2011/3/11-3/12

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/3/31


2011/3/12

それから目をさましたり、また寝たり。時計をみて5時頃になったことを知る。やおら荷物をまとめだす。まだ寝ていてもいいのだが、私は普段から無駄 に早起きだ。それに、とにかく何かをしたい。そう思い宿泊場所-宴会場の前の机の下だが-を後にし、ロビーのある2Fにあがる。

05:05

何も期待していなかったのだが、TVがついて おり、その前に人が 座っている。交通機関の状況が流されると、ある若者がそれをホワイトボードに書き留めていく。実に気が利いた行為だ。どうやらJRは7時から運転再開との 事。営団地下鉄は始発から運転。ということは、このいまいましいお台場エリアを抜け出せばなんとかなるかもしれない。

ホテルのコンシェルジェとおぼしき男性に

「動いている駅で、一番近いところはどこでしょう。ゆりかもめ、とりんかい線が止まっているのは知っていますが」

と相談する。相手は

「そうですねえ。そのような状況ですから、新橋ですか」

「新橋にはどうやっていけばいいのですか」

「レインボーブリッジを歩いてわたることになりますから、かなり時間がかかります」

「わかりました。ありがとうございます」

そう言って私はホテルを後にする。もう少し待ち、状況が明らかになってから移動するべき、と今なら考えるが、とにかくじっと しているのには飽きた。道があるならそちらに進みたい。

昨日は半分凍えそうになりながらたどり着いた道だが、今日は暖気を体の中に抱え込んでいるためとても快調である。フジテレビの後ろをすぎる。途中コ ンビニの看板は見えるが、営業していない。しょうがない、とは思うががっかりする。昨日から閉まった入り口はいやというほど観た。これほどたくさんあるビ ル はどこも私のようなチンピラを中にいれてくれない。

もし私がビルの中にいる側だったら

「とにかく閉めろ」

と言うだろう。そのほうが責任を問われることもない。だからそうした行動を理解はできるが、ビルの外側にいる身からすると恨めしくもなる。しかし昨 日に比べれば私は元気。歩こう歩こう。まずは東京テレポート駅に戻り様子をみることにする。すると駅近くのコンビがちゃんと営業していることを知る。を を、すばらしいではないか。

さっそく、当面の食料を買い込もうとする。おにぎりだのパンだのの棚は空っぽだ。しかし探してみればまだあれこれ食べるものが ある。レジには「100円玉が不足してます」と張り紙がある。財布の中にあるのは100円玉一個、10円玉2個、それに千円札、一万円札である。120円 では足りないから、おつりの100円玉を節約しようとすれば、できるだけたくさん買い込む必要がある。大きな一枚のクッキー。パン2種類、ジュース、それ にシリアルバー(と呼ぶのかな)を買う。まだお店の人が並べていないパンがケースごと床においてある。そこから直接パンをとってもお店の人は何も言わな い。

私が会計してもらった後に、店長とおぼしき人がレジの男性に向かって

「検収(とか何かそういう言葉)してないの?」と聞く。男性は

「もうあきらめました」

と答える。私は内心男性に感謝の言葉を贈る。私が最初に勤めたような「お役所的大企業」であれば、店の作業が終了するまでは、お客様がい かにお腹をすかせていようが、絶対に売りはしなかった。いやそもそも営業しなかったに違いない。ここで営業を続けてくれたコンビニ、それに臨機応変の処置 をしてくれた店員に無限の感謝を捧げる。

などとあれこれ考えながら駅のほうに向かう。いくつか張り紙があり、「今日は運行しません」と書いてあるがこれは昨日の情報だろう。また避難所に関する掲示がある。なるほど。昨日は


「ここらへんにあまた存在している建物は何故我々をいれてくれないのか」

と思ったものだがちゃんとこのように避難所が設定されているわけだけね。こんな便利なものがあるなら、昨日もっと早く教えてくれれば、責任のない 建物に因縁を付けることもなかったのに。

などと今更言ってもしょうがない。他の路線の運行状況なども張ってあったような気がするが、これも今となっては価値がない。今日始発から運行開始し ます、とか書いてあればうれしいのだがそんな紙はない。そうした張り紙のあるシャッターの前にスーツ姿の男が立っている。シャッターに向かいうつむいたま ま

