2002年カレーの旅

日付:2002/4/1

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2001年カレーの旅へ | 夜汽車にのって | 札幌 | 


夜汽車にのって

前回までのあらすじ)

雑文で取り上げられるカレーに興味を持った男は、大阪へ、そして鹿児島へ向かう。そこで巡り会ったカレーのおいしさにご機嫌となった男はその模様を一文にしたため、返す刀で今度は山形へ足をのばす。しかしその様子を綴った文章を読んだある人は「読めば読むほど鬱になるのはどうしてか」という感想を述べるのだった。

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雑文にでてくるカレーを探訪し、一勝一敗に終わったわけだが、とにかくサイトにのせる文章のネタができた、ということでは勝ちだと思う。何が勝ちだかしらないがとにかくそういうことにしておく。しかしそうやって自分を偽っていられるのもそう長いことではなかった。前作「2001年カレーの旅」を読んだある人はこう言い放ったのである。

「たった3カ所でカレーを食べただけで”カレーの旅”とは片腹痛いわ。」

私は言い返す。カレーを食べた箇所こそ確かに3カ所だが、その範囲は鹿児島から山形までわたっているのだ、と。しかし相手は全く聞き入れてくれない。最後には

「ふん。貴様ごときにあの苦労がわかってたまるか」

とわかったようなわからないような理屈をつけて開き直ったが、カレーの数が少ないのではないか、という問いは私の頭の中に残ったままだった。

そんなある日「赤ずきんちゃん☆オーバードライブ」というサイトの掲示板で「札幌スープカレー」という言葉が使われているのに気がついた。それを読み「ぴくっ」と反応する。北の国札幌の地にあるというカレー。これがカレーの旅にふさわしくなくてなんであろう。しかし掲示板での話題はそれ以上進展しなかったし、いかな私でもスープカレーだけの為に札幌まで行くのはためらわれる。そして日々はいつもの通り流れていった。

さて、それから何ヶ月後のことだろうか。私は仕事のフラストレーションでかなりよたよたした状態にあった。自分自身が忙しいわけではないのだが、やたらと残業したり、休日出勤したりする。そこで何をしているかと言えば自分が趣味で作っているプログラムをひたすら書いていたりするのだが、とにかくこの「会社にいる」というのは精神衛生上大変よろしくないことである。

すると頭に浮かんでくるのは「どこか遠くに行きたい」という願望だ。夜汽車にのってどこか遠くへ、そしてのんびりとしたいとばかり考える。そんな考えにとりつかれていたある日、どういうわけだわからないのだが汽車ではなく船にのって八丈島に行ってしまった。この旅行は楽しく、確かに私のストレスが解消されたかに思えた。しかしその後も同じような会社生活が続く。となるといったん減ったストレスもまた蓄積され、そして旅行にでたいという願望は頭をもたげてくる。

さてそのころくだんのサイトは「赤ずきんちゃん☆ブレイクダウン」と名前を変え、そしてサイトの作成者であるところの「おきかげ&けい」氏が「札幌を離れる前にオフがしたい」と告知したのである。その瞬間私の頭の中で妙な具合に短絡回路が火花を飛ばす。夜汽車にのり札幌まで行き、スープカレーを食べ、そしてオフに参加するというのはどうだろう。そうだそうだ。これにしよう。カレーだけのために札幌までに行くのはなんだが、これにオフがつけば問題なかろう。こうやって書いていても自分で何を考えいたのかわからないが、とにかく私は「オフ参加を希望します。スープカレーが食べたい」というメールを打ったのである。

