2011/3/11-3/12

五郎の 入り口に戻る
日付:2011/3/31


2011/3/11

14:47

その日私は学会にでていた。場所はお台場の日本科学未来館。午後最初のセッションはデモ展示。しかし昨日に比べて内容がいまいちだ。早々に見終わっ てしまう。そのあとも5時半くら いまで発表が続くが、それほど興味を持つ分野でもない。もう帰ってしまおうか。今年は免許の書き換えをしなくてはならない。早く帰って警察所にいこう か。でも午後6時まで学会、と出張届けをだしてきたしなあ。聞いていれば何かいいことがあるかもしれない。がんばって聞いていこう。

「デモは3時10分までとなっていますが、20分からセッションを始めます」

とかアナウンスがあったように思う。さて、内職に励むかと気合いをいれたところでかすかな揺れを感じた。気のせいかな?いや、やはり揺れている。 ゆーらゆーら。これは地震です。地面が揺れるので地震といいます。最初はまだ余裕だ。

しかしいつまでたっても揺れは収まらない。それどころか激しくなるばかり。最初に某先生が机の下にもぐろうとする。それを観て「大げさだなあ」と言 う余裕もない。そのうち皆机の下に 潜る。地震の避難訓練でさんざんやった行動であるが、本当に机の下に潜る光景は48年弱生きてきて初めて見た。

鞄からカメラを取り出している間に揺れがおさまったりしないだろうな、と思うが揺れははますますひどくなるばかり。足をふんばり撮影を始める。部屋 の反対側にもう一人ビデオ撮影をしている男がいる。

クローバーフィールドという映画で

「怪獣においかけられながらもカメラを話さない某登場人物は極めつけの馬鹿」

とか書いていた私だが、今の自分はまさにその「馬鹿」である。とはいえこの揺れではそろそろ撮影も危うい。素直に床に伏せるか、と考えたあたりで揺れが収まってきた。さて、どうする。震源はどこか。この近くならまだしも、もし遠くが震源でこの揺れだと恐ろしいことが起こっているに違いない。(阪神淡路大震災のとき、私は名古屋で「いつもの地震だ」と思っていたのだ)誰かが大声で

「冷静に。後に従って避難して下さい」

と言う。皆が荷物をもちぞろぞろ歩き出す。ドーナッツ、飲み物などの近くにいた人が

「どうぞもっていってください」

という。ドーナッツを二つ手に取る。2リットルのペットボトルも

「持っていけたら」

と言っているがさすがに無理である。 壁を見るとしっくいがはがれて落ちている。映像で見た事はあるが、本当に見たのは初めてだ。何かひどく非現実的に見える。

部屋をでて通路を歩く。すると隣の建物から煙が上がっている。写真を撮ろうかと思うがさすがにそれは馬鹿だと思い直す。皆に従って通路 を歩く。ある夫妻が子供をつれて階段をおりていく。旦那さ んに「鞄をもちましょうか」と言うが「いえ、良いです」と言われる。誰かが「科学未来館でよかった」という。確かにここでは一番安全な建物の一つなのだろう。新しいし。

外にでる。皆がそろっている。職員の人は「点呼をとる」とかいっているが学会の参加者を対象にそれが可能とは思えない。先ほど窓から見えた黒煙は隣の建物の向こうからもうもうと上がっている。皆がそ れをみたり、写真を撮ったりしている。

黒煙

しばらく阿呆のごとく見ていたが、そのうち一つの考えが頭に浮かぶ。

「家に帰らなくては」

家族は大丈夫なのだろうか。あの揺れ方は尋常ではなかった。もし本棚や机が倒れていたら。家族が下敷きになっていたら。とげとげがついたジャンパーをきた男達が

「ヒャッハー!」

とか言い出したらどうする。今は家族といるべきだ。そう決めると、一人東京テレポート駅に向かって歩き出す。

振り返ると黒い煙が見える。携帯電話やカメラを向けている人は多いが、今の私にはそんな余裕は無い。早足で歩く事しばらく。東京テレポート駅に到着 する。その瞬間「電車にのって帰ろう」と考えていた自分の考えが甘かった事を知る。 駅の入り口はシャッターが下りており、皆外に追い出されているのだ。とにかく家に連絡をしなくては。公衆電話はどこだ。私は今や少数派の「携帯電話を持っ ていない人」なのである。今朝コーヒーを飲んだバーミヤンというファミレ スを覗いてみる。この時点では普通に営業していたようだが、公衆電話はない。シャッターの前に駅の係員がいる。「公衆電話はどこですか」と聞く。近くにあ ることを教えてくれる。

