題名:Java Diary-52章

五郎の入り口に戻る

日付:2004/10/16

目次に戻る


Goromi-Part3(Papers)

このサイトに存在している膨大な文章をちらちら読んで頂くと私が「英語をしゃべらざるを得ない」立場にあることが分かる。総計2年10ヶ月米国にいたおかげで、聞くことと喋ることは昔に比べればできるようになった。しかし英語で文章を書くことは大の苦手のままである。Stanfordの英語学校で「英文を要約しろ」と言われたのに、何故か元の英文と同じ長さになってしまうことなどざらであったし、今でもきっとそうだ。(ただ誰も私に英語で要約文を作ることを強制しないだけで)

英語で論文をごそごそ書き出す。進まないから放り出す。気を取り直して書き出す。参考にしようと去年のUIST論文を観る。落ち込んで放り出す。でも落ちてもきっと良い経験になるよ。最初からうまくいかないとしても、とにかくやってみないことにはいつまでも「最初」のままなんだしさ、と自分に言い聞かせる。脳内がにぎやかになるだけで英文は進まない。こんな調子で時間だけが過ぎていく。

何か参考になるかと思い「UIST 論文」と書いて検索をしてみる。するとある人が「UISTに論文を出したが落ちてしまった。英語に問題があったらしい。"This paper can only be described as a presentation disaster."とかReviewが返ってきた」と書いているのを発見する。自分がそう言われたわけでもないのにどっと落ち込む。ああ、きっと私も同じ目に遭うに違いない。そうだよなあ。Reviewされるってことは文句をつけられてもしょうがないってことなんだよなあ。などと嘆いていてもしょうがないから少し書く。ああ、どう考えてもこの英文はおかしい。おかしいことは分かるけど自分でちゃんとした文を書くことはできない。よよよよ、と泣き崩れてしばらく知らんぷりをする。

論旨はだいたいまとまったのだが、論文のほうはいつまでたっても収束しない。実は春先にある男が同じように海外のConferenceに論文を出そうとした。冒頭のAbstractが完全に冗長になっており、初歩的な間違いがたくさんあるのを見たところで

「これはあまりにも英語に問題がある。もうちょっと見直して別のConferenceに出しては」

と突き返した。今となっては自分のあの行為があまりに身の程知らずで傲慢であったことを思い知らされる。などとえらそうな口をきく君の書く英文はどうなのだね?ああ、ごめんなさい。私が悪うございました。

などとやっているうちにとにかく締め切りが迫ってくる。まず社内で「こんなの投稿しようと思いますがいいっすか?」とお伺いを立てる。社内ではこれは仕事だと思われていないし、それ自体には何の価値もないと見なされているからすんなり許可がでる。しかしまだ英文を直さなくては。時々「これでいい」と思うのだが、翌日読み直してみると愕然とする。などとやっているうちUISTのデモを投稿するサイトがオープンした。どんな調子だろう、とアクセスしてみると

UIST 2004 Demo : Past dead line

とかなんとかでてくる。それを観た瞬間私は唖然とする。何だ?まだ7月の初め。締め切りは7月14日の筈だぞ。しかし何度観てもPast Dead Lineとでてくる。

しばし呆然とした後複雑な感情がこみ上げてくる。あれほど「出してもきっと落ちるし、厳しいレビューを受けるのは怖いなあ」と思っていたのだが、まさか不戦敗になるとは思わなかった。不戦敗。その事実をかみしめていると「どうせなら出しておけばよかった」という気がしてくる。

しかしいつまでも嘆いていてもしょうがない。他に何か出せるところはないかしら、、と観ていくと、Ambient Intelligence Conferenceというのがヨーロッパで催され、そこでもDemoの募集があるらしい。うむ。よくわかんないけどこちらに出せないだろうか。締め切りも28日だからまだ先だし。と思い投稿の準備だけをする。しかしその直後に気がつく。締め切りは7月の28日だと勝手に思いこんでいたのだが、実は6月の28日だった。ということはもうすぎているのだ。うむ。こちらも不戦敗か。しかしその割には投稿サイトはまだ動いているように思える。

ええい、駄目でもともと。とにかく投稿してしまえ、と決心するとちょっと変更したバージョンを造り上げる。しかし考えれば考えるほど無理がある。このConferenceの趣旨と私が作ったプログラムは合致しないのだ。しかし適当に理屈をこじつけるととにかく投稿してしまう。返ってきた番号は15.もしこれがそれまでに投稿されたデモの件数を表しているとすれば、結構少ない件数だから何かの間違いで通るかもしれない。

さて、そうこうしている内にUISTのデッドラインである14日が迫ってくる。しかしどう考えてもPast dead lineってのは納得できないようなあ。問い合わせのメールを書いてみようかってまた英文か、などと考えているうちサイトから投稿できるようになる。ううむ。まだ早すぎたというわけか。本来ここで喜ぶべきなのだろうが、また元の状態に戻り「きっとぼろくそに言われたあげく没なんだろうなあ」と考え出す。などとうだうだ考えながら投稿要領を観てみると、ビデオが投稿できるとある。うむ。下手な英文であれこれ書くよりも、とにかく動いているところを観てもらったほうがいいだろう。そう考えるとなんとかGoromiが動いているところをビデオに収めようと悪戦苦闘し出す。結局手持ちのカメラ(しかもとても小さいやつだ)で画面を撮影し、説明の字幕を入れ-これはMacのiMovieでやったらすぐできた。説明音声ではなく字幕にしたのは発音がおぼつかないからだ-準備は完了。さて、と論文を見直すと、ああ、またこんな変な文章が。えいえい、と書き直す。

