Goromiの最近のブログ記事

モノづくり大国という幻想

いささか言い尽くされたトピックではあるが、昨日こんな記事を見つけた。

少なくない人のご意見が、「そんなこと(背面カバーを射出成型してから内側を削ること)をやるはずがない」というものでした。何人もの専門家と称する人たちが、いくつも理由を挙げて、アップルが別な理由でそうしていることを説明しようとしました。日本の技術者のモノ作りの常識では、そんなことを許してもらえるはずがないので、これは工程に不具合があってやむを得ずそうしたものだと説明したりします。もちろんそれは筋が通ったものではありません。そんな、いかにも場当たり的な説明をわざわざ書き込んでまで、アップルがあえてコストをかけて、ここまでやっているという事実そのものを、否定しようとします。そういう日本の技術者達の書き込みを見たときに、変えなきゃならないのは技術ではなく、彼らの頭の中身なんだと思いました。

via: 分解してわかった、アップルの"常識"はずれなこだわり| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

覚えている人がいるかどうかわからないが、少し前の日本は「家電大国」であった。そういう人たち相手にGoromi-TVを何度かデモしたことがある。

非常に興味深かったのは、現在のTVに近いところにいる人ほど反応が悪かったことだ。そりゃ「TVの専門家」からみればダメダメなコンセプトだよね。

金出教授の「素人発想、玄人実行」の逆、「玄人発想、素人実行」を「日本の技術者」の態度に見ることは難しくない。いや、射出成形後、NC機械で削るなんてのは「常識」ではありえない、と言って

「美しさをコストより優先させる」

という「素人発想」を頭から否定する。それで顎が外れるほど安くてよいものができればいいのだが、今や品質でも価格でもApple+中国のEMSに手も足もでない状態だ。

などと

他人ごとのように否定している間は楽なのだが、自分がつくっているiPad用のソフトを改めて見直し

「全然美しくない」

ことに愕然とした。これはいけない。良いものから学ばなければ、と思いいろいろなiPadアプリをあさる。

VOGUE Germany iPad App from chris on Vimeo.

今のところ一番のお気に入りは、上記のVogueドイツ版だ。私などはファッションという言葉から一番遠いところに生きているはずなのだが、このアプリの動きには感嘆せずにいられない。よくみると、既存のiosのパーツをうまく利用して実にユニークな動きを実現していることがわかる。

批判ばかりしていないで、自分でもやらなくちゃ。もっとよく出来るはずだ。

入力デバイスを変えるのなら

というわけで、"Goromi-Tubeでみかけた研究"シリーズです。ぱちぱちぱち(一回で終わる気もするが)

まずTomとJerryを使ったデモビデオの構成に感心する。よくこの回をみつけたな。
使われている技術および(デモビデオから判断する限りにおいての)反応にも感心する。

しかし

いつもこういう"入力ネタ"をみるたび思うのだが、なぜこれだけ面白い技術を使ってマウスを作るかな。
どうがんばっても、こうした○○認識は物理的なボタンとは異なった特性を持つと思うのだ。であれば入力のインタラクション方式もそれにあわせて考えるべきではなかろうか。

入力デバイスを変えるのなら、インタラクション方式全部かえなきゃだめだよ、というのが持論。MicrosoftのTablet PCとiPhone/iPadを使ってみれば私が言っていることが理解してもらえるとおもうのだが。

iなんとかで失ったもの

というわけでiPhoneをもち、会社の机がなぜかiPadの充電ステーションになっている私であるが、心の奥底には常に影がつきまとっている。

結局のところiPhoneで何をみているかといえば圧倒的に多いのが2chである。もちろん興味深い情報も多いのだが、それだけでいいのだろうか。一日24時間が変わらないとすれば、2chを見るために犠牲になったものはなんだろうか。

するとiなんとかに限らず、PCでもだらだら情報を閲覧している時間が多いことに気がつく。この

"情報をだれ見"

することによってどのように満足感が得られるのか、という問題は誰かに研究してもらうとして、その結果については常に懸念が付きまとう。


もう一つ。親指をせわしなく動かすガラケーインタフェースを嫌悪する私であるが、iなんとかもそれよりましではあるが、依然として美しいとは言えない。結局(私も含めて)小さな画面に見入って指を動かしているだけなのだ。

そうこう考えているうちこんな文章に出会う。





あなたが手にしている、そのゲーム機のようなものと、妙な手つきでさすっている仕草は気色わるいだけで、ぼくには何の感心も感動もありません。



宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ から引用





世界に対して、自分で出かけていって想像力を注ぎ込むことをしないで、上前だけをはねる道具としてiナントカを握りしめ、さすっているだけだからです。



 一刻も早くiナントカを手に入れて、全能感を手に入れたがっている人は、おそらく沢山いるでしょう。



宮崎駿監督iPadについて「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」と語る:平凡でもフルーツでもなく、、、:ITmedia オルタナティブ・ブログ から引用

そしてとどめはこの言葉だ。


関心を自分自身のことに絞る。何か新しいものを作っていないと倒れそうになる、と不惑を超えた今頃実感している私であるが、2chをだらだら観ている時間があれば、中断しているGoromi-Padなどつくるべきではないのか。そこから目をそらしてどうする。

PCに向かって電車の中でうんうん唸りながらプログラムを作っている姿が傍目に美しいか、という問題はさておき、つくらなくてどうする。

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もう少し小さな問題として

"Google先生のお告げに従い文字情報にたどり着けばわかった気になる"

という問題もあるのだが、これは別に考察すべき。

Google脳の限界

最近薄々気がつき始めたのだが、一見公平な情報サイトが、金をもらって宣伝記事を書くことがあるらしい。これもたぶんその一つだろう。だから内容に突っ込んだりするのは野暮かもしれないが私が言いたいことの枕として使わせていただく。

一度そのインターネットとテレビの融合がもたらす優れたエクスペリエンスが世間を驚かせ、これはぜひとも一家に1台は欲しいよねって反響を引き出せれば、ニッチなスマートフォンやタブレットのユーザー層ではなく、どこの家にでもあるテレビのことですから、爆発的なスピードで売れていく可能性だって否定はできませんよ。

まもなくiPhoneは抜き去られる! グーグルが放つ3本の矢で形勢逆転... : ギズモード・ジャパン から引用


さて、そこまでギズモードが推奨するGoogle TVだが、果たして彼らはこのビデオを見て"わくわく"するんだろうか?

あれほどWeb serviceで強力なGoogleがなぜ碌でも無いAndroid phoneしか作れないのかは深い 値すると思うのだが、ここでは書かない。

ここで言いたいことはGoogle TVにみるGoogle脳の貧弱さである。

彼らはTV番組を"検索"すると考えている。

これはどうしようもなく間違っている。TVは明確な目的意識をもって見るものではないのだ。スキマ時間、ちょっと退屈な時何も考えずに電源を入れる。映ったものが気に入れば見続けるし、気に入らなければ変える。変えるといっても使用者は

"これがみたい"

という要望を持っているわけではない。単に"何か別の"と考えているだけなのだ。

↑のビデオの冒頭でそのことについて明示的に述べながら、いざ実現されたGoogle TVが全く従来の"Google検索"の延長なのには失笑を禁じ得ない。いや、才能が結集しているGoogleのことだ、私が指摘するような意見は必ず社内で出たに違いない。

それが従来の成功体験に基づいた多数意見によってボツになったとすれば、それは大企業病の症状である。。というのは考えすぎだな。

糸井 その答えならばちゃんと普段から用意しております。「わあっ」です。「わあっ」てモノが、売れる。

iPad、「アバター」から前川清まで――イトイ式「売れるモノ」の法則:日経ビジネスオンライン から引用


簡単にいえば、Googleが提供する物にはこの"わあっ"がないのだ。Android phoneしかりGoogle phoneしかり。

"わあっ"の塊だったらMacintoshが売れず、"まあこれで仕事になるか"のWindowsが世の中を制した実例もある。あるいはGoogle TV,Androidが結局世界を制するのかも知れない。

しかしそんな世の中にはなってほしくない-と一消費者としては思う。

iPadで驚くのは

買ったけど使い方がわからん、という声をぼちぼち聞くことだ。

先日親戚の葬式にでた。そこに姉がiPadを持ってきていた。驚嘆である。しかも

"アプリをいれると楽しい?よくわかんないのよねえ"

と言っていた。

ああ、そんな勿体ない。俺にくれ、と言おうかと思った。多分殺されるのでやめておいた。
うちの母もiPadのことは知っていた。なんだか行列して買うんでしょ、あれ。

さて、ここで考えなくてはならないのは

iPhone,iPadの行列にはある程度企業の宣伝的なしかけがあることはもちろんだ。しかし並んだ人の大半は

"勝手に徹夜した"

人であることを忘れてはならない。PS3発売の時の怒号に満ちた大騒ぎとはまた何かが違う。

見せてくれた編集者氏は、ほとんどアップルのセールスマンだった。それほど全力で私にiPadの魅力をアピールした。

「で、ここをこうするとほらフォトフレームになるわけです」
「......うう......」
「動画も見られますよ」
「......うう......あ......」
「ね。なかなかの画質でしょ?」
「............」

