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進捗会議大好き

先日こんな記事を見つけた。

中規模以上のプロジェクトではプロジェクトはいくつかのチームに分かれていて、さらにチームごとに担当する会社が異なることもある。ありがちな事だが、チーム別にプロジェクト内の進捗会議を行うようになってくると、これが壮大なムダになっていく。

via: チーム内でやる進捗会議はムダ - 勘と経験と読経

これを読んで真っ先に頭に浮かんだのは、「高級人材派遣」(笑)としてNTTデータさまで働かせていただいた時だ。NTTデータの社員が一人。協力会社の社員が10人くらいずらりと取り囲む。ひとりずつ進捗を報告する。ものすごい時間の無駄である。実のところ他グループの進捗を全員がリアルタイムで聞かされる必要はない。しかしこれはNTT文化では間違った最適化なのだろう。

「多くの労働時間を費やすこと」

が良い仕事と直結している文化を持つ世界だったからだ。私は4人ぐらいのグループのリーダーを任されていた。途中までは我慢して全員出席していたが、そのうち

「個人ごとに時間割」

を作って交代で出席し、その結果をグループ内のミーティングで報告するようにした。出た人間は皆に報告しなければならないから真面目に聞くし、他の人間もうちわのミーティングで気軽に質疑応答できたほうが楽しい。「若者に通じないコンピュータ用語」のネタのいくつかはこのグループ内ミーティングで出たものである。

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話しを元に戻そう。冒頭の文を書いた人はどのような解決策をとったか?

以前あるプロジェクトで「歩き回って管理する」ということを試したことがある。PMとして普段からチームメンバーの席を歩き回り、今やっていることを観察する。また構成管理ツールのログを毎日チェックして誰が何の作業をやっているのか把握する。チーム内のドキュメントレビューは共通表紙の文章回覧形式にして、机の上に積み上げるようにすれば、ボトルネックがどこにあるかもすぐわかるようにする。それを観察する。一週間観察した内容をもとに、顧客向けの進捗報告を予想で作成してから、チームリーダーたちに「間違いがないか」「見落としがないか」をチェックしてもらっていた。

via: チーム内でやる進捗会議はムダ - 勘と経験と読経

これを読んでいて、ここで行われている方法が、その昔重厚長大産業の会社で聞いた進捗管理方法に少し似ているなと思っておかしくなった。

その管理方法を説いた人は、その後社長になった人で、「最近の進捗管理方法はなっておらん。俺の頃は」と昔話をしたものである。しかしそれはちゃんと理にかなっていた。チームのメンバーの間を歩きまわり、どんな図面を書いているか見る。図面の点検ルートははっきりしており、点検、認可のどこでボトルネックがあるか物理的に見ることができる。冒頭の記事の人はいわばそれのデジタル版をやっているわけだ。

両者に共通しているのは空疎な言葉、すわなち

「そばやの出前」(もうできます。今でます)

は無駄であると最初から無視し、実際何をやっているかを観察しそれを元に進捗を把握していることだと思う。実事求是ですな。

そしておそらく、開発している対象は違えど、その次期社長も、冒頭の記事を書いた人もそうした「事実の累積」から進捗を想像できるだけの能力を持った人だったのだろう。

世代を超えた「有能さ」みたいなものが垣間見えて面白い。そのうち「私が考える有能な人の特徴」などまとめてみようかな。

というわけで九州工業大学のPBLプロジェクト成果発表会に参加した。(なぜかページが消えているので、Googleのキャッシュにリンク)

最初は、普通の大学の発表会だと思っていた。会場に一歩足を踏み入れたところで「をを」と思う。司会はプロを二人雇い、機材も本格的だ。舞台には移動式のカメラも設置され、状況に応じて画面を切り替える。このものすごいリソースはどこからやってきたのだろう。

PBLとはPorject -based learningということで「課題解決型学習」なのだそうな。謳い文句には「問題発見、問題解決」という言葉もあったように思う。

3年生が一年かけて取り組んだ成果の発表会、ということでほぼ全員スーツである。一グループだけ普段着だったのだが、それはひとりだけスーツをもっていない人がいたためとのこと。

●●班と名前がついているので何かと思えば指導した教官の名前とのこと。教官によって「課題」の与え方が異なるようだ。あるグループのプレゼンによれば、ある教官は「音声認識を使うこと」とだけ言ってあとは何もしなかったとのこと。

