題名:SF小説:旅する図書館

五郎の入り口に戻る
日付:2022/5/06


ケンジは生協の椅子で悶々と考える。最近の若者は本を読まない。2042年、世の中はますます生きづらくなっている。


俺は本が好きだ。本を枕に眠るのが好きだ。そんな俺を世間は「オタクの変人」と呼ぶ。今や物理的な本を持ち運び愛でる人間などいない。みんな短い動画を見て、反射的な感想をSNSに投げるだけ。誰も長い物語を読まず、物事を深く考えようともしない。どうしてこうなってしまったのか、と考えていると誰かに声をかけられた。幼馴染のアイだ。


「また本なんか読んでんの?本なんて疲れるだけだし、難しい言葉ばっかりだし、理解しにくいし時代遅れ!」


そう言い放つと俺の反論を聞こうともせずアイは立ち去る。またはじまったよ、本を読まないアイには本の良さが一生分からないだろう。それでいいじゃないか、と自分に言い聞かせる。しかし本の中に広がる深い世界をどうして誰も知ろうとしないのか。いや、こんなことを考えている場合じゃない。午後の講義に出なくちゃ。ケンジは立ち上がる。


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ハヤシは図書館司書の椅子で悶々と考える。最近の若者は本を読まない。2042年、世の中はますます生きづらくなっている。いや、生きづらいというか生活の危機。


今や人は本を読まない。この時代の図書館はどうあるべきか?この問いに誰かが「複合施設だ!」と答えたらしい。その結果図書館という看板は残ったが、中身はショピングモール、映画館それに地域のコミュニティセンターの複合体。確かに人々は戻ってきた。しかし些細な問題が。誰も本を読まないのだ。結果として図書エリアは年度が変わるたびに半減。今や図書館司書の仕事は小学生の夏休みの宿題の手伝いだけ。


しかし、世の中がどうあろうとハヤシは本の魅力にどんどん飲み込まれていった。廃れた文化とされる読書をもう一度蘇らせたい。その一心で本と人を繋ぐ新たなサービスを考えた。それは、本と体験を組み合わせること。図書館に人が来ないのならば、様々な体験全てを図書館にしてしまえばいい。本とのふれあいがあればそこが図書館。


ハヤシはこのアイディアに夢中になる。しかし考えているだけでは何も変わらない。ハヤシはある日決断する。誰もやらないなら自分がやる。彼は図書館を辞め、起業した。そして旅行中に出会う様々な体験に本を結びつける「旅する図書館」という今までにない新しいサービスを作り上げたのだ。


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ケンジは生協の椅子で悶々と考える。最近の若者は本を読ま…といういつもの思考はアイの声で遮られる。


「また本読んでんの?この前城の崎に行って”城の崎にて”っていう本を知ったんだ。すごいおもしろいよね!」


はぁ?ケンジは思わず声を上げる。なぜお前が志賀直哉の名作を知っている。


「シガナオヤ?誰それ?でも聞いて聞いて。思わず道の脇の流れに石をぽんぽん投げちゃった。もちろんイモリはいなかったけど」


はぁ?ケンジは再度声を上げる。そんな反応にはおかまいなく、アイは続ける。


「SNSにも載せたんだけど、めっちゃバズったんだ〜。」


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ケンジは春の京都で悶々と考える。なぜ俺はこんなところにいる。元はいえば


「ほら、ケンジ本好きじゃない。”旅する図書館”で見つけた京都ツアー行くんだけど、一緒に来ない?来るよね!」


とアイが俺の返事を聞くこともなく、強引に引っ張り出したから。いや、”旅する図書館”という言葉に少し興味を持ったのも事実だが。

ツアー参加者にはイアフォンが貸し出される。

「このイアフォンにはセンサーが搭載されており、皆様の行動を認識して、シチュエーションにぴったりの文章をお勧め..」

とかなんとか説明を聞いた気がするが、覚えちゃいない。今は目の前に広がる桜の美しさに心を奪われている。

桜


するとイアフォンから声が流れる。”旅する図書館Aiホスト”と名乗った後にこう語る。


皆様桜を楽しんでらっしゃいますね。こんな一節を思い出しました。


桜の樹の下には屍体が埋まっている!

 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。


ケンジはそっと他の人間の様子を伺う。「なにこれ、シタイってキモい。」と誰かが言う。ほどなくして皆桜を背景にきゃあきゃあと写真を撮り始める。


アイは?と見れば、一人桜を見、イアフォンからの朗読に耳を傾けながら何かをつぶやいている。


「ヤバい。”その美しさがなにか信じられない” そうか。この不安な気持ちは私だけじゃなかったんだ」


”文学鑑賞”を邪魔しないよう、そっとアイに声をかける。彼女がケンジを見る目はいつもの「オタクを見る目」ではない。少し距離が縮まったように思える。ケンジが口を開く前にアイが問う。


「これ誰が書いたんだっけ?梶井キジロウ?」


その瞬間ケンジの文学オタク魂が火を吹く。


「梶井基次郎(モトジロウ)だよ!知らないの?ほら、書棚にレモンを置くとどかーんと爆発するんだよ!」


一気にまくしたてたケンジは、しまったと口をつぐむ。しかしもう遅い。縮まったかに思えたアイとの距離は再び遠く離れてしまった。アイは無言で友達の方に歩いていく。ケンジにできることはやるせない気持ちをSNSに吐き出すことだけ。


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ハヤシはオフィスの椅子で考える。最近の若者は本を読まない。しかし読まなくても、本との距離を少し縮めることができたのではないか。


SNSで”旅する図書館”の感想をチェックする。ケンジの鬱々とした投稿を読んだ後、同じツアーに参加していたアイが投稿した感想を見つけた。「本を読むきっかけになりました。他のツアーも行ってみたい」と書かれた文字を読み、こういう子がどんどん増えていってほしいなーと思う。

しかし

そうした好意的な意見ばかりではない。SNS上の批判的な声もさることながら、ハヤシの心には大学時代の恩師からの言葉が突き刺さっている。


「君は、偉大な文学作品を切り刻み見せ物にしている」


未だハヤシは恩師の言葉に対する答えを見つけることができていない。しかし時代とともに図書館の形は変化している。悩み、迷いながらも進まなければ。生まれた新たなサービスと、それによって生まれた課題を解決しなければ、とハヤシは決意するのだった。


作成:体験デザイン研究所主催 SF思考ワークショップに参加してのアウトプットを大坪が改変

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注釈