言:21世紀のエピソード4。お見事。

というわけで再度「スターウォーズの新作」である。この前の「新作」Episode Iでは酷い目にあったことを覚えている人も多かろう。

予告編からは緊迫した空気が伝わって来る。同じ動画を加工して使って作った「もしルーカスがEpisode VIIを作ったら」というパロディ動画がYoutubeに投稿されていた。それをみて「確かにそうだ」と思う。CGでいろいろな動物やら建物やら作っていれば幸せになってしまうルーカスはもうこの映画に関わっていない。ならば期待ができるかも。

見終わってみれば、上映中余計なことを考えることなくハラハラ、ドキドキした2時間半だった。上映中何度か

「おわっ」

と声を上げた。数10年前もデス・スターに最後の攻撃をかける場面で体が浮いたような感覚を覚え驚いたが、今は状況が違う。CGを使えばどんな絵だって作れることを知っているし、Star Wars的な設定は誰もが「あたりまえ」と思っている。その中でEpisode IVとその驚きを「再現してみせる」というのはものすごい離れ技だ。

自分の中の「光」に苦悩してしまうカイロ・レン、線がほそいイケメンの若者。どこから見つけてきたのか知らないが適役である。ゴミ拾いをしている星に戻らなくちゃ、と言い続けるレイ。彼女は出会いと別れを通じて自らルークに会いにいく。一番笑ったのが、フィンがストームトルーパーの元上司に銃をつきつけ「ここでは俺の命令に従え!」とわめきちらすところ。心中喝采を叫んだサラリーマンは世界中に何億人いるのだろう。

そうしたきゃーきゃー言いたくなるシーンの中で若者たちの苦悩と成長がきちんと描かれている。どっかん一発で相手が崩壊は踏襲しながらひねくれた大人も歓喜する「新しい作品」を作り上げた力量には感服のほかない。

これはエピソード8が楽しみ、、、と不安が半分づつ。また「今度は大丈夫か?今度は大丈夫か?」の日々が何年後かにやってくるわけだ。


リトル・プリンス 星の王子さま-THE LITTLE PRINCE(2015/12/29)

今日の一言:おとぎ話を体現

娘と見ようと思っていたが、チャンスに恵まれなかった。だから一人でのこのこ見に行った。チケットを買うところで「もう一度題名をお願いします」と言われたのは、初老の男が一人で観る映画ではない、という意見の表明ではなかったと信じたい。

映画が始まってすぐ、映像が細部に至るまで非常に丁寧に作られていることに気がつく。星の王子さまはいろいろな読み方ができる物語だと思う。その続編をどう作るか?この難題を製作者は見事に解いてみせた。

旦那に逃げられ、完璧な計画のもと娘を育てようと苦闘している母親。その二人が転居した家の隣にいた元パイロットの老人。ひょんなことから知り合いになる娘と老人を中心とした物語が、星の王子さまをちゃんと踏まえた上で語られる。パイロットが老人になったということは、王子様も大人になっている。彼の姿は情けないサラリーマンである私に厳しく映る。ああ、駄目サラリーマンですいません。その他の登場人物もちゃんと新しい物語の中に場所を与えられる。

なんやかやがありながらも、子供向けの映画だから最後は大団円に決まっている。しかしそれはちゃんと大人が見て納得できる形になっている。しかしあれだね。こうやって改めてオリジナルストーリーを見直すと、あのバラってのが特定の女性を表していることは明らかだよなあ、とかそんなことを考えるのも楽しい。

映画を見終わって確信するのは、この映画の製作者は星の王子さまを愛し、尊敬している、ということ。制約としがらみの塊のような状況で、ちゃんとした物語を作り上げた製作者の力量と愛。これはStar Wars Episode 7を作り上げたエイブラムスと同じくらい賞賛されるべきではなかろうか。(まだStar Wars見てないけど)


ミッション・インポッシブル-ローグネーション-Mission Impossible-Rogue Nation(2015/8/29)

