題名:Making of my homepage

五郎の入り口に戻る

日付:1998/6/15

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1998/5/1

1998/5/15

1998/6/11

1998/6/22

1998/6/29

1998/7/17

1998/8/1

1998/8/15

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1998/5/1

この文書を書いているのは旅先の宿である。長野からさらに北に3駅ほどいったある町で書いている。

連休中は会社もお休みだし、私の就職活動もお休みだ。連休明けには某社の面接があるが。

今回はコンピュータを持って旅行に出た。私の旅行は、観光地を避け、ひたすら鈍行電車の仲で読書と昼寝にいそしみ、安い宿をみつける、というものである。いままではいったん宿にはいってから暇つぶしに困ったが、コンピュータを持ち出せばなんでもできるわけだ。

考えてみれば最近の私の楽しみは全てコンピュータ上でできることばかりだ。ホームページ製作、メールの読み書き、会議室の読み書き、それにJavaの勉強である。

最近どうも本当に他人様が私のホームページを読んでいると知って愕然としている。(だったらホームページなんか作るんじゃない、という本質的な指摘をしないように)Niftyの映画を扱うPatio(私的会議室のようなもの)からお誘いのメールをいただいたので、「どうやって私にメールをくれたんですか?」と聞いたら、なんと「ホームページを見まして。。。」ということだった。

その衝撃的な事実に気がつくとともに、、、、ホームページの改訂(というか推敲)を一生懸命やっている。コンテンツの題目もだんだん増えて行っている。内容が増えるに従ってBook Readerがだんんだん重要になってきた。スパゲッティをわかりやすく表示できれば、私のホームページも少しはまともなものになるかもしれない。

 

1998/5/15

今は米原のあるホテルでこの文章を書いている。ゴールデンウィークの旅行があまりにも快適だったために、調子にのってまたもやコンピュータを担いで旅行にでたわけだ。もっとも今回は一泊の旅行だが。

当たり前のこととはいいながら、最近アクセスカウンタは本質的に停滞したままである。過去10日間の私以外のアクセス数はおよそ2件だ。

えーい。こうなったらなんとかBrowserを仕上げて、Niftyserveで宣伝でもするか、、、と思い再びJavaを立ち上げてしょこしょこプログラムなど書き始めていたら、思いもかけないメールが届くことになった。

なんとNiftyserveが発行している「Nifty serve Magazine」に私の家のページを掲載したいので、その許可をお願いします、と依頼が来たのである。

世の中には奇特な人がたくさんいる、とはこの文章の中でなんども使用した言葉だが、こんなにも奇特な人がいるとは思わなかった。今回の特集でいくつのホームページを紹介するのか知らないが、いったいどうやって私のホームページにたどり着いたのだろう。

さてどんな紹介のされ方をするのかしらないが(多分数語のコメントと、表紙の画面-あんなものに意味がある気もしないが-であろうが)うまく行けば、またドキュメンタリーのネタが増えるというものである。

さて気の早い私は、「雑誌で紹介されると、私のホームページを訪問する人も増えるだろう。よしコンテンツの充実をはからなくては」と思い始めた。

まず私が強調したいところのDoc browserの名前を変えることにした。実のところ多少プログラムの機能を拡張した結果、「五郎の部」はほとんどこのプログラムでブラウズできるようになったのである。従って名前を"Site Browser"とした。また数々の実用的な機能拡張も「考案」した。しかしそこで(例によって)手は止まってしまったのである。プログラミングはある程度の力の余裕が無いと前には進まない。

これではいけない、と今度は文章をやたら書き始めた。「何故英語をしゃべるはめになったか」等を書いている間はよかったのだが、「そうだ。ちょっと難しい文章でも公開してみよう」と「35歳」を今度こそ公開するべく推敲を初めて。。。またもや「自分がどれだけ浅はかな人間で、それにもかかわらず見栄を張って難しいことを書こうとして、帰って自分があほだということを証明している」か認識させられることになった。

というわけで35歳が公開されるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。。

 