15:48

2つ公衆電話のボックスがあるのだが、どちらにも長い列ができている。そのうちの一つに並ぶ。そもそもなぜこんなに並んでいるのだ。今時携帯電話を持っていないのは私くらいのものだろうが。そう考えていたが、周りの会話を聞くうち理由が判明する。携帯電話が通じないのだ。メールもだめ。ここ数日私は

「ネット接続あたりまえ。いまどきワンセグなんか誰が見るの」

という世界の話を聞いていた。しかし今ネットは役に立たない。情報はすべてワンセグで流れてくる。公衆電話に並んでいる間も、みな携帯電話での接続を繰り返し試みている。しかしつながらないようだ。

私が来た方からは真っ黒な煙があがってい る。それに向かってヘリコプターが飛んでいる。彼らにっては災害が餌なのだ。他にも2−3機ヘリコプターが飛び回っている。東京エリアに餌がないか漁っているの だろう。

最初私の後ろにいた老女が気がつくと私の前に割り込んできている。こういう時人間性がでるものだと思う。それから多分1時間近く並んでいたか。 会話から察するに私の後ろにいたのは大阪からきたカップルらしい。あれに乗ってたら危なかったねえとか話 している。暖かいのでまだ余裕である。 列が進んでいる限り辛抱強く待っていればいつかは待ち行列の先頭に立つ。私を抜かした老女は、もう一人ぬかそうと努力していたようだが、残念な事に私の前 の人は私ほど間抜けではなかった。列から二人横にはみ出ているような状態だが、最後まで順序は保たれていた。彼女がが会話を終えると私の番である。

公衆電話に10円を放り込むと家の電話番号をまわす。4回コールしたところで奥様がでた。こっちはフジテレビの隣にいるんだけど、と話したところで まず家族の安否を聞くべきだと思い直す。そちらは大丈夫?と聞くと、大丈夫という答え。なんでも横浜は震度2だったとのこと。今日のピアノのレッスンどう しよう かしら、などと言っている。ということはみんなとても無事ということだ。少し安心する。

そちらはどう、と聞かれるので

「とりあえず建物たくさんあるから大丈夫だよ」

と答える。奥様は「建物があるから危ないんじゃない」と言うが、こちらとしては 建物の倒壊より長時間耐える事ができる場所を探す方が大事だ。これだけ建物があるからどこかに入って時間をつぶすことができるだろう。

「まあ大丈夫と思うから、とりあえず気にしないで。まあ日本国内だし、人はたくさんいるから死ぬ事はないだろう。実家にとりあえず無事を知らせて」

と頼む。また電話するからといって電話を切る。後ろにはたくさん待っている人がいるのだ。

ともあれ連絡がつきほっと一息である。電車はしばらく動く気配がないので、すぐ近くにあるアウトレットモールに向かう。居場所を探さなくては。つい て みると状況は駅と同じである。皆外に出されている。一カ所だけ扉が開いているがその中は既に満員であり、入る余地はない。

店員とおぼしき人に「トイレはないか」と聞く。すると一階のマクドナルドだけ開けているという。礼を言ってそちらに向かうが、扉はすべて閉まってい る。 このとき雨が ぱらついてきた。あわてて屋根のある場所に入る。しばらくそこに立っていたが、状況に変化は無い。その先にゆりかもめという高架型電車の駅がある。そちら に向かう。駅に着くと改札の前に何やら置かれて封鎖されている。しかたないからその先に行ってみる。バス停に人が並んでいる。しかしバスがくる気配はな い。しばらく移動は無理のようだ。しかたない。東京テレポート駅の前にトイレがあるからあそこにいこう、と歩き始める。長い列ができ ているが、予想通り待っているのは女性ばかりで、男性の列は短い。よくぞ男に生まれけり、と思う。用事を済ますとさてどうしよう。バスを待つ長い列ができている。あれに並ぼう。バスが動き始めればここから抜け出すことができるだろう。

それから駅前に何台かバスが到着する。人が乗っているから運行しているのかと思えばそうではない。人をおろすと「回送」だの「貸し切り」という表示 になり停車する。つまり入ってはくるが、出ていかない状態だ。待っている間、2台だけバスが発車した が私の家とは逆方向。

