題名:短歌行

五郎の入り口に戻る

日付:2002/5/12


私は滅多に酒を飲まない。いや、別に酒が嫌いとかそういうわけではない。飲むときは楽しくあってほしいといつも思っているのだ。であるからして、不機嫌になることが多いこの世であればいきおい飲む機会も減ってしまうというもの。

あるいは

「そうした浮き世のつらさをしばし忘れるために酒を飲むのだ」

と言う人もあろう。しかし私の場合、不機嫌な状態で酒を飲むととてつもない悪酔いに陥ってしまうのだ。酒は進まず、憂鬱な気分は増大し、帰ってから2時間ほどうとうとしたと思えば夜中に目が覚める。体中の関節まで痛み出し、つまるところは夜明けまで一睡もできずのたうち回ることになる。もう若くない身であればこうしたことはさけたいもの。

今日はその私が出席する数少ない宴会だ。主催は私のボス。前の職場であれば、ボスが主催する宴会に出席することなど考えられなかった。長年「職場の宴会」というものに出席して思い知ったのだ。冒頭

「今日は無礼講で行こう」

という男ほど自分は無礼に振る舞い、自分に対する礼には普段以上に、あるいは普段からの不満を含めてうるさくなる。

「酒の席だからお互い腹を割って話そう」

という男は自分の腹は割るが(腹など割って見えるものがまともなものであるわけはない)こちらの腹には一瞥もくれない。普段の取り繕った顔が消えエゴが表にでてくるだけ始末が悪い。

酒が更に進めば話は乱れ、つまるところはどこにきれいな女がいるとか、「仕事の心得」に関する説教とか。そうした時間が延々と過ぎたあげく、帰り道は同僚から

「あんなんじゃだめだよ。みんなついていかないよ。俺は前からおかしいと思ってたんだよ。」

と上司だの職場だのに関する演説を聴かされることになる。こんなところでくだまいている位ならしらふの時になんとかせい、と心の中でつっこみを入れること数十回。それを言葉にしたところでどうせ聞きはしないから耳と心に栓をして家路を急ぐことしかできないのが常なのだが。

今のボスは少し変わっている。

「短く足早に過ぎ去る人生であるのにつらいことはいくらもある。こういう憂さを晴らすには酒が一番だなあ」

とか言いながらぐびぐび飲んでいる。そのせりふがどうした、という人は社会にでてから酒を飲んだことがないとしか思えない。仕事がつらいと言いながらその実無駄な仕事を心から愛する。短い人生と言いながらそれを更に無駄に-部下のそれは特に重点的に-することに意欲を燃やす。意識的にか無意識にか知らないがこうした物の考え方をする人が昇進するというのが組織というもの。しかるに今のボスからはそうした言葉と心根の乖離が感じられないのである。

ボスが話している声が耳に入ってくる。昔からの仲間とつらかったこと、楽しかったことを話している。共に働けることを喜び、そして君たちとならどんな高い山も越えよう、どんな深い海も犬かきで泳ごうなどと言っている。何を馬鹿なことを、と思うところかもしれないが、このボスの場合はそうやって笑い飛ばしてはいられない。言ったことを本当にやってしまう人なのである。山を越えると言えば本当に越えるし、クビだと言えば本当にクビをとばす。

平たく言えばこの人の酔ったときの言葉はそのまんまなのである。ほとんどの人は酒で耳目をふさぎ、あるべき心の片方を曇らせて普段押さえつけている屈折した心を押し出す。酔いが醒めればそれを後悔したり取り消したり。そうして弱く小さい自分を守るのが人というものなのだろう。であれば、心のそのままを表に出せるというのはよほどの無神経かよほど自分に対して自信を持っているのかどちらかではないか。そしてしばらくこのボスと働いた今であれば、どうやら後者の方が真実に近いのではないかと思われるのだ。

そんなことを考えているうちに宴はたけなわとなり、恒例行事の時間がやってきたようだ。誰からともなく足を踏みならし始める。そのリズムは文字にすれば

どん どん しゃー

となろうか。リズムがそろったところで皆が声を合わせ歌い出す。

君也少年
作大騒音
遊於路地
成偉大人
塗泥顔面
大不名誉
蹴缶歌唱
我岩石君

最後の「我岩石君」が何度も繰り返され、場はますます盛り上がる。足を踏むもの、手をたたくもの、飛び跳ねるもの、それぞれの内に持ったものが爆発を続けているように。これを歌っている間は上も下も何もない。それぞれが好き勝手な事をしているのだがリズムはそろっている。その様子はここ数年急成長したこの集団の姿にどこか重なる。

歌はまだ続いているが用を足しに中座する。歩きながら考える。あのボスと飲んでいるといつしか自分の中にある才が出口を求めているよな気分にさせられる。それはあたかも頭の中で 100 人の論客が議論しているような。周りの人間にまでそう感じさせるとは、ボスの中にはいくつの才がうごめいているのか。

しかし外の冷たい風に吹かれていると思い出される。そのボスの中にぽっかりと空いている「穴」を。それは時として大きく、時として小さく。その穴に落ちた人間はそのまま姿を消してしまう。最近採用された者、昔からの同僚、一人の時、数万人の時。クビが一気に飛ぶのだ。その穴がどこに空いているのかいつ空くのか、私にも誰にもわからない。ボス自身にも解っていないのではないかと思う事もある。しかしそうした場合であってもボスが言ったことはなされる事。そこにはなんのためらいもない。

この一風変わったボスの下での生活がどのくらい続くのだろう。確かに緊張感とやりがいには事欠かない。しかし、、時々どこかに一人でふらっと行ってしまいたい願望に駆られるのも確かだ。このボスから離れた時に自分に何ができるのか知りたい。私は何者なのか。用をたしながらそんなことを考える。隣に何かが来たと思った瞬間、でるものが止まった。

隣で音がする。声は聞こえないがそれが誰かは解っている。私の体は硬直する。しばらくしてそれは立ち去った。大きく息をつく。ボス-曹操孟徳、いかに宴を楽しんでいても、その人に隣に立たれては出るものも出ない。爆発する宴にこの冷ややかな瞬間。手に持った物は一気に縮み上がってしまい残りを片づけるためにはしばらくまたねばならぬ。

廊下に出てため息をつく。

かくのごとき小心者であるならば自分が何者であるかなどと疑問を持たず、このままここで暮らしたほうがいいのかもしれない。

これでいいのだ

そうつぶやくと歩き出す。「我岩石君」と歌いながら。宴はまだまだ続く。

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注釈

「飲めや歌えや雑文祭」参加作品である。設定された縛りは

なお、いわゆる「縛り」として、 次の条件を満たす文言・語句を文中にいれてください。

1. 「頭の中で 100 人の○○が××しているような」。
ただし、○○や××は好きな語句をいれて構いません。

2. 決め台詞。
「誰もが知っている」決め台詞。 マニアックなものには誰のセリフかわかるようにすること。

この「酒に関する歌」という言葉を見たとき反射的にこの「歌」が頭に浮かんだ。そのさわりを

  短歌行   曹 操
對酒當歌 酒に対しては当に歌うべし
人生幾何 人生幾何ぞ
譬如朝露 譬えば朝露の如し
去日苦多 去日苦だ多し
慨當以康 慨しては当に以て康すべし
幽思難忘 幽思忘れ難し
何以解憂 何を以て憂いを解かん
唯有杜康 唯だ杜康有るのみ

などと意気込んだのはいいのだが、いざ書こうとするとキーボード上の指が全く動かない。これは少し考えねば、、とおもっているうちに思いついたのがこれ。ちなみに文中にでてくる漢字4文字の羅列はQueenのWe will rock youを意識したものである。

ちなみに「誰もが知っている」決め台詞は「天才バカボン」のバカボンパパの台詞。はて、決め台詞とはなんぞや、と頭をひねったあげく頭に浮かんだのがこれだけ、というのは結構なさけないかもしれない。