Movieの最近のブログ記事

「哲学的な自分が大好き!」

いきなり何を言い出したかといえば、映画ツリー・オブ・ライフである。
私が書いた映画評は本家を見ていただくとして、2chなんかみているとこうした映画が公開された際にいつも起こる「言い合い」が始まっているようだ。つまり

「この映画の哲学的な意味がわからないなんて、映画評書く資格がないんじゃない?」

というやつ。(この監督の前作品の映画評に対して、そういうお手紙をもらったことがある)

この映画は二つの要素からなりたっている。ありきたりな

「反発しながらも最後は一定の理解に達する父と息子」

「スーパーお星様ターイム」

だ。このお星様ターイムでは、馬頭星雲から首長竜から隕石の衝突まで色々出てくる。普通はここで寝てしまう。

でもってこのお星様ターイムのところに「哲学的意味」を見出す人が存在するわけだな。

この映画が「哲学的な深い意味をもった作品」だったのが「監督だけが楽しい自己満足&支離滅裂な作品」だったのかは既に結論がでている。

正直言うと、僕自身この映画の中で何をしていたのか、僕が内容に加えるべきだったものは何なのか、今もわからないんだ。その上、テリー(マリック監督)本人もそれをはっきり説明できなかったんだからね」と胸のうちを告白。

via: ショーン・ペン、『ツリー・オブ・ライフ』でのテレンス・マリック監督の演出は困惑だらけ - goo 映画

少なくとも出演者に対し自分の意図を説明し、納得させられないのであればそれは自己満足以外の何者でもない。それができた上で観客が難解だ、というのであれば話は別だが。

そもそもこの映画を「哲学的」といっている人間は哲学がなんたるかがわかっていない、と本職の人(と自称する人)が書いている。

この映画を高評価している方は実際に哲学とは何かということを知っているのでしょうか?
哲学とは基本的に物事の根本や原理を検討してそれを極める学問です、つまり、「必ず」自分の意見や思考を他人がわかるように、なぜ自分はこう思うか、ということを理論的に、説得できなければいけないのです。 それが難しいために過去から今現在に引き続き、大勢の学者がそれぞれの分野で検討し続けています。
この映画は 哲学的要素は、あるとすれば全体の10%位でしょう。しかも、他人を納得させられないこじつけた自分本位のそれらしい理屈をドキュメンタリー映像やクラシック音楽で虚飾しているだけだと思います。
自分たちは哲学を専攻し、それを職としています。が、本日 仕事仲間とこの映画を観て、
これは 哲学的要素があるように錯覚させられる映画だと実感いたしました。
哲学ではなく、監督の自己満足の作品だと思います。
ちなみに 有名な哲学者のサルトルは 一切を創造する神の存在を否定しています。/socrates_sartreさん

via: ツリー・オブ・ライフ/宇宙、人生、すべての答え | 映画感想 * FRAGILE

他人に説明できない「思想」をこねくりまわしているだけの状態は「哲学」ではない、ということだ。

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しかしこうした「わけのわからない作品」というのは時代を超え常に一定の人々を引きつけるようだ。そこに「哲学的意味(それが何かは説明できないけどね)」を見出す人というのは基本的に

「哲学的な自分が大好き!」

なのだと思う。

ピクサーの落日

先日Cars2という映画を見た。一足先に公開された米国での評判が芳しくないことは知っていただのが。

それについて書いた映画評はこちらを参照してもらうとして、私がとても不思議に思っているのは

「なぜあのPixarがこんな作品を公開してしまったのか」

という点にある。

何事にも好不調の波はある、という意見もあろう。たとえば大フーガを最初に聞いた人は

「ベートーベンもとうとう完全に。。」

と思ったことだろうし(映画ではそうなっていた)、ヴァージナルの前に座る女を見た人は

「フェルメールもとうとう。。」

と思ったに違いない。

しかしそれらはまあ難聴の進行とか、加齢とか、新しい方向の模索とか推測できる理由があるわけだ。このPixarの作品はどうしたことだろう?脚本を真面目に練り上げたとはとても思えない。一例を挙げよう。どっかの会社が代替燃料を開発する。でもってその燃料を使ったレースを主催するわけだ。
しかしレースの途中エンジンが火を噴く車が続出する。レースの主催者(代替燃料開発会社の社長)は「もうこの燃料の使用はやめよう」という。

そこでマックイーンが

「いや、私は代替燃料を使う。なぜならこれ以上友達を傷つけたくないからだ」

とかなんとかかっこいいセリフを言う。ちょっとまて。いつのまにマックイーンと代替燃料開発会社の社長ってそんな親友になったんだ?

