題名:失敗の本質の一部

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日付:2004/9/13


発生のしくみ

幸福幻想主義はなぜ発生するか

ここまでに何度か引用した「熊とワルツを」は大変興味深い本だが、途中から急につまらなくなる。組織が「大人のリスク管理」をするためにはこのようにしなさい、といった記述が続くのだが、前の章で述べたとおり、幼稚な-幸福幻想主義に凝り固まった-組織というのはそもそも変化の必要性を認めないものなのだ。変化しよう、と決心したとすればそうした処方箋も役に立つだろうが最初の一歩が踏み出されない限り-そしてそれは滅多に踏み出されないと想像しているが-意味がない。

そもそもこうした幸福幻想主義はどこから生まれる物だろうか。熊とワルツを、にはこう書かれている。

この「近づく電車が見えない症候群」の原因はどこにあるのか。原因ウィルスはまだ絞り込めていないが、疑わしいのはいくつもある。たぶんこうした組織は、「破滅」という言葉を発するための随意筋が発達していないのだろう(熊とワルツを P51)

わからないことを適当にごまかしてかかれるより、素直にわからないと書いてもらった方が好感は持てるが結局起源はわからないままである。

この根本原因については、たとえばノモンハン一冊とってみてもいくつか推定が上げられている。

「日本人は、歴史的、地理的な理由からきた島国根性と、いつもいいわけに使う「貧しさ」とから「狭い考え」を持ったのかもしれない。日本人は「独り相撲」を取ることを好むと言い切る人さえいる。」(ノモンハン 4巻P307)

「この点について、岡崎は「おそらくは島国という恵まれた環境に育った日本民族の、世界にもまれな経験の乏しさ、そこからくる初心さが、外部の情報に対する無関心と大きな意味での戦略的思考の欠如を、生んできたと言えよう」と述べている。」(ノモンハン 4巻P308)

しかしながら今まで記述した内容を考え合わせるとき、こうした説明はどこかずれているように思える。別の角度から考えてみよう。営利企業でも幸福幻想主義に染まったもの、そうでないものが存在する。その分かれ目はどこだったのだろうか。

私はこの時点でお手上げである。データをそろえた研究はきっと存在するのだろうが私は観たことがない。しかし(ここでまた個人の心構えに戻ってしまうのだが)一つだけ発生を防ぐため心に留めておいた方がよい言葉-しかも不思議なことにあまり聞かない-はある。以下引用する。

「クリフォードはこの演説で、誰かが信じると決めたことでも、他人による論理的な判断を免れられないと主張した。クリフォードの言葉によれば、信じるものを「信じる権利」がその人になければ、信仰が非論理的な行為としてとがめられる可能性もある。
クリフォードは定員いっぱいの乗客を乗せて出航しようとする移民船の船主を例にあげた。この船主は、船が古くて状態が悪く、そもそも造りがあまりよくないことを心配していた。もう一度無事に航海できるかどうかは疑問だと真剣に考えていた。しかし、船主はなんとか疑問を打ち消し、、あと一度だけ航海したからといって、たいした危険はないと自分に思い込ませた。この船はかつて何度も嵐にさらされらたが、いつもどうにか港へ戻ってきたではないか。もう一度できない理由はあるまい。船は出航し、乗客乗員もろとっも沈没した。
「この船主についてどう考えるべきか」とクリフォードは問いかけ、自分の答えを示した。
人々の死についてこの男に罪があることは間違いない。たしかに、船主は自分の船の安全性を誠意をもって信じていた。しかし、そのような誠意はなんら罪を軽くするものではない。船主には目の前にある証拠を信じる権利がなかったからだ。その確信は忍耐強い調査によって誠実に得られたものではなく、疑念を押し殺すことによって得られたものだった。
(中略)
信じる権利があるものだけを信じることを「リスク管理」という。」(熊とワルツを プロローグより)