「ふーっ、ふーっ」

と息を荒くし仁王立ちである。なんだかわからないが関わりにならないほうがよさそうだ。

次にバス停を見に行く。始発はおおむね6時半頃のようだ。今は5時半。例えば一旦ホテルに戻り、そ の時間に再度ここに来る、というのも選択肢の一つだろう。

しかし私は前進のことしか考えていない。階段通路を渡り、駅の反対側に向かう。通路にやたらと雀がいたのは何かの偶然だろうか。

05:31

0311日の出前

この写真には、窓にはいっている金網が写っている。写真を阻害するものと考えることもあるだろうが、今の私にとっては

「窓があるのってすてき」

状態である。壁と屋根というのは人類最大の発明の一つではなかろうか。

などと考えながらレインボーブリッジと思い込んだ方向にてくてく歩いていく。すると同じ方向に歩いている人が結構いる。おそらく私と同考えだろう。 しかしここで問題が。

ある大きな信号を渡ると、その先にレインボーブリッジにつながると思しき高架が見える。車が動いているからおそらく間違いはない。しかしどうやって その高 架に上れるかわからないのだ。どこかにエレベータでもないかと目をこらすが、それらしきものは見当たらない。私の周りでも、前進を続け る人達、引き返そうとする人達。様々である。

私も一旦横断歩道をわたりかけたが、引き返す。どうもこのまま進んでも解はなさそうだ。先ほど陸橋をわたったとき、ものすごく 渋滞した車列をみた。あまり考えたくないが、あそこまで戻って車道にそって行く必要があるのではないか。

そう思ってとぼとぼ歩く。すると別の一団が、別の方向に歩こうとしていることに気がつく。そこにあった地図を見るとその方向には「レインボープロム ナー ド」という文字が並んでいる。なんとなくレインボーブリッジを歩いてわたるための何かのようではないか。そのグループと同じ方向に進むことにする。

彼らは女性を含む数人で相談しながら歩いている。私は一人で後先考えずすたすた進んでいるのでそのうち追い越してしまう。そこへ前 方から朝のウォーキングとしているとおぼしき女性が歩いてきた。ウォーキングをしているということはこの付近の住人に違いない。私は普段道を聞く のをためらう人なのだが、今はそんなことを言ってはいられない。すいませ ん。レインボーブリッジを歩いてわたるにはどこへいけばいいのですか?と尋ねる。すると女性は親切に、ほらあそこに見える屋根。あそこが入り口です。普段 は開いていない(時間帯)けど、今は避難のために開けています。40分くらいかかります。お気をつけて。と教えてくれた。笑顔でお礼を言うとそちらに歩き 出す。ふと気がつけば先ほど追い越した一団が見えなくなっている。彼らは進 む方向に自信が持てず別の道に入ったのだろうか。

教えられた建物に近づく。警備員とおぼしき男性がおり、私が挨拶すると「30分かかります」と教 えてく れる。先ほどの女性の推定時間と10分異なるが気にしない。坂をずんずん上っていくと、本線である道路が近づいてくる。

05:48

橋に続く道

天気は良好。風はない。ずんずん進む。歩道はまもなく自動車が走っている路線と合流する。脇をびゅんびゅん車が走っているが、頑丈そうな ガードレールで区切られている上、段差があるからよもやこちらまで車が飛んでくる事はなかろう。しばらく進んで振り返る。先ほどまでいた台場エリアが未 だ闇の中にあるように見える。

お台場の光景

先を見れば、これから向かう「本土」側が昇る朝日に照らされ茜色に染まっている。

新橋側

闇を抜けて、明るい方へ。役に立たない「ゆりかもめ」と「りんかい鉄道」、それを使わなくては脱出できな いお台場地区が私は大嫌いになっていた。そしていまようやくそこから離れつつあるのだ。

その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。

夏目漱石 坊っちゃん から引用

隣を車がびゅんびゅん走る歩道をてくてく歩き続ける。ここでまたあの地震に襲われたら、と思わぬでもないが、とにかく前進だ。おのずと歩速も早ま る。

歩く事しばらく。下に降りる階段とおぼしき場所についた。人の話し声がする。私の前に何人かいるようだ。まもなく一つのグループに 追いつく。私はぎょっとする。先ほど私が追い越した「レインボーブリッジ徒歩横断」を目指していた一団ではないか。いつのまに追い越されたのか。その時は 真面目にそう考えていたが、単に女性一人+男性何人か組という点が共通なだけだったかもしれぬ。