こんな「ちょっとまて」がいくつも出てくる。新しい勇気ある試みをした結果の失敗なら理解できるが、これは単に脚本が粗雑なだけだ。

そう思ってちょっと調べるとこんな記事がでてきた。

2012年に予定されていたピクサー作品「カーズ2」(ブラッド・ルイス監督)の全米公開が、1年前倒しされることが明らかになった。

9月24日、米ロサンゼルスのコダックシアターで行われたウォルト・ディズニー・スタジオのラインアップ発表会において、ジョン・ラセター(チーフクリエイティブオフィサー)が明らかにしたもので、「カーズ2」を2011年夏に全米公開するという。

主人公ライトニング・マックイーンと親友メーターが世界をめぐる旅に出る、というストーリーで、公開日に間に合わせるべく、現在アニメーターたちが急ピッチで作業を進めているとのこと。

ちなみに、2011年6月には「Newt」(ゲイリー・リンドストロム監督)、12月には「The Bear and the Bow」(ブレンダ・チャップマン監督)という2つのピクサー作品の公開が予定されていたが、「カーズ2」が前倒しされた影響で、いずれかの作品が公開延期されるものと思われる。

映画.com
2008年9月26日 12:00

ちなみに今予定されているPixarの次回作は

メリダとおそろしの森 Brave(2012年6月22日全米公開予定) モンスターズ・ユニバーシティ Monsters University(2013年6月21日公開予定)

wikipediaより

である。Braveは"The Bear and the Bow"の題名が変更されたものだが、Newtが陰も形もない。計画されていた作品がキャンセルされることはよくあることだが、Newtが消滅したため、Cars2の脚本が未熟なまま1年前倒しされ、、とかそんな事情があったのかな。

いずれにせよ次のBraveを楽しみにしよう。これが同じようにBad Movieなら、おそらくPixarには何か深刻な問題が生じている、ということになる。

神の視点

というわけで、先日スカイラインー征服、という映画を見た。

この映画ではある日突然空から何者かが襲ってくる。どこから来たのかとか、(そもそもエイリアンであるとは誰も言っていない)何が目的だとかそんなことは一切触れられない。あれこれ抵抗したが結局人類絶滅か、といったところでいきなり投げっぱなしのジャーマンスープレックスが炸裂!という楽しい映画であった。(もうちょっと長い文章はこちら

映画を見ながら考えた。実際に大きな災害にであってしまったときの個人というのはこうしたものだ。全体で何が起こっているかさっぱりわからない。ただ目の前の出来事に対応して右往左往するだけである。少なくとも私は311の時そうだった。(この日及び翌日の行動についてはこちら

対するに

日本でかつて作られていた怪獣映画、というのはこうした「災害に直面した一個人」とはつねに異なった立場で描かれていた。いうなれば神の視点である。主人公はそれが新聞記者であっても一個人であってもいろいろなコネをたどって「ゴジラ対策本部」に顔をだすことになる。そして映画の作りては

「全体はこうなっています。ゴジラをこうやってやっつけます」

と言わなくては気がすまないのだ。

あるいは私が見ていないだけでそうでない視点のものもあったのかもしれん。しかし私が見た「一個人での右往左往視点」の映画はすべて米国産だ。ET,宇宙戦争、クローバーフィールド。

ここでやや強引に「日本で映画を作るときには神の視点を入れずにはいられない」と結論ずけてしまおう。このことと、日本で近年碌な映画が作られないことと何か関係はあるのかな。もっと言えば「硫黄島からの手紙」を日本人がつくることができないのと何か関係はあるのかな。と今日のエントリーも投げっぱなしジャーマンで。

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ちなみに私が↑で挙げた「個人の視点で右往左往」映画(複数形)に関わった人間が作ったスーパー8は、エイリアンさえでてこなければ名画という変わった映画でした。感想はこちらをどうぞ。

完全に一致

というわけで映画「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」をみてきた。期待値0だったのだが、これが意外に気に入ってしまった。

charles.jpg

ちゃんとした感想はそのうち本家にアップロードされると思う。キック・アスの監督だそうだが、途中ちょっとだれたところはあったが、最後まで楽しく見ることができた。元ミサイルエンジニアとしては、

「キューバ危機の時に、ハープーンやらトマホークやらあるわけないだろ」

とツッコミたくもなるが。

しかし本日書きたいのはそのことではない。

goto.jpg

産総研の後藤さんである。いやね、X-MENのプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアと完全に一致なわけですよこれが。映画を観ている最中、エグゼビアの顔がアップになるたび「あ、後藤さん」と思う。いや、それがどうしたと言われても困るのですが。

Vocaloid3には「ぼかりす」が搭載されるとのこと。それを使った「思いも寄らない」作品が発表されると思うと今から期待が高まる。それはそれとして、後藤さんはチャールズ・エグゼビアに(以下省略)

Rotten tomatoesから

Watching this nonsense after seeing tragic television images of the destruction of Japan somehow made Battle: Los Angeles appear even more meretricious.

Battle: Los Angeles Movie Reviews, Pictures - Rotten Tomatoes から引用

勝手な訳:
日本を襲った被害の悲劇的な映像をTVで観た後、この映画を見るとどうしようもなく安っぽく、俗悪に見える。

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というわけで映画館が軒並み閉まっているのだ。

私が映画を観られないなんてのはなんとでもなるが、映画産業の先行き、ひいては日本経済の先行きに不安を覚える。

天皇が崩御したときに3日間歌舞音曲を自粛するのとは訳が違う。確かにお客をいれているときに停電するのは避けたがろう。しかしそれをずっとやっていると肝心な経済が破滅してしまうのではなかろうか。

というわけで節電を心がけながらも「普通の事を普通にやる」をモットーにしたいと思う。

映画評:英国王のスピーチ

細かいことは本家に書いたので、感想をおおざっぱにまとめれば

途中までは1000円。最後の演説で1800円

であった。

いや、今日書きたいのはそのことではない。

主人公はデューク・オブ・ヨークなのだ。初めてこの言葉がでてきたとき、一人で噴出した。私の中でデューク・オブ・ヨークといえば

Postcard HMS Duke of York.jpg

である。
そして主人公のお兄さんはプリンス・オブ・ウェールズである。ビスマルクと交戦し、マレー沖で日本軍に撃沈された戦艦だ。

二人の父はキングジョージ5世。これである。

キング・ジョージ5世 (戦艦) - Wikipediaより引用:

1945年に撮影された「キングジョージ5世」。

この映画をみて何故プリンス・オブ・ウェールズが

「運の悪い艦」

と呼ばれていたか理解できた。こういう(ほぼ)現役の人の名前を船につけるセンスは、日本人にはちょっと理解しがたい。まだ国王とか大統領ならわかるが





ボブ・ホープ (USNS Bob Hope, T-AKR-300) は、アメリカ海軍の輸送艦。車両や貨物の輸送を主任務とするボブ・ホープ級車両貨物輸送艦のネームシップである。艦名は、エンターティナーのボブ・ホープから取られ、ボブ・ホープの生前に命名されている。1998年11月18日に就役し、2006年時点においても現役である。



ボブ・ホープ (車両貨物輸送艦) - Wikipedia から引用


というのかいかがなものであろうか。日本流に言えば

「輸送艦 明石家さんま」

ということになるのだが。(ボブ・ホープとさんまを一緒にするな、という議論もあろうが)

2010-2011ごんざれふ賞

というわけで「輝け!第2回ごんざれふ賞」の発表です。ぱちぱちぱち

(誰もいない空間に司会者がたたく手の音が響く)

いや、初回を発表したはいいが、その後が続かず立ち消えになるかと思われた企画ですが、今年は気分が向いたのでやってみましょう。まずは作品賞から。

作品賞&監督賞:ソーシャルネットワーク

これを見ないと、人生を損している。是非みるべきだ、と力説しても誰一人見に行かせることができませんが、それは気にしない。様々な映画評を読んでみると、人によって感じるポイントが異なっている。
人によっていろいろな感情を想起する映画。すばらしい。


主演男優賞: コリン・ファース@英国王のスピーチ
途中まで
「これはおまけして1080円かなあ」
と思っていた映画に1800円つけることにしたのは、最後の演説を聞いたから。見事な芸でした。


主演女優賞:メラニーロラン@オーケストラ!
イングロリアスバスターズでもそうだったけど、単なる美人ではない(いや、十分美人なのだけど)見事な表情の演技をみせてくれた。しかしバイオリンの演奏(の物まね)はやり直すように。

というわけで外国語映画賞も「オーケストラ!」何が外国語かは深く問わないように。


長編アニメーション賞トイストーリー3
というか長編アニメーションこれしか見てない気がする。プリキュアやポケモンは奥様にまかせたし。


最優秀コメディ賞:ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い
映画自体もすばらしいが、ヘザーグラハムがかわいい。私と7歳しか違わないとは思えない。


最優秀B級映画賞:RED
続編希望


そして最後は栄えある

見てしまった中で最低映画賞:

武士の家計簿

今自分がつけた「値段」を見てみると、トロン:レガシーとか、 アリス・イン・ワンダーランドのほうが低いのだけど、「最低映画」という文字から今頭に浮かぶのがこの映画。日本人には映画を作ることができない。(ごく少数の例外を除いて)は今年も正しかった。。

というわけで明日以降見る作品は、2011-2012ごんざれふ賞の対象作品。皆さん。がんばっていい映画を作るように。ではさよーならー ぱちぱちぱち

(誰もいない廊下で、手をたたきながらしょぼくれた男が歩き去る)

再びソーシャルネットワークについて

昨日は本職の方で、大きなヒントを得たような気になったのだが、まだまとまっていないので映画について。

最後の場面、実際にFriend Requestを送ったのか、送らなかったのかよくわからなかった。そのため何度もリロードするところが意味不明だったのだが、昨日この解釈が正しいのではないかと思うようになった。

『ソーシャル・ネットワーク』 すきなものだけでいいですより引用:

そんなマークを照らす、とてもかすかな光。 一生自分を許してくれないと思っていた、自分が創ったフェイスブックには入ってくれる訳がないと思っていた彼女が、フェイスブックに登録していたという事実。
もしかしたら、ただ単に流行りにのって登録したのかもしれないし、本当にマークを認めたから登録したのかもしれない。それはわかりません。
しかし、マークはそんな彼女のアカウントに友達申請のメールを送り、ただひたすらに、更新ボタンを押し続けます。

彼女からの許可メールが画面に映し出されるのを待っているかのように。

繋がっているのかどうか、確かめるかのように。

自分が、誰かと繋がっているのかを確かめるように。

ちなみに奥様はこの場面を見て

"男の人って、あんだけ金持ちになって成功しても昔のガールフレンドのページを見たりするものなの?"

と言った。私は

"だいたい男とはそのようなものである"

と答えた。

いや、誰も読まないブログでこんなことかいてもしょうがないのだけど。

本家映画評:ソーシャルネットワーク

映画を見ているといろいろな思いがよぎる。ちょうど同じ時期にその昔Stanfordで撮影したビデオをデジタルデータに変換していた。つまるところ当時の自分の姿を見ていたわけだ。

Stanfordにもあんな排他的な"クラブ"が存在していたのだろうか?春休み、夏休みになると寮に短期語学留学の日本人女子大生が退去しておしかけ、その行動により日本人男性の血涙を絞らせていたものだが、今もあんなことが行われているのだろうか?

映画をみてビデオを見ると、自分がもっと時間とチャンスを有意義に使うべきだったと思いはする。しかし昔のことを振り返っている余裕はない。

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すばらしい映画なのだが、ひとつ懸念点がある。日本では受けないのではないかと思うのだ。なんといってもダークナイトと少林少女の興行成績が肩を並べてしまう国であるから。
何年か前にはRookiesなどという映画が大たりしてしまう国であるから。

かつては日本でも七人の侍のような映画を作ることができたはずなのだが。。サマーウォーズがアカデミー賞ノミネートを逃したなどというニュースを読むとため息しかでてこない。

今週は一日短い!仕事全然終わってない!こういう日は本家から転載

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とっても期待していたのだ。ティム・バートンがアリスを映画化する。しかもいつものバートン組、ジョニー・デップにヘレナ・ボナム・ カーターもでている。それにこの奇妙な予告編はどうしたことだ。

わくわくしながらその時をまつ。すると見慣れた"シンデレラ城"の映像が。しまったこれはディズニー映画だったか。

というわけでヤケになった私は以下にあらすじを書いてしまう。見たくない人はここでお帰りください。

うさぎを追って穴に落ちたアリスには不可思議な出来事がふりかかる。わかったわ。

"カラスと机が似ているのはなぜ?"

の答えは

"勇気を奮って敵に立ち向かえ"

なの よ!(注:映画でにここまでは言ってません)私が戦わないとこの世界が滅茶苦茶になってしまう!

使命に目覚めたアリスは剣をとり怪物をやっつけ、Wonderlandに平和をもたらす。そして

"自立しな くちゃ。女もこれからはビジネスよ。"

と中国に麻薬を売りつけるのであった。

原作は何度か読んだことがある。そこに正面から取り組まず、"13年後のアリス"に設定を移したこと自体は悪くないと思うのだ。しかしながら。

原作の良さは"なんだかわからないけど、面白い"処にあったと思う。ところがディズニーの手にかかると"勇気をもって自立する女の物語"という わかりやすいプロットにされてしまうのであった。

半分居眠りしながら考える。"なんだかわからないけど、面白い"といえば当代宮崎某の右にでる物はいない。彼がやる気になればなあ。。 そんなことは起こらなそうだが。

敵の最強キャラがさっぱり強そうじゃないし、そもそも途中ででてきた鳥とはまた別とか。まあ細かいことはいいよ。560円かなあ。

とか思っているうち、ディズニー節は最高潮に達する。ジョニーデップがくだらないダンスを。そこで私の中で何かがぶちっと切れる。いい加減にしろ。

どんな原作でも"ディズニー"にしてしまうその強引さはなんと評すべきか。いや、それで商売がうまく行っているのならいいのだけどね。