題名:2001年のゴールデンウィーク

五郎の入り口に戻る

日付:2000/5/22

夜行列車 | 江田島 | 旧海軍兵学校 | 四国にて | 旅の終わり


四国にて

さて、少し落ち着くと船内の見物である。とりあえずトイレに行く。洗面所には何故かいつもコンセントがある、そこで試してみようと思っているから荷物一式を持ってである。

いきなりパソコンを取り出すとごそごそプラグを差し込む。この洗面所を通らないとトイレにははいれないからじゃまなことおびただしい。船員とおぼしき人が一人

「すいません」

とか言い私の脇を通ってトイレにはいる。しかしじゃまだろうがなんだろうが私の方はとにかくMacintoshが目覚めてくれる事ばかり願っている。祈るような気持ちで電源キーを押す。何か音が聞こえたような気がする。しかし数十秒後私は冷徹な現実というのに直面することになる。船の中は騒音に満ちており、私が聞いたと思った動作音はその騒音の中から自分が希望するものを耳が勝手に編集して作り上げたものに過ぎないのだ。私はプラグを抜くと本来の目的-すなわちトイレに入った。

席に着くとしばらく考える。あのコンセントは人が使うため-おそらくは電気かみそりかなにか-のためについているはずだ。給電されている確率は高いと思われるにもかかわらずパソコンは沈黙したまま。これはいったいいかなることか。これは本当にPB2400が故障してしまったのかもしれない。松山には果たしてパソコンショップはあるだろうか。しかしそれよりも心配なのは私が出したメールの返事だ。それが

「忙しいから暇はありません」

だったら問題はない。しかしもしそれが肯定的な返事であればどうなるか。相手は待てど暮らせど返事の来ない私を恨みながら連休を無為のうちに過ごすかもしれないではないか。そんな事態はさけたい。しかし相手にどうやって連絡をとれと言うのだ。いつもメールでやりとりをしているが、パソコンなしではメールを送ることもできないではない。仮にインターネット喫茶だか電気屋の店頭に展示されている端末が使えたとしても相手のアドレスはいったいなんであったか。@の左側に関してはちゃんと覚えている自信があった。(ちょっと変わった名前なのである)相手が使っているプロバイダも知っている。しかし途中に存在しているアルファベット3文字の組み合わせだけがどうしても思い出せない。ええい。何かの映画じゃあるまいし全てのアルファベットの組み合わせを試してみることなどできないし。

そのうちあることに思いついた。その人への連絡先-電話番号だが-というのは、実はネットで検索できる場所にあるのだ。つまり自由に使えるインターネットに接続された端末さえあれば、なんとか連絡はつく可能性がある。不幸にして2400が立ち上がらない場合でも最悪の事態は避けられるかもしれない。さて、問題です。松山に漫画喫茶With インターネット接続もしくは店頭でインターネット無料体験をさせてくれる電気屋はあるでしょうか?これは行ってみないとわからない。同じく2400の電源トラブルに悩まされながら行った沖縄ではいきなりインターネット喫茶を発見して驚いた。沖縄にあるのだから松山にあってもおかしくはないではないか。

そこまで考えがまとまったところで私は眠りについた。朝から睡眠不足を感じていたがようやく眠る事が出来る。船は素晴らしいスピードで走っていく。揺れは少なく快適だ。外は曇り空だからどうせ見る物もない。

 

目が覚めると松山に入港するところだった。船をとんとんと下りると松山、道後温泉行きバス、という文字が見える。船着き場の前からバスが出ているようだ。乗り込むとまたぼんやりする。しかし今度は寝るわけには行かない。ここは見知らぬ土地であり、どれだけ乗れば松山駅に着くか定かではない。走るバスに揺られながら外をきょろきょろ見る。ここのバスは乗るときに整理券を取り、走った距離によって値段が変わる仕組みだ。こういうシステムの場合、いったい自分がいくら払うべきなのかいつも疑心暗鬼にとらわれる。お釣りのないように金を用意していても、料金表がごろっと変わってしまえばそれまで。しかし今日は運転手さんが途中で

「主なバス停までの料金をお知らせします」

と行ってくれたのでそうした恐怖からはかなり開放された。かといって眠ってしまっていいわけではない。そのうち松山駅前に着く。さて、問題はこれからだ。

雨がぱらぱらと降り始めている。しかし私はなぜだか知らないが傘を使うのが嫌いなのである。まずは駅の観光案内所で宿を探すかと思ったのだがふとみれば行く手にビジネスホテルがある。まずはここで聞いてみるか。そう思いカウンターで