手のだしかたのレベルは様々だが、大きく

「問題発見」を学生に行わせたグループ

「問題は与え、問題解決を学生に行わせたグループ」

にわかれていたように思う。

先ほど述べた「音声認識を使うこと」だけが制約条件だったグループは「モテ声」を判別するプログラムを作っていた。人間にはモテる声というのがあるのではないか?そうした仮説を元にあれこれ試行錯誤してモテ声判別プログラムを作成する。

基調講演を行った明和電機の土佐社長の言葉を引用しよう。

「モテる、という人間の感性に挑む、破綻するに決まっている研究なのだが、そこに果敢に挑んだことを評価したい」


もう一グループはプレゼン中何度も「我々のプレゼンの目的は、聞いた人が太陽電池へのイメージを変えてくれることです。屋根に載っているものばかりが太陽電池ではない。太陽電池はもっと身近なものになりうるのです」

と繰り返していた。彼らは色素増感太陽電池に文字を埋め込んだ上で作成していた。彼らは審査員の投票で一位に輝いた。

問題発見、という点ではこの2グループが傑出していた。他のグループは基本的に

「先生から与えられた課題をがんばって解きました」

というものだった。こうしたプレゼンを聞いていると、その努力に感心しながらも「結局それをやることで何がしたかったの?」と聞きたくなる。彼らの答えとしては「PBLの単位がもらえました」ということなのかもしれないし、学生としてはそれで十分かもしれない。しかしプレゼンを聞いている方としては

「単位がとれたの。よかったね」

という感想しか持ち得ない。

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今回いろいろな企業から来た人が審査員として参加し、コメントをしていた。学部の3年生相手、ということで実に気を使ったコメントをしていたように思う。

しかし言わんとしていることは(学生たちに伝わったかどうかは別として)実に的確だった。覚えているものを列挙する。

・そもそもなぜこの課題に取り組んだか、という説明がない
・それを解決することでどんなすばらしい未来が広がるのか
・課題を解決した方法に新規性はあるのか

ここらへんは教官がどう指導したかに大きく依存している気がする。
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特に感心したのは明和電機 土佐社長のコメントだった。土佐氏自身、自分の作品をどう世の中に問うていくか、常に試行錯誤していることが講演から伺えた。

実は3年生の発表以外にも、1年生、2年生が各チームずつ発表した。それらは「がんばって作りました」というものだった。本来この4チームから明和電機賞が選ばれるはずだった。一チームは「出題する側から数学の問題を作る」という面白そうな課題をやっていたのだが、正直意味がさっぱりわからなかった。土佐社長も質問したが、回答は全く要領を得ない。「コミュニケーションがうまくいっていない」と土佐社長は質問をうちきった。

4チームの発表が終わったところで土佐社長が「これは課題を解いたということですか」と確認した。

さて、いよいよ明和電機賞の発表です、というとこで挙げられたのは、先程の「モテ声」だった。確かに「とりあえず電気回路作りました」という発表に甲乙つけて賞は挙げられんわな。

土佐氏は、懇親会まで残り、退出しなければならない時にこういった

「学生さんたちにアドバイス。プレゼンがくどい。3分で一端まとめて、そのあと細かい説明をしなさい。学会の発表だったらいいのかもしれないけど、学外の人もくるような場所ではそうしないと」

いや、この日で私は明和電機のファンになってしまいました。

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私がこれを受講する3年生だったらどうするかな、と思う。問題を与えられるチームに参加して、ちゃっちゃと本を読んで解決をまとめて、それについて発表しただろうなと思う。

しかし今や私は「ロボコンはくだらん」と考える「問題発見」指向のおじさんだ。

「こんな問題を発見し、それにこんな問題解決方法を提示した」

と胸をはれるような面白い発表がみたいな、、と野次馬としては思うわけだ。いや、学部3年にそこまで要求するのは無理、という意見もあろう。たしかに多くのチームが強調していた通り、知識も経験も0からのスタートだとは思う。しかし堂々と失敗できるチャンスというものはそう多くはない。知識も経験も0でもこんな解法もありますよ、というのを見せてもらえれば感動するんだけどなあ。

マネジャーとしての目標

ちなみに私は今はマネージャーではないよ。昨日こんな記事を見つけた。

結果を出せるマネージャーは、ある意味で、結果を出せるプレイヤーとは正反対です。マネージャーは、自分の知識、能力、経験に確信を持つというよりは、部下の知識、経験、能力、スキルに興味を持ってほしい。「この人にはどんな知識、経験、スキルがあって、この人は何を求めていて、その求めていることを会社の業績にどんなふうにして生かせるだろうか」と好奇心を持ってほしいのです。

 プレイヤーが「自分は正しい」という確信を持つのに対して、マネージャーは「この人は正しい」という確信を持ってほしいですね。「まだヘンな企画書を書いたりするけれど、この人の持ち味はきっとあって、これが何かに生かせるに違いない。どうやって生かせるんだろう。答えはこの人の中にある」という確信を持ってほしい。

via: 今さら聞けないマネジメント&コーチングの基本:第2回 プレイヤーとマネージャーの違い (1/5) - ITmedia Biz.ID

肩書きはどうであれ、自分がマネージャー的ポジションにいるとき、このことは何度も実感させられた。というか

「こいつは使い道がない」

などと思っていた相手が、短期間で見違えるような成果を出すことを体感した。それは自分のおかげなどではなく、多くの場合私の下を離れてからの成果だ。つまり私はその人の可能性を引き出すどころか殺していたわけだ。

これは次の文章にも通じる内容だ。

かつてネトゲで数十人を率いていたという妻「相手が欲していることは何で、どうやったらモチベーションを高く持ってくれるかを必死に考え抜くの。そうしたら勝手にみんなが動いてくれる。それがマネジメントだよ。やってないから帰りが遅いんじゃないの?」...代わりに会社に行ってもらえませんか?

via: かつてネトゲで数十人を率いた妻の「マネジメント論」 - chocontaの日記

などと何度か痛い目にあい、かつこうした文章を目にしてからは「この人は何を欲しているのだろう」という事を考えることが多くなった。「もしドラ」はかなり異様な内容とのことだが、マネージャーを「高校野球のマネージャー」とした観点は秀逸である。石原莞爾が看破した通り

「兵は神様。将校は神主」

神様たる兵に気持よく働いていもらえるよう、踊ったり祝詞をあげるのが将校の役割であると思う。しかしそれは容易ではない。私の祖父が言ったとおり

「人間ほど変わったものはない」

のだ。何を欲していて、何がその人のモチベーションを高めるか見抜くのは容易なことではない。

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さて、そろそろ新年度の足音が聞こえてくる。大企業の方には

「子会社への片道飛行」

が迫ってきている人も多かろう。でもってそういう人というのは子会社に赴任したとたん例外なく

「子会社の人間は皆どうしようもない馬鹿である」

と考える。そうして親会社に残ったものと酒を飲み、自分がどんな馬鹿に囲まれているかを愚痴るのだ。

そうやって余生を送るのもいいが、ここで引用した言葉を少し考えてみると「陰鬱な子会社生活」が少しは創造的なものに変わるかもしれんよ。そもそもそんな立場の人がここを読んでいるわけはどないのだけど。

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などと綺麗事を言っても、「どうにもならない場合」も存在する。こうしたビジネス文書を読むとき、そうした事実は触れられないことが多いが、私は

「どんな人間も誠意を持って話せば分かってもらえる」

と思うほど若くはない。人間の中に存在しうる闇は、想像よりずっと深いのだ。そうした場合にはそもそもその人間を採用してしまったことについて何が間違っていたのかよく考える必要があると思う。ちなみにそうした「反省」を見る機会が少ないことにも少し驚いているのだが。

学会と企業の距離

先日は某学会に出席していた。共通して語られたことは

「学会に企業の人が来てくれない。発表してくれない」

というものだった。
これにはいろいろな理由があるのだと思う。最近は優秀な学生さんにはいってもらうため、企業がイベントのスポンサーになることが増えたようには思う。しかしあくまでも興味があるのは「優秀な学生」であり、その研究内容ではない。

例えば有名な(そして批判も多い)ubicompという国際会議がある。あるところでこんな言葉を読んだ。

"Ubicomp is Windows without drivers"

現実世界の機器を動かすのに必要なドライバーというプログラムが存在しないWindowsのようなものだ、というたとえである。先日はこんな記事を目にした。

実際の企画の仕事は ポジティブ発想で多くのアイディアを出した上で、徹底的にネガティブ検証。 使う時間は前者が10%、後者が90%そんな感じです。

自分自身が徹底的に叩いて、その上で経験者の意見を聞き
世の中に既にあるものと比較して
シンプルですごいアイディアであることを
心底信じることができる状態になる
というプロセスが必要なんですね。

そして、その過程で経験する非常にストイックな地道な検証作業に
耐える精神的強さと謙虚さが企画担当者には必要だと思うわけです。


via: 企画力がないと心配することはない。本当に必要な能力は。。 | 守りから攻めへ ~イプロス社長 岡田のブログ~

例によって私が知っている「インタラクション研究」についてだけ書くが、大学で行われる研究にはこの「90%のネガティブ検証」が決定的にかけている。いや、もちろん既存研究の調査とか新規性、有効性の検証とかそれらしい検証はあるんだよ。でもそれが90%かと言われれば首をひねる。結果「それが本当に有効であることを、担当者自身が信じていない」研究が山積みになるわけだ。

企業の側では、ネガティブ検証が90%ではなく120%くらいになるのがよく見かける問題だ。検証というより、ハナから推進しようという意思がない、という方が正しいと思う。かくして企業と学会の距離はいつまでも埋まらないのであった。。

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などと悲観的なことばかりを言っている場合ではない。先日はこだて未来大学の「はこだて活性化」に関する取り組みについて聞いた。

これには率直に言って驚いた。はこだて未来大学自身が、人工が減少し、いくつもの問題が生じている函館の活性化のため、こんな取り組みをしているらしい。

「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークルシステム
のデザインと実装

via: Matsubara Lab » 「スマートシティはこだて」の中核としてのスマートアクセスビークル システムのデザインと実装

こうした仕事は本来行政が行うべきものと思うが、それを大学が推進しているのだ。
質疑応答で

「これは最終的には、松原さん(発表者)が市長にならないといけないのでは?」

という質問がでていた。いや、実際そうするべきだと思う。この人の予定原稿にはこんなことが書いてある。

人工知能の研究者はできていないことをできるよ うにすることに興味を持ち,自分が思いついた新しい手法でできるようになったことを 例題によって示せればそれで満足して,他の「できていないこと」に興味の対象を移す 傾向が強い.例題で示したのはその手法が原理的には正しく動くということであり,そ の手法が社会の広い範囲で利用可能になるためにはさらに多くの工夫が一般には必 要になる.人工知能はその多くの工夫をすることを怠ってきたと言える.

via: SAI_13_01_AIは社会に対してこれまで何をしてきたか_松原.pdf

ここでは「人工知能」を取り上げているが、多くの大学の研究は「その多くの工夫をすることを怠ってきた」という批判から逃れられまい。企業が大学の研究に興味を持たないのは、その「多くの工夫」を切り捨てたものだけ見せられてもね、、という理由もあるように思う。

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などと人事ばかり言っていてはいけない。じゃあお前が「多くの工夫」をしているのかと言われれば、下を向いてしまう。というわけで少し気が早いが来年の抱負。

・iPadアプリを2種類リリースする。
・論文を2種類書く。
・論文にならない変な物を一つ起動する
・(検閲により削除)

といったところで以下次号。

Google社員の今年のボーナスは

なさそうだね。。(いや、どっかで"今年のGoogleのボーナスはSNSの成果次第"とかいう記事を見た記憶があるので)

Only 3 of the 12 people listed on the Google Management Team page have ever made a single public post on Google+, totaling just 29 posts ever and only 6 in September.

via: the understatement: Google's Management Doesn't Use Google+

Googleの経営幹部が、Google+をほとんど使っていないというのだ。この記事が書かれた時点では3名がアカウントすらもっていなかったとのこと。

Webサービスを成功させるためには、いくつもの要素と運が必要だが「自分たちで使いフィードバックを得る」というのはその必要な要素の一つではないだろうか。自分たちですら使わないサービスに碌なものはない。ティム・クックやSteve JobsがiPhoneを使っていない光景など想像できるだろうか?
(Gates家のiPod,iPhone禁止はやりすぎだと思うが)

でもってこの記事に対する反論、とそれに対する再反論からいくつか。。

3. "Steve Jobs was really active on Ping?"

Ok, fair enough. But a music social network isn't even remotely fundamental to Apple's future whereas clearly Google thinks Google+ is central to its future.

4. "Google+ is really popular!"

Yes, it seems to be off to a good start. But management being disconnected from the company's products bodes poorly for the long term - just ask HP.


via: the understatement: Google's Management Doesn't Use Google+

3.JobsはPing(まだ覚えている人いる?)でActiveではなかった:確かにそうだ。しかしPingと違い、Google+はGoogleの重要なサービスだと位置づけられている。(だから私が先ほど挙げたように、JobsがiPhoneを使っていないことがあり得るか?と比較するべきだ)

4.Google+はもう成功してるよ!:確かにそのとろい。しかし経営幹部が製品から切り離されていると、長期にわたっては失敗する確率が高い。

戦闘機メーカーの幹部が戦闘機を操縦するべきとまでは言わないし、経営幹部のF/Bが間違っていることもあるだろう。しかしGoogle+がGoogleによって使われないというのは明らかに問題を示している。Google+とGoogle社両方に関する問題を。

The trouble with Google+ is that there's no vision behind it. Instead, there's a feature list that someone tried to turn into a single, one-size-fits-all product. That's a recipe for failure, as Yegge bluntly argued:

via: Google engineer calls Google+ a "pathetic afterthought" and "knee-jerk reaction" | ZDNet

このような反応がGoogle社内からでてくるのは不思議ではない。

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しかしFacebook便利だねえ。最近昔の友だちが次々と見つかる。正月に高校の同期会があるのだが、Facebookのおかげで今からあれこれ会話して盛り上がることができそうだ。

20%ルールを機能させるために

クリエイティビティを加速させるために就業時間の20%は好きな物を作っていい!とはよく聞くところ。そしてそれが全く機能しないのもいつものことだ。

じゃあどうすればいいのか?私の観察によれば結局は人の指向なのだと思う。

―― プロレタリアート的なものと、1人で前衛的なものを作ることは、割とニアリーイコールですよね。でもそれに反駁して、商業主義というか、みんなが喜ぶ娯楽を作りたいんだという方々が、虫プロに集まった。これは次元の高い/低いではなく、志向の問題ですね。

 手塚先生はある種、前衛的なアートをやろうとしていたけれど、肝心のスタッフは前述の理由でわざわざ移籍してきた集団なので、「そんなこと言われても、僕たち困るよ」という反応になってしまう、と。

via: ASCII.jp:アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか?|まつもとあつしの「メディア維新を行く」

手塚治虫は、虫プロで、そうした前衛的な個人製作を奨励したが、誰も作れなかったと。

ただ、間違いないのは、虫プロの設立に関わった人たちの多くが、東映動画に在籍していたわけです。その人たちは、非常に際立った特徴を持っていた。当時、東映で始まった組合活動が嫌でしょうがなくて移籍した人たちなんですよ。逆に、組合活動大好きなのが、宮崎駿さん、高畑勲さん、そして大塚康生さんだったりする

via: ASCII.jp:アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか?|まつもとあつしの「メディア維新を行く」

そうした人たちは労働運動が大嫌いで逃げてきた人たち。逆に労働運動大好きだったのが今をときめく宮崎その他なのだそうな。

私は労働運動に何の関心もないが、物を作らないと窒息しそうになる。だからここのロジックには賛成できないが、言わんとしている点には同意だ。つまり20%ルールがあろうがなかろうが、作る人間は作るし、作らない人間は作らない。もしあなたが会社の管理職で

「なぜうちの社員は、20%ルールがあるのに新しく物を作らないんだろう」

と悩んでいるとすれば、多分物を作らない人間ばかり採用しているからだと思う。
そもそもこの「勝手な物を作る」というのは正しいサラリーマン像とは相容れないものだ。回りの意見に関わらず、
「これがいい」
と主張し、回りが集団で何かを作っているときに
「俺は之を作る」
と勝手に創りだす。ほら、いやなやつでしょ。採用したくなくなるでしょ。でもそういう人間でなければ勝手に新しい物なんかつくらないんだよ。