しかたないのでおとなしくまっている。しかし依然としてバスの運行が再開する気配はない。だんだん日がかげり寒くなってきた。景気付けに2個もらってきたドーナッツのうち一つを食べる。しかし寒い。バスが動く気配はない。どこかのホテルの送迎バスが何度か姿を見せる。人が乗っているわけでもなく、人が乗り込む気配もない。この状況下でただ仕事をこなしているということなのだろう。他にスクーターが走ったりしている。ああ、自転車でもあればなあ。ここから抜け出すことができるのに。そういえばいつかニュースで「帰宅難民」という言葉を聞いたな。遠いところにあると思っていた言葉がだんだん 身近に迫ってくる。

後ろをみれば列がずっと伸びている。どうしよう。このまま待つかそれともどこかに避難するか。せっかく確保した良いポジションを放棄するのは惜し い。バスが動いてさえくれれば、2台目か3台目には乗れそうだ。しかし気温は急激に下がってきている。バス停には三々五々人々が集まってくる。その中に銀色の薄い布を体にまきつけた若者が二人いた。普段だったら変な格好とおもうところだが、今は「いいなあ」と思う。 しばらくたって彼らを見ると、自分が着ていた銀色の布をを子供連れのお母さんににあげていた。ううむ。全く最近の若い者は、感心であることよ。

などと感心するくらいに寒いのである。おまけにバスが運行を開始する気配は微塵もない。バスがエンジンを始動させる音がするから期待を込めてそちら を見れば

「回送」

だの

「貸切」

だの表示したまま人を乗せずにどこかに走り去る。そうこうしているうちに拡声器からアナウンスが流れる。

「こちらは●○区役所です。ただいま津波警報が発令され ています。高台に非難してください」

とかなんとか。そりゃそうだろうけど、この状況で高台ってどこだ。確かにそこら中にビルは林立しているが、どこも我々を迎え入れてくれそうにない。目の前にはフジTVの建物があるが、仮に津波がやってくれば彼らは大喜びで、われわれが溺死するところを撮影し放映する事だろう。

などと考えているうちに寒さは堪え難くなってくる。散々迷ったあげく、先ほどのアウトレットモールに向か う。おそらくしばらくバスは復旧しないだろう。となればもう少し暖かいところで待った方がいいのではないか。運行が開始してもしばらくは混雑するだろう が、それをやりすごせば平和に帰ることができるだろう。

というわけでモールにたどり着いてみると、まだ人は外に追い出されたままである。時々誰かが拡声器でアナウンスをしている。内部の安全確認は終わっ ていない。空調、水道 が故障しており、床が水びだしになっている。明朝からの営業再開が可能かどうか不明。テナントの人は、防寒具、貴重品をとったらすみやかに退館してくれと のこと。時折耳障りなサイレン音とともに「余震が発生しています」とアナウンスがでる。

一カ所だけ人が入れるエリアは先ほど以上に混雑している。とても中に入れそうにない。しかたないから壁際の少し凹んだところに自分の身を置く。 ここにいればとりあえず風はしのげる。しかし寒気はだんだん迫ってくる。最初は床に座っていたが立ちあがる。 座っていられないのだ。近くに男の子をつれた夫婦がおり、どうやら中国人のようだ。話しかけられた係員が誰かを呼ぶ。すると中国語をしゃべることができる 係員がきてな にやら説明している。男の子は寒いだろうに、元気にあれこれやって遊んでいる。キャンペーンをやっているとおぼしきお姉さんが、銀色の布を体にまきつけ現 れる。気の毒に、見ているこちらまで寒くなるような格好 だ。防寒着を取りに建物の中に消える。

18:09

しばらくはそんな光景を見ていたが、とうとう思い立つ。ここにいても寒さはしのげない。とにかく移動しよう。駅の方に戻るとまがまがしい夕焼けが広 がっている。何人かが携帯電話のカメラを向けている。確かに写真をとりたくなるほど強烈な光景だ。私もカメラを向ける。

夕闇

ここで数枚写真を撮っているが、どれもろくな物ではない。一番ましなのでこれである。寒くて手がかじかんでおり、かつ強風が吹き付ける中まともな写 真を とることもできない。さてここからどうする。駅を超えた反対側には、なにやら明るい建物が見える。あちらにいけばどこか入れる建物があるかもしれない。

別の可能性もある。同じ学会に出席していた人達はこの駅に来てい ない。ということは何か脱出する手段を見つけたのか、科学未来館近辺にとどまっているかどちらかだ。未来館近くには避難する場所が あるのかもしれない。どうするか。この近辺で避難場所を探すか、それとも未来館に戻るか。