「今日一人一泊できますか」

と聞けばあっさり

「はい。ご用意できます」

という返事。値段も安いのがありがたい。しかし私にとって尚ありがたいのは、とにかく信頼できるコンセントが手に入ることだ。部屋にはいるとコンセントを探しさっそく差し込む。電源キーを押すが何もおこらない。やっぱりかと思うが、まさかこのコンセントに電源が入っていない、という落ちじゃあるまいなと思い、隣のコンセントからのびているスタンドのスイッチを押してみるが、、、つかない。なんだこれはと思い部屋の入り口を観るとなんだか鍵を差し込むところがある。どうやらあそこに鍵をつっこんでひねらないと電源が入らないらしい。

鍵をつっこむと、電気スタンドのスイッチを押す。今度は好ましく明かりが点灯する。これでもう言い訳はできな。スタンドのコンセントを抜くとそこにパソコンのACアダプタをつっこむ。電源キーを押す。何も起きない。

 

しばらく座り込んで呆然とする。やはり電源が入ってくれない。何かがおかしいのだ。しかし座り込んでいてもしょうがない。もうやることは決まって居るのだ。パソコン屋を、あるいはインターネット喫茶であるか電気屋であるかとにかくインターネットを使える場所を探す。とにかくパソコンをかついで外に出る。

数歩歩いたところで周りを見回し呆然とする。どうしろと言うのだ。この駅前から見えるのは牛丼屋が一軒。私はその牛丼屋をみて変な感慨にとらわれていた。松山に来たのは記憶に間違いがなければ20年前。大学受験が終わって発表までの間に四国に旅行に来たときだ。それまでものすごい僻地ばかり回っていたので(私は昔から変わり者だったのだ)松山に来たときは

「ああ。久しぶりの平野。久しぶりの都会」

と感動したわけだ。その感動の象徴がこの駅前から見える牛丼屋であり、私は迷うことなくそこにはいってしまった。当時そこは吉野屋だったはずなのだが、今目の前にあるのは看板の色は同じだが違う名前だ。

などと牛丼屋の思い出に浸っている場合ではない。何が問題かと言えば、ここからは牛丼屋以外、特に店が見せない、ということなのだ。思うによくあることだが、駅の場所と繁華街の場所が少しずれているのだろう。となるとここからしばらく歩かなくてはならない。

というわけで、最も繁華街の雰囲気が強い(一応地図は観たのだが)方向に歩き出す。しかしインターネット喫茶も電気屋もある気がしない。いくらなんでもこうやってデタラメに歩くというのは無理があるか。となればハローページか何かで探して歩き出すのが賢明と言う物か。

そう思うとまた駅に戻ってやり直しである。近くの電話ボックスに入るとハローページをめくる。目にはいるのは「Macintosh専門店」の宣伝だ。おお。これはすばらしい。とにかくここに行ってみよう。もっとも本体が故障している場合、ここに行ってもなんともならない

「2週間後に取りに来てください」

と言われてもなんともならないのだ。しかしもしACアダプタが故障している場合であれば、店にあるであろうものと交換すれば原因が判明するだろうし、新しいアダプタを買うこともできるかもしれない。それに同じMacintoshユーザーのよしみから少しくらいインターネットを使わせてくれるかもしれないではないか。

かのような勝手な妄想にとらわれるとさっそく次の行動だ。その店の電話番号と住所を書き取ると電話ボックスを出る。そしてタクシーにその住所を告げ、とにかく行ってみようかと考える。しかしちょっと待て。だいたい今日開いているかも定かではないではないか。後から考えればここで正気に戻ったのは幸いであった。まず電話をしてみよう。そう思い再び電話ボックスに入る。ぽんぽんぽんとキーを押す。呼び出し音が聞こえる。しかし13まで数えても相手はでない。小さな店であろうから、店員が忙しいのかもしれない。それからしばらく待ってみて(ただハローページの色々な所を読んでいるだけだが-おお。本当に祈祷師などという項目がある)またかける。しかし誰も出ない。

しょうがないから外に出る。となると今日できることはあまりない。ハローページをめくりインターネット喫茶なるものがないかと探してみたが、膨大な喫茶店の中でどこがインターネットが使えるところかどうかもわからない。しばし呆然とした後我に返る。よし。こういう時はとりあえずご飯だ。

