題名:Not Asking, Just Complaining

-英語をマスターしたい人達

五郎の入り口に戻る

日付:1998/5/5


何故英語をしゃべらざるを得なくなったか」で書いた通り、私は少なくとも仕事上で「いやー、英語は苦手なもので、勘弁してくださいよ」とは言えない立場にある。

という話をしていると、ときどき「まあ。アメリカに行っていたの?じゃあ英語ペラペラでしょ?」と聞かれることもある。するってえと「’ぺらぺら’じゃなくて、英語で’へれへれ’だよ」とわけのわからないことを答えることにしている。

 

上記の質問と同じ位たくさん聞かれるのが「あたしも英語勉強したいんだけど、どうやったらいいと思う?」という「相談」である。(これは「相談」であるとつい最近まで私は考えていた)

 

こう聞かれるといつも私は次のように答えることにしていた。

人間、強制されなければ自分の好きなことしかやらない」というのは私の数多い信条のうちの一つである。

さてこれをあなた(つまり「どうやって英語を勉強したらいいと思う?」と私に尋ねた人)にあてはめてみよう。

この質問が日本でされた場合、ほとんどのケースにおいて、あなたは「英語を学ぶことを強制」されていないはずだ。従って、あなたが私の前述の信条の「例外」にあてはまるほど、意志の強い人で無いかぎり、「英語を勉強することが’あなたの好きなこと’にならない限り、あなたは英語を勉強することができない」ということになる。

従って(と私はだいたい言葉を続ける。もっともこの時点で既に相手があさっての方向を向いて集中力を欠いていれば別の話に切り替える)あなたは何かあなたが興味がもてそうなものを英語で読む、あるいは観ることを考えるべきだ。

もしあなたが青春物のドラマが好きであれば、NHKで放送している「ビバリーヒルズ青春白書」を観るといいと思う。内容は全く日本の青春物と同じドラマだし、「英会話講座(中級)」よりも興味を持てると思う。英語の副音声で聞いてみると少しは勉強になるのではないか。

あるいは好きな映画でもいいと思う。大きな本屋に行くとScript Bookと称して、映画のセリフを英語と日本語で書いてあるやつを売っている。あれを読んで勉強してみるというのはいいのではないか。

最近は「てゃーたにっく」の異常なヒットにより、女性には「てゃーたにっくのセリフなんて勉強するネタにちょうどいいのでは?結構字幕というのははしょってあるし、気の利いた英語のセリフもあるよ」と言うことにしていた。

 

これに対する相手の反応というのは、ほとんどの場合同じである。「ふーん」もしくは「ああ。そう」である。

今だかつて「Script Bookってどこに売ってるの?」とか、100歩譲って「えー、面倒そう」とかいう反応を聞いたことがない。大抵の場合上記の反応である。

 

この反応は長年私を悩ませ続けてきた。今まで何回「英語を勉強したいんだけど」という「相談」を聞いたかわからないし、それに対していつもだいたい同じ回答をしてきたのだが、誰一人として「改心」させることができない。それどころかこちらの回答にほとんど興味がないように思える。これは何故だろうか?

 

まず第一に思いつくことは「私の説明の仕方が悪い」である。私は合コンの類で女性に大変不愉快な印象を与える時がある。この「英語についてのアドバイス」をしているときにも、非常に相手にとっていやみな言い方をしているのかもしれない。

実際これはとてもありえそうなことに思えた。ちょっと自分が英語がしゃべれると思って鼻にかけて

「ぼかぁねえ、英語ってのは簡単なもんだと思うんだよぉ」

なんて言い方をすれば、誰だって頭に来るに違いない。(自分ではそんな言い方をしているつもりはないが、自分を客観的に見つめることは難しい、なんてのは今に始まったことではない)

この文章を読んでいる人の中にも「そうだそうだ、悪いのはおまえだ」と言いたい人もきっとたくさんいることであろう。しかしここであっさり引き下がってしまうと、私は深い深い自己嫌悪の沼に沈み込んでしばらくたちなおれなくなってしまう。従ってこれが良いことか悪いことか知らないが、ほかにも何か原因があるのではないか、と無理矢理話を複雑にし、究極的にはうやむやにしようとするのである。

 

そうして思いついたのは、この質問をする人達が求めているのは、「一本打てば英語がペラペラになる注射」なのではないか、ということである。つまり「寝ている間にみるみる頭にはいる」というやつの英語版である。

私の推奨する方法は、大して金銭的に負担がかかる方法ではない。(○ーオンだの、ジ○スに行くことを考えればなおさらだ)また時間を多く拘束する方法でもない。しかしそれでも彼らにとってはまわりくどく、面倒すぎる方法なのではないか?

