題名:Java Diary-56章

五郎の入り口に戻る

日付:2004/12/3

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Goromi-Part7(UIST2004)

UISTは朝8時半に始まる。昨日の夕方デモ会場と思しき場所をようやく発見したのだが、顔を出そうとすると「2階」と言われる。2階にはRegistrationのDeskがあるから、彼らは私がRegistrationの場所を探していると考えたのだろう。私が探しているのはデモ会場なのだがまた顔を出しても「2階」と言われるだけであろう。しょうがないからそのままにしておいた。というわけで全ての準備は今日しなくてはならない。そんなに手間はかからない筈だが、それは全てがうまくいっての話だ。そして経験が教える所によれば「全てがうまくいって」なんてことを初めからあてにするのは愚か者のすることだ。

というわけで準備もうまくいくか、、などと考えているうちに基調講演、発表と続く。それを聞いている内にだんだんびびってくる。参加者は200名余り。WISSと同じ規模だと思うが、違うのは発表後の質疑応答が活発な事だ。発表が終わると3本並んだマイクのところに人が立ち始める。がんがん質問が飛びそれに答えが返る。2年前のWISSの後「WISSももう少し質疑応答が充実しないと」と書いていた人がいたが、その意味がようやく分かった気がする。そして今質問をしているのと同じ人たちが私のデモを観て何か言うわけだ。

ではその質問が飛ぶ対象の発表はどうかと言うとこれがまたどれも力作揃いに思えてくる。後から気がついたのだが、どうも一日目にはそうしたものが集まっていたようなのだが、私の「通勤電車プロジェクト」との差異はどうしたことか。いや、大丈夫。一応査読を通過しているんだから、と自分に言い聞かせるが本当に大丈夫だろうか。

「この学会にこんなものを持ち込むんじゃねえ」

と誰かに文句をつけられないだろうか。いや、きっとそれほど暇な人はいないよ、と自分に言い聞かせてはみるが米国の学生って議論好きそうだしなあ。

いや、それも楽観的に過ぎるのではなかろうか。そもそも私が米国に来たのは数年ぶり、つまり英語で説明したとして相手に解ってもらえるという保証はない。昨日米国についてからと言う物、相手の問いかけに対してとっさに言葉がでない状態に悩まされていたのである。聞き取りはなんとかなっているようだが、しばらくもにゃもにゃ言った後でないと返答ができない。こんな調子でNative speaker of English相手に説明ができるものだろうか。

などと考えているとだんだんApplyしたことを後悔し出す。目の前で続いている学生の発表についてCool!という言葉が聞かれる。誰か一人でもいいからCool!と言ってくれないかなぁ。でもこんなことを考えていること自体傲慢な証かもしれない。

いや、大丈夫。いざとなったらプログラムのセットアップして、使い方を紙に書いてとんずらしてしまってもいいではないか。実際去年のUISTで「いつ観てもデモの場所にいない日本人」もいたそうだし、今年の初めに行った学会でも同じく「何度デモの場所に行ってもいない日本人」もいたし。そうだよ。あの英語もろくに分からないのに、グループの取りまとめをさせられた日々を思い出せばまだましな状況じゃないか。

とかなんとかうだうだ考えている間に、その日の発表が終わった。あと一時間でデモセッションの始まりだ。一旦部屋に戻り荷物を持つとデモの部屋に向かう。

学生ボランティアと思しき男が座っており、「そこらへん観て、自分の題名が書いてある紙があれば、そこが発表の場所だから」と言われる。つらつらと眺めていくと、、、ここだ。荷物を置き機材を出したりつなげたりやりだす。ふと手が震えているのに気がつく。WISSのデモの時もかなり怖じ気づいたが、デモの準備が始まる頃には「なるようになるさ」と開き直っていた。しかし今日はその「開き直りの神様」も味方になってはくれないようだ。しかし手が震えようがなんだろうが今や前に進むしかない。

全ての機材をセットアップし、それなりに動いていることが確認できると一息つく。山ほどもってきた(そして抜けだらけの)バックアップシステムの登場機会がない、というのは歓迎すべきサインだ。などと考えていると白人男性が近づいてきて

