題名:流されて

五郎の入り口に戻る

日付:2002/3/1


午後

ご飯はどこで食べられるのやら、と思い車を走らせる。ここが一番にぎやかな通りのはずだ、と勝手に思いこみ、であればご飯を食べるところの一軒 くらい、とおもっているとラーメンなる看板が目に入る。私はあまり外でラーメンを食べないのだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。他に店はな いのd。それにラーメン以外にも何かあるだろう。

中にはいってメニューを観る。なにか変わった物はないかと思うと「ホーロー丼」とかなんとかそういう名前がある。これは何かと聞けば野菜のあんかけに豚の角煮をつけたものをご飯の上にかけてあるとのこと。私はご機嫌になりそれを注文する。

店の中には建設現場かなにかの作業員らしきグループが二つほどいる。TVではオリンピックの開会式をやっている。こういうエンターテイメントを やらせたときに米国の右にでる物はなかろう。などと考えてはみるのだが、そんなにまじめに観ているわけでもない。その昔フランスで冬季オリンピックをやっ たときには実に奇妙だったなあ。しかしフランスがやると

「ひょっとするとハイセンスなのかもしれない」

と誰もが思い「なんだこれ」と誰も言い出さないところがいいところ。などと思い出にふけっている間にホーロー丼が運ばれてきた。食べてみるとご 機嫌においしい。豚の角煮はおいしく、野菜もたっぷり。毎日食べたいくらいだが、まさかこれを食べるためだけに船でここまでくるわけにはいかない。旅先で おいしい物に出会える、というのはうれしいことなのだが、反面悔しいことでもある。

さてお腹がふくれるとさっそく車を走らせる。目的地は八丈島歴史民族資料館。ついてみるとなんとも趣のある建物だ。なんでも旧八丈市庁舎跡を改 装したものということだが、変に近代的な鉄筋の建物よりずっと好ましい。すぐ横になにやら意味のわからない四本の煉瓦造りの柱がたっており、別に何の説明 が付いているわけでもない。後で読んだパンフレットから想像するにこれは「行幸記念碑」なのではなかろうか。しかしこの四本の柱と天皇陛下にどういう関係 があるかは未だ謎のままである。

中にはいると昔の教室のような部屋に展示がされている。ある部屋には昔の暮らしぶりが展示されており、なんでも八丈の主要産物(こんな言葉があ るかどうか知らないが)である黄八丈(私が何度かみた黄色い布だ)は女が織るため、家庭の主導権は女が握っていたのこと。なんといっても金を稼いでいる人 が強い。さて家事はどちらがしたのだろう。そちらも女がやったとなると男はまるでひも状態である。当時父親の権威なるものは果たして存在したのだろうか。

そんなことを考えなが部屋を回る。ここにも昭和天皇がいらした時のことが大きく書かれている。この小さな島でどれほど大きなニュースであったのだろうか。飛行機から天皇皇后両陛下が降りたときに万歳の声があがったと言うがなんとなくそうした心持ちが解る気がする。

さて、一番奥の部屋には私が一番知りたかった流人の展示がある。関ヶ原の戦いで善戦してしまった宇喜多秀家が流されてきてから流人が来るように なったとのこと。私が知りたかったのは元々すんでいた人とそうした流人達の関係だったのだが、流人達は島の中では比較的自由に生活できたようで、島の人た ちともごく自然に交流がなされていたようだ。そりゃ現在の尺度でも刑務所にはいって当然と思われるような罪をおかした連中も多かったのだろうが、単に幕府 の政策と相容れなかっただけで流されてきた人たちも多かったのではなかろうか。文化人もやたらと流されてきたため、八丈島の文化発展に貢献したとも書いて ある。考えてみれば流人一号の宇喜多秀家からしてが、立派な元殿様なわけだ。時利あらず虜囚の身となっただけで。

仮に現代においてこういう事をやったらどうなるか。かりに刑務所を作ってそこからでれないようにしたところで、「島民の反対運動」が盛大に巻き 起こることであろう。罪人を平和な島に送り込むとは何事であるか。そのうち島民だけでなく人権擁護団体からアムネスティからスパイスガールズからなにから 集まってきて収集のつかない騒ぎになるに違いない。

他のグループ相手に説明している人の声をそれとはなしに聞いたところによると、流人は結婚しては、だめよ、と規定されているとのこと。ただし平 和のうちに女と一緒に住むのはありだそうな。かくして子供までもうけ平和に暮らしているところに恩赦とか釈放との知らせが届く。夫は万歳だがおいていかれ る妻子供はたまったものではない、と書いてあるのだが