誠意、固い信念、これらはいずれも「良い」形容詞と共に用いられる事が多い。他人の意見に惑わされず自分の信念を貫き通す、といえば成功談に必須の要素とも思えるが、オウム真理教に属し人を大量に殺した人間達もそう考えていたのではないか。「大人がすることだから入信する判断を尊重しよう」と言った人たちは事件が起こった後に後悔の念にさいなまれたのではなかろうか。

私は「「自己の信念に忠実」は「現実を直視した上で」とワンセット 」などと長ったらしく書いていたがこの本にある「信じる権利」の方がずっと良い言葉と思える。小学校ならあるいは誠意、信念を強調するだけでよかろう。しかし中学生以上の人間にはこの「信じる権利」という言葉を知っておく必要があるのではないだろうか。

この文章で引用してきた帝国陸軍の高級将校達には、私利私欲のため故意に判断をゆがめた、といった傾向は見受けられない。現実とかけ離れていたとしても彼らの作戦には彼らなりの信念があった。

しかし彼らに「信じる権利」があったかと言えば答えは否である。己の幻想だけに従い作戦をたて味方の兵士を無益に殺し、国を危機に陥れる権利は誰にもない。ここで先ほどあげた「信じる権利」を述べた「信念の論理」第一部 ウィリアム・キングドン・クリフォード に引用されている格言を掲げておく。

また、コールリッジによる有名な格言もある。

最初に真実よりキリスト教を愛する人は、キリスト教より自分の宗派や教会を愛するようになり、最後には何よりも自分を愛するようになる。

(熊とワルツを 付録A)

帝国陸軍の高級将校達は国よりも陸軍よりも命令を受ける兵士よりも戦闘の結果よりも何よりも幻想が支配する組織で出世し権力をふるえるようになった自分を愛していたのではなかろうか。虚構の幻想の中で美しく踊る自分の姿を脳裏に描いていたのではなかろうか。

あるいは辻政信という人間の中にそうした姿を見ることができるかもしれない。ここから書くことはほぼ私の頭の中で造り上げた妄想である。何の裏付けもないことだが試みに書いてみよう。

彼の著書(からの引用)を読む限り彼は他人を批判するのが大好きだったようである。いくつかの記述によれば指揮官の突然の解任や、自決強要といったことにも関与している。

では彼自身がその責任を問われる事になったとき何をしたかと言えば腹など切らず戦犯解除になるまで逃亡し続けることだった。他人に対する態度と自らの行動の差異をどのように考えようか。

この人間は何よりも自分を愛していたのではなかろうか。そして自分の経験をを美しくふくらませた幻想の中に幸せを見いだしていた。彼の著書が適度な事実と多くの修辞的な妄想に彩られているのはそうした世界観の反映ではなかろうか。

彼にとってその美しい世界にそぐわない人間は断固排除すべき存在だった。その「醜い姿」を美しく昇華させる方法は自決であり罷免だった。しかし外界から自分が排除されそうになったとき、彼はその事実を受け入れることを拒んだ。彼の脳内で造り上げた美しい世界は常に彼を中心に動いており、そこで彼は主役であり観客であった。舞台の上でまずい演技をした役者を首にすることに躊躇はないが客が責任を問われるゆえんはない。

かくして彼は他人に対して強要したのとは全く異なる行動を取った。何よりも愛する自分を守ったのである。

自分を何より可愛がり、大事にすることは当然のことである。しかし辻という人間の幼児性は他人も同じように考える権利がある、ということを認めなかった点にある。前掲したバージニアサティの言葉で言えば

「他の人々に対して、自分とは別の、独特な存在として対する。」

ということが全くできなかったのではなかろうか。あるいはこの「帝国陸軍のカリスマ」と世界の歴史に名を残した人間の言葉を並べることでよりその違いがはっきりするかもしれない。

何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々もそうあって当然と思っている(byユリウス・カエサル) 」

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注釈