 それにしても、こういうブツをいち早く手に入れた人間は、なにゆえに必ずや布教活動を展開することになるのであろうか。あまた生まれいずる市井のペテロたち。その無償の情熱と行動力。

via: 私がiPadを買うべきでない理由:日経ビジネスオンライン

iPhone,iPadはなぜ人をセールスマンにするのか、というのは面白い問いだ。理屈っぽくない人はこういう答えを出せる。

NBO ははあ、だから「頭で考えてしまう」タイプのインテリは必ずしも反応しなかった。

糸井 「わあっ」は、なんというか、ボディで、全身で、その対象物に出会ったときに、思わず出てきてしまうんです。言葉とか理屈を超えて、凄い、うれしい、欲しい、と思ってしまう感覚。でも、本当に欲しいもの、本当に好きなものに出会った瞬間というのは、そういうものじゃないですか。

NBO たしかに、わあっ、なんなんだこの商品は! 俺に買われるためにできたのかっ、というモノに出会っちゃうこと、あります。

糸井 マーケティングなどが発達しすぎると、どうしてもお客さんのニーズや好き嫌いだけを徹底的に分析して、モノを作ろうとしがちです。でも、それをやりすぎると、もしかすると一番肝心な「わあっ」がどこかにいってしまったりするのかもしれません。

NBO たしかにそういう商品、少なくないような。

via: iPad、「アバター」から前川清まで――イトイ式「売れるモノ」の法則:日経ビジネスオンライン

さすがにiPadの時は減ったが、最初にiPhoneが発表された時は、"頭のいい人"からの批判をたくさん聞いた。

もちろん頭のいい人はその強みを発揮できるところでご飯を食べていくわけなのだが、この"わあっ"にはいつまでも届くことがない。この"わあっ"こそが私の姉にiPadを買わせたものなのだと思う。

私は頭が鈍い人なので、"わあっ"と騒いでご機嫌になるのだが、頭のいい人たちの会話にはいつも悩まされる。それにどう対処するかは未だ解がない。

Goromi-TubeはiPadに対応していません

なぜかといえば、Flashで書かれているからです。

今後もiPad上でFlashが動く見込みはない。しかしあの異常な操作感は捨てがたい。というわけでObjective-Cで書きなおすことになるのだがここに問題が一つ。

あれこれ見ているが、iPhone OS上で、Youtubeの画面を縮小表示で再生する方法が見つからないのだ。ではPlaylist編集モードと映像閲覧モードを分ければいいではないか、とも考えるのだが、Goromi-Tubeのいいところは

"だらだら見ながら次を探す"

ところにある。これではいかんともしがたい。

というわけで

いっそのことiPad2台向けのアプリにしてやろうかと思うのだ。一台ではPlaylistの編集を専門的に行い、もう一台で映像を流し続ける。どうやって2台つなぐかわからないけど。

でもって

この際だから、Goromi-Tubeの機能のうち、Playlist編集、創発を前面に押し出してやろうかと思うのだ。Youtubeにあるような短い映像の見方は、2時間ものとは根本的に異なる。重要なのはPlaylistなのだ。人は基本的にちまちま映像を選択してみたりなどはしない。ただ大まかな方向を指示するだけであるべき、、、と言葉で言っても伝わらないので形にしないとね。

分類するのだ

例によっていきなり引用

分類の難しさは、生物だけに限られたものではない。例えば海と湖と池と沼は、明確に区別できるだろうか? 山と丘は? 天気はどうだろう。晴と曇りと雨との間に、はっきりとした線引きができるだろうか。 天気雨の日は、晴に分類するのか雨に分類するのか、あるいは天気雨という新しい種を作るのか。気象庁が定める分類はあるけれど、アプリケーションによっては気象庁の分類がどうあれ、雨つぶが落ちてきたら雨に分類しないと、例えば洗濯物の管理システムなんかだと困りかねないよね。

なんでこんな事になるかというと、「種」という概念が人工的なものだからなんだよね。 自然物は、人が作った「種」とは関係なく無数のバリエーションが存在している。 でも、ヒトのかよわい頭ではその違いをすべて認めて把握することなんてできっこない。そこで、そのかよわい頭でも扱えるように、似たようなものをひとまとまりにして情報量を削減して認識している訳だ。 だから元々分類には多少の無理がある。それでも、頭の中での情報処理のコストを大幅に節約できちゃうので、普段から僕等はこの無理を通して生きている。

via: 2010年3月の小ネタ

ここで福地氏が指摘しているとおり、分類というのはあくまでも便宜的なものでしかない。"階層メニュー"の使いにくさもここからきていると思っている。階層メニューとは機能を"分類"してそれぞれのタグをメニュー項目に割り当てるものだが、"分類"が設計者とユーザで一致していないと