今日の一言:単純にクソ面白い

シリーズ5作目。良作、ゴミ作いりまじるミッションインポッシブルである。予告編からはどんな出来か窺い知れないが米国での評判はすこぶるよろしい。というわけでのこのこ見にいった。

「レコード屋」にトムクルーズがはいっていく。相手をしてくれるのはちょっと変わった感じの美人の子。をを、これはシリーズ恒例の「ユニークな美人か」と思っていたらあっというまに殺されてしまった。ええい、このお姉ちゃんをもっと出せ。

というのが唯一の不満点。

映画の冒頭トムクルーズが輸送機の側面にへばりついたまま飛行する。この場面は予告編で何度も見ていたのだが映画の一部としてみると「おわっ」となる。例によってMission Impossibleを遂行するIMFは解体されCIAの一部になるとのこと。いつも「周り全部が敵だ」とかやっているような気がするから気にしない。

でもってトムは謎の犯罪組織シンジケートをつぶすべくあれこれがんばる。綺麗で強いお姉ちゃんがでてきたり英国首相を誘拐したりといつものお話なのだがなぜこんなに面白い。私は普段「カーチェイスなんて退屈」と思う人なのだが、バイクのチェイスシーンでは思わず声を上げた(映画館なのに)それはMatrix Reloadedのそれとは全然違う迫力。

アベンジャーズで弓矢持ってる人がIMFの偉い役で出てくる。この人こういう役はまってるなあ。地味な容貌だけどしっかりした芯を感じさせる。対するCIAの長官がアレック・ボールドウィン。定義によって「やられ役」だが彼にとってははまり役。そして映画の冒頭「やられた」IMFのメンバーは映画の最後できっちり借りを返す。ガラスの向こうに閉じ込められガスを噴射されたこと。偉い人の前で「解散だ」と言われたこと。という具合に筋も脇役もきっちりはまってできあがった映画は「普通のスパイ物なのにクソ面白い」ものになった。いや感服しました。


マッドマックス・怒りのデス・ロード-Mad Max-Fury Road(2015/6/21)

今日の一言:Maxにはなれないほとんどすべての男性に

前シリーズは未見。漏れ伝わってくる情報から、砂漠を改造した車両が走り「ヒャッハーッ!」くらいの認識。だからあまり見る気は無かったのだが、米国での評判が妙によろしい。というわけでのこのこ見に行った。

映画の冒頭、断片的なセリフで地球に何が起こったかを知らせる。このテンポの良さは期待が持てる。よくわからないが大変なことになった。というわけで北斗の拳である。水をコントロールすることで国を築いた支配者。遠征部隊を出すが、その隊長シャーリズ・セロンは進路を変える。どうやら大奥の女どもを連れて逃げる気らしい。

そこから奇妙な形で「御一行」ができあがる。この描き方も見事。話の筋に関わってくる登場人物の過去や状況もテンポを落とさず説明し、単調なはずの砂漠をバックにすばらしいアクションを見せる。誰かの感想だが「砂漠を行って帰るだけの映画」なのになぜこれほど飽きない。ただし、それだけではこの映画の価値はワンランク下だったと思う。

「敵の雑魚」がいる。支配者に目があったあけで大騒ぎ。彼らはウォーボーイと呼ばれソ連のタンクデサントのような扱い。口の周りを銀(クローム)のスプレーで塗り、「俺を見ろ!」といって死ねば甦れると信じている。あるいは支配者に「お前の魂は伝説の英雄たちのところにつれていってやる」と言われると真に受けるような。砂嵐の中爆発する仲間の車をみながら彼は叫ぶ。What a lovely day!