このように

「殺虫剤を巻きながら、"うちの庭にはスズムシやコオロギがこない"と嘆く」

姿勢というのはまあ会社のお約束なのだが、「制度」を作ればこうした「創造性が花開く」と思い込む姿勢にはいささか興味を覚える。

さて、お役所的な集団において上司が

「新しいアイディアをどんどんだしてくれ」

とかそれに類する言葉を言ったとしよう。かつての私のような人間が

「じゃあ」

ということでたくさん新しいアイディアをだす。するとあーだこーだと理由をつけてすべてボツとなる。

その現象自体は何度も観察してきたのだが、その背後にある理由がよくわからなかった。昨日、、、を使っていてだいぶ前にこんな文章を読んでいたことに気がついた。

そもそも、競争というのはなんらかのルールに従って勝敗を競うこと。

コレに対してイノベーションは既存のルールを超えるところから始まります競争の外部や、外部に向かう動きの中から生まれるのです。

via: 2007-07-28 - 赤の女王とお茶を

お役所、ないしはお役所的企業というのは、既存のルールを守ることを生命線にしている集団である。そのルールが意味するところとか、作られた経緯はとにかくルールを順守することが第一。

でもって

イノベーションというのは、定義によって「ルールを超える」ところにあるものだ、というわけだ。であればどんな「イノベーションの提案」をだしたところで却下されるのは当たり前というわけだ。そもそもの定義が相容れないのだから。そういった組織で許容されるのは「競争」であり「イノベーション」は断固排除すべきもの、というわけだ。

であるからしてそうした団体で

「イノベーションを起こせ」

などというのは、まあ定期的に起こる発作のようなもので、静かに経過を観察していればそのうち収まる、、と今頃そうした悟りを開いても遅いのだが。

WISSというワークショップがある。とにかく特徴のある集まりなのだが、話すと長くなるので、「そもそもそれはなんなのだ」という方はここらへんからお読み下さい。

子細は省くが、昨日WISSプログラム委員会があった。委員長はチャールズ・エグゼビアこと産総研の後藤さんである。

WISSでは去年「三大改革+1」をかかげた。今年は去年のフィードバックを取り入れた上でさらにそれを進めようとしている。会議の出席者は21名。それぞれに自分の意見を持っている人たちだが、皆の発言を十分に取り入れた上でどんどん話を進めていく。

こうしたカンファレンスとかそうしたものには一定のパターンがある。しかしその中で「これはおかしい」というものは躊躇なく切り捨て、ここは重要と思えば議論を重ねる。

後藤さんと参加者が発する熱気というのはちょっと他では体験できないようなレベルだ。そもそも泊りがけで会議を行う理由はなにか。今やUstream,ニコニコ生放送で見ることができるではないか、そうした問にもちゃんと答えをだそうとしている。来るからには議論に参加してもらう。そうした姿勢が去年以上に徹底しそうだ。多様な価値観を持った論文+議論がどんな結果を生むのか今から楽しみである。

去年WISSに参加して「来年は絶対発表してやるぞ」と思った人は多いだろうが、今年はさらにその傾向が強まるのではなかろうか。プログラム委員の端くれとしては
「みなさん、これに投稿しなければ人生を損しますよ」
と言うべきであるし、実際にそう思っている。しかし自ら投稿を考えている立場としては
「あのー。みなさんお手柔らかに」
と思ったりもする。

モノづくり大国という幻想

いささか言い尽くされたトピックではあるが、昨日こんな記事を見つけた。

少なくない人のご意見が、「そんなこと(背面カバーを射出成型してから内側を削ること)をやるはずがない」というものでした。何人もの専門家と称する人たちが、いくつも理由を挙げて、アップルが別な理由でそうしていることを説明しようとしました。日本の技術者のモノ作りの常識では、そんなことを許してもらえるはずがないので、これは工程に不具合があってやむを得ずそうしたものだと説明したりします。もちろんそれは筋が通ったものではありません。そんな、いかにも場当たり的な説明をわざわざ書き込んでまで、アップルがあえてコストをかけて、ここまでやっているという事実そのものを、否定しようとします。そういう日本の技術者達の書き込みを見たときに、変えなきゃならないのは技術ではなく、彼らの頭の中身なんだと思いました。

via: 分解してわかった、アップルの"常識"はずれなこだわり| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

