駄目の最近のブログ記事

組織は下からは変わらない(絶対に)

昨日引用したブログ記事が話題になっているようだ。こんなコメントもついている。

社名出しちゃって良かったんだろうか?
こういう体質の組織はどうだろうってな感じで問題提起すりゃいいのにね。
残念な社員はどこにでもいるんだね。
生産的に物事を改善することはできるるのに。。。
破壊的にしか行動できないのは今時の思考かもね。
これじゃ内部テロだな。

via: Make the world a better Happy Place: NTTコミュニケーションズで出世する方法

私にはこの記事の何が問題なのかがわからない。(そう、私はチンピラサラリーマンなのだ)そもそもはてなブックマークについたコメントをみても

「これは虚偽だ」

という意見は一つもない。つまり本当のことなのだ。

これから会社にはいってもらおう、という学生さんに向かって本当のことを述べるのがなぜいけないのか?間違ったイメージをもって入社後に不満を言われるより

むしろこれ見て「これくらいならチョロい」とクレバーに振る舞って、かつ自分の理想を実現するような若者というのを人材的には求めている気はするけど......あとはおまかせします。

via: はてなブックマーク - Make the world a better Happy Place: NTTコミュニケーションズで出世する方法

こうした人材に入ってもらったほうが双方のためではなかろうか。

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さて、冒頭引用した言葉はこうした大企業の「まっとうな社員」に典型的なものである。いろいろ理屈は述べているが、要点は

「組織に対する批判は許さない」

である。つまり組織は絶対に正しいのだ。この人は「生産的に物事を改善することはできるのに。。」と何の傍証もなく断言しているが、こういうメンタリティにはあこがれを感じる。同じ日にこんな記事がでたのは何かの暗示だろうか。

新人職員に正座させ、飲食代まで出させるあきれた上司――。熊本市は26日、悪質なパワーハラスメントがあったとして農水商工局の出先機関の男性係長(49)と男性技術参事(47)を停職6カ月の懲戒処分にし、発表した。

市人事課によると、2人は2009年4月採用の20代の男性職員に同6月ごろから約

2年半、ほぼ毎日のように職場の喫煙スペースで30分~1時間程度の正座をさせた。

その際、他の職員に怪しまれないよう、笑っているよう指示。所長ら職場の全職員が
正座を目撃していたが、所長は「指導熱心と思った」という。


via: 痛いニュース(ノ∀`) : 新人職員に毎日正座をさせ、昼食代計100万円以上おごらせる...熊本市職員、パワハラで停職6ヶ月 - ライブドアブログ

これだけの違法行為をしても、所長は「指導熱心と思った」。組織とはこういうところである。こういう状況を「角をたてず、建設的に解決する方法」があるのなら、是非教えて欲しいものだ。あるいはオリンパスとかね。今回明らかになった犯罪は、もちろん社内(少なくとも関係者)には周知の事実だったのだと思う。しかしそれを告発することは「テロ」であり、「建設的に解決する」のが正しいサラリーマンというものだ。もちろん解決はできないから、口をつぐむだけだが。

こうした例に関わらず、組織というのは絶対に下からの意見では変わらない。そんな事例は聞いたことも観たこともない。(映画だとよくあるけどね)この事実は多くの人が覚えておくべきだと思う。私のようなチンピラの言葉は信用できん、という人のために以下の文章を引用する。

「病んだ政治(再び)

・病んだ政治を下から治療することはできない。むだな努力で時間を浪費したり、自分の立場を危険にさらす必要はない。

・問題が自然に解決するか、行動するチャンスが来るのを待つしかない場合もある。

・奇跡が起こることもある(だが、あてにしてはいけない。)」

(デッドライン P287)


Steve Jobsはダメな奴だった

昨日からブログを読めば「LCからの付き合い」だの「初めてIIsiに触ったときの」とか全く最近の若いものはなっておらん。私なぞ1984年から(という年寄りの戯言はこちらに書いてあります)

私がSteve Jobsという人間の存在を意識しだしたのは、1989年ではないかと思う。当時の上司の勧めで「スカリー」という本を読んだ。



スカリーとは誰か?当時JobsはAppleにいなかった。代わりにAppleを率いていたのはジョン・スカリーだったのだ。NextでJobsはがんばっちゃいたが、全然うれていなかった。Appleを21世紀までひっぱっていくのはスカリーだ。そう思っていた。