階段で下に降りると外にでることができる。先ほどのグループは「トイレ休憩」とか言っているが、こちらは前進のことしか考えていない。外に出る。朝 日が奇麗だ。

06:06

日の出

レインボーブリッジの職員とおぼしき人達もこの朝日を見ている。さて、これでようやく「本土」についた。ここからどうすればいいのか。

役に立たない 「ゆりかもめ」だがその高架に沿って歩いていけば必ず新橋にたどり着く。とはいえ高架だけが通り、地上の道が途絶えていることも考えられる。というわけで 少し広い道に出られないかと思い道をふらふらする。前後には同じように歩いている人達がいるが、多分誰も 正解は知らない。その中で私は「正解を知っている人」のように見えたかもしれない。何も考えずずんずん進んでいるからだ。後から考えれば私がとっ たルートは最短とはいえないものだったと思うが、私のルートに惑わされた人がいないことを祈るのみである。

とにかく街の中をすたすた歩く。自動販売機がたくさんある。もう大丈夫だろうと思い、持ってきていたミネラルウォーターを飲み干してしまう。ふと傍 らをみれば一人の青年が袋をもち、その中に自動販売機から購入したミネラルウォーターを次々詰め込んでいる。あの青年はいったい何をしていたのだろう。実 は彼には予知能力があり、この後さらに大きな震災が襲 う事を知っていた。そのため、ひたすらミネラルウォーターを溜め込んでいたのであった。。

などと頭の中でストーリーを組み立てているのはとにかく平和だからである。歩くと前に進む。うれしいではないか。そのうち「JR浜松町駅 480m」という看板がでてきた。新橋ではないがこの矢印に従っていけばJRの駅に到達できる。てくてく歩く。歩道橋の入 り口に猫がいる。写真を取ろうとカメラを取り出したら逃げてしまった。

そこを上ると浜松町駅にたどり着く。人がたくさんいるが、まだ駅のシャッターが閉まっている。時計をみればまだ7時までには間がある。JRは 7時から運行再開とかいうことだったからまだ時間があるのだろう。ホームには京浜東北線、山手線の車両がとまっているのが見える。

冷静に考えればここでおとなしく待っていればいいのだが、とにかく前進のことしか考えていない私がそんなことをする筈 も無い。地図をみると近くに地下鉄の駅があるようだ。大体の方向を確認すると、てくてく歩き出す。そのうち前方に「牛丼吉野家 24H営業」という看板が 見える。やれ、うれしや。あそこで牛丼を食べよう、と思うが店内が暗い。入り口を見れば

「食材不足のため、営業を停止します」

と書いてある。なるほど、みんなきっとここで牛丼食べようとしたのだろうな。いくら営業する気があっても、食材がなければなんともならない。

などときょろきょろしながら歩く事しばらく。地下鉄の駅につく。ホームはすごい混雑である。駅のアナウンス は「次の電車は○○駅に到着しました」と繰り返している。その間にも人は続々と到着する。ホームからあふれそうである。アナウンスによれば、電車は確かに 近づいてきているのであるが、果たして電車が到着したところで乗り込めるのであろうか。後ろで男女が話している声が聞こえる。男性の方が言う。

「ここで待っているより、少し待って人の波が落ち着いてから乗った方がいいんじゃないかなあ」

それを聞きながら(思い返せば、昨日からこうした”隣で話している人の言葉”に結構助けられた気がする)確かにそうだ、と思う。また私の家に帰るた めには、一駅のってすぐ乗り換えなくてはならない。であれば、歩いてその駅までいく、というのはどうだろうか。乗り換えも減るし、時間をずらせば事態は好 転するに違いない。

そう考えると改札に向かう。駅員さんに入場記録を取り消してもらい外に出る。さて問題です。向かうべき駅はどちらでしょう。近くにあった地図をみて 大体の見当をつけると歩き始める。土曜日の朝なのだが、今日はただの朝ではない。たくさんの人が歩いている。

