題名:映画評

五郎の入り口に戻る

日付:2000/3/11

1800円 | 1080円 | 950円 | 560円 | -1800円 |値 段別題名一覧 | Title Index

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オールド・ルーキー - THE ROOKIE (2003/1/25)

冒頭Based on a true storyと文字がでる。一度はプロ野球に挫折し、高校の教師をしていた男が再びプロを目指す。このあらすじを聞いただけでどんな筋か想像はつくし、実際 その通りだし、私のような中年男には身につまされる内容だし、などといくらでも言葉は並ぶがそんなことは関係なく私はこの映画に1800円の値段を付ける のである。予想通りに感動してしまったからだ。どこが良かったか?

まず第一に米国におけるBaseballの奥行きの深さを感じたこと。TexasではFootballが幅を利かしており、野球はマイナーな存 在だ。そこで細々と高校のコーチをやっていた男がテストに合格してもまずは2Aからスタート。遠征続きで給料はほとんど無きがごとし。年をとり家庭をもっ た身にはつらい。そこに訪れたメジャーのチャンス。敵チームのプレーヤーとしてでありながら球場に駆けつける街の人々。そうしたシーンを見ていると本当に Baseballが生活に根付いているのだなあと感じる。徹底した厳しさと、そこからうまれる喜び、楽しさ。(楽しさとは弛んだ甘さから生まれるものでは ないのだ)

もう一つは、そうしたストーリーを映画にする「巧さ」である。途中で諦めようとする夫からの電話に

Do you still love baseball ?

と聞く妻。途中で止めた後悔と一生つき合うのはあなたなのよ。控えめに、しかししっかり描かれる家庭(2世代に渡る)の姿。日本の野球場にはな い「観客が息をのんで一投を見守る」緊迫感。TVなどで見慣れたはずのStadiumも、それまで粗末な球場のシーンを観させられた後では

「こんなすごいところで野球をするのか」

と感じさせられる。

知り尽くした材料を使った定番だが見事な料理と言おうか。映画も野球も我が国は彼の国に遠く及ばないなあ。などと考えながら家に帰って新聞をみ れば高校バレーの中継に「美少女アタッカー登場」とかいう見出しが。なんともならないなあ。


ハリー・ポッターと秘密の部屋-HARRY POTTER AND THE CHANBER OF SECRETS (2002/1/13)

Famous Harry Potterである。2作目である。観る前私はこんな事を考えていた。一 作目に1080円をつけたのは少し甘い評価ではなかったかと。確かに面白かったが

「そもそもホグワーツとは」

とか説明的な場面がごろごろ並んでいる、という印象が残ったのも確かである。原作を読んでいればその映像化に驚嘆したのかもしれないが、私は読 んでいなかった。そして2作目の原作も読んでいないのである。今日はどうかな。

映画が終わってみればそんな考えはどこかに消えて実にご機嫌な気分になった。楽しい要素が一杯につまった一本の映画を観た感じがする。ハリー役 の少年は声変わりし、登場人物も少しづつ子供から大人になりかかっているように思える。そして映画自体も。ファンタジーであることには変わりないがハラハ ラけらけらと楽しく2時間40分を過ごした。全く役に立たない先生役ででてくる男も見事なボケの演技をみせ、最後まで笑わせてくれる。ハーマイオニーはハ リーとは素直にハグするのに、何故ロンとはためらうのだ。ええい、これだから若い者は。おじさんはとっても気になるではないか。これは3作目が楽しみだ。


マイノリティレポート- Minority Report(2002/12/16)

近未来、将来起こる殺人事件の「光景を見る」ことができる能力を持った人間があらわれ、事件の発生前に犯人を逮捕することが可能となった。

と、ここまでは観る前に知っていた。それにしてもMinority Reportったぁどういう意味だろう。予告編から考えるに主人公であるトム・クルーズが自分の身に覚えのない「嫌疑」をかけられ、逃げ回ったり身の潔白 を証明したりしようとするらしいが。

最後のクレジットにMITのMedia Laboratoryがでてくる。推測だが未来の断片的な光景を検索したり拡大したりするジェスチャ認識システムのイメージ化に彼らの助力を得たのではな いか。その他にも未来らしい映像やら機器はてんこもり。しかしそれらはあくまでも副次的な物。人間もきちんと描かれている。敵役として登場する法務省の男 はなかなかいい役だと思うし、主人公の子供に対する気持ちは画面から痛いほど伝わってくる。かと思うと妙にユーモラスな場面もある。ロケットを背負った捜 査官と格闘するトム・クルーズがある家の中に飛び込む。するとロケットの炎で鉄板の上のハンバーグがじりじり焼けるのだ。