この本は、スカリーの自伝だからSteve Jobsのことはダメダメに書いている。曰くサーバー製品の開発がなかなか進まないので、事情を調べた。どうもジョブスはサーバーがソフトウェア主体の製品であることが理解できていないようだ。他にもダメダメなエピソードがいくつかあったが忘れた。

その後私はアメリカで2年暮らした。友達が遊びに来たのでSan Fransiscoを案内した。その時たまたまどこかのコンベンションセンターで

"Next World"

というイベントをやっていた。ほら。ちょっと前までMac Worldってあったでしょ?それのNext版。

人はだれもいない。ふと友達が言った。

「Jobsだ」

みれば、どこかで見たような人がいる。それまで見た写真では髪フサフサ、髭全くなしだったのだが、この時のJobsは髭が生えていたように記憶している。友達は「サインでももらおうか」といったが、私は「いいよ」とその場を後にした。今更地団駄踏んでくやしがっても遅い。

さて、日本に帰ってきてしばらくたった頃、スカリーは誇らしげにNewtonをアナウンスした。これはすごい。ハード製造も切り離して、これが新しいビジネススタイルだ。しかし日本語版は「水泳ができるころにリリースします」と言われたきりいつまでもでてこない。そのうちスカリーはスピンドラーにとって変わられた。

そのスピンドラーもいつしかアメリオにとって代わられ。。そして米国の雑誌では

「Appleはどこに買収されるべきか?」

などというコラムが載っていた。IBMに買収された場合、Motorolaに買収された場合、それにSonyに買収された場合。そうだよなあ。SonyがAppleを買収してくれないかなあとその時は真剣に考えたものである。

さて、JobsがAppleに戻り、あれこれの変化が起こり始めた。互換機路線をスクラップにした。私はこれに激怒した。魅力的なハードをつくろうと思えば、互換機を認めるしかないじゃないか。(当時は真面目にそう考えていた)

次にiMacを発表した。これは気に入った。しかしなんでLocaltalkのコネクタまで削除するかな。あれがあれば今のMacからデータ移すの簡単なのに。(当時Ethernetは金のかかるオプション品だったのだ)これだからJobsは、、とそう考えていた。

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当時のJobsはいやな奴で、ダメな奴だったのは間違いないと思う。一緒に働いたことのある人の記事を読むとそうとしか思えない。

スティーブの下で仕事をしてみて一番最初に思ったのは「ああ、本で書かれている通りの人だ」というものです。

本読んでいた時はさすがにそこまでひどくないだろ、と思ったんですが、本当にその通りの人でした。

via: 追悼 Steve Jobs - [モ]Modern Syntax

そんな折、まさかの Steve Jobs 復帰。

社内の様子は一変しました。最初は熱狂としかいいようのない興奮で迎えられたSteveでしたが、ごく短期間の間にその熱狂は「恐怖」とでもいうような感情によって置き換えられました。

via: Steve Jobs の思い出 | まつひろのガレージライフ

そしておそらくは最後までいやな奴でダメな奴だったのではなかろうか。

我々はともすれば、「偉人」=「人格の立派な人間」と思いがちである。思うに少年少女向けの偉人伝がそうさせているのではなかろうか。

しかしそんなことは全くない。いやな奴でダメな奴がどれだけ世の中の方向を変えたか。SteveJobsという人間がいたことで何が起こったか。リアルタイムで体験できたことは全くの幸運だった。

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Steve Jobsは

「個人が存在することで、どれだけの変化が起こりうるか?」

を身を持って証明した。

Steve Jobsが存在しない世の中を考えてみよう。

・未だに我々はメインフレームのCUI端末を前にしていたかもしれない。
・携帯電話は二つ折のままだったかもしれない。そしてゴミのようなサービスの対価としてキャリアに300円ずつ払っていたかもしれない。
・音楽のダウンロードサービスは存在したかもしれない。しかし一曲1000円で一回再生するごとに50円課金されたかもしれない。

冗談ではなく、本当にそうだったかもしれないのだ。Jobsがこれらの変化を成し遂げた、というのは間違ったものの言い方だ。しかし「Jobsがいなければこれらの変化は起こらなかった」と思うことはそう的外れではないかもしれない。

ではこう考えてみよう。

Jobsがすい臓ガンにかからなければどうなったか?