「あんな男とはおもわなかった。一日も早くでていってほしい。役人さん。なんとかなりませんかね。保釈嘆願ってできるんでしょうか」

と言った現地妻だってきっといたに違いない。

かくのごとく平和な生活ができる罪人生活だから、判決言い渡しの時に「八丈島行き」と言われると罪人の顔に生気がもどったのとのこと。それでも やはり故郷を離れ島からでられないというのはつらいことだったのだろう。脱走を企てた人たちや反乱を企てた人たちのことも記録されている。なんだかいろい ろな人間の物語がありそうで、誰か八丈島流人生活を描いた小説やら映画でもつくらんかなあと思うが私が知らないだけでもういくつも作られているのかもしれ ない。

さて一番の感心事である流人の歴史がわかると外にでる。あまりに見事なその建物を写真に納めたところでデジカメのバッテリがアウトになった。き ちんと充電していおいたはずなのにこんなに早くなくなるとは。思うにバッテリ自体の寿命がつきているのではなかろうか。まあしかたがない。

次には宇喜多秀家の墓と南原千畳敷を目指して車を走らせる。とはいっても狭い島だからすぐである。なぜか宇喜多の墓の場所がわからない。まあ いっても墓石があるだけだから気にしないことにする。千畳敷は見事な眺めなのだが風が強くあまり外で観ていられない。しかしここで私は興味深いものを見つ けた。

いつかだろう。私が廃墟なるものに興味を持ちだしたのは。ふとしたことから「廃墟」というキーワードで検索をかけてみるとインターネット上に廃 墟の写真を掲載したサイトがいくつもあることに気がつく。ああ、世の中はかくも廃墟に満ちていることか。そこから情報を得て廃墟と化した横浜ドリームラン ドとかに行ってみたこともあるのだ。明るく楽しい場所であるべき遊園地が廃墟となっているのはなんとも異様な感じだ。

さて、海岸に背を向けてみると何かの廃墟がある。近づいてみるとこれが立派な廃墟だ。壁にはなにやらサイケな絵が描いてあるところを観ると何かのクラブではなかったかと思う。隣接しているのはこれまた廃墟と化したテニスコート。近くには

「なんとか観光は嘘をつくな。金を返せ」

などという小さな看板が立てられている。中に入ると缶コーヒーが半ばさびて何ケースもおかれている。その荒れようはもうそれはそれは立派な廃墟である。

思わず写真をとり「大坪家の書庫は今日から廃墟サイトです」と宣言したくなるほどだが、いかんせんデジカメはお亡くなりになっている。歯ぎしり ながらその場所を後にする。さっき行った民族資料館には過去に八丈島を観光の島として売り出そうとした時のことが書かれていた。なんでもその昔楽しみの少 ない島の娯楽として闘牛が催されており(この闘牛というのは牛と牛が戦うものであり、人間がオレーと言ったりはしない)その後観光用として行われるように なったが観光の衰退とともに闘牛も廃止されたとある。また別のところでは八丈島を

「日本のハワイ」

として売り出そうとしたとも書かれていたような。確かに気候は温暖だし、この千畳敷の風景などマウイ島のどこかでも観てもおかしくない。しかし八丈島はあくまでも八丈島だ。そのころいったいどのような試みがなされたのだろう。誰かが

「第一回八丈島フラダンスコンテスト」

をやろうとか言ったかもしれない。いわなかったかもしれない。こうした記録は放っておけば消えてしまうだろうからいつの日か私が成功裏に引退した暁には

「今から考え観ればおかしいけれども、当時はまじめに取り組んだ試み」

でもあれこれ調べてみたいと思っているほどだ。

さて、その場所を後にすると最後の目的地、八丈富士に向かう。なんでも登山口からくるまで上りぐるっと一週できるルートがあるのだそうな。しかしその前に八丈島空港に着いた私はあることをやりだした。

そこにはきっと灰色の公衆電話があるにちがいない。この灰色電話はパソコンを接続できるので重宝するのだが、人口が少ないエリアではあまりみかけなくなる。今晩泊まる場所に灰色電話があるとは限らないからあるところで接続しておこうと思ったのである。

中にはいると期待通り灰色電話が。さっそく接続してメールをチェック。特に急を要するものはないようだ。その昔一人旅をしていると

「もし今実家に何か起こったとしても私が連絡を受けるすべがないではないか」

などと思った物だが、今やIT革命のおかげでメールで情報を受け取ることだけはできる。携帯電話の方が確実で迅速なのだろうが、私は未だに携帯を持っていない。

さてメールチェックがすむと坂道をひたすら登り出す。同じ道を歩いて上っている一団もいる。私は根性なしだから足で上るなど思いもよらない。そ れどころかそのうち車で上るのもいやになってきた。なんだか上ったところであまりたいしたことはないような気がしてくる。そうした想念で頭がいっぱいにな ると車をUターンさせ下り始めた。もうホテルに行ってしまおう。

ホテルがあるのはそこから北の方にしばらく走ったところ。例のあまり頼りにならない旅行代理店のお姉さんが「ここは評判がいいんですよ」と言っ ていたが確かにご機嫌なホテルだ。一泊二食つきで一一〇〇〇円。温泉などにいくと同じ値段ではるかに貧相な部屋に泊められるが、オフシーズンと言うことも あり、部屋は広くベッドは三つもある。別に三つあったからといって何ができるわけでもないのだがとりあえずゴージャスな気分になる。荷物をかたづけるとや たらと眠くなった。さっき八丈富士に登る気が失せたのはつまるところ睡眠不足のせいであったか。考えてみれば昨日の晩あまりよく眠っていないのである。

しばらくして目覚めた。部屋の中の備品をあれこれ見出す。案内に

「パソコン接続は部屋の電話のジャックをご利用いただけます。八丈島は離島特別措置により、東京方面への料金がおやすくなっております。また公衆電話よりもお部屋の電話のほうがおやすいです」

などと書いてあり、私は再び歯ぎしりをすることとなる。不安定な公衆電話の上にパソコンを置き、減っていくカード度数を眺めながら接続するなん てことは不要であったではないか。まあよい。観なかったことにしようというわけでお風呂に向かう。温泉ではないのだろうが、広くて快適。おまけに露天風呂 まである。一日に二度も露天風呂に入るとは贅沢なことよなあ、と思いながらもなかなかご機嫌。離れたところには道など見えるが例によって「観るなら観ろ」 の精神で気にしないのである。風呂からあがると食堂でご飯を食べる。席の配置からするに一人で来ているのは私だけのようだ。これまたご機嫌に食べ終わると 部屋でTVをみたり、パソコンをかちゃかちゃやったり。パソコンかちゃかちゃなど家でもできるではないかと言われればその通りなのだが、まあいいのであ る。

翌朝ホテルを後にしレンタカーを返す。おじさんが言うには昨日は大繁盛で一七台も出した。でも今日はあんたを港に送っていって、あと一台受け取 ればおしまい。この商売盆と正月だけが客がいてあとはやることがない、という。じゃあ他に商売持ってるんですかと聞くと小さな売店をもっているがあとは車 の整備をしているんだという。それで生活が成り立つのでしょうか、と聞くわけにもいかないから黙っていた。

乗船の時間となり人が三々五々歩き出す。おとといと比べて人はずいぶん少なくがらがらである。今日は「船が出航したら位置をかわっていただいて 結構です」なんてことも言われず皆好き勝手なところに寝転がっている。例によって毛布を借りる。くるときに「2枚借りればよかった」と後悔したこともすっ かり忘れ、一枚だけ借りた。その後しばらくはぎしりして己の愚かさを呪っている間に眠ってしまった。

帰りはずっと昼間なのだが、別にやることがあるわけでもない。もうこれ以上は眠れない、というくらいに眠るとあとはごそごそ動き出す。行きに

「気持ち悪くなるのではないか」

と思い見送った今川焼きを食べてみるとなかなかおいしい。揺れは適度にあり歩いているとふらふらする。しかし幸いにも気持ち悪くなったりはしない。船室はがらがらであり、特に一番船底に近い部屋などは数人の貸し切り状態。大きな音をたてTVでオリンピックなどを見ている。

本を読んだりあれこれしていたが、そのうちパソコンが使いたくなった。この時期私はあるプログラムの作成にとりつかれいたのである。仕事の合間 などをぬってひょこひょこ作っているのだが、今こうして時間が山のようにあり他の事ができないときに、プログラミングというのはなんと適していることか。 しかしいかんせんそれまでも結構使っていたのものだからバッテリが心許ない。どこかコンセントは無いか、と思い船室をうろちょろする。

そのうちおそらくは掃除用と思われるコンセントがあるエリアを見つけた。他には誰もいない。文句を言われたらそのとき、と開き直りぱたぱたキー をたたき出す。そのうち女性二人組が入ってきてTVを見始めたようだ。そろそろつきます、というアナウンスがあり、私が荷物をもっって立ち上がるとまるで 招かざる侵入者であるかのように私を見た。こちらとしては何もやましいところはないし後から来たのは彼女たちなのだが、そりゃいきなり私のような得たいの しれない中年男がでてきたら驚くわな。そそくさとそこを立ち去る。

あがってみると東京湾の明かりがきれいだ。みんな外にでてあれがこれが、と話している。私もしばらく見ていたが寒いので中にはいった。まもなく 船を下りると今回の旅行はおしまい。やはりこちらはとても寒い。今まで引退したら、暖かい沖縄移住を考えていたが、八丈島でも良いのかもしれない、などと 馬鹿な事を考えているうちに明日からはまた仕事なのだが。

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注釈