そう思うと駅に向かう。最初に目に入ったカレー屋に入って「当店おすすめ」という文字が着いているハンバーグカレーを頼む。店にいるのは無愛想な女性。彼女は私の席から87cm離れたところに黙ってカレーを置いてさっさと次の客のカレーを作り出した。

私は米国の至る所で遭遇するチップをという制度を大変嫌っている。なんといっても面倒だからだ。Stanfordに行ったとき、最初の英語学校でこの事が論議になった。あれは面倒だから嫌いという日本人の生徒相手にInstructorは言った。

「だってチップがあるとサービスに対する評価ができるから便利よ。気に入らなかったらチップ置かなければいいんだから」

しかし小心者の私にはなかなかそこまで思い切れない。チップを知らない奴と思われても困るし。まあこれが米国というものなのね、と思いいつもチップを置いている。それどころか

「ケチな奴」

と思われるのがいやでいつも余分に置いているのではなかろうか。こうした日本人のチップ恐怖症を逆手にとってからかわれたこともある。アリゾナの砂漠の中で車のタイヤを交換してもらったときのことである。請求書を見せられてあれがこれだけ、これがあれだけと説明された後

店員:「知ってるか?ここにチップを足さなくちゃいけないんだよ」

私:「(うんざりしながら)何%払うんだ?」

店員:「20%くらいかな。。。冗談だよーん」

かくの通り私が嫌って止まないチップなのだが、ほんの時たま「日本にもチップ制度があればいいのに」と思うことがある。このときはまさしくそうだった。

しかしここは愛する日本なのだ。となれば気持ちを切り替えてハンバーグでも食べるしかない。食べ終わると駅の方をぶらぶらする。すると数m行った先にけったいな丼を出している店があることに気がつく。95cm明後日の方向に(おっと。さっきから距離が増している)カレーを置く店などよりここで食べれば良かったと思っても後の祭りである。

こういう日はおとなしく部屋に帰って布団でもかぶってねるに限ると思いホテルに戻る。先ほどのMacintosh専門店にまた電話をしてみるが誰もでない。思うに彼らも連休をとっているのではなかろうか。電源キーを押してもMacintoshはうんともすんともいわないし、事態はなんともならない。まだ午後5時。このゴールデンウィークには観たい映画が何本もたまっている。こんな日は映画でも観るかと思うのだが、なんだか妙に体が重い。なんだかんだと考えているうちにぐてっと寝てしまった。今下手に寝ると夜に眠れなくなるから困るなとか思いながら。

目が覚めると午後の11時である。あらまあ。よく眠ってしまったこと。お茶など飲みながら考える。困ったなあ。これじゃあ眠れなくなってしまう。などと考えている間にまた眠くなってきた。くてっと寝ると翌朝の6時まで目が覚めなかった。12時間は眠ったことになる。

 

翌朝ホテルで朝食を取ると駅に向かう。松山から今日の目的地である高松までの間には特急が出ている。私は最近指定席が取れるときには指定にすることにしている。しかしそう告げると意外そうな声で駅員に

「指定にするんですか?」

と確認されたので予感がした。乗り込んでみると確かにがらがらだ。自由席であっても横になって眠れるような状況である。まあ買ってしまった物はしょうがない。何時間だか知らないが外を見たり居眠りしている間に高松に着いてしまった。

さて、高松に着くとさっそく荷物を抱えて外に出る。しかしやることはいくつかある。インターネット喫茶を探すこと。パソコン屋を探すこと、それに今日の目的地である紫雲山の西方寺山を探すこと。さて、まず何からしたものであろうか。まずはここらへんの地図でも手に入れて情報を得ようと思い観光案内所に入ってみる。地図はありませんか?と聞くとまるでコンビニの店員のような反応が返ってくる。地図を差し出し「どうぞ」それでお終いだ。最近思うのだが若い女性の店員というのはどうしてこう愛想がなくて機械的なのだろうか。しかし考えてみれば昨日のカレー屋は、中年女性だったけど愛想がなかったな。

などと言っている場合ではない。とにかく地図を観るとあれこれ考える。ここも例によって繁華街は駅の周りではなく、離れた場所にあるようだ。琴平電鉄とかいう私鉄にのって少し行くとどうやら繁華街ではなかろうかとおもう場所がある。なぜそう思えるかと言うと「そごう」という文字があるからだ。とりあえずここに行ってみるか。もう一つの目的地もそこから一駅である。歩くことだってできそうではないか。