2005年のスピーチで

「あと何十年かは死に直面しないことを願う」

といっていることから、その当時はまだ何十年かは生きるつもりだったのだろう。例えば65歳まで、9年間AppleのCEOを務めたとしよう。

今までと変わらないペースでものすごい新製品を創り上げたかもしれない。あるいはどこかの時点で、Apple最大の資産が負債になったかもしれない。人間の運命というのはわからないものだ。

しかし

すい臓がんににかかり、死に直面する、という体験がなければあのstanfordでのスピーチはなかったに違いないと思うのだ。

そして、例えば私の子供の代になったとき、そこに存在しているテクノロジーはあたかも

「必然があって登場した」

と子どもが考えても私は驚かない。私たちは歴史を見るとき、常にそれは「必然であった」と解釈しようとする。Steve Jobsがいなくてもパーソナルコンピュータは生まれ、GUIが普及し、スマートフォンが今のような形になっていたと(iPhone登場前に、Smart phoneといえば、どのようなものだったか覚えている人はいるだろうか?)論じられるだろう。逆に過度に神格化されているかもしれない。どちらにしても私の感覚とはずれていくだろう。

しかし

あのスピーチが意味するところ、言葉の力は私の子供にも等しく伝わって欲しいと願っている。時代が、文化が少しずつ移り変わっていってもあのスピーチが持つ意味は変わらない。そしてこれはまさしく、Steve Jobsという個人が発した言葉である。

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Jobsのプレゼンには学ぶ点が多い。iPhone発表時の2007年Mac World Expoのそれはすばらしい。しかし私にとって一番印象深いのはWWDC2005でIntel Chipへの移行を宣言した際のプレゼンである。

理由を述べよう。新しい製品を出すことは基本的によいニュースだ。つまりHome field advantageがある状態。しかしこのIntel Chipへの移行は

「これまでPower PC > Intel といってきたことの誤りを認め、負けを認める」

といった内容だったのだ。完全にAway, 2chの言葉を借りれば「玉音放送」だったのだ。

しかしこのプレゼンを見た後では

「Intel への移行、いいじゃないか。これでMacはもっとよくなる」

と単純に信じることができた。これがJobsの持つ「現実歪曲空間」というものだと思い知らされたプレゼンでもある。

死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はい ない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。

via: スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ - himazu archive 2.0

古いものは死に、新しいものが生まれる。生きている私たちは新しいものを作り続ける。そしていつか退場することになる。その時には皇帝の言葉を思い出そう。

それゆえ、なんらかの瞬間を人生の目的と考えてはならない。過ぎ去った巨大な深淵のごとき時を振り返り、無限に続く未来に思いを馳せるとき、人生が三日しか続かなかろうが、三世代にわたって続こうが、少しも差はないと知るだろう。

運命によってわれわれに割り当てられたこれらの瞬間、瞬間を正しく認識し、満足をもって世界を眺めよう。熟したオリーブの実が枝から自然に離れて地に落ちるときのように、われわれを育んだ土壌を、木を讃えようではないか。

-マルクス・アウレウス・アントニヌス 自省録

via: スティーブ・ジョブズの逝去に関するApple取締役会の声明

このサービスは俺が提案したのに

というのはとてもよく聞くセリフだが、実質的な意味はあまりない。
「どんどん新しい提案をだしてくれ」という人はほぼ全ての場合

「会社にとってノーリスクで、じゃんじゃんお金が儲かり、なおかつ私が理解できる範囲で」


と条件付きでしゃべっているのだ。であるからそういう人に何を言おうが却下されるのは最初から決まっていることなのだ。さて、先日こんな記事を見つけた。

株式会社NTTぷららは、自社が運営する映像配信サービス「ひかりTV」において、ソーシャルテレビサービスの取り組みの一環として、放送中の番組画面上でTwitterのツイートを表示するTwitter連動機能を、8月27日(土)・28日(日)に独自編成チャンネル「ひかりTV チャンネル」で放送予定のプロ野球「埼玉西武ライオンズ 対 北海道日本ハムファイターズ」の試合中継で提供します。

via: ぷらら|会社情報|ニュースリリース

TVの放送画面は神聖不可侵なものだから、訳のわからないインターネットの情報を流すアンドまかりならん、と言っていたのはそう遠くない過去のことだが。

さて

NTTぷららじゃないけど、同じく映像配信事業をやっている会社向けにあれこれ提案をだせ、ということになった。私はTwitter,ソーシャルメディアとの連携をした「ソーシャルTV]を提案した。