先ほど見た地図を頭の中に描きつつ適当に歩き続ける。途中牛丼のチェーン店を見つける。どうやら営業しているようだ。朝からしこた まパンを食べ、それほどお腹は減っていないが、牛丼を食べることができる、という事実がうれしい。中にはいる。店の入り口にはいろいろな張り紙が張ってあ る。

07:03

張り紙

昨日から一生懸命営業しようとしてくれたのだろう。今こうして冷静に張り紙を見ると「本日販売中止」という紙が一番手前にあることがわかる。しかし 当時の私はそんなものをみちゃいない。中にはいって腰をおろそうとすると、店の人がよってきて

「今時間かかっちゃうけどいいですか」

という。何分くらいですか?と聞くと

「在庫を確認しなくちゃいけないので20−30分かかるかもしれません。」

と言われる。どうしても食べたいほどお腹がすいているわけではない。ちゃんとお店が開いているということがうれしいのだから、この店員さん の言葉で私は満足である。ではやめておきますといって外に出る。

まもなく目的とする東京メトロ三田駅が見つかった。ホームには人はまばら。やはり少し時間をおいて正解だったようだ。まもなく到着した電車は、私が いつも使っ ている乗換駅まで一本でいってくれる。それほど混んでいない。空いている座席に座り込む。座っているだけで家に近づく。素晴らしいでは ないか。

あまり頻度は多くないのだが、ご機嫌な宴会の帰り道、私はベートーベンの7番を聞く。今日は宴会帰りではないが、ご機嫌なことには変わりな い。こうした場面に4楽章はぴったりなのだ。iPodで聞きながら電車に揺られる。

乗り換え駅である東横線の日吉でおりると一旦駅からでる。ここは学生街であり、牛丼を提供している店が何軒かある。とにかく食べたいではないか。何 故牛丼にここまで固執するのか。自分でもよくわ からないが、とにかく私にとって牛丼を食べる、というのはなにやら安心感と深い関係があるようなのだ。

しかしどうやらこのエリアは停電していたらしい。 どこにいっても張り紙があり

「停電のため営業していません」

とか書いてある。早く家に帰れ、ということだな。

08:10

そこから地下鉄に乗り8分で最寄り駅-北山田駅-に着く。自宅があるマンションはいつもの姿である。「ひび割れ等ができたという人は連絡してくださ い」という張り紙が唯一の変化。エレベータに乗ろうと歩いていくと、管理人の人が誰かと話していることに気がつく。あいさつしようと近づいていくと、彼が 話している相手 は私の奥さんであることを知る。一緒に家に帰ると子供が大歓迎してくれる。昨日の晩、長男は何度も

「お父さんに電話しよう」

と言っていたとの事。本人にしてみれば、そこまで身の危険を感じたわけではない。大げさなと思う。

そこで何時間かぶりにTVを見る。映し出されている光景に唖然とする。息子は

「お父さんはいのちからがらだったね」

と言っているが確かに地震がもう少し南で起きていれば、津波に流されていたかもしれぬ。それは本人がどんな人間であるかとは全く関係のな いことだ。

今は偶然の加護により家族が無事であった事を喜ぼう。あちこちにメールを書いたり、電話をしたり。やれ、無事に4回目の年男になってしまった。

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注釈

今日は運行しません

りんかい線のこの日の運行状況に関する通知は以下のように行われたらしい。

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、現在も列車に遅れが出ています。なお、品川シーサイド・天王洲アイル駅は通過扱いとなっています。[11/03/12 08:58]

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、大崎~東京テレポート駅間の運転を見合わせていましたが、08:04頃、運転を再開しました。なお、列車に遅れが出ています。[11/03 /12 08:55]

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、現在も大崎~東京テレポート駅間の運転を見合わせています。[11/03/12 08:35]

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、現在も運転を見合わせています。[11/03/12 04:33]

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、終日、運転を見合わせています。[11/03/11 22:31]

train_rinkai りんかい線運行情報
地震の影響で、現在も運転を見合わせています。[11/03/11 21:28] 

結果からいえば、8時まで待っていればりんかい線を利用して帰宅できた可能性が高い。 戻る

大きな震災: ちなみに「東京との水道水は乳児の飲料に適しません」とアナウンスが出、ありとあらゆるミネラルウォーターが消えたのはこの日から11日後である。戻る