題名:書評

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日付:2003/6/13

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CD


Glory (???) of human Voice-Florence Foster Jenkins

Jenkins夫人という方がずらりと並ぶオペラの難曲に挑んだ歌声が収録されている。この方は1944年に亡くなっている。つまり今から半世紀以上昔の人なわけだ。それだけの時を経て彼女のCDがなぜ発売されるかといえばちゃんと理由はある。

冗談音楽と呼ばれる分野が存在しているようだ。意図的に音をはずしてみたり長くのばしてみたり。それはしっかりと曲を奏でることができる技術の上で可能な芸なのだろう。

このJenkins夫人はそうした「冗談音楽」を目指したのではない。彼女は自分の歌声にゆるぎない自信を持っていたとのこと。その自信は歌声の隅々にあふれている。難曲中の難曲、夜の女王のアリアを歌うときですらすこしも気後れした様子はうかがえない。しかしそれを聞いていると目から涙がでてくるのはなぜだろう。

彼女はいわゆる「音痴」ではないと思う。少なくとも自分の発している音が聞こえず全く音程をあわせることができないタイプの音痴ではない。それなりに音程は曲にあわせて動いているのだ。一番高い音も一応でてはいる。もちろん正確ではないし、テンポはぐだぐだに遅れていく。休符があるとぐっと緊張が高まる。次に彼女が声を発するのはいつなのだ。それにきっちりとあわせていく伴奏のピアノ奏者は見事と言うしかない。

間奏になるとピアノ奏者は自分のペースで音を奏でる。しかし歌が始まるとまたテンポは彼女の物となる。彼女が声を張り上げる。聞いている私たちは腹筋をけいれんさせ涙を流す。

ライナーノーツによれば、彼女はペンシルヴァニアの裕福な銀行家の娘として産まれ、かけおち結婚。離婚の時に得た慰謝料と親の遺産で演奏活動をスタートさせた。最初は自費でリサイタルを開いていたが次第に評判となり最後はカーネギーホールで歌ったとのこと。多くの評論家は彼女のパフォーマンスに好意的で翌日の新聞には「誰もが心から楽しい夜を過ごすことができた」という言葉が載ったと言う。

さもありなん、と思う。もし私が同じ時代に生きていたとしたらきっと彼女の歌声を聞きにいったと思う。それは「めちゃくちゃ下手なのに自信満々のおばさんを馬鹿にしよう」という気持ちからでは無い。彼女の破壊的な歌を聞き終わった後、なぜだか少し心晴れ晴れ元気になったような気がするのだ。

あるいはMy Best Friend's Weddingでキャメロンディアズが見せた「めちゃくちゃ音がはずれてるけど馬鹿受けのカラオケ」に相通じるところがあるのかもしれない。鍛えられた技が人の感動を呼ぶのは事実。しかし人の心を動かすのはそうした技ばかりではないのだろう。ある評論家が記した

「彼女は自分の仕事に非常に満足している。殆どのアーティストがそうでないのは悲しむべき事だ。そして彼女の幸せには観客にもマジックのように伝わった」

という言葉はそれから半世紀後CDを通じて彼女の歌にふれた私も同意するところだ。

時々人前で歌ってはいるが一度たりとも「歌が上手ですね」と言われたことのない私であれば、彼女を守護聖人としてあがめ、そこから何かを学んでみようとも思うのだ。彼女はまさしく一級のエンターティナー。人を楽しませる、というのはどういうことか。人の心を動かすのは何なのか。彼女の声を聞き腹をよじらせながら私はそんなことをぼんやりと考え続ける。

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注釈