覚えている人がいるかどうかわからないが、少し前の日本は「家電大国」であった。そういう人たち相手にGoromi-TVを何度かデモしたことがある。

非常に興味深かったのは、現在のTVに近いところにいる人ほど反応が悪かったことだ。そりゃ「TVの専門家」からみればダメダメなコンセプトだよね。

金出教授の「素人発想、玄人実行」の逆、「玄人発想、素人実行」を「日本の技術者」の態度に見ることは難しくない。いや、射出成形後、NC機械で削るなんてのは「常識」ではありえない、と言って

「美しさをコストより優先させる」

という「素人発想」を頭から否定する。それで顎が外れるほど安くてよいものができればいいのだが、今や品質でも価格でもApple+中国のEMSに手も足もでない状態だ。

などと

他人ごとのように否定している間は楽なのだが、自分がつくっているiPad用のソフトを改めて見直し

「全然美しくない」

ことに愕然とした。これはいけない。良いものから学ばなければ、と思いいろいろなiPadアプリをあさる。

VOGUE Germany iPad App from chris on Vimeo.

今のところ一番のお気に入りは、上記のVogueドイツ版だ。私などはファッションという言葉から一番遠いところに生きているはずなのだが、このアプリの動きには感嘆せずにいられない。よくみると、既存のiosのパーツをうまく利用して実にユニークな動きを実現していることがわかる。

批判ばかりしていないで、自分でもやらなくちゃ。もっとよく出来るはずだ。

トヨタの「なぜ」

トヨタ自動車では「なぜ」を5回繰り返すのだそうな。

なぜなぜ5回は、トヨタ自動車の改善活動を語るうえで欠かせないキーワードの1つだ。発生した問題に対して、その原因をとことん追究し、真の原因である「真因」を探り当てる。その過程において、「なぜだ?なぜだ?なぜだ?なぜだ?なぜだ?」と5回繰り返して問題の核心を突いていく。

via: トヨタ流が「なぜなぜ5回」なら、リコー流は「TTY」 - 記者の眼:ITpro

いや、たしかに米国に住んでいれば、HondaかToyotaを買おうと思う。中古の値段もさがらないし、砂漠の真ん中で車が停まるのはいやだから。

しかしこの「なぜ」を称揚する以下のような文章に出会うと私は「ふーん」と思う。(ちなみに以下の文章ではトヨタと明示的に言っていません。これはただの私の想像です)

たとえば某自動車会社。
 企画書をつくるときには、上司や同僚から「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と、理由を何百回も問われます。企画はA3用紙1枚にまとめることになっています。ロジックがすっきりしていれば、A3一枚で、まとまるのです。

via: NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: パッションとロジック

ロジックが通っている。それがなんだというのか。またまたこんなことを言い出したのには訳がある。


via: Toyota Entune and Prius V hands-on -- Engadget

Toyotaが米国で今年中にサービス開始する情報サービスだ。正直に言うが、一月初めまで「中の人」だったので以下の文章にはそうしたバイアスがかかっていると思ってほしい。

この記事にはいくつかコメントが寄せられているが、その中で一番印象に残った物をいかに引用する。

Thomas Potaire 1 day ago
We are in 2011 and interfaces in cars are still coming from 2000... ugly arrows... ugly icons... empty spaces... I guess it's the Prius' way of doing it.

via: Toyota Entune and Prius V hands-on -- Engadget
我々は2011年にいるというのに、車の中のインタフェースは2000年から来たかのようだ。醜い矢印、醜いアイコン、空っぽのスペース。これが「プリウス流」ということなんだろう。(訳:私)

「なぜ」の繰り返しは有意義だろう。A3一枚にスパッと計画をまとめるのも大いに結構だ。しかしその結果がこれである。

ロジックが通っている。それがなんだ?

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いやいや、物事をネガティブに捉えてはいけない。何事もポジティブシンキングだ。この製品の素晴らしいところに着目しよう。

この製品を「革新」著しいSmartphoneと比べるからいけないのであって、過去20年間、車載情報機器のインタフェースがどのように「改善」されてきたかを見れば、このサービスが十分「革新」に値することがわかるだろう。

って消費者はそんな物の見方しないんだよ。

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