主催者は「人数が集まるのだろうか」と心配されていたようだが、最終的には6名が参加することとなった。日にちは3月9日の土曜日に決定。となるとあれこれ現実的に手配をする必要がでてくる。まずは行きだ。元々の趣旨からして夜行列車に乗りたい。しかしここで一つ考慮すべき要素があった。いつも暇な私には珍しく前日の8日は高校の同期会の予定がはいっていたのである。ところが上野発の札幌行きの直通列車は結構早い時間に出発してしまう。なんとかならんものか、と探すと一本だけ10時過ぎ発の列車を見つけた。これだと札幌に行くまでに3本列車を乗り継ぐ必要があるが、同期会を少し早めに切り上げれば乗ることができるだろう。というわけでその列車に決まり。

帰りはどうしよう。理論的には夜行列車で帰ってくることもできるのだが、3泊4日の旅行で行き帰り夜行というのはつらそうだ。では飛行機は、、と思ってあれこれ探すとAir Doという会社が安いようだ。さらに探すと一日の最後の便は割引があるらしい。それを使うと家に着くのは12時を回ってしまうし、翌日は会社なのだが、安さには代え難い。インターネット上でちょちょっと予約をすませる。その直後にニュースのサイトを観てみると

「Air Doの経営が困難に」

とかいう見出しが見つかる。なんでも経営に必要な支援が得られなかったのだそうな。私が行くまでちゃんと運行していてくれるのだろうな、などと不安になるが、とりあえずできることはない。

それからいつもと同じような日が続く。その日何がおこるか、来週何が起こるかさっぱり解らないから、果たして同期会にでることができるのか、札幌行きは大丈夫かいつまでも解らない。お客様らからのメールで出発する日の午後3時〜5時まで会議と告げられる。これはあまりうれしくないニュースだが、「出張でこちらに来い」といわれるよりはましだ。(この日の出張を私は一番恐れていたのだ)ほっとしたのもつかのも他にもその日のうちに終えなくてはいけない仕事を押しつけられてしまった。たぶん期日の延長は可能だと思うのだが

「どうしても金曜日中。できなかったら月曜日の朝一番」

などと言われたらいかんともしがたいではないか。そうしたら日曜日の夜中に会社に戻って仕上げるから許して、とでも言おうか。それがだめなら同期会をあきらめ、夜行列車のチケットも無駄にして(もう買ってしまっていたのだ)金曜日徹夜で仕上げ土曜日の午前に飛行機で行くこととしようか。

そんなバックアッププランばかり考えている間にその金曜日となる。午後3時からの会議は電話会議で参加。これは私にとって幸運なことだったのだが、この電話会議の機械は実に機嫌が悪かった。なんとか会話ができるようになるまでに20分あまりをようし、それからもコンスタントに問題を起こしてくれる。おかげで必要最小限の説明をしただけで

「あとはこちらで検討する」

と向こうが言ってくれた。これで関門を一つクリア。

その後は「その日までの仕事」の説明である。あれこれつっこみを受けながらもとりあえず来週の水曜日まで期限延長が認められた。この期限延長というのは諸刃の剣で、「のばしたからには出来がよくなるんだろうな」というプレッシャに直面することにもなるが、今の私は目前のことしか考えていない。とにかくこれで同期会も札幌行きも大丈夫らしい。

なんだか気が抜けたような気がしながら、同期会の会場である新橋に向かう。プリントアウトしておいた地図を眺めがら、いったい会場はどこだ、と思っていると後ろから声をかけられた。OKという男である。二人で馬鹿話をしながらようやく会場にたどり着く。

その日は10名が参加した。40を目前にした男共だから、それぞれの場所でそれ相応の役割をはたしているのだろう。名刺があちこちとびかうが、ある男の英語の肩書きは

Senior Vice President

となっている。なんだ、貴様その年でもうSeniorか。そう言えば前につとめていた会社の取締役もこの肩書きだったなあ。

会社ではなにがしかの意味を持つであろうその言葉も、その日その時に限って言えば、話のネタでしかない。えっ?あの体操教師って教え子とつきあってたの?まあ結婚したからいいとしようか。へえ、すいません。私独身でございます。いえ、別にバツイチではないんです。まだ結婚というものをしたことがないのでございます。何ですかその視線は。別にホモじゃねえよ。あんたいつ結婚したの?奥さんとのなれそめは?まあフケツ。だめだよ大学の助教授ともあろうもんがそんなことしちゃ。困りますねえ。