そう思うと琴平電鉄の駅までてくてくと歩く。そしてその時私が最も恐れていたものが訪れた。雨である。実は昨日の夕方、天気予報を観たときに

「明日は雨で所により強く降るでしょう」

と言っていたのだ。しかし天気予報が完璧に当たれば苦労はしない。松山付近でふっていた雨も、高松に近づくにつれ止んできた。ほーらほらほら。天は私を見放していなかったと思っていたのだが、どうやら天気は西から冷徹に近づいてきているようだ。とりあえず駅までは傘無しでたどり着けた。ここからだ。

電車はゆっくりと動き出す。3ッツ目の駅が目的の駅。降りてみると綺麗であり、駅ビルの一部のようにも思えるのだが、どうにも人通りが少ない。考えてみれば今日は平日であるか。そこから階段をおりてアーケードのある商店街にはいる。ここは繁華街なのだろうが、電気屋とか漫画喫茶とかそうしたものは一切見あたらない。一本裏通りのほうまできょろきょろしながら歩き回る。そのうち定食屋が見つかった。とりあえずご飯を食べる。久しぶりに自分であれこれチョイスできる定食屋でご機嫌になったのもつかの間、そこをでたのだがさっぱりと目的とするお店は見つからない。一軒だけパソコン屋を見つけたが、PC専門店であり、Macintoshなどは陰も形も存在していない。

それからもしばらく歩いてパソコン屋を探す事を断念した。今来た道を戻る。駅に着くと何故この駅ビルに人がいないか解った気がした改札をでたところに大きなガラスの扉は存在している。しかし今やマークもなければ案内板の表示もない。おそらくこの先はかつて「そごう」だったのだ。それが昨今の経営事情により閉鎖されてしまったのではなかろうか。

さて、ここからどこへ進むべきかについて考える。私が高松で見ようとした史跡というのは、実は今存在しているかどうかもあやしげなものである。「軍閥興亡史」という本に次のような記述がある。東鶏冠山とは日露戦争の旅順戦で激戦があった場所だ。

「高松市(第十一師団)の素封家牛窪求女君が、将兵の霊を慰めるために、巨額の私財を投じて、東鶏冠山堡塁の大模型を高松市郊外紫雲山の一角西方寺山に築造したことである。

(中略)

今はただ赤煉瓦の壕が横たわるのみで、訪う人もないことであろう。」

私はこの今はうちすてられた記念碑を探そうとしたのだ。しかしインターネットであさろうが、観光案内所で地図をもらおうがそれは記載されていない。かくなる上はとにかく山を歩き回るしかないか。そう思っていたのである。

さて問題です。前に進んであるともないともわからない史跡を探すか、あるいは高松駅に戻って大阪に渡り、今日中に修理をすることを考えるか。結論は簡単にでた。大阪である。理由は簡単。雨が激しく降ってきたからだ。私は雨の中を歩くのが嫌いである。その上山の中をあてもなくさまよい歩くのは気候と天候の良いときであればとにかく、今日の様な日には願い下げである。こうして松山から高松まではるばる来たのは何のためであったかという根本的な疑問が頭をよぎるが、ここはとにかくMacintoshの修理と相手の連絡先確認を優先しよう。大阪行きの連絡船に乗り込みだ。

そう思って券売所に行くが、人がいない。正確に言えば女性が一人いるのだが、なにやらしゃがみこんで作業をしている。あのー、と言うとこちらを向いてくれた。券を売り出すのは出発一時間前からとのこと。そこからしばらくその待合所で時間をつぶす。そのうち新しい港のビルがたつらしく、コインロッカーであるとか店舗に「5月7日までです」とか貼り紙がでている。外を見れば結構な降りだ。あまりに暇だからどこかに行こうかと思うが、降りを観ただけでやる気が失せる。つまるところは席に座り込んでじっと待つ。こういう時パソコンは偉大な暇つぶしの役割を果たしてくれるはずだが、今のところ何も言わずひたすら眠っている。

 

しかし私が自慢できる数少ない特技「ぼんやりと暇をつぶす」はこういう時なによりもありがたい。ぼけーっとしている間に券を買うことができる時間になり、乗船のアナウンスが流れる。さて、大阪行きだ。 

前の章 |  次の章


注釈