失敗の本質の一部

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日付:2008/3/20


ストック デールの逆説

4年ぶりにこの文章の続きを書こうと思ったのには訳がある。最近私はおりにふれ「ビ ジョナリー・カンパニー2」という本の「最後 には必ず勝つ」という章を読み返している。

こう書くと、例えば以前の私ならば

「なんだその甘っちょろい章の名前は。大坪もとうとう幸福 幻想主義にすがるようなったか」

と思うところだ。しかし話はそう単純ではない。それを説明するために、この章で述べられている「ストックデールの逆説」について述 べ る。

この言葉が生まれる背景となった事情を、私なりに要約してみよう。ストックデールはベトナム戦争で北ベトナム軍の捕虜となった。そ の間拷問にあい、いつ米国に帰れるのか、そもそも生きて祖国の土を踏む事ができるかどうかもわからない状態におかれた。

そうした中で彼は常に希望を失わなかった。捕虜を秘密裏に組織し、会話を禁じられた状況にあってもお互いが通信できる符号をさだめ たりもした。そして(幸運にも恵まれた)彼は米国に帰還し英雄となった。

以前の私ならここで「やっぱりありきたりの”信念を持つ者は強い”ストリーじゃないか」とわめきだすところだ。しかしこの要約では 肝心な点がかけている。

「ビジョナリー・カンパニ−2」の著者はストックデールにインタビューする機会を得る。ストックデールはまず捕虜生活中の自分の考 えについてこう述べる。

「わたしは結末について確信を失うことはなかった。ここか ら出られるだけでなく、最後にはかならず勝利を収めて、この経験を人生の決定的な出来事にし、あれほど貴重な体験はなかったと言えるようにすると」

次に著者が発した「耐えられなかったのはどういう人たちですか」という質問に対してストックデールは即座に回答する。

「楽観主義者だ」

と。

こ こがこの「逆説」の肝心なところだ。楽観主義者はクリスマスまでには出られる、感謝祭までにはでられる、と根拠のない予想にすがりつく。そしてその予想は 実現せず、絶望にうちひしが れ死んで行く。

悲惨な状況にあっても勝利への信念を失ってはならない。それは話の半分にすぎない。それと同時に現実の最も厳しい 部分から目をそらしてはならない。つまり根拠のない楽観主義で目を閉じてしまってはいけない、と言うのだ。これらの要素は一見相容れない物のように見え る。しかしそれを併せて持たなければならない、というのが「ストックデールの逆説」である。

最初にこの言葉に触れたとき、しばしこの逆説の持つ意味について考えた。この言葉は私が使っていた「「自 己の信念に忠実」は「現実を直視した上で」とワンセット 」あるいはこの文章で述べた「信じる権利」と相通ずるものなのだと思い当たった。次に、他の人はこの言葉について何をいっているだろう、と「ストックデー ルの逆説」というキーワードで検索してみた。その結果出力されたいくつかのページをみて私は驚いた。そのほとんどが

「そうだよね!どんなつらい時でも希望を失っちゃいけない んだよね!」

と いう文脈でしかとらえていなかったからだ。そうした態度はよく言って「話半分」。悪く言えば幸福幻想主義と等価である。沖縄を攻略され、原子爆弾を投下さ れ、満州にソ連軍が侵攻してきた時点において「本土決戦による有利な終戦」を唱えていた人間達となんら変わるところは無い。

唖然とし失望感を覚え た。しかしそうした「ストックデールの逆説」を幸福幻想主義にすり替えたくなる気持ちもわからないでもない。そもそもどうやって「ここから生還し、人生で 一番貴重な経験にしてみせる」という信念と「クリスマスまでに出られるなんてことはない」という現実の直視を両立させればよいのだろうか。それはストック デールのようなすごい人にしかできないことだよ、と言っておしまいにするしかないのだろうか。

などと悶々としていたとき、この「矛盾」を解くヒントのようなものに巡り会った。

あるカンファレンスに出ていたときの事である。教育実習生の教育に関しての新しい取り組みについて話を聞いた。その内容自体興味深 い物であったがそれはこ こでは本題ではない。その説明者は初めて教育実習に臨む学生にありがちな問題点を列挙した。その中に

「生徒一人一人を観ないで、クラスを全体としてとらえてしまう」

というものがあった。

そ れを聞いているうち、中学、高校のときに何度か体験した「教育実習生」の授業が思い出された。特に最初のとき彼らと彼女たちは大変”おたおた”していた。 しかし彼らと彼女たちにしてみればクラス全体が一つの得体の知れない物のように見えたのかもしれない。現実に存 在しているのは、いろいろな顔をした生徒たちなのだが、彼と彼女たちは「どうあつかっていいかわからないクラス」としてとらえ、それに対しておびえていた ように思うのだ。