高校を卒業したのは20年前の事。本人に自覚があろうがなかろうが皆外から見れば中年おやじでしかない。しかし最初は少し敬語がまじっていた会話もいつしか高校生のそれに戻っていく。飲み放題、食べ放題のバイキングで私はやたらとビールやらなにやら飲みまくり。ふと気がつけばそろそろ時間になってしまたようだ。名残惜しいが挨拶をしてその場を後にする。出口付近でなにやら電話をしている幹事に挨拶をする。彼に何度も感謝の言葉を述べる。彼は

「先生やら、飛行機のパイロットやらいるけど、みんな昔にもどってるだろう」

と言う。

それから私は一人上野に向かう。一人でにやにやしながら。そうしている自分に気がつき、そして何か「いつものと違う」という感じを受ける。

思えば飲み会がはねて一人の帰り道、にやにやしていることよりは深いため息をつき、肩を落としていることの方が遙かに多い気がする。年をとってわがままになった昨今ではそうした予感のする飲み会には近づかないようにしているが、それでも完全にさける事はできない。

しかしその日は違っていた。うはははははは。私は一人歩きながらそうつぶやいていた。そして私の頭の中に飛来したのは数々の思い。こうした光輝く時間があるのはそう長くない人生で滅多にあることではないことを知っている。しかしその事実はこの輝きを損なうものではない。

 

そんなことを考えながら駅のホームに立ち続ける。あれ、なかなか来ないな。もう少しゆっくりすればよかった。なんで席をたっちゃったんだろう。そうか、誰か途中からきてもう座る場所がなかったから譲ったんだ。あれだれだったんだろう、などと完全な酔っぱらいになりながらも

「これだけ酔っているとのどが渇くに違いない」

と考えペットボトルを2本ほど買い込む。ほどなく列車が到着すると個室に入り、靴を脱ぐ。車掌が来てなにやら言うが何をいっているのか解らない。聞き返すと相手は(これはしらふになってから気がついたことだが)「ええい、これだから酔っぱらいは」という顔をして「鍵は必要ですか?」と聞いた。鍵を受け取りぱたぱたと荷物を片づけた私はパソコンなどを取り出しキーをたたき出す。以下その時に書いた文章であり、何をいっているのかさっぱりわからないがとりあえずそのまま残しておく。

うるせい、何小難しいことをを言っているんだよ。今酔った頭で書いている文章のどれだけが自分がしらふになったときに生き延びるかはわからない。いやなこと、恥ずかしいこと。隠してしまいたいこと。そして全く覚えていないような馬鹿話。それがこれほど楽しいというのはありがたいことだ。

 

そんなことをしばらくやっていたがいつしか眠りについた。目が覚めると外が明るい。トイレにいこう、と扉を開けるとそこは雪国だった。

と書いては観た物の雪国という感じとは少し違う。見渡す限り一面に雪はつもっているのだが、天気は晴れなのだ。この旅行を計画した時から私は一つの事が気になっていた。

「私はこんな薄着で北の国に行って大丈夫だろうか。北の国用に厚着をすると東京では暑すぎるのではなかろうか。」

結局東京で無理がない格好をしてみてのだが、はたしてどんな格好をすべきであったか、などと考えながらホームに降り立つ人をちらちら眺める。すると着ている物の厚さだけ観ればたいして違いはないことに気がつく。ただし手袋はしたほうがよさそうだが。

そんなことを考えると列車はまた走り出す。ぼけーっとしたり、うとうとしているうちに列車は青森に着いた。そこからさらに2本列車を乗り継ぎようやく午後3時前に札幌に到着である。

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注釈