題名:Little Guessing Game

五郎の入り口に戻る

日付:2001/5/20

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この文章について

西暦2000年のかなりの期間、私は某米国のベンチャー企業に対し、日本でジョイントベンチャーを設立することを提案する、という仕事に携わった。そこで何度か顔を出してきたのが

「株価」

というやつである。株価についてはいろんなことが言われている。業績のよい会社は株価が上がる。業績が悪くなると下がる。将来性があるとあがる。景気がよくなると上がる。景気が悪くなると下がる。その他。

これは幸運と呼ぶべきなのかもしれないが、私がこの仕事に携わった時期は、米国のITバブルが絶頂期を迎え、そして崩壊した時期とかなりの部分重なっていた。バブルがその頂点に達する頃には、よくこんな台詞が聞かれたものである。

「今までの常識は通用しない」

利益を出すのが企業の目的ではあるが、インターネット時代にはとにかくシェアを獲得することが第一。そのためにはスタート時にはどんどん赤字を出しても良い。いや、赤字を出すことが奨励されさえしたのだ。そうした風潮の中、黒字化のめどが立たない新興企業にすら高額の株価がつけられていた。

さて、そうなるとそもそも株価とは何だ、ということが改めて疑問に思えてくる。会社が上場廃止になれば、株券は紙くずになる。だからそうした危ない企業の株価は安い。それは理解できる。あるいはもうかっている企業とは金をたくさん持っている企業のことだ。仮に企業をその時点で清算するとすれば、

もっている金/株式数

を保有株式数に応じてもらえることになるとか。(本当は細かいことがいろいろあるのだろうが)それはわかる。しかしそれ以外に本当に「適正な株価」を算出する方法はあるのだろうか?私は今のところこう思っている。

「そんな方法はない」

PERの何倍だというが、それがどうしたというのだ。なぜ22倍が妥当なんだ。みんながそうだから?じゃあお前は田中が死ねと言ったら死ぬのか。ITバブル絶頂の時には、それではおさまりがつくなくなり、いくつも「妥当」と言われる指標が発明され続けたのだ。それらは今どこに行ったのか。

 

今書いたことは定義によってあたりまえのように聞こえるかもしれない。だいたい株価がなにかの計算式によって「一意に」計算され、予測のかなりの確度で行えたらみなが株でもうけることができるではないか-もっともそうなればごく一部の人間を除いてもうからなくなるだろうが。うちの父に言わせると株価といのは所詮「人気コンテスト」だそうなのだが、人気コンテストにも理屈があるとは思えない。

しかしながら現実に存在していると認めなければならないのは、その「根拠のない株価」に対し、現実に起こったことについてもっともらしい理屈をつけ、将来に対して予測を立てる人間が数多く存在しており、(これは驚くべきことだが)それで生計をたてることも可能だという事実だ。

これは驚きに値することだろうか?答えはYes and Noである。たとえばこうだ。さいころを5回ふったところ3回6がでたとしよう。そこである人はこういう意見を述べる。

「今は大きな値がでるトレンドにある。したがって今後も3以上の数-多分6-が多く出ると予想する」

それに対してある人が反論する

「過去のデータを見ると最大数-6-が3回以上出た場合には、その後小さな値の目がでるという傾向が見られる。したがってそろそろ小さな目がでるのではないか」

さて、神の意図のままにその後3回6が連続してでたとしよう。最初の男は勢いを得る。

「みたまえ。私の予想は的中した。過去におけるトレンドはもう通用しない。現代においては6が出つづけることは持続しうるのだ」

そして予想が見事に外れてしまった2番目の男は沈黙する。彼は3回続けて1という予想をしてしまったのだ-もっとも彼の収入は-予想をたてることから得られているからとりあえず生活には困らないのだが。

次には1がでる。しかし1番目の男はくじけない。

「これは一時的な現象だ。6がでるという傾向が変わったわけではない」

2番目の男は力を少しとりもどし控えめに主張をはじめる

「これは大きな値がでる、という傾向の終わりを意味する。私の以前からの主張どおり、これからは小さな値が連続すると予想する」

仮に「それまでにどのような値がでているかに関係なく、さいころの各目がでる確率は1/6である」

という原理を知っていれば、こうした論議は実にばかばかしく思える。結局のところ存在するのは確率の神様だけなのだ。

しかしそうした「原理」が知られている事象というのが、現実世界でどれくらいあるというのだろう。あるいは原理は知られていても確率の神様が腕を存分に腕を振るえる事象というものどれだけあるのだろう。そうしたものであってさえもわれわれ人間は起こったことに説明をし、もっともらしい予想を行い、あたったといっては確信を深め、外れたといっては言い訳をすることをやめない。

さっきのさいころの例は作為的で単純すぎると思うだろうか。ここでようやく私は本題に入れる。ここでDr. Ed Yardeniという人が自分のWeb Siteで公開しているレポート(原文はhttp://205.232.165.149/japanese/ 以前はhttp://www.yardeni.com/japanese/)の特徴的なところを抜粋して紹介する。太字はできるだけ原文のままだが、下線は私が付加した。私の抜粋の仕方は作為的すぎるというご指摘もあろうと思う。実際読み返してみると彼は非常に慎重に主張をしていることがわかる。自分が間違った時の保険もちゃんと控えめではあるが述べているのだ。というわけでおまえの要約など信用ならん、という人は是非原文に当たってみてください。

彼自身の言葉によれば

「ニューエコノミー論を最初に提唱した者のひとりとして、そして10 年以上もの間その擁護をしてきた」

人間がこの時期のNASDAQ株価の変動をどのように受け止めたか。まずは彼の言葉を聞いてほしい。あわせてその主張がなされた時点まで株価がどのようなトレンドにあったか、ということもグラフで表した。

彼の言葉について私が考えたことはその後で述べる。あるいは面倒だと言う人は「起こったこと」まで飛んでもらっても良いと思う。

 

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注釈