題名:a day in my life

五郎の入り口に戻る

日付:2001/12/9


目を覚ますと、一時間十分寝過ごしていた

でもいいのだ。今日は休み。また寝よう。私は寝るのが好きです。二度寝はもっと好きです。夢うつつの脳裏を意味のない考えが飛び交う。幼い頃母が言いました。寝るより楽はなかりけり。寝る子は育つ。寝る中年は太る。私はデブ。まあこんなにお腹が大きくなりまちたねえー。

何を馬鹿なことを。一人っきりでつい茶目っ気を出してしまうと気分はますます落ち込んでいき、それに反比例して目が覚める。いかん。まだ起きる必要はないのだ。ここは自分でも気を失うほどのくだらないことを考えねばならぬ。

夏目漱石の坊ちゃんにでてくる清はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のときに零落して、つい奉公までする様になったとのこと。ということは元は士族の出だったのだろうか。清は士農工商という身分制度にどのような気持ちを抱いていたのだろうか。いや、後に坊ちゃんは街鉄の技手になったのだから、工は士の次にくるに違いない。清にとっては士工農商。いや農の下はすでに真っ暗闇、夜と同じだったやもしれぬ。にとっては士工農夜。ああ、これはこのサイト始まって以来のフォントいじりかもしれぬ。苦しい駄洒落の為なら己の物書きとしての魂まで売り飛ばすというのか。いえいえ、私がフォントのサイズを変えないのは自分にその才がないからでございます。立派な信条ではございません。おまけに私は自分に魂があるかどうかもわかりません。ええい、貴様にロックの魂はないのか。えっへへ。あっしでがすよ、おっぺけぺー。だんだん妄言も意味がつながらなくなってきた。

しかしなんとなくわかるのだ。自分が何をしているのか。それは年に数日ある「こんこんと眠り続ける日」だった。数日とは何日だろう。12月の24日、2月の14日、夏の花火、ベタベタの恋愛映画、やったなぁこいつぅ、ほほほ捕まえてごらんなさいよ。誕生日、親戚が集まる元旦、正月と言えば盆。あれ、なんで盆に眠らなくちゃいけないのだろう。そうか、暑いからだらけるんだ。暑い中彼女の肩に回した手には蚊がたくさんとまる。なんのかゆみなど。君の為なら僕はいつまでも眠り続けよう。あれ、なんだか足がかゆい。蚊でもいるのかな。

こうした考えが浮かぶこと数時、この日人の世は彼にやさしくないかもしれないが、自然は安息という恵みをもたらそうとする。脈絡のない言葉がいくつかぼんやりとした霧の中に消え再び彼は眠りに就くのだった

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注釈

クリスマス雑文祭」参加作品その2である。この雑文祭がスタートしたのは12月2日の午後8時。私はいの一番に参加登録をした。

しかしそれからの日々は私にとって明るいものではなかった。次々と発表される作品を見るにつけ

「友がみな我より偉く見ゆる日よ」

という心境だったのである。いじわるばあさんの番外編、いじわるな犬の漫画ではこの後犬は腹いせに猫をいじめる。しかし私にはいじめるべき猫もいない。

筆力が及ばないのであれば、無理な設定をやめ、せめて短くしようと書いたのがこの文章。半分Documentaryと言ってもいいかもしれない。改めて文章として読んでみると救いようがないようにも思えるが事実は動かしがたい。ではお休みなさい。