しかしそうした作業にも終止符を打たなくてはいけない。とにかく投稿しないことには何もおこらないのだ。サイトからあれこれやると投稿ができた、という通知がくる。番号は109.なんだこの莫大な数字は。まあどう考えても通るわけないよなあ。

それからしばらく論文については忘れていた。7月の終わりのある日、パソコンを立ち上げ届いているメールを読み出すと

"EUSAI 2004 Status of Demo 15"

という題名が目に入る。そのそっけなさからして「ああ、落ちたな」と思う。中を読んでみれば

"We regret to inform you that it was not possible to find a place for your submission in the conference programme. "

そこから下は読んでいない。ううむ。やはり無茶だよなあ。その昔Operations Researchに出すのと同じ願書をちょっとだけいじってMechanical Engineeringに出したら落ちたけど、あれを思い出す。やはり無茶はいけません。いや、それも言い訳か。単に内容がだめだったせいか。

などと頭の中であれこれ考える。落第というか不合格通知というのは自分のなかでいかに理由をつけようと受け取ってうれしくない。しばらくしょんぼりする。こっちが落ちるくらいだから当然UISTもだめだよなあ。今年度になってから

「海外の学会に行くときは発表するか、最低でもApplyしないとだめ」

というルールを勝手に作ったのだが、Applyしておいて落ちてのこのこ行くのもなんだか気が引ける。となるとどうしよう。Intelligent User Interfaceという学会では結構とんでもないデモ発表も合格していたからあちらに出してみるかなあ。。没になったOpen Mind Databaseとの結合を売り物にすれば、とも思うが自分があまり役に立っていないと思う物を発表するのもいやだ。

などと考えているうちに別の論文の締め切りが近づいて来た。そちらに出すためにはかなり機能拡張をせねばならず、、、ということなのだが、そちらについては章を改めて記述する。とにかくお盆休みは来たりそしてすぎた。そういえばUISTから何もいってこないなあ。

連休明けというのはとかく気が重い。重いのだが実は私が働いている会社は連休中に引っ越しをしており、机の周りには荷物が山積みであるからしてそれを片づけねばならぬ。適度に片づいたところでパソコンの電源を入れる。どうやら無事に立ち上がってくれたようだ。どさどさ届いているメールの中にこんな題名のものがあった。

"8/13 UIST Video Deadline"

題名を観て毛が逆立つ。中を読めば

"Congratulations!"ではじまり「DemoをAcceptすることにきめたよーん。そのうち正式な通知があると思うけど、取り急ぎVideoをDVDにのせたければ20日までに送ってね。締め切りが近いから早めに連絡したよん」という内容である。

私はしばらく喜んだ。これで通勤電車プロジェクトの結果も世界デビューだ。しかし翌日になり、さらに二日三日とたつにつれ疑り深くなってくる。どうもおかしい。正式な通知はまだ来ていないし。おまけにもらったメールには私の個人名も論文の名前もはいっていない。つまり同報で多くの人に送っただけで何かの間違いという可能性もあるわけだ。いやそうに違いない。そのうち

「ごめんね。手違いで送っちゃったけど、実は間違いでした。これにこりずUISTには参加してね。お詫びの印に参加費10%OFFにするからさ」

とかなんとかメールがくるに違いないのだ。

さて、そうした疑念がほぼ確信に変わった頃メールが届いた。

"UIST04 Posters, Demos, and Doctoral Symposium notification - #109"

から始まるメールには私の論文名も名前も入っている。どうやら本当に通ったらしい。ほっと一息ついたのだが、メールの後半に書いてあるReviewerのコメントを読むのは怖くてできない。しばらくそのままにしておいたのだが、今度は最終原稿を提出する期限が迫ってきた。そうなるとやはりコメントを反映する必要がある。であれば勇気をだしてコメントを読む必要がある。おそるおそる読んでみると3名のコメントがあり、5点満点(たぶん)で点数をつけているらしい。一人が2点、一人が3点、もう一人が4点である。これからするに合格ラインぎりぎりだったのではなかろうか。

いくつか「うむうむ」とうなずく点があったが、その中に

「少なくともAbstractは英語がもうちょっとましな人間に書き直してもらえ。読めないことはないが間違いがたくさんある」

と書いてある。ううむ。やはりそうであったか。すいません。すぐ書き直します。あれこれ考えた末インターネットで見つけた翻訳サービスに添削を依頼する。頼んでから24時間で訂正された原稿が返ってきた。中を見ると確かに

「読めないことはないが間違いがたくさんある」

ことがわかる。日本語に置き換えて言えば助詞の使い方を間違えているとか、意味は通じるけど普通使わない言葉を使っているとかだ。そう考えるとセイン・カミュとか日本語上手だよなあ。などと感心している場合ではない。添削結果を反映すると最終原稿として提出する。

ほっとしてコメントを読みかえしてみる。2点を付けた人も4点を付けた人もそれなりに納得できる内容だ。そのうちこういう感覚は久しぶりだということに気がつく。今働いている会社では指摘の99%は

「お客様の言葉を使いお客様のロジックで理解できるように書け」

というものだ。お客さまは何よりも「技術」という言葉が好きだ。しかし彼らから「技術的に意味がある(と私が考える)」コメントをもらうことが実に希なのはおそらく私がお客様の言葉をきちんと理解していないせいだろう。それにくらべこのコメントのまともなことはどうだろう。

そうした機会がもてることが幸せであると考える他ないのだろう。そして記述は少し前に戻る。もう一編の論文とそれを書くための機能拡張についてだ。

前の章 | 次の章


注釈

落ちた:ここらへんの様子は「留学気づき事項」参照のこと。本文に戻る