1998/6/11

さて季節は梅雨に入ろうとしている。この部屋は東向きに窓があり、夜明けと共に日が射し込む。美しいと言えばいえるのだが、晴れていれば朝はとても暑い。

従ってなんとなく雨に好感を持つ今日この頃である。

就職活動ものろのろと進んでいる。最近すっかり無職生活に慣れてしまった気がする。たとえば余命が3年だと言われたら、このまま働かずに一生を終えてしまうかもしれない。

さて最近コンテンツはしこしこと進行中だが、ほとんどの労力は「何故英語をしゃべらざるを得なくなったか」に費やされている。書き出した時はどれくらいの長さになるか特に考えもいなかったのだが、書き始めるといつまでたっても進まないことに気が付いた。文字数は増えて行くが、扱っている時間がなかなか前に進まない。ようやく米国留学の入り口に来たところだ。

こんなにたくさん書いて(あるいはたくさん書かなくてもだが)誰が読むのだろう?とふと考えることもある。しかし書き出すといろいろな事を思い出す。良かったことも悪かったことも

最近書き始めた頃に比べて多少キーボードの走りが快調になったような気がする。あるいは単にトピックが私にとって書きやすいものである、ということかもしれない。最初のころはしょあちほこばった難しいトピックを書こうと大分無理をした。結局私は難しいことを考えらえられるほど頭は良くないのだろう。

日毎のアクセス数を見てみると、コンスタントに一日一人くらいはアクセスしてくれているようだ。同一人物か、あるいは多数の人が代わりがわりにアクセスしているのかどうかは分からない。しかしありがたいことだ。

「顔を知った人には公開しない」のが信条だったこのホームページだが、最近だんだん顔を知った人がこのホームページの存在に気づき始めている。まず弟に見つかり、次に「依頼という名の強迫」によって姉にURLを教え、果ては元働いていた職場の友達にも見つかってしまった。

私のホームページを訪れた人の感想は7割方「たくさん書いてありますね。またゆっくり読んでみたいと思います」である。もっともこれは私の想像だがおそらくそう言ったほとんどの人はその感想を述べただけで、2度とここを訪れなかったのではないだろうか。まあそれが正常な反応と言うものだろう。

 

1998/6/22

最近アクセス解析のためのバナーをあちこちにつけ始めた。いつ頃、どんな人がアクセスしているのだろう?と疑問に思い始めたからである。

最初レスポンスの時間が早い、という理由から、米国のサイトでもってアクセス解析をやろうとした。ところが(これは二日後に気が付いたのだが)アクセス時間の表示が、グリニッジ標準時となっている。これでは日本のいつアクセスされたのか換算するのに時間がかかる。

というわけでGigaHit(http://jp.GigaHit.com/)というサイトで解析をするように変更した。無料である代わりにバナーに広告が表示されるが、今のところあまり気になってはいない。それよりもその解析結果はとてもおもしろい物である。今までアクセスしてくれた人がどこをよんでくれているのかわからなかったが、これで手に取るように傾向が分かるというものだ。

予想したことではあるが、一番人気は「私の体重グラフ」のようである。意外だったのは「著者近影」のヒット数が少ないことである。またこれまた予想したこととはいいながらアクセスしているコンピュータのosはWindows95が多い。。。Macintoshは自分でアクセスしたときだけだ。おまけに私の苦心の作、Site Browserは今のところInternet Explorer4.0でしか見ることができないのだが、ほとんどの人はそれとは違うブラウザを使用している。

コンピュータ業界の動向に関するデータだの解析だのは世の中に満ちあふれている。しかしこの解析結果はそれこそ「生」のデータであり見ていて興味はつきない。

Niftyのフォーラムで、行間を指定する方法を見て、あちこちに追加している。実際自分でも読みたくないような文書も、こうすれば少しは読みやすくなるだろう。そうすると今度は内容の方の問題がクローズアップされるわけだが。

 

1998/6/29

さて最近職探しの方が忙しくなってきている。一番大がかりでかつ時間を食うのは宇宙飛行士の応募であるが。。。これは「府中へ」をみてもらうことにしよう。

宇宙飛行士の健康診断に必要な視力の低下に愕然とした私はしばらくの間コンピュータの使用を極端に制限することにした。従ってしばらくこのホームページの更新は亀のようなペースで進むことになるだろう。

6/24にはNiftyserve Magazineに私のホームページが紹介された。選者のコメントは絶妙な物で、実に内容をよく見ている。あの雑誌があまり世間で出回っている気はしないし、あのコーナーを読んで、誰がわざわざURLを入力してくれるかなあ、、とかいろいろひねた考えを持っては見るが、嬉しいことは実に嬉しいのである。特に両親は喜んでくれた。私のプータロー生活にもなにがしの意味はある、ということか。

最近もアクセス状況の解析に余念がない。ここ2週間の傾向で明らかになったことは、大抵の人は、私が書いた合コンドキュメンタリーしか読んでいない、ということだ。エッセイの類は大変人気がない。まあしかし自分で読んでみてつまらない、と思う物を他人がどう思うかは考えるまでもないだろう。

もう一つおもしろい事実がある。現在合コンドキュメンタリーのHappyDaysは4章を掲載しているが、そのなかでダントツの人気が53章、すなわち「記録に残っている限りで一番悲惨な合コンの記録」なのである。やはり他人の悲劇というものほどハタから観ていておもしろい物はないのかもしれない。考えてみれば私だって「合コンでうまくいきました」なんていう他人の文章を読みたいとは思わない。

 

一日にアクセスしてくれる人は多くて二人だから、その人がどういうマシンを使っていて、ブラウザに何をつかっているかまでだいたい見当が付く。最初は世の中Windowsユーザーばかりかと思ったが、そうでもないようだ。68kのMacintoshのユーザーの数も結構あることがわかった。どのプロバイダから、どんなマシンで、何分くらい、どのページを読んでくれたか、、そうしたデータを見ていると、その人がどんな人かまで想像が及んでおもしろいことこの上ない。

さてこの次の更新時には、筑波での第一次選抜が終わっているはずだ。はたしてあまたいる神様はどれくらい味方についてくれるだろう?

 

1998/7/17

気が付いてみれば7月も後半にはいっている。光陰矢の如し、という言葉が実感できる今日この頃ではある。ここ1-2日涼しくて助かる。私の家はエアコンがないので、暑い日に日中部屋にいるのはとても苦痛だ。ここ数日は家でコンピュータに向かっていられる。

筑波の第一次選抜がどのような結果に終わったかは府中へに書いたが、就職のほうはようやく収斂しつつある。ゆっくりではあるが。。

このホームページを通じて新しい知り合いができるのはありがたいことだ。しかし先日ちょっと毛色の変わったメールをもらった。「私の体重グラフ」についてメールをもらったのだが、「ちょと変だな?」と思って一応お礼のメールをを送ったら、返ってきたのは「奇跡のダイエット食品」の売り込みメールだった。

「リスクなしですから安心。私はこれを使って6kg減量。女性から”明るくなったね”と評判です」という陳腐な文句が並んでいる。彼はおそらく検索エンジンを使って、「ダイエット」とかいうキーワードを探してメールを送りまくっているのだろう。ご苦労なことだ。多分マルチがらみだろうが、そこまでして努力をして果たして彼は成果をあげることができたのだろうか?

ここ数週間のヒット数解析結果というのは観ていてあきることがないときどきco.jpのドメインからアクセスしてくる人がいる。このページがあまり仕事中の息抜きになるような気もしないが、ありがたいことである。

時々非常に丹念に文章を読んでくれる人がいることがわかる。ありがたやありがたや。sanbi.co.jpから数日に渡って朝から晩までアクセスしてくれた人がいる。よけいなことだがちょっと心配になってしまった。仕事はうまくいったのだろうか。。あるいは仕事が一山超えて暇な時期なのかもしれない、、などと妙な想像をしているのは結構楽しいことである。

一日に平均して2人くらいいる「初めての訪問者」がどこから来ているのか、「リンク元解析」を利用してやっと判明した。Nifty Serveの会員ホームページ検索の「結婚・恋愛」のカテゴリーを使ってアクセスしているようである。最初Niftyの会員ホームページ検索を観たとき「ここに登録しても誰かアクセスしてくれるのだろうか」と思ったもんだが、なかなか捨てたものではないようだ。

 

1998/8/1

さて8/1と書いているが実は今日はまだ7月29日。今これを書いているのは下呂温泉のとあるホテルの一室である。

本来であれば今週の月曜日からもっと遠くに旅行にいくつもりだった。ところがFirst News(ホームページを紹介してくれるメールマガジン)に投稿していたのが月曜日に配信されたのである。

あちこちのホームページを観てみると、このFirst Newsというのは1-2日の間だけであるが大変効果があるらしい。どうなるか観てみよう、、と思っていたらだんだん出発が遅れてしまった。