そんな彼はなぜかしぶとく生き延びるが、支配者に命じられたミッションには失敗。そして「3度もチャンスがあったのに」と座席の下に潜り込んでいじける。それを赤毛の女の子が慰める。

そんな彼はそれからも「雑魚」として精一杯頑張る。今や誰かが作った「V8教」ではなく、生身の人間を救うため自分の考えで行動する。彼が仲間を救うため外にでていくときの笑顔で「うっ」となったのは本当のところ。

必要にして十分なストーリー。最高にバカバカしくてクールな自動車の数々。(特にバンドを乗せて走る車とか)それらも讃えるべきなのだろうが、思い返すと一番に甦るのはあの雑魚役の顔である。私を含めほとんどの男は主役のヒーローにはなれない。それゆえ憧れもするのだが、この雑魚くんの姿はいつまでも心に残る。彼が最後に赤毛の女の子に向かい

「俺を見ろ」

というところ。それは狂信性の全くない、人間としての言葉。まさか敵の雑魚役に泣かされるとは思わなかった。(素顔の彼が実はものすごいイケメンなことを知り、ちょっと感興が削がれたのは内緒だ)

70歳にしてこの映画を作った監督の力量は尋常ではない。なぜハッピーフィートの次がこれになる。このMADもそして自分たちの意思で生きようとする登場人物も人類が普遍的に心を動かされる要素だろう。それをセリフを使わず描き出す鍛え上げた技と人間がどこかに持っているヒャッハーが組み合わさったところにこの映画は生まれた。果たしてこの奇跡のような映画の続編はどんなものになるのだろう。


6才のボクが、大人になるまで。-Boyhood(2015/6/13)

今日の一言:A day in my life

主要な役者さんたちは同じで12年に渡り撮り続けた作品ということは知っていた。確かにそれは効果的。6歳の可愛い坊やがちょっとひねくれたティーンエージャーになり、少し明るさを取り戻す大学生になる姿は少年時代、青年時代と役者を交代させねばならぬ普通の映画ではあり得ない説得力。

美しく聡明だが、破滅的に男の趣味が悪い母親。それゆえあちこち転居したり、父の暴力を受けたりする。しかしそれを除けば目立った事件は何もおこらない。下着のカタログをみて「おっぱいすごいね」という6歳。どこかにキャンプにいってちょっと背伸びしたトークをする10代、高校時代には髪を伸ばし、美しい女の子と付き合う。しかしそれがうまくいかなくなり「彼女以上の女性はいない」と落ち込む。自分がこけるまで「自分がやっていることは、誰もが通った道」と気がつかない。

大学の寮に入り、新しい生活が始まる。こうして文字にすると本当に「普通の人の普通の物語り」しかしそれを長い映画にし観客を飽きさせない力は見事としか言いようがない。

6歳の時の可愛らしさは、大きくなるにつれて失われてしまう。うん。やっぱり15歳のときは一番暗くてひねくれた顔してるね。しかし大人になりつつある主人公を最後は見守る気持ちになると思う。母親と実の父親もよい歳の重ね方をする。ダメオヤジだが、自分にあった相手を見つける父親。こうした12年の変化を本当に一本の作品にしてしまうProductionの力量にも感服するが、仮にそれが全部CGの産物であったとしても(その場合、こんなにリアルな姿は作れないと思うが)この映画の価値は損なわれるものではない。


アリスのままで-Still Alice(2015/6/7)

今日の一言:名演。それだけに痛い

映画の紹介欄には「この映画でジュリアン・ムーアが主演女優賞をとった」としか書いていない。どんな話かと観始める。優秀な教授が講演のなかで簡単な単語でつまづく。その瞬間、どこかで読んだ記憶が蘇る。しまった。この映画をみるのは痛い。

才気あふれるコロンビア大学の教授。しかし彼女は遺伝性の若年性アルツハイマーを発症する運命だっった。そこから彼女が少しずつそれまで築き上げてきたものを失っていくところは「名演」であり「痛い」としか形容のしようがない。私は52。まだ物忘れをすると笑い話にしてはいるが。

いや、痛さを我慢してみれば、この映画は普遍的な物語-思わぬ困難に見舞われそのなかで戦い続ける人間の姿-を描いたものだとわかる。劇中でも言われるが彼女のスピーチはすばらしい。あの場面で破滅的な事態が起こらないのは製作者の優しさ、というか「映画」としての作りというか。

旦那役のアレックボールドウィンは最初ちょっと棒演技かと思ったが、それがぴったりの役柄だということがわかる。そして映画の後半に山場がやってくる。彼女は自分にあてたビデオを録画しておいた。最初録画する場面を見たときは

「ちょっと強い薬でも飲むのかな」

と思っていた。しかし彼女がビデオを再生する場面では彼女の「意図」は疑いようがない。演じ分けるジュリアン・ムーアの素晴らしさもあいまって緊張感が極限まで高まる。

そこで映画を終わらせなかったのは、この映画を作った人達の性根の座ったところだと思う。どうも私のような浅はかな日本人は「潔く花と散る」ことばかり考えていけない。ラストシーンでの末娘の視線と言葉。そのあとに浮かぶ原題のStill Aliceという文字が最後にはきちんと意味をもって受け取れる。

というわけでこの一本前にみたゴミ映画の内容をさっぱり思い出せないのは私が短期記憶に障害を持ち始めているからではなく、2本が同じ「映画」という言葉でくくっていいのだろうかと疑問に思うほどインパクトに差があったからだと自分に言い聞かせる。


イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密~ - THE IMITATION GAME(2015/4/3)

要約:魂の脚本

チューリングマシンとかチューリングテストという言葉はだいぶ前から知っていた。そのチューリングが第二次世界大戦中暗号解読に従事していたと知ったのは割と最近のことである。そしてその運命についても。

珍しく映画を見るより先に実話について知っていた。だから話が進むにつれひたすら唸らされることになる。見た目はとても地味でかつ説明が難しい暗号解読という作業、それをエンターテイメントにしたてた上で2時間を切る時間におさめる。これは恐るべきことだ。ピータージャクソンに撮らせれば間違いなく3時間の3部作にするだろうし、それだけの内容はある。

それゆえ史実を脚色するのは避けられない。しかしそれはよくある「映画の都合で適当にやっちゃいました」ではなく脚本を書いた人間が史実と登場人物に深い理解と尊敬を持った上で行ったものであることが伺える。この映画で私が唯一気に入らないのは戦闘シーンだ。いくらなんでもUボート密集しすぎだし(一画面でわからせるためにはしかたないのだろうが)4連装砲塔をもったキングジョージ5世型戦艦は一隻も潜水艦にやられてはいない。などとツッコミをいれながら自分が中腰になっているのがわかる。緊張のあまり立ち上がって観ようとしているのだ。

映画は三つの時代、1951年と戦時中、それに学校時代を行き来する。そして冒頭の謎のモノローグ「この話が終わるまで、私について判断するな」が意味を持って迫ってくる。

私事になるが、この映画は会社の帰りに見た。不思議なことだが会社で何かあった時この映画館でよい映画と回りあうことが多いように思う。正しい道が見えていながらそれを邪魔されるチューリング。

いやおそらくはこの脚本家がアカデミー賞のスピーチで述べた

"Stay Weird, Stay Different"

を思い出すべきなのだろう。後でこの映画のキーとなる要素がほぼ全て実在したものであることを知り驚いた。学生時代の「友達」との突然の離別、クロスワードパズルによる人員募集、それにキーラナイトレー演じる「彼女」。彼と女性の間柄はこれこそ「プラトニックラブ」というものではなかろうか。お互い会話をするのが楽しくてしょうがなく、相手の事を心から思いやる。それゆえの関係。チューリングが「僕は同性愛者だ」と言った時のナイトレーの反応が見事。こういう相手に巡り会えた幸運。

チューリングは稀に見る才能とそして問題を抱えて生まれ41歳で生涯を閉じた。私のような凡人は中途半端な混沌の中で彼よりも長生きし家庭を持っている。自分が恵まれた存在であることを認識しながらも、画面を見つめる私の目に涙が浮かぶ。それがなんの涙なのかは考えないことにする。

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注釈