「こういう小さなプロジェクタを待ってたんだ。これなら簡単にあちこち持って行けるよね。」とかプロジェクタをほめ出す。うん、どこか日本のメーカーが造ったんじゃないかな、とか答える。「もう一個持ってない?」とか聞かれるからSorry Not.と答える。ほめてもらえるのはプロジェクタだけか。プロジェクタが映しているものにコメントはもらえないのか。

とにかくにも一段落したので他の人の発表をじろじろ観る。同じく準備が終わったところを観ていたら、説明しましょうか?と聞かれる。日本語でどうぞ、と言うと相手はひとしきり説明してくれる。(NTTの人だった)お返しにこちらの説明をする(日本語で)あまりうけない。「うちにも似たような物がありますよ。○○○ーでこういうことをやっているのですか」と聞かれる。

この「似たような物」とは根本的に違う物なのだが私はうまく説明できない。二つ目の質問に対しては

「いやー、基本的には通勤電車プロジェクトでして」と答える。あともう一度日本の学生さんに説明したときは同じ台詞に「会社員はつらいですな」と付け加えた気がする。

さて、まだ人はこない。というわけで何か飲み物はないかとふらふらする。昼から緊張のあまり何も口にしていないしトイレに何度か行っている。そのせいもあってか喉がからからに渇いており、声がかすれている。もともとひどい英語がこれではもっとひどくなる。しかし飲み物が見つからない。部屋の隅に食べ物のコーナーがあり、そこにスイカがある。Water Melonという位だから水の代わりになるだろう。皿に一杯とるとばきばき食べ出す。

そのうち最初の人がやってきた。こうなってはもうしゃべるしかない。ぺらぺらと喋るが相手は何か怪訝な顔をしている。どうやらノートパソコンの液晶の角度が悪く画面が見えなかったらしい。画面を傾けると

「ああ、ようやく何をいっているか解った」

と言ってくれる。一通り説明すると「これはどこで使うんだ。Coffe Shopにでも置くのか?」と聞かれるからそんなところだろうね、と答える。そもそも何に使うのか、という当初からの懸念点を質問されたわけである。うん、Coffe Shopとはいい表現だ。今度からそう言おう。

その後何人かに説明する。Cool、 Neatとは言ってくれるが今ひとつ実感がこもっていない。私の限られた米国での経験からすると、米国人の形容詞というのは、それを日本語に直訳した場合に比べ、2段階くらい程度が誇張されていると考えて間違いない。日本語で

「ふーん」

が米語で

"Cool!"

になっていても不思議はないのだ。などと考えている間にも人はぽつぽつとやてくる。ある人からこれは論文発表するのか?と言われる。いやデモだけだといいつつも、そう思えてくれたことに感謝する。そうか、今日の発表を聞いていてとても論文には手が届かないと思っていたけど、そうも思ってもらえるわけか。そのうちPhDの学生とおぼしき一団がやってきた。

彼らに一通り説明すると、いきなり自分たちの名前を入力し始めた。(それまで自分で入力してみよう、という人はいなかったのだ)するとどうもそれなりに正しい結果がでてきたようで彼らは喜ぶ。これは俺の指導教官で、ああ、この写真はオヤジだ。その中で中国語と思しきページがあり、ユニークな形をした自転車の写真がでてくる。何だこれは?と聞けば、俺がデザインした自転車だ。サイトに載っているとは知らなかった、と答える。Google knows so much about you.と言う。これはどこでダウンロードできるのか、と聞かれるから

「いや、まだ日本語のダウンロードページしかないのだけど、日本に帰り次第英語のページ作るよ」

と答える。相手はJust give me card といわれる。名刺を差し出す。Ego-Searchの結果表示された情報からすると彼らはColumbiaの学生らしい。

そのうち彼らの仲間が入れ替わり立ち替わり現れてEgo search-自分の名前をGoogleにつっこんで何が表示されるかを観る-がはやりだす。アジア人とおぼしき男女のペアがやってきた。彼らが名前を入力すると一人はシドニーに住んでおり、もう一人はどこに住んでいるかは知らないけど、ベトナム人であろうことが推察される。

この頃に成るとこちらもそれなりに調子がでてきて、というか誰にも罵倒はされない事がわかり(考えてみれば当たり前なのだが)変な発音ながらぺらぺらとしゃべりまくる。そのうち誰かがビールの瓶を持っていることに気がつく。そうかどこかにあれが有るわけだなと思い外に出れば小さなバーのカウンターができていた。ビールをもらいそれをラッパ飲みしながら説明に戻る。相変わらず「解る人には解る。解らんやつには解らん」と行った反応だが、時々こちらが説明しなくても

「なるほど、情報量が多すぎる時に、こうやって情報を眺めて行くわけだね」

とポイントを理解してくれる人がいる。今こうして書いていれば、そのとき相手がどんな言い方をしたかを覚えておき、後で使えば良かったのだが、多少酔いが回っていることもあり、同じ説明を繰り返す。

そのうち一月に出席した学会で観た女性が来る。説明しろ、といわれるからぺらぺらとしゃべると「うちにも似たような物がある」と言う。いや、それとは狙いが違うのだが、というが不幸にしてその意図は相手に伝わらない。それでも「資料を送れ」と言われて名刺をもらった。このお姉さんは多少中国語のイントネーションがある英語をものすごい勢いで喋りまくるので、応対するのに疲れる、と思うところだがこちらも酔っぱらっているのでへらへら笑いながら「じゃあ送るよ」と言う。

そのうちお姉ちゃんが来る。私が説明を始めると、「お腹へってるからまた来る」と言う。飯はあっちだと言う。とか行ってももうこないだろうな、と半ば思いながら他の人に説明を続ける。人がとぎれたところで他のデモを見にいく。あまり突拍子もないものはないが、いくつかおどろくようなものがあった。最初は「英語で聞くのも説明されるのもやだな」と思っていたが、ビールが2本目になる今となっては通じようが通じまいがとにかくわーわーやっている。

自分の場所に戻ってしばらくするとさっき「お腹が減ってるから又来る」と行ったお姉さんが戻ってきた。一通り説明すると妙に感心してくれる。とてもほめてもらえる。Information designを12年やってDrの専攻を変えたところだという。これはまさしく目指していた物だと言われる。最小限の情報だけに絞っていると。なんとかいうデザインの巨匠(IBMのロゴをデザインしたらしいが)がおり彼は

”削って削ってこれ以上削れない、というところまで削りなさい”

と言ったとかなんとか。そう考えれば今回のGoromiは確かにコントロールも表示項目も限りなく削っている。それでいて観て何か面白いというところに彼女は感じ入ってくれたのかもしれない。

私は思わず

You don't know how happy you made me.

と言った。いや、今日の発表とか他のデモとか観て本当にナーバスになっていたんだよ。そう言ってもらえて本当にうれしい。彼女はDon't listen to them. この方向でがんばりなさい、と言う。

デモが始まる前、何度か自分にいい聞かせていたことがある。過去に何度か経験したことだが、大きな喜びは深い谷と必ずセットでやってくるのだ。そしてこれまた事実なのは深い谷が来たからといってうれしいことが待っているとは限らないことである。

今こうして当日の事を思い出しながら書いてみると、ほめてくれたのはほんの数人だったことに気がつく。しかしそれだけでも私には十分だ。

彼女が去りまた一団が来てEgoSearchをやっている。盛り上がっているから私はあちこちふらふらしだす。戻るとアジア系米国人に説明をする。ふむふむ、と聞いてくれるが最後に「これは何に使うんだ」と聞かれる。そうだね、Coffe Shopに置くとかAmbient Displayにするとか、そもそもこういう場合に使おうと思ってるんだ、と私がソファに寝っ転がっている写真を見せる。相手は苦笑いする。Hey, I am seriousと言うだけの心の余裕ができている。

ふと気がつけば人が減ってきた。デモの中には片づけを始めているところもある。ただ私の場所では何人かが立ち話をしているから放っておこう。またバーに行く。そろそろウーロン茶、いやソフトドリンクでも、と思ったがええい、こんなにご機嫌なことは滅多にないのだ。マルガリータを頼む。ちびちび飲んでいるうちに人がいなくなった。ぱたぱたと片づける。

部屋に戻る。かなり遅いが、パソコンに向かったり、TVを観たりする。数年に一度の事だが何よりも睡眠時間を愛している私が

もう少し起きていよう

と思うことがある。それが今日のようだ。

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注釈