あるいはこの状況を表すのにはこの言葉がぴったりくるかもしれない。

われわれはたいがい商品ではな く、レッテルを買う。

また言語学者や哲学者は同じ事を次の用に表現する

事物の名称は事物にあらず。

われわれはともかく、はじめて出会った物に名前-レッテル-をつけ、次にレッテルがものの真正の、網羅的記述であるかのような具合にそのものを取り扱う、 という傾向を持っている。(中略)

真のエキスパートは、状況のさまざまな面を観る事ができる。これに対して初心者は、大きい事とか歯とか、その他一番目立つ物しか目に入らないのである。 コンサルタントの秘密 P71

レッ テルを貼る、というのはとても便利なことである。レッテルを貼る事により複雑性に満ちたこの世の中を単純化でき、きわめて明確な判断をすることを可能 となる。「無駄仕事」というレッテルを貼れば、後はその仕事の内容がどうだとか誰が関わっているかとか、その人間の髪型はどうだとか全く考慮する必 要が無い。「仕事」そのものではなく、「無駄仕事」というレッテルを横目でみて無視すればいいだけの話だ。

かくの通りレッテル張りは便利なのだが、問題もある。あくまでそれはレッテルであり、現実ではない。そして多くの場合において、人 間が想像したレッテルは 現実よりも強固で隙がない。

仮にレッテルが目の前に立ちはだかっている問題に張られている場合にはどうしよう。とても駄目だ。どうしようもない。なぜなら「解 決不可能な問題」が目の 前にあるからだ、と嘆くのも一つの方法である。はレッテルをはがし、現実に存在している問題をよく観察することが必要なのではなかろうか。そうすれば

「解決不可能な問題」

とレッテルを張った壁にも、穴があいているかもしれない。あるいはその壁は盤石でも、それを開け閉めしているのは愛すべき点のある 人間かもしれない。

こ うした解決策は壁に「解決不可能な問題」というレッテルをはり、そのレッテルだけを観ている間には見つけることができない。自分の心が作り出した「解 決不可能な問題」の前で脂汗を流し、何故自分はこのような立場になってしまったのか悩み誰かを非難する、そんなことを繰り返しても問題解決の役にはたた ない。あるいは「解決可能」というレッテルを貼っても状況は変わらない。「解決可能に違いない」と信じることは必要だ。しかし「解決可能と書かれたレッテ ル」をじっとみつめ、それが現実になるよう願っても問題解決の役には立たない。それは「クリスマスまでには出られる」と信じていた捕虜と同じことである。 見つめるべきはレッテルではなく現実なのだ。

かくして私は「ストックデールの逆説」に現実的な意味を見いだしたような気になる。現実に対処しようとすれば、不愉快だろうがなん だろうが 目を開いて現実をそのまま受け止めるしか無い。そうしてこそ現実世界に存在している「道」が見つかるかもしれないのだ。また多くの場合に 言えるのは、ひどい現実であってもそれを直視したほうが、レッテルと戯れるより心の平安を得られる可能性があるということだ。そうした態度をとり「ひどい 状 況」の中でも安眠することができた人を紹介しよう。


最悪の時期、ヨーロッパ大陸と北アフリカがほとんどす べて、ナチスの支配下にあり、アメリカはヨーロッパの戦いにはくわわりたくないと望んでいた。ヒト ラーは一つの正面に力を集中して、まだソ連には攻め込んでいなかった。この時期に、チャーチルはこう語っている。

「われわれはヒトラーを滅ぼし、ナチス体 制をすべての痕跡にいたるまで滅ぼす決意をかためている。何があろうともこの決意は変わらない。何があろうとも。われわれは決して交渉しない。ヒトラーと も、その配下のだれとも、交渉しない。われわれはヒトラーと陸で戦う。海で戦う。空で戦う。神の恵みを受けて、ヒトラーの影を地上から取り除くまで戦う」

チャー チルはこの大胆なビジョンを武器にしながらも、きわめて厳しい現実から決して目をそらさなかった。傑出したカリスマ的な性格のために、悪いニュースが薄め られた形でしか自分に伝えられないのではないかと恐れていた。そこで戦争の初期に、通常の指揮命令系統とは独立した部門として、「統計局」を設立し、現実 のうちとくに厳しい事実を、まったくフィルターを通さない生のままの形で、首相につねに提供することを第一の任務とした。チャーチルは戦争の指導にあたっ てこの部門をきわめて重視し、事実を伝えるよう、事実だけを伝えるよう繰り返し求めている。ナチスの機甲部隊がヨーロッパ大陸を席巻したころ、チャーチル はベッドでぐっすり眠ることができた。

「元気づけてくれる夢の必要はなかった。事実は夢にまさるのである」

と「第二次世界大戦」に書いている。

ビ ジョナリー・カンパニー2  P115-P116)

現実を直視することにより安眠することができたチャーチルと、幸福な幻想につつまれていた帝国陸軍。確証はないが彼らの眠りはチャーチルのそれより浅かっ たように思えるのだが。

次の章ではなぜ幸福幻想主義が強固なのかについて一つの論文を紹介する。

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注釈