ある人が「すぐ他の国にいける時代になったのに、言葉が通じないと言うのはおかしい。英語がしゃべれる注射をだれかが発明すればいいのに」と言ったことを覚えている。

何故か知らないが、私はこういう「ドラエモン的便利器具」が大嫌いである。そしてふと考えると

「えーい、何を甘ったれたことを言っている。英語というのは、苦悩と、苦痛と苦労を経てしかマスターできるものではなーい。貴様は’のび太’か?黙ってればドラエモンが’英語ペラペラ注射’を出してくれると思ってるのか?」

と叫びたくなる。こうして勝手に「私の返答に相手が無関心な理由」を考え出した私は

「えーい。世の中には’のび太症候群’がはびこっている。世の中間違っているー!」

と憤怒の炎をめらめらと燃やしていたのである。当初のねらい通り「自分の言い方がいやみなのではないか?」という疑念はすっかり忘れて。

 

しかし「よーし。これをネタに文章を書こう」と思って、ふと考え直した。よくよく考えればこうした「楽をするための工夫」は現在の生活にずいぶん役にたっているではないか。例をあげれば枚挙にいとまがない。しかし私の頭に真っ先に浮かぶのは、Fortranを開発した人が

「私は楽をするのが好きで、機械語でプログラムを書くのがいやっだんですよ。だからFortranを作ったんです。」

と言ったセリフである。もし彼が

「甘ったれるんじゃねー!プログラミングは、苦悩と、苦痛と、苦労を(以下同文)」

などとわめていたら、未だにみんな機械語でプログラムを書いていたかもしれないじゃないか。そんなことになっていたら、Fortranですら「人間の使う言語じゃねーや」などとほざいている私が、どんなみじめな目にあっていたか想像するだにおそろしい。

だから「ドラエモン的便利器具」に関する嫌悪感はしばらく横にのけておくことにしよう。しかし残念ながら、私はこうした便利な器具を持っていない。だから仮に「相談」をした相手が「英語ぺらぺら注射」を求めているのであれば、私は何もしてあげられない、ということになる。Sorry , I can't help you.

 

などと考えて、「さあ。こんどこそ文章にとりかかろう」と思ったが、、、まだこの説明に釈然としないものを感じている自分に気づいていた。前述したように、彼らの反応は「えー、面倒くさーい」ではなくて、「ふーん」もしくは「ああ。そう」なのである。まるであたかも最初から回答を期待していないような。。

 

そんなある日、私はある人とメールで話をしていた。話題は「女性のEndlessなおしゃべり」であった。彼女の意見によると

 

「女にとって、おしゃべりは’聞いてもらいたい’のであって’だったらこうすればいいだろう’と言われたいのではない。’へー、ふーん’と答えていればいい」

 

ということであった。この文を読んだとき、私の頭の中にある考えが浮かんだ。

それは「英語を学びたいけどどうすればいい?と聞いている人達は、’相談’しているのではなく、’単なるあこがれ’を口にしている、(あるいは英語がしゃべれればいいけど、しゃべれないという現状に対する「愚痴」を言っている)だけなのではないか?」ということである。

考えてみればこれだけ世の中に「英語を勉強する方法」が満ちあふれている昨今、本気で勉強しようという人は「どうしたらいいかな」という漠然とした質問をする前に、きっと自分で何かをしているだろう。それがうまくいっていないとしても「どうすればいいかな」というOpen Questionはせず「○○をしているんだけど、もっといい方法はないかな」とか聞くだろう。

もしこの仮定が正しければ、彼と彼女たちのリアクションも説明が付くというものである。元から答えを期待していないのだから、それに対するリアクションがあるわけがない。ましてや本屋にScript Bookを買いに行くことを想像して「えー、めんどーう」とか言うわけがない。

 

