題名:Morning Train

五郎の入り口に戻る

日付:2001/9/9


会社にはいって何年経った頃からか知らないが、早寝早起きになった。

「何時に起きるんですか?」

「5時かなあ」

「すごいですねえ」

と言われるが、寝るのも早いのだから別にすごいことでもなんでもない。単に睡眠時間がずれているだけだ。

なぜこんな時間帯で暮らすようになったかと言えば理由はただ一つ「通勤ラッシュを避けたい」から。車で通勤しているときから渋滞というのは大嫌い。時間ばかり費やしちっとも前に進まないではないか、いらいら、というところなのだが、これが電車通勤となるとさらに困難は増す。というかあの電車にのって毎日会社に行く人は一体どうやって生きているのかと不思議に思う。ああラッシュはいやだいやだと思っていると

「電車が空くのは何時か」

と考え乗る電車が早くなる。次には立っているのがいやになり

「確実に座れるのは何時か」

などと考えていくとはてしなく電車に乗る時間は早くなっていく。おまけに私は大変な小心者なので

「早く行かないと列車に遅れるのではないか」

という強迫観念も加わり、起床時間はもっと早くなる。実のところ毎日駅につくのは列車が出発するきっちり10分前なのだが、家を出る時間、ひいては起床時間を変える気にもならない。

さて、この朝の通勤-駅に向かったり電車に乗る時間というのは時として気が重い時間でもある。なんたってこれから会社に行くのだ。会社に行くと仕事が待っているのだ。私が大嫌いな仕事が。また日によっては会議が待っているのだ。私がこの世で多分下から何番目かに嫌っている会議が。ああ、きっとまたあのわけの解らない言葉の応酬が続くのだ。いやだいやだ。

こんな事を考えているとだんだん気が滅入っていく。気分だけならまだいいかもしれないが、心と体は一体の物であるが故になんだか体調まで悪くなっていく。多分これは私だけではないと思うのだが、とくに晴れた休日に出勤するときなど、電車の中で

「ああ、このまま電車を降りず、行ったこともない終点まで行ってしまうわけにはいかないか。」

と考えるのはよくあることではないのだろうか。しかし私は考える。ここで私が何を考えようが行く手に待ち受ける会社も会議も消えてなくなるわけではない。であれば「今」うだうだ考える事は無駄ではないだろうか。

こう自分に言い聞かせると私は少し安心する。そうだよ。今は会議じゃないんだから好きな事をすればいいんだよ。そう思い本など読み出すのだが、ふと気がつくと

「ああ、今日は二つも会議が」

などと考えている自分に気がつく。ああ。会議はその時間以外にも私の心の平安を奪っていくのか。ええいここで何を考えても、、などと思考はぐるぐる回るばかりでなんともならない。

この「通勤時の憂鬱」との戦いは長年続いており、いつ終わるともしれない。会社を首になり仕事が見つからなくなるまで続くのかと思っていたある日私は一つの解決策を見いだした。

まず深呼吸をする。頭を今以上に空っぽにした後、おもむろに自分にこう言い聞かせるのだ。

「私は明日の朝絞首刑になる」

目をつぶり数度自分にこう言い聞かせる。そんな目にあういわれはない、などという言葉は虚しく宙に消える。世の中には理由も何もなく自由を、そして命を奪われた人で満ちて居るではないか。

目を開ける。ああ、この光景も見納めか。もう2度と見ることもないのだ、そう思うといつも見慣れた-本当は見てもいないのだが-通勤の風景が光り輝いて見える。先ほどまで頭の中に渦巻いていた会議などはとるにたらないこと。残り少ない時間。そんな事に気を使うのはばからしい。大切な時間だから楽しいことを考えよう。

そう思ってみればこの風景はなんと興味深いことか。いつも電車から見る小径。あの先には何があったのだろう。朝焼けのまだ暗い中にぼんやり見えるストリップの看板。昨晩あれほどきらびやかに見えたネオンは消え、サビが浮いたその姿も何かを考えさせるではないか。あそこにも一度行けばよかったなあ。ああ、あそこにもあんな面白い看板がある。行ってみれば良かった。きっとそこには何か果てしない脱力を誘う物があるに違いない。私はそれが何であるかを知りたい。明日の朝までにどれだけの事を見聞きし、そしてできうれば文にしたいとも思うのだ。

 

これは真面目に書くのだが、この「暗示」が発揮する効果に私は驚いた。あるいは自分のだまされやすさに驚くべきなのかもしれないが、とにかく効果覿面である。かといって調子に乗って何度も使っていると、いかな私でもだまされなくなるのではないか、という心配は無用。私はだまされやすいばかりでなく、物忘れがひどい人でもあるのだ。

さて、朝早く電車に乗るのは通勤の時ばかりではない。時々実家のある名古屋に帰るのだが、その時は始発の地下鉄、始発の新幹線を使う。これまた昔はもう少し遅かった記憶もあるのだが、同様の脅迫観念に襲われだんだんと早くなり、もうこれ以上早くなりようがないところまで来てしまった。

始発の電車というのには2種類の人間しか乗っていない。すなわち私のようにこれからどこかにでかける人と、帰る人である。そして帰る人を見るのはなかなか興味深い。

私の前に座っているのもおそらく仕事からの帰る人だろう。その女性はフラメンコの人のような格好をしている。髪の毛は金髪だが、おそらくアジア人。そしてなにやらメモ帳に書き込んでいる。靴はなんと呼ぶのかしらないが、ひもでもって足をボンレスハムのようにしばるやつだ。ごそごそとその編み目を直すのが彼女が椅子に座って行った最初のこと。

それに見とれていると彼女の両膝にあざのようなものができてることに気がつく。なにやら跪く職業なのだろうか。さらに腕とくるぶしに傷のようなものがあることにも気がつく。あの傷はどうしてついたのか。暗い中では誰もそれを気にしないのだろうか。

その隣に朝帰りとおぼしきサラリーマン二人連れ(ネクタイをしめて鞄をもっていればサラリーマンだと思うのは偏見というものだろうか)が座っている。彼女の横に座った男はなにやら印刷物を眺めているのだが時々彼女が書き込んでいるメモ帳をのぞき込む。その気持ちは私にもよくわかる。ところであなたは何故首にネクタイだけではなくスカーフを巻いているのですか。

そんな疑問をよそに彼女と首スカーフのサラリーマンは仲良く寝はじめた。とはいっても地下鉄の座席であるから何を想像してもいいというわけではない。単に居眠りをしている人間が並んでいるだけだ。口をあけて平和そうに、と書きたいところだが彼女の表情はどこか緊張感をたたえたたまま。一方スカーフサラリーマンの寝顔は無邪気というより阿呆のよう。だんだんと彼女のほうによりかかっていくが、彼女も同じ方向に体が傾いているので体が接触することはない。彼と彼女の顔は同じ角度で右に傾いている。視線を横に移すと私の隣に座っている人が見える。彼も彼女の方を見ている。

 

ふと、鞄からノートパソコンを取り出しこんなことを必死に書き留めている自分に気がつく。無駄な事だったかな。いや大丈夫。明朝の刑執行までにこれをアップするくらいの時間はある。

 

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注釈