しかし(例によって)これはボツとなった。理由は社長が「Twitterの何が面白いかわからん。」と言っていたからだ。この社長は自分で試すだけいい人であったとは思う。ボツの理由は
「技術的に難しいから」
ということだったが。

いや、同じ提案を考えつき、同じようにわけのわからない理由でボツを食らった人は山のようにいると思うのだ。そういう人はナイチンゲールの爪の垢でも煎じて飲むべきだと思う。

裕福なジェントリの家庭に育ったナイチンゲールは看護師を志し、のちに婦人病院長となった。
 しかし、クリミア戦争が勃発すると、翌1854年、自ら志願して38名の看護師を率い従軍した。
 ここまではご存知の通り。
 
 しかし従軍看護団の結成と指揮を任されて現地スクタリに赴いたナイチンゲールを待っていたのは、戦争よりもたちの悪い衛生環境と官僚たちであった。

 兵舎病院は極めて不衛生であり、官僚的な縦割り行政の弊害から必要な物資が供給されていなかった。
 さらに現地のホール軍医長官らは、縦割り行政を楯に看護師団の従軍を拒否した。
 ナいチンゲールたちは、病院の中に一歩でも立ち入ることができなかった。

 しかし伝記作家のストレイチーは記す。
 「彼女は必要とあらば、天使にも、悪魔にもなったのである」

 ナイチンゲールたちは病院内に入らずともできる仕事、どの部署の管轄にもなっていないために放置同然だった病院の便所掃除に目をつけ、まず便所掃除を始めることによって病院内へ割りこんでいった。

via: 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール 読書猿Classic: between / beyond readers

もし自分が本当にそのアイディアに賭ける気なら、上司などに頼らず他に方法はあるはずだ。そういう努力をしたが駄目だった、となれば「俺が提案したのに」と愚痴っても、他人が聞いて面白い話にできるとおもうのだが。

異業種交流会とかに行くと痛感することだが、ありきたりな失敗談とか成功談はつまらん。失敗なら失敗でその業界に詳しくない人が聞いても笑える話になるくらい徹底してやらないと。

(続)訴訟社会といいながら

アメリカという国が興味深い点はいくつもあるが、その一つが「多様性」である。私を含めて多くの人はよく知らないものをまとめて一括りに扱おうとする。

しかしGeneralization is always wrongなのであり、オトナになるというのは、その悟りを得る過程でもなかろうかと思うことがある。

さて、前にも書いたが映画ソーシャルネットワークで描かれていた「自分たちのアイディアを盗まれた」と主張し65億円"勝ち取った"双子の兄弟である。先日こんな記事を見つけた。

昨日(米国時間7/20)のFortune Brainstorm Techカンファレンスで、映画『ソーシャル・ネットワーク』で、ウィンクルヴォス兄弟の、Mark Zuckerbergはハーバード大学倫理規程に違反している、という主張を却下したあの悪名高きシーンについて、あれは実話なのかと尋ねられた元ハーバード大学学長のラリー・サマーズは、屈託なくこう答えた

学長をやっていて学んだことがある。学部の学生が木曜日の午後3時にジャケットにネクタイ姿でいる理由が2つある。一つは、就職活動中で面接に行く。もう一つは、そいつがサイテーな奴である。あれは後者のケースだった。

via: ウィンクルヴォス兄弟は「サイテー」と呼ばれるのが嫌い

裁判で和解金を「勝ち取ろう」がなんだろうがサイテーなやつはサイテー。しかしこの兄弟は面白いなあ。

【訳者注:下のレターで兄弟らは、サマーズの言動は、私たちだけでなくあの服装を選んだすべての学部学生に対する侮辱である旨に加え、当時のサマーズ氏の行動にも問題があったと非難している。】

via: ウィンクルヴォス兄弟は「サイテー」と呼ばれるのが嫌い

まあ確かにそうするしかないのだろうけど、日本には「恥の上塗り」という言葉があることを教えてやろうか。彼らはこの先の人生どうやって暮らしていくのかね、と余計な好奇心を持ったりする。