"探したいものがない"

ということになる。

つまるところ分類等は意味を持たないのであって、"何かこんなもの""これ違う"という適当なフィードバックからいわば動的に"分類"を生成し提示してやろう、というのがGardsとかGoromiの考え方。

今考えているのは、そうした場合に何種類の入力があれば全体像も定かならぬデータをブラウズできるのか、ということ。こうしたインタラクションの方法に名前をつけると、一つの分野として確立できるかなあ。

家庭のリビングに大型ディスプレイがおいてある。それは一体何をするべきなのか。

過去においてこの設問に対する答えは簡単だった。どこかから配信されてくる美しい映像を映し出す。できるだけ大型の画面で、できるだけ安価に。

しかし不幸にしてその方向に進んでいけば幸せが得られる時代は終を告げた。どんな機器にも、定められた方向に線を延長していけば-つまり自分がどちらに向かっているか気にせずにひたすら努力すれば-報われる、という幸せな時期が存在する。そしてそれがいつか終を告げるのも古今東西一貫した真実だ。

さて、表題の設問に戻る。"リビングにある大型ディスプレイは何をすべきかのか"

ひとつの答え-あるいは提案と呼ぶべきか-がこの文章である。

ちなみに、私が数年前から暖めている商品のアイデアがあるので、ここで披露しよう。題して「おかえりなさいテレビ」。ターゲットは、毎日のように9時とか10時にならないと家に帰らない・帰れない会社員。わざわざ番組予約をして見るほどテレビは好きではないが、まわりの話題についていけるぐらいは、ドラマとかニュースとかスポーツ番組は見ておきたい、と感じている人たち。

 操作はいたって簡単。家に帰ったら、スイッチをオンにするだけ。いきなりその日のテレビ番組のダイジェストが始まる。流れている映像に興味がなければ「スキップ」ボタンを押す、興味があれば「しばらく見る」ボタンを押す。それだけだ。最初はあまり賢くないが、使っているうちにだんだんと「この人は野球が好きだな」とか、「キムタクのファンなんだな」と理解して、ダイジェストの内容が充実してくる。その人が平均して何時ぐらいにテレビを消すのか(=寝るのか)も認識して、家に帰った時間から計算して適当な長さに編集してくれる。

Life is beautiful から引用

ターゲットを設定し、"つかれたオヤジ"に要求する操作を

電源On

だけに絞ることは正しい。また簡単なフィードバックを得るという方向性も良いだろう。


しかし私はこの提案に賛成しかねる。これは私が常々批判している

"タコツボ製造機"

になると考えるからだ。
野球ファンだと判断したプログラムはひたすら野球の中継、ニュースだけを編集してつかれたオヤジに送り続ける。しかしある日オヤジは気がつく。何も画面に映らなくなったのだ。どうしたことか、と彼は仕事中に2chを覗く。

そして初めて知るのだ。世間がプロ野球というものに対する関心を失っていたことを。(参考情報)

"売れる""売れない"で言えば、この構想に基づく受像機は"売れる"のかもしれない。しかし私の考えではそれは人間に幸せをもたらさない。

"常日頃見ているものと似たものをみたい"

などというのは人間の欲求のほんの一部でしかない。誰かがつけっぱなしにしたTVをふと見て全く新しい分野に目覚めることはないだろうか?

人間は

"自分が過去に見たのと類似のものをみたい"

という欲求と

"少し新しい物を知りたい"

という欲求の間で揺れ動いているものだと考える。実際Goromi-Tubeを使っていて最近多用するのは

"あなたへのおすすめ"

機能だ。(ちなみにこれはGoogle Accountを利用してログインしないと使えない)自分が"お気に入り"にいれた動画を見返すよりもその機能を使うことが遥かに多い。さらには"Other"機能を使うことも増えてきた。自分が今までに見たものとは全く違うもの、とにかく何か別のものをみせろ、という欲求は必ず存在しているし、"リビングに置かれた大型ディスプレイ"に必要な機能だと考えるのだ。

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とかなんとか文句ばかり書いていると

批判だけなら能なしサラリーマンでもできる

といわれてしまう。確かにそれは事実なのだが、"じゃあお前は何を提案するのだ"という問に対して(誰も聞かないと思うけど)二つ提案をしておく。

ひとつはGoromi-tube。基本的にこれは流しっぱなしである。アクセスすれば何かが始まり、延々動画が再生される。しかし"何か別の"とか"おすすめ"とかを選択できるようになっている。PC上のアプリなのでマウス操作が必要だが、家電に搭載されれば、少数キーのリモコンで容易に操作できるはずだ。(本当はこれを優雅に操作するためのリモコンについてもアイディアがあるのだが、それはまた別の機会に)

でもねえ、これ誰も使ってくれないんだよねえ。。というわけでアイディア倒れは明白。いいんだ、自分は楽しく使ってるから(と石を蹴る)

もうひとつは、いつぞやかのブロガーイベントで提案した

""

としての大型ディスプレイである。

ソーシャルメディアがここまで流行ったことは何を意味しているか。今やTVを見ていた時間はソーシャルメディアにアクセする時間に吸い取られてしまっているのだ。

それは

"自分が知っている人間が何を言っているか行っているか"

に人間はとても興味を持つ、ということではなかろうか。

であればだよ

TV局の下請け会社が心血をそそいで作った番組(-あるいはそのダイジェスト-)より、自分の子どもが昼間に"大型ディスプレイ"の前で何をしていたか、つかれたオヤジにとってはそちらのほうが心にしみるのではなかろうか。

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この文章で私は"TV"ではなく"リビングに置かれた大型ディスプレイ"という言葉を使っている。もうそう考えるべき時期ではないかと思うのだがいかがだろうか。

頭文字G

| コメント(1)

ある時点を境に、私が表にだすソフトウェアの頭文字をGにすることにした。GLBrowser,Goromi,Gardsくらいかな?

一つだけ例外がある。SmartCalendar-Xだ。ある人が未踏ソフトウェアでSmartCalendar,SmartWriterというものを作ることになった。そのコンセプトがおもしろい、と思い半ば自発的に作り始めたプログラムだ。

そんな経緯もあって頭文字はGではない。しかし仕様的に参考にしたのは

"カレンダーのインタフェースで写真を閲覧する"

というところだけである。それはWindows版SmartCalendar(N)と比べてもらえればよくわかる。Windows版はWindows版を作った人(未踏に採択された人ではない)のコンセプトで作り上げられており、私のプログラムとはほとんど別物である。個人で金にもならないプログラムを作る楽しみというのは、仕様も実装も自分で行うことにある。


ある日SmartCalendarが何かの媒体で取り上げられているのを知った。画面はまごうかたないSmartCalendar-X。しかし"作った人"としてクレジットされていたのは、私の名前ではなかった。未踏に採択された人だった。

扱いから言えば確かにそうだ。私はいわば"富士ソフト"のような扱いになったわけだ。"仕様通り"ソフトを作った会社の名前が表にでることはめったにない。

その時SmartCalendar-Xという名前にしたことを少し後悔した。

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それから月日は流れ、昨日こんな記事がでていることを知った。

わかったことは、ソフトウェアについてである。ソフトを作ることは、とくに環境が充実している昨今では、とても簡単なのだ。誤解を怖れずにいえば、(ExcelやWindows、Mac OSやATOK、一太郎のような大規模なソフトは別として)、たいていのソフトのコアの部分は、1日くらいで作れるのではないか。特に、世にあるフリーウェア/シェアウェア程度であれば、デバッグやさまざまな付属機能は別とすれば、まず自分でも作れそうな気がするのだ。

via: 【PC Watch】 【特別レポート】続「PilePaperFile」 ~「欲しい」が止まず年間50本のソフトを開発


美崎さんならコアを一日でかける"簡単な"ソフトウェアを数カ月もかけて開発してどうもすいませんでしたねえ


今私はSmartCalendar-Xという名前をつけたことをとても後悔している。おそらくiPad上で写真+カレンダー+環境的コミュニケーションのソフトを作成するが、頭文字はGにしよう。Galendarとかね。

Goromi-TubeにPlayelist機能をつけるには

もとはと言えば、増井さんが以下のような内容を、Twitterに書いていたことから始まる。

"好きな動画を適当に放り込むとずっとランダム再生してくれるものはないのか"

脊髄反射的に"それはGoromi-Tubeでできる!"と思って2秒後にはできないことに気がつく。

今のGoromi-Tubeでは右側に並ぶのは"検索結果"であり、Playlistではないのだ。

しかし

"好きなリストを延々再生してほしい"

という要望は確かにわかる。というか自分も気がつくとそんな使い方ばかりしていることに気がつく。

となるとだよ。

Playlist的機能を、どうやって今のGoromi-Tubeと違和感なく融合できるか、という問題が生じるわけだ。

さらには

"Playlistから遺伝的に進化した別のPlaylistを作る"

なんてこともいいのかもしれん、とかあれこれ妄想だけは膨らむのだが。具体的にはどうしたもんか。。