私自身は「ぐでぐで愚痴を言ってる暇があったら、自分でなんとかするよう努力しろ」というのを信条にしている。だから「こうじゃだめだ」という「批判」は必ず「こうするべきだ」という「解決策の提案」とセットになっているべきだ、と偉そうにわめいている。

 

この信条を先ほどのシチュエーションに当てはめると、「英語がしゃべりたいけど、しゃべれない。(現状に対する批判、不満)だけどどうすればいいかわからない(「解決策の提案」がわからない)」と相手が’相談’しているのだ、と解釈することになる。従って私は(私なりの)「解決策の提案」を一生懸命相手に説明していたわけだ。

 

ところが先ほどのメールでの会話に触発されて、世の中を冷静に観察してみると、どうも世の中「批判、愚痴」と「解決策の提案」は、大抵の場合セットになっていなくて、かつそれに違和感を覚える人はあまり多くないようである。これは「英語の勉強」に限った話ではない。

 

たとえば、「仕事に関する文句」を際限なく述べる相手に「そんなに事態をちゃんと把握していて、それが気にいらないなら、会社を辞めた方がいいよ」と(まじめに)アドバイスして、「英語をどうやって勉強したらいい?」と訪ねる人達と同じようなリアクションを返されたことが何度かあった。彼らが期待しているのは「愚痴」を言って、それに耳を傾けてもらうことだけであり、「解決策の提案」ではない、ということに気づきもせず、私は「こいつはいったい何が言いたいのだろう?」ととても不思議に思った物である。

 

なるほど。個人の信条は個人の信条として、現実世界での相手の意図は常に尊重しなくてはならない。どうも私は自分のあやしげな信条に固執するあまり、とても狭量な態度をとっていたようだ。自分の信条を相手に押しつけるなんてのは愚かな事だ。その結果何が得られたかと言えば、自分自身にたまるあやしげなフラストレーションだけである。

これはきっとあまり賢明なことではない。それでなくても世の中は必要十分以上の困難に満ちている。これ以上世の中を住み難くする必要はあるまい。

 

これからも「どうやって英語を勉強したらいいと思う?」と聞かれることもあるだろう。相手が本当に質問をしていた時のために、もうちょっとましな「提案」ができるようにする必要がある。なんといっても一番ありそうなのは、私の答えがいやみったらしく、かつつまらないものであることだから。

そして仮に相手が「ふーん」と言えば「まあでも大変だよね」と、にっこり笑って話題を変えることにしよう。

 


注釈

何故英語をしゃべらざるを得なくなったか:トピック一覧-英語をマスターしたい人達)トピック一覧経由で参照できる。そこには英会話の教材に1万円を払った青年が、英語の会議にださせられて、客先の不満を感じ取り、めそめそ泣くまでの記録が書かれている。本文に戻る

 

人間、強制されなければ自分の好きなことしかやらない:トピック一覧)この信条は次のように読み替えることもできる。すなわち「その人が口でいくら文句を言っていようと、やむを得ない状態でないのに何かをしている場合、その人はその’何か’が好きなのである」

この信条は、過度の残業、休日出勤等をする人達に当てはめることができる。彼らはなんと口で言っていようと、仕事が好きなのだ。本文に戻る

 

この質問が日本でされた場合:この質問が米国でなされた場合には事情は全く異なる。大抵の場合相手は「困った」と思っているからだ。

米国留学中(トピック参照)には、いつもこう答えいていた。「TVにキャプション(耳の不自由な方用の字幕表示装置)をつけなさい。画面に表示されている文字を読むことはそんなに難しくない。何を言っているか全くわからないとTV見る気もおこらないけど、ちょっとでもわかるとTVを見てみようかと思うでしょう」

もっとも世の中には「キャプションは英語を学ぶ上で障害になる」と言っている英語教師の方も存在するようだ。ある程度聞き取れるようになればそうかもしれないが、最初のとっかかりを作るには極めて有効だと思う。本文に戻る

 

ビバリーヒルズ青春白書:原題は"Beverly Hills 90210"という。90210とはZip Code(郵便番号)である。アメリカは地域によって貧富の差がとても激しい(日本でこの言葉を聞いたときに想像するのとはレベルが違う)90210とは金持ちエリアで有名なBiverly Hillsでもえりすぐった金持ちのエリアらしい。