さて結果であるが「表紙だけ見て帰る人が10人ばかりいた」というのが妥当なところだろう。カウンタだけチェックしていたのだったら「おお。すごい10も増えた」と喜んだかもしれないが。しかし紹介文に「駄文の山」などと書いてそれでアクセスしてみよう、という人が10人(ちなみに母数は5万以上である)いるというのはある意味驚きかもしれない。

会社からアクセスしてくる人が結構いるとは思っていたが、名前の通っている会社だけあげてもかなりの数になる。Sony ,NTT, ASCII,HITACHI,竹中工務店、TOSHIBA、NHK,三菱重工それにトヨタである。私だってもし会社からWebがのぞける環境にいれば、ちょっと休憩時間にふらふらしたあげく、こういうページに突き当たることがあるかもしれない。一人gooで"otsubo"というキーワードで検索して私のホームページにたどり着いた人がいた。英語で名前をつづるときは私は"otsubo"を使うが、この人が私のページにたどり着くことで、本来の目的を達成できたのか否かは不明である。

ちなみに全文検索型の検索エンジンで人名を入れて検索キーを押すのは結構暇つぶしにはなる。世の中にどれほど「大坪さん」がいるか、どのような立場か、など結構楽しめる。Yahooで検索してみるとなんかの新興宗教の教祖をやっている「大坪さん」もいるようだ。

さていきなり話が変わる。今までこのホームページの更新は1日、7日、15日、22日それに29日と「毎週更新、私の体重グラフ」の項に書いていたが、これから29日の更新は見送ることにした。考えてみればたいていの月では2-3日後に再び更新することになってしまうからである。

さて。最近作って結構ヒット数が多いのが「Hit数Ranking」である。しかし実はこのページを作るのは結構面倒だった。各ページのヒット数をランキングにしてくれるのは、アクセス解析をやっているGigaHitの方でボタン一発でできるから問題はない。面倒なのはそのデータを私のページにあるような表にするところだ。結構順位は入れ替わるので(母数が少ないから、一人丁寧に読んでくれる人がいるとたちまち順位は変動する)項目を上にやったり下にやったり結構大変だったのである。

こういう作業があると「よしプログラムを書いてみよう」と思うのが、元プログラマの習性である。早速Javaでしょこしょこプログラムを書いて、GigaHitのHit数の生のデータを読み込んで、HTML形式の表を吐き出すプログラムを作り上げた。これで表を作るのはらくちんだ。私が本当のUNIXのハッカーだったらおそらくシェルスクリプトで作りだすのだろうが、いかんせん私はUNIXユーザーでもないし(少なくとも今は)、シェルスクリプトをばりばり使いこなせるハッカーという人種でもないのである。

 

1998/8/15

さて最近私が愛しているアクセス解析であるが、8月6日に思い立って重遠の部の解析も行えるようにした。すると結構重遠の部にアクセスしている人も多いことが分かった。今までなんとなく五郎の部の方のアクセスが多いのではないか、、などと思っていたのだが、これまた根拠のない思いこみだったようだ。

五郎の部のHit数ランキングも改め、「大坪家のHit数ランキング」とした。8月に入ってからは五郎の部も伸び悩んでおり、重遠の部の作品も結構快調な出足を見せている。とはいっても母数が少ないから、数人読んでくれる奇特な人がいれば順位がころっとかわるのは相変わらずであるが。

6月15日からのAll time Rankingを見ていていくつか気が付いたことがある。「映画評」と「書評」を比べれば、当然「映画評」を読んでくれる人のほうが多いだろう、と思っていたのだが、なんと「書評」のほうのヒット数が「映画評」の2倍くらいある。著者近影は全くの不振だし、エッセイシリーズはドキュメンタリーに比べてアクセスが少ない(当たり前だ)そのなかで唯一健闘してるのは「英訳できない日本語」である。

 

8月11日からしばらく旅行に行ってきた。その間突然思い立って長野県の松本から塩尻の間を歩いた。およそ16kmの道のりである。当日は結構な日差しであった。

歩き始めてしばらく、頭に照りつける日差しをなんとかしなければ、という事に気が付いた。当然某帽子など持ってきていない。そこでふと思いついた。最近手ぬぐいを頭に巻いている人をよくみかける。手ぬぐいなら持ってきていたのである。これを頭にまいてみると大変具合がよろしい。