こうやって決断を迫られると 間違った方に行くのはお約束である。「とにかく」ということで、フジテレビのほうに歩き出す。しかしそちらの方からも人が歩いて来る。ということはそちら にも救 いはないわけだ。マ クドナルドやコンビニの看板は見えるが、近づいてみるとどこも閉まっている。気温はさらに下がっている。周りは暗い。しかし他に選択肢があるわけでは ない。とにかく歩き続ける。ネオンはきらびやかに光っているが、どの店も入り口を閉めている。贅沢はいわない。とにかく壁の内側にはいればこの寒気をしの ぐことができる。そう考えているのだが、どこも開いていない。

ではどうする。歩いてこのお台場エリアから脱出したいが、そもそもどちらに進めばいいのだ。道路に設置されている地図を 見る と進行方 向にホテルがある。最悪ここのロビーに転がり込もう。ホテルの人も迷惑だろうが、ホテル前で誰かが凍死するのを見過ごしてはホテルの人も寝覚めが よくないだろう。

などと考えながら歩く事しばらく。ホテル日航東京が見えてくる。普段だったら絶対近づくことはない場所。きらびやかでなんだか怖いんだもん。 しかし迷っている場合ではな い。とにかく寒いの だ。東京の真ん 中で凍死はいやである。

18:20

ホテルの入り口に近づくと幸せそうなカップルが歩いて来る。きっと彼と彼女はここに泊まるのであろう。バックにはLEDが奇麗に点灯している。その 美しい光景をみれば普段なら逃げ出す。しかし凍えた身ではそんなことにかまっていられない。宿泊客以外お断りといわれようがなんだろう が、とにかく進む。とびらの前には女性がいるが、私を追い返すこともない。自動ドアをくぐるとそこは別世界。風がこないだけではなく暖かいのだ。もう一つ 内側に自動扉があるが、そこにはいるのは気が引ける。中間地帯にあるベンチに座り込む。やれうれしや。これで凍死はさけられそうだ。

同じエリアに犬を抱えたへんなおじさんがおり、ドアマンとかドアウーマンに「タクシー呼んで」と言っている。その度ホテルの人は

「ただいま台場地区にはタク シーがはいってきておりません」

とか答えている。私はそうしたやりとりをぼんやり眺める。ふと同じ場所 に子供連れの男性が座っていることに気がつく。ぐずる子供を一生懸命あやしている。何かを食べさせたり、おんぶしたり大奮闘だ。お母さんは電話にでも行っ ているのだろうか。

先ほど駅前に子供連れが何人かいた。もし自分がその立場 だったらどれほど心を痛める事か。寒いのなんのといったところで今は一人。家族は 自宅で無事だ。自分の心配だけすればいいというのはなんとありがたいことだろう。バス停の周りには外国人観光客と思しき人達もいた。言葉の通じない異国の 地で、人によっては

「生まれて初めて地震というものを経験した」

人もいたことだろう。何故か私のキャリアをねじ曲げてくれる英語力でもって話しかけようかとおも思ったが、こちらも情報が全くない。今考えればそれ でも話しかけるべきだったかもしれない。犬を連れた人も沢山いた。(後で近くに「ドッグラン」なる場所がある事を知った)まさか余分のドッグフードなんか 持ってきていないだろう。あの犬達は大丈夫だろうか。

などと考えていたが、一息ついたところでやおらPCを取り出す。この顛末を書かずにどうするというのだ。どんな災難があってもそれを文章にするのが 雑文を志したもの の定め。記憶を辿り、キーを叩く。すると手がしびれだす。感覚が戻ってきているのだ。

先ほどの変なおじさんは「タクシー」と再び要求している。ドアのところにいる女性は「一階でお待ちいただけます」という。おじさんは素直に出てい く。乳母車に犬をのせたままで。あの乳母車をタクシーにのせるつもりだろうか。そのあとこのおじさんの姿を見なかったので顛末についてはわからない。

ホテルのロビーにはたくさん人が座っている。時々数人が外にでていく。どうみてもパーティー用の薄着で「きゃー。ちょーきれー」と かイルミネーションを見て叫んでいる。隣では女性が 別の女性に

「部屋の提供はできないと言われた。今日は電車が動かない。バスは。。」

と言っている。今日帰ろうと思えば、バスが動く事に望みをかけるしかないわけか。しかしバス停に立っていては凍死してしまう。

19:16

などと考えているうち、時間は午後7時16分になった。人に動きは無い。ということはおそらく状況に変化がない、ということだ。いつまでもこうして いて もしょうがない。「帰宅難民」でもなんでも、とにかくもう一度家族に連絡をしたい。意を決して2枚目のドアの中にはいる。ロビーに椅子が並べら れ、 たくさんの人が座っている。館内地図で公衆電話を探す。こっちの方だ、と歩く事しばらく。ついてみれば長い列ができており、なかなか進まない。

しかしこういうとき焦っても仕方が無い。やおらiPodなど取り出すと、お気に入りの曲を聴く。ふーれふーれと踊る。ああ、暖かいのって素敵。気分 は上々になったが列は進ま ない。そのうち男性が やってきて

「公衆電話なら下にもあって、そちらが空いています」

と教えてくれる。どうやって降りればいいですか、と聞くと親切にエレベータの前までつれていっ てくれる。

1Fにおりるとそこは宴会場とおぼしき場所。ここにも椅子が並んでいるが、上より混雑していない。公衆電話を探すと、二人並んでいるだけ。電話を後 にしてまずトイ レに向かう。駅前の寒いトイレで用を足す事を考えれば実にありがたい。

戻ってくると、前の人の会話が終わろうとしている。私の番がきた。残り少ない硬貨を大事に使わなくては。家に電話をして、自分がホテルに避 難していり、おそらく今日中に帰ることはできないだろうことを伝える。ありがたいことに家は皆元気にしているとのこと。万が一の事を考え、荷物もまとめ たという。心強い事だ。

聞きたい事はまだいろいろあるのだが長く話しているわけにもいかない。小銭は10円2枚と100円玉一枚しかないのだ。また電話す る、 といって電話を切る。すると入れた10円玉2枚がそのまま帰ってくる。 なんとただで公衆電話を使う事ができた。後で知ったのだが、NTTは公衆電話を只で使 えるようにしたのこと。もうちょっと早くしてくれれば、40円くらい助かったのに、というのは贅沢だな。

宴会場の前に戻る。誰かが携帯をコンセントにつないだ上でワンセグを流している。しばしそれに見入る。地震の規模はマグニチュード 8.8。そんな地震は聞いた事も無い。その後恐ろしい津波が襲ったとのこと。まだ津波の危機は去っていないらしい。日本全国に津波警報のマークがでてい る。そもそも「大津波」警報など今まで見たこともない。何か交通に関する情報が得られるかと思った が、状況はそれどころではない。原子力発電所の冷却が不十分になったとか言っている。誰も家に帰る事ができない中年男の事など気にしてくれないだろう。

聞いていても気がめいるだけなので、その場を離れあたりを見て回る。東京ヘアメイク専門学校卒業式という看板があり、その周りでは若い男女が元気に あ れこれしている。 袴をはいた女の子が3人くらいかたまってソファーに寝そべっている。とても楽しそうだ。若い者は素敵だ。彼らと彼女達にとってはこの出 来事も一つの思い 出になるのではないか。はかまをはいた女性が楽しそうに話し込んでいる。男性は憮然として座っている。こういう状況では女性の方が強いのかもしれ ん。 空襲の焼け跡でも、女性はからからと笑っていた、と何かで読んだ事がある。

コンセントに電源差し込んで携帯電話を充電している人もいる。であれば私がMacの充電をしても追い出されないだろう。 今日はここで夜を明かそう。開いている場所を探しコンセントにMacを接続する。ネットはつなげないがやれることはいろいろある。

文章書きに疲れると顔をあげ、周りの様子をみる。ホテルの人達は静 かに、しかしてきぱきと働いている。我々に声をかけるわけではないが、それなりに世話をしてくれている。「避難民」とおもしろい距離の取り方をしている。 考えてみればこうしたときにこそ一流ホテルの真価が問われるのかもしれん。いずれにせよ、私のようなチン ピラを追い出さない心の広さには感謝の他ない。

23:10

ホテル一階

Twitterのクライアントを確認する。前に働いていた会社の同僚が14:48に「ゆれてるー」と書いている。ここから事態は誰もが想像できない 方向に進んだ。この先どうなるのかはまだわからない。ホテルの人が無料のミネラルウォーターとおしぼりをもってきてくれた。ひさしぶりに顔を拭く。周りの 人の様 子を見ていると、コンビニであれこれ買い込んで、小規模な宴会をしている人もいる。元気なことだが、私は眠くてしかたがない。宴会場の前に設置された机 (おそらく受付に使わ れたも のだろう)の下に潜り込み寝る事にする。ヘアメイク学院の卒業生達はまだきょう声をあげている。駅前に比べれば天国のような環境 だが、寝るのには少し寒い。しかし贅沢を言わず少しでも休息をとっておかなければ。明日はバス動くかな。

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注釈

ある夫妻: ちなみにこのご一家は4時間ほどで家に帰ったそうである。どうやってあそこから移動したのだろう。 戻る