今時の大本営

というわけで、国民の22%が支持する菅内閣の松本復興相である。

田アナ:こんばんは。松本龍復興担当大臣が、就任後初めて、今日、宮城県庁を訪れましたが、村井知事が出迎えなかったことに腹を立て、知事を叱責しました。
 宮城県庁を訪れた松本龍復興担当大臣、村井知事が出迎えなかったことで顔色が変わります。

松本復興相:(村井知事が)先にいるのが筋だよな。

長田アナ:数分後、笑顔で現れた村井知事が握手を求めようとしますが、これを拒否。応接室に緊張が走ります。そして要望書を受け取ると、松本大臣が語気を強めて自らの考えを伝えます。

松本復興相:(水産特区は)県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々は何もしないぞ。ちゃんとやれ。
 今、自分は後から入ってきたけど、お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか?長幼の序がわかっている自衛隊なら、そんなことやるぞ。
 わかった?


村井知事:はい。

松本復興相:はい、しっかり、あの、やれよ。
 今の、最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。いいですか?はい。ぜっ、書いたら、もう、その社は終わりだから(以下聞き取れず)

長田アナ:松本大臣のこの言動は、波紋を呼びそうです。

via: 自分の立場がわかってない大臣と、牙を抜かれたメディア|巡る因果の猫車

さて、これを親愛なるメディアがどのように報道したか見てみよう。

「県は独自カラーを出してトップランナーになり、さまざまなパイロット事業を展開してほしい」と激励した。
 松本氏は「今後は(自治体間の)競争になる。どんどん知恵を出してほしい」と積極的な取り組みを促した。被災者の復興住宅整備や復興特区に関する法整備を急ぐ考えも明らかにした

via: 河北新報 東北のニュース/「どんどん知恵出して」 復興相が岩手、宮城両知事を激励

松本氏は達増知事に対し「知恵を出したところは助け、知恵を出さないやつは助けない。そのぐらいの気持ちを持ってほしい」と述べ、復興政策には被災自治体の主体的な取り組みが不可欠との認識を示した。

 松本氏は宮城県の村井知事との会談で、同県が復興計画案で掲げた漁港集約方針に水産業者が反発している問題に言及。「県でコンセンサスを得るべきだ。そうしないと我々は何もしない。ちゃんとやってもらいたい」と語り、まずは宮城県内の意見集約を要請した。

via: 松本復興担当相:岩手、宮城知事と会談「復興は知恵合戦」 - 毎日jp(毎日新聞)

また、「九州の人間だから、(被災地の)何市がどこの県とか分からん」と冗談めかして発言した。

 その後訪れた宮城県庁では、村井嘉浩知事が後から部屋に入ったことについて、「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」と語った。同県が重点的な漁港整備を要望していることについても、「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと我々何も知らんぞ」と述べた。

via: 復興相「知恵出さない奴は助けない...つもりで」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

会談では、仮設住宅の要望をしようとする達増知事の言葉を遮り、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。仮設住宅での孤独死対策などの国の施策を挙げ、「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話した。

 午後に訪問した宮城県庁では、応接室に後から入ってきた村井嘉浩知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と語った。被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた。

via: asahi.com(朝日新聞社):松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発 - 政治

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民主党政権命の毎日新聞の「ブレ無さ」には感動を覚える。しかし書きたいのはそこではない。他のメディアもそろって

「今の、最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。いいですか?はい。ぜっ、書いたら、もう、その社は終わりだから」

を報じないのはいかなることか。

メディアごとにスタンスを持つのは悪いことではない。特に各メディアの報道を比較することができるようになった昨今ではなおさらだ。

Publicに向かって報道するのは常に勇気のいることだ。批判もあろうし、捏造だ、歪曲だと騒がれることもあるだろう。
しかしその報道自体を制限するような発言に対して、ほおっかむりをしていていいのか。自らの生命線を脅かすような発言に対して「その場面はカット」しておしまいなのか。時の権力に媚び、すりよって何のメディアか。