昔の剣道の日本手ぬぐいをまくときの癖で、最初は眉の上のへんに巻いていた。10kmほど歩いて、さすがに疲れた。最近は日本全国大抵のところにはコンビニという便利なものがある。そこにはいると気温は低く別世界のようだ。トイレにはいって手ぬぐいでも濡らすか(こういうことをやるとオトイレを本来の目的で利用する必要はなくなる。水分は全てからだからでていくからだ)と思って鏡を覗いて驚いた。眉の上のへんにきれいな日焼けの線ができている。

考えてみれば世の中で手ぬぐいを巻いている人はみな私よりも上のほうで巻いているようだ。うーむ。やはりあれには理由があったのか、、と思いながら手ぬぐいを濡らしてまき直した。

それからまたしばらく歩いた。手ぬぐいをいい加減に巻いているので、首のへんには手ぬぐいの端がひらひらしている。しかしこれがまた首筋に照りつける日光を遮り、かつ濡れている間は首筋を冷やす効果があって具合がいいことに気が付いた。考えて見れば戦争映画の中にでてくる日本軍は帽子の後ろにひらひらの布をつけているではないか。あれにはこういう効果があったのか、、しかしどうして同じ場所で戦った米軍や英軍はつけていなかったのだろう。。。

 

妙な事を考えながらだんだん足は重くなっていった。しかしよくしたもので、数kmごとに必ずコンビニがあり、涼しむとともに飲料水の補給ができる。荷物はかついでいるがたかが10kgくらいだ。そして履いているのは固い軍靴ではなく軽いナイキの運動靴である。

塩尻につくと、目に付いたホテルにチェックインし、ベッドの上にひっくりかえった。なんという恵まれた環境だ。これが数十年前だったらこの数倍歩いた上にいまごろは塹壕堀りでもしていることだろう。日焼けはひどく唇には水泡ができている。しかし翌日歩くかどうかは私が決めればいいことだ。そうなれば必ず安きに流れるだろう。

 

第2次大戦関連の本を読み始めたのは多分中学か高校のころにまでさかのぼるのでは無いだろうか。それからいろいろな本を読んで考えれば考えるほど勉強したい範囲は広がり、発散していくばかりだ。

今までに一番印象深かった8月15日は大学3年の時のものである。当時所属していた空手の本部合宿に参加して、帰ってきたのがこの日だった。その合宿には黒帯をとりたい一心で参加した。ろくな技もないのに。そして合宿の生活はビンタが無いことを除けば本で読んだ軍隊生活をどことなく思い浮かべるようなものだった。朝は暗いうちから起床して隊列を組み、歌を歌いながら浜辺に行進していき、ひたすら練習をする。帰りは駆け足で食事の準備。ちょっと要領が悪くて苦情がでればたちまち「指導」という名の「制裁」が待っている。

腹がへるはずなのだが、のどがはれあがって飯ものどを通らない。かといってご飯を残せばこれまた厳しい叱責を受ける。移動はすべて隊列を組んで行進。点呼のおまけつきである。体を使った練習でない時間は、輪を組んで歌を歌ったり、「精神訓話」をうけたりする。一日のうちに自由にものが考えられる時間は、消灯してから眠りにつくまでのごくわずかな時間だけだ。

それもこれも黒帯をとるため。それまではこの合宿に参加しさえすれば黒帯が取れるというのが定説だったのだ。ところが黒帯目当てのへたくそがあまりに多くなったためだろう、この年から落第者がたくさんでるようになった。当然私もそこにはいっていた。

軽い脱力感と共に帰ってきたのは8月15日だった。私の下宿のあった高田馬場は学生街であり、特にお盆にはみな里帰りして人気がなくなる。その町を一人で歩いた。たったの数日であるがばかばかしい恐怖とつきあった。その結果何が得られたわけでもない。全くの無駄足と言うこともできるかもしれない。その結果として体は疲れ切り、精神も疲労の極みに陥ったが、とりあえずここにちゃんと立っている。肩を落とすわけでも胸をはるわけでもないけれど。

 

私は他の人が違う時代にどのような体験をして、何を考えたか理解することなどできはしない。ましてや自分とは50年近く違う時代に生きた人の経験などはぼんやりと想像することしかできない。しかしそれでも時々はそうした人達の事を考えたりすることもある。

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注釈

世の中には奇特な人がたくさんいる:トピック一覧)世の中自分が思っているよりもはるかにバラエティに富んでいるということなのかもしれない。それに対して人間は一般化がとても好きである。本文に戻る