これだけの要素をちりばめながら話をしっかり最後まで語っているのはお見事。さすがはスピルバーグというところか。

(この後ネタバレがあります)

それまでの6年完璧と考えられていた犯罪予防システムは二つの大きな間違いをやらかす。(予知能力者達が”見た光景”は正しかったのだが)その 結果システムは廃止され、予知能力者達は静かな生活に戻る。そこで映し出された女性予知能力者の顔は美しい。それまで何度も大写しになっていた顔と同一人 物とは思えないほどだ。トム・クルーズ夫妻も大きな不幸を乗り越え再び幸せな家庭を築こうと歩き出す。

しかしふと考えたりもする。「システム」により殺人事件が全く起こらなくなっていたWashington D.C.エリアではまた大量に殺人が発生するようになったのでは。それでよかったと言えるのだろうか。そんなことを考えながら映画のいろいろな場面を思い 出せば

「おお。あそことここはこうつながっていたか」

と思い当たったりする。かくのとおりこの映画はいろいろなことを考えさせてくれる。AIのように。


少林サッカー- 少林足球(2002/6/3)

予告編を見る。黙々と壁に向かってボールを蹴り続ける男。あらゆる体勢からものすごい勢いのボールを放ち、それがぶつかる壁はいつしか崩れてい く。

少林寺拳法をサッカーに取り入れたお馬鹿映画。なるほど、これは面白いかもしれない。でもワイヤーアクションやオーバーなCGではたして2時間 持たせられる物だろうか。途中でだれちゃったらいやだな。

そんな不安を感じながら見始めるとちょっとTAXi-2に 似た感じかなと思える。徹底的にばかばかしいのだが、そののりは米国のお馬鹿映画とはちょっと異なるような。最初はくすくすだったのが、そのうち場内に何 度も爆笑が巻き起こるようになる。

少林寺拳法はマスターしたが、いまは日々の生活に一苦労。そんな兄弟を集めてサッカーチームを組みトーナメントに出場。快進撃、苦戦、そして勝 利。これ以上ありふれたものはない、と思えるほどありふれたストーリー。なのに尻上がりにパワーが増すこのすさまじいおもしろさは何だろう。決勝戦での最 後のゴールシーンはあまりに笑い転げ、目に涙が浮かんでいたために見えないほどだった。

戦い済んで最後のシーン。主人公が平和に町をジョギングしている。しかしそこで音楽を流しクレジットを流しておしまい、とするような手抜きはこ の映画には存在しない。最後の最後までベタなボケをかましてくれる。

こうやって感想などを書いてみるとしみじみ思う。シリアスであろうが馬鹿であろうが人を楽しませるためには、作る側に徹底した努力が必要なの だ、と。おそらく映画館にいた他の人たちもそう思ったのだろう。クレジットが流れた瞬間場内に拍手がわき起こったのだ。私も手をたたいた。この見事なお馬 鹿芸術に対して。


ブラックホーク・ダウン - BLACK HAWK DOWN(2002/5/6)

映画が公開されるときにはなにやら宣伝文句のようなものがつけられる。劇場に張られたポスターには

「僕たちはもう、戦う前の僕たちには戻れない。」

と書いてあり、映画を観た後で読むと「けっ」と思う。しかし日本語のオフィシャルサイトにある

「あなたはこの戦争に言葉を失う」

は、確かに、と思う。

「国連安保理決議による国連平和維持活動」とはなんと耳に快く響く言葉だろう。全期間を通じて米軍の死者19名と言えば「少ない」と思う。しか し現実の世界で起こっているのは戦闘であり殺しあいなのだ。

国連と敵対している軍の幹部拉致のために、敵対勢力支配地域に特殊部隊を降下させる。最精鋭部隊であっても少数でしかなければ周到な計画と迅速 な行動が成功のための必要条件。しかしブラックホークと名付けられたヘリが撃墜されたところから米軍は戦闘の主導権を失う。墜落したヘリの乗員を救出する ために移動することができなくなるのだ。周囲にはソマリア民兵が続々と集まってくる。

ソマリアの平和のため、と理想を言ったところで弾丸が頭をかすめれば全部吹き飛んでしまう。皆を生きてつれて帰る。目的とすることはそれだけ。 ようやく脱出し、国連支配地域にはいると子供達が駆け寄り民衆が歓声をあげる。しかしここでは歓喜を表す音楽が流れるわけでも、兵が歓呼に答えるわけでも ない。そんなことはどうでもいいことなのだ。

来日記者会見で、監督のリドリー・スコットは

「『ブラックホーク・ダウン』を、人道的援助や軍事介入の正邪について判断を下すための作品にはしない」

と述べている。映画を見終わった後言えるのは確かにその意図は成功を収めているということだ。また安っぽい決まり文句-苦境の中で成長する-な ども述べてはいない。映画はただ圧倒的な現実を観客に突きつける。そこから何を感じるかは観る物にまかされている。

外に出ると次回公開作のチラシに並んで「ミリタリー用品ショップ」の宣伝ビラがおいてある。この映画を観てそういう店に行きたくなる、と思って いる人間もいるのだろう。帰り道に映画のいくつかの場面が頭によぎり、いろいろな事を考える。日本でこうした映画が作られることは少なくとも私が生きてい る間は無いような気がする。


ロード・オブ・ザ・リング -THE LOAD OF THE RINGS(2002/5/5)

「指輪物語」の映画化ということなのだが原作を読んだことはない。であるから長い長い物語の設定やらなにやら全くなじみがないわけだ。

3時間を超えてはいるが限られた時間で原作の内容を語るのはとても難しかろう。しかし、最後まで緊張感がとぎれることなくその膨大な内容を見せ てくれる。見事な技だ。あちこちの映画評で「早く続編が観たいぞ」という言葉を目にしたが私も全く同じ事を感じた。

では具体的にどこが良かったのかと言われるとふと言葉に詰まる。20年前だったら映画化しようとは誰も思わなかったであろう見事な映像と言葉は書けるが、 それだけが理由とは思えない。果敢に運命に立ち向かうフロドの姿、そしてそれを助けようとする友達も印象的だが、それだけが理由だろうか。私が愛するリ ブ・タイラーは美しいが、それは私だけの意見。というわけでこの映画のどこがいいかはどうにも私の文章力では書き表せないようだがハリーポッターよりこち らのほうがはるかに次作を観たくなることは間違いない。そういえばスターウォーズもまだ二つ作るんでしたね。


陽だまりのグラウンド-Hardball (2002/5/4)

邦題を読み、宣伝文句を読む。駄目な男が少年野球のコーチに就任。そしてお互いが成長していく。これを読んだだけで筋が頭に浮かぶ。駄目チー ム、駄目コーチがぶつかりあってみるみる成長。そして最後は必ず試合に勝つのだ。きっと彼と恋仲になる女性もいるのだ。ああ、やっぱりポスターにそれらし き女性が。この映画を観る価値があるだろうか。

映画館の前で原題を読み「?」と思う。この言葉はよく目にするが正確な意味は知らない。しかし邦題とかけ離れたイメージであることは解る。たと えばトーク番組でHardballといえば、真剣に容赦ない議論が行われるイメージがある。日本語で言えば「ガチンコ」だろうか。(この言葉の軽さには驚 くが)

いきなりキアヌリーブス演じる駄目男が登場。しかしその駄目っぷりは想像以上だ。スポーツの賭で借金まみれ。それを返そうとして更に負けが込 み。

その彼が少年野球チームのコーチを引き受けることになる。このチームはただの駄目チームではない。シカゴで場所を聞けば

「そこは危険地域だ」

と誰もが思う場所。私が米国にいるときそういう場所があると聞けば絶対近寄らない場所。そこでは皆が家の中で床に座っている。なぜかと言えば窓 から飛び込む弾丸を避けるため。

Beverly Hills 90210-ビバリーヒルズ青春白書を観て、アメリカとはああいう所だと思っている人間はこの映画を観ろ。これもアメリカだ。観ている内にいつしか子供達 の苦しみ、悩みが伝わってくるような。賭に勝って首尾良く借金を返したコーチが皆を本物の野球場に連れて行く。暗い通路から明るい球場が見える瞬間、私も 思わず寒気を感じた。白人でない英雄、サミーソーサに歓声を送り、例の決めポーズにまた歓声をあげ。

かくしてチームは大事な試合に勝ち選手権の出場権を得る。しかし話はそこで止まらない。それで全てがHappyになるほどこの世の中は単純にで きていない。生年月日をごまかしていたことがばれ、リーグから追放された少年はギャングにはいってしまった。年齢制限にひっかかり出場できなかったが最後 にタイムリーを打った少年の死。彼にコーチが弔辞を述べる。観ている内に自分が涙を流している事に気がついた。この映画を観ているうちに、こうした地域で 子供達にスポーツを教えること。ヒーローとしてのスポーツ選手の存在は実に大きな意味があることのように思えてくる。いつのまにか映画の中に気持ちが入り 込んでいたのだろう。

女性は確かにキアヌと恋仲になるのだが、それが不自然でなくストーリーに沿っているのが良い。「正義のヒーローから殺人鬼まで何でもやります」 のキアヌ君は駄目兄ちゃんを好演している。それよりも何よりもこの映画に

「陽だまりのグラウンド」

などというほのぼのした題名をつける国に産まれて住んでいることは幸せというしかないと思えてくる。

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注釈