この状況で全てを報道した東北放送には心からの敬意を表したい。他のメディアには心からの軽蔑を贈ろう。それでメディアなどと名乗って恥ずかしくないのか。また太平洋戦争の時のように、大本営発表をそのまま垂れ流し、戦意高揚に協力するつもりか。

トヨタの「若者向けアピール」

とういわけで、「なぜ」を5回問い、A3一枚に企画書をまとめることを誇りにしているトヨタ自動車の「日本の新しい才能が、クルマをアォードを応援する」企画である。

リンク先ページ

この

「クズども。こういうもんみせときゃ、喜ぶんだろ?」

という上から目線の醜いページはトヨタ自動車でなければ創り上げられないと思う。全く見事だ。2chではこんな感想もでているようだが全く同感。

いや、若者を馬鹿にするトヨタの社風が良く出ているじゃないか。
これ見て買ったとか思われたくないから、買うのやめるわ。

via: トヨタ自動車企画「TOYOTA SOCIAL APP AWARD」がヤバイwwwwwwww:ハムスター速報

ニコニコ動画に存在する魂がこもった「踊ってみた」と、この嫌悪感溢れる宣伝の違い。作り手の魂がこれほどまでにWebページに現れるというのは驚きである。

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先日本を読んでいてこんな一節を見つけた。

子供の頃、ある夏の夕暮れに、叔父のロスコウが運転するくたびれきったフォードのピックアップトラックの荷台に乗って家に帰ったことがある。八歳になる二人の従兄弟が一緒だった。泳ぎに行った帰りで、私たちはスペア・タイヤに腰掛けて、古いキルトを肩にはおり、年老いた犬に体をすりよせて温まった。そしてチョコレート・クッキーを頬張り、メイスンの魔法瓶からおいしいミルクを飲み、みんなして「壁にビールが九十九本」という詩をありったけの声で際限もなく歌い続けた。月がのぼり、星降る空から紙が私たちを見守っていた。家に帰れば道はそのまま夢路へと通じている。

そう、これが車にのるということだ。こうでなくては楽しくない。

人生で必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ P97

この言葉と、先程の「宣伝」を比べてみよう。いや、比べるのも失礼か。

坂の上の雲

坂の上の雲を読み、それが「事実」であるかのように語る人間は知らん。あれは小説だ。

などと言っていたのだが実は今まで読んだことがなかったのである。会社から借りて読んでみた。

読む進むうち、頭に?マークがたくさん浮かぶ。例えばこんな記述がある。

ここで便宜上、太平洋戦争時代のそれにふれておく。その当時の日本海軍が、91式徹甲弾という独創的構造をそなえる砲弾をもっていたことはすでにふれた。 ほかに「タ弾」という略号で呼ばれていた徹甲弾があったが、これは海軍も用い、陸軍も対戦車用に用意していた。

あれ、と思い調べてみたがタ弾は海軍で艦船の砲弾としては用いていない。じゃあなんでここで(日露の海戦に関する記述に付随して上記の文章がいきなり挿入されている)タ弾について述べ始めたのかよくわからない。単に「俺は知ってるんだ」と言いたかったのだろうか。

別の例をあげよう。

バルチック艦隊司令長官のロジェストヴェンスキーは自分一人でウラジオストクに行くつもりだった。その傍証もたくさんある、といいながら、傍証はひとつしか(戦闘計画について部下と協議しなかったこと)出てこない。その後ロジェストヴェンスキーについていろいろ「おかしか行動」を書いているのだが、それが司馬氏の「仮定」をどう補強するのかもわからない。非常にいきあたりばったりに言葉を連ねている印象がある。


文章の面白さ、調子、という点において伊藤正徳に及ばず、事実に基づく冷静な筆致という点で児島 襄に及ばない。根拠のない思い込みを整合性なく書き連ねるという点では松本清張に最も近い。