Saturday Night Liveでいつかこの番組のパロディをやっていたことを思い出す。学校に郵便局の所長がきて「君たちにお知らせがある。郵便局の再編にともない90210は廃止となった。いや、心配しなくていい。90315(?)エリアに統合となるだけだから」

すると生徒の間から

「冗談じゃねえよ。90315の貧乏人どもと一緒の郵便番号になるってのかい!」

私は最初のオリジナルメンバーのうちの、人種が雑多にまざって、かつアジア系のように見える女の子が大好きだったのだが「とーんでもないわがまま」で、おろされてしまったらしい。若くして名声を得た芸能人の中に「とーんでもないわがまま」な人がいるのは、洋の東西を問わず普遍的に観られる現象のようだ。

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てゃーたにっく:参考文献一覧)名古屋弁(トピック一覧)で"Titanic" のことをこう発音する、というのは真っ赤な嘘である。本文に戻る

 

気の利いた英語のセリフ:ディカプリオちゃんが、凍死して、沈んでいくところで、たくましい主人公は"Come Back"と繰り返し言っている。日本語字幕では、最初のほうの"Come Back"は「生き返って」という意味で訳し、ディカプリオちゃんが沈んで行った後では、救命ボートに向かって「戻ってきて」と訳している。

同じ"Come Back"に違う二つの意味があるところが、工夫したところだと思う。これは日本語の字幕だけみていてもわかりづらいだろう。本文に戻る

 

無理矢理話を複雑にし、究極的にはうやむやにしようとする:これが「失敗に正面から向き合い、そこから教訓を得て次に生かせた人間は非常にまれ(トピック一覧参照)」などと偉そうなことを言っている人間の言葉か、という本質をついた指摘をしないように。本文に戻る

 

 

便利な器具を持っていない:1984年の7月7日、私は神田外語学校の女の子達と合コンをしていた。そのとき「たぶんあと10年もすれば、英語の自動翻訳機が開発されるだろう。そうなりゃ英語を勉強しなくてもすむかもね」と言ったことを覚えている。確かに当時はこうした機運があったのかもしれない。何事も姿がはっきり見えない間は、いろいろな可能性を感じさせてくれるものである。しかしこの予想はあまりにも楽観的にすぎた。本文に戻る

 

ある人:彼女のホームページはhttp://member.nifty.ne.jp/aurafulfumin/である。本文に戻る

 

ぐでぐで愚痴を言ってる暇があったら、自分でなんとかするよう努力しろ:トピック一覧へ)これはあくまでも「信条」であって、自分がこれを実行できているわけではないのは言うまでもない。本文に戻る

 

「批判」は必ず「こうするべきだ」という「解決策の提案」とセットになっているべきだ:こうした怪しげな信条を開発しただけではおさまらず、あげくの果てには"CONP"なる略語まで発明していたのである。(Criticizm Only, No Proposalの略で、批判ばかりして提案の無い人-つまり愚痴ばかり言っている人のこと)本文に戻る

 

ましな「提案」:さてそのまともな英語勉強法だが、前述の「ある人」とのメールでの会話を通じておもしろいやりとりがあった。

最初私は「彼氏、彼女ができると、英語がたちまち向上するっていうよね」という意味のことを主張していた。しかしながら彼女はそれに対し「それだけではない。基礎的な文法力は最低限必要だ」と、例を挙げて指摘した。

確かに彼女の言うとおりだ。その国に住んでいるからといって、その国の言葉が自動的しゃべれるようになるわけではない。米国で時々ほとんど日本語がしゃべれなくなっているほど滞在の長い人をみかけることがあるが、その人達が全て流ちょうな英語をしゃべるわけではない。

会話の実践も大事であるが、その前提となる基礎的な文法を押さえなくては結局語学力の向上は望めない、という当たり前のことをいまさらながら思い出した。日常生活に必要な最低限の会話ができる、ということと、細かな言い回しまでできる、ということの間には深くて長い溝がある。最低限基礎的な文法力と、「外国語だから努力して学ばなくては」という姿勢がなければその溝は何年住んでいようが、彼氏や彼女ができようが埋めることができないようである。もしこの文章を読んだ人が"not Asking"でなくて"Really Asking "だったら何かの参考にでもしてくださいな。本文に戻る