なぜこんな本が有名になっているのか理解に苦しむ。

ちなみに最近少しずつ読んでいるツシマ


は当事者が書いた本ということもあるが、その戦闘描写は日本人が書いた本では見られないような生々しさに満ちている。ペリリュー・沖縄戦記もそうだが



日本人にはこうした記述ができぬのだろうか。それが日本人に碌な「戦争映画」を作ることができぬ理由だろうか。

ユーザ体験あれこれ

最近会社のLibraryで借りたこの本を読んでいる。


素晴らしいカスタマーサービスを提供することで成功してきたザッポスという会社の本だ。CEOが自ら執筆しており、ゴーストライターが書いたありきたりな「成功者の自慢物語」になっていないところがすばらしい。この本を読んだだけで私のような単純な人間は「ザッポスで買い物をしたい」と思うほどである。

さて、このCEOが行った講演のスライドがネット上に公開されていた。そこにこんな言葉がある。

他人は、あなたが何をしたか、何を言ったか正確には覚えていない。 しかしあなたがどんな風に感じさせたかはいつも覚えている。

年をとるごとに痛感することだが、人間は感情の動物である。「正しい」など感情の嫌悪の前には軽く吹っ飛ぶ。

ユーザーエクスペリエンスがどうのというが、平たくいえば「ユーザが何を感じるか」である。このことについてはやたら本など読んだが、先日珍しくそれを体験する出来事があった。

ゴールデンウィークに中禅寺湖に行った。ホテルで夕食を取る。最初の日は子ども二人に一つずつ子供セットを頼んだ。しかし下の子はほとんど食べなかった。

それを見たお父さんは「明日は他の人のを分ければよい」と宣言した。

翌日、テーブルについてくれた人に「子供向けの安い単品はありませんか?」と聞くがセットで安くしているので、単品にするとより高くなると言う。じゃあ取り分けにしましょう。

しばらくたって男性がまたきて「相談して、スパゲティならできるとのことですが」といってくれる。しかしうちの子供はスパゲティをあまり食べたことがないのであった。申し訳ないと思いながら断る。

では、ということで取り分けて食べている。すると「これ他のテーブルで余ったものです」といってスープを持ってきてくれた。感謝感激である。下の子どもはスープを飲み、パンと他のかおず(大人が分けたものだ)をたべご機嫌。そして

「いい子にしてたら、シャーベットもってきてあげるよ」

といった男性は本当に持ってきてくれた。

こうしたサービスに、いくら費用がかかったか私にはわからないが、もしまた日光に行くことがあれば、このホテル(日光レークサイドホテル)にいこう、と素直に思える。

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さて、下界に降りてくれば、全然違った「ユーザエクスペリエンス」が待っている。お金がないからお昼はすき家にしよう。弁当を売っているところにいけば

「生姜焼き弁当 580円」

と看板がでている。これにしよう。注文すると相手は「豚汁でよろしいですか?」と答える。

ぼんやり「はい」などと答えるとお金を払うときに「640円です」と言われ愕然とする。あとで気がついたのだが、すき家とかは、単品の値段を下げているから、あれこれ付けることで利益を確保する作戦なのだな。私はそれにまんまとはまったわけだ。

ええい、すき家にもう行くものか、と思っても250円でお腹いっぱいになる方法がほかにあるだろうか。こちらが騙されなければいいだけだ。というわけで今週もすき家に向かうのであった。

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もう一つ違う例をあげよう。今日読んだaritcleだが

非言語の重要性を調べるため著者が仕組んだ実験が笑えた。立派な風貌をして、権威ある話し方のできる役者を雇って、矛盾する内容と無意味な参考文献を挙げるデタラメな講演をさせたところ、多くの聴衆が高い評価を与えたというもの。

だから、

1 信頼度は主催者に依存している
2 外見は大切です
3 熱意が大切です

とのこと。

via: パブリックスピーカーの告白 ―効果的な講演、プレゼンテーション、講義への心構えと話し方 - 情報考学 Passion For The Future

プレゼンの種類にもよるが、ここにも「感情>>理屈」の図式が見えないだろうか。内容がデタラメでも、講演者の外観が印象的で、熱意を込めて語れば聴衆の好印象を得ることができるのだ。

イラン系アメリカ人

週末も何度か見返してしまった。

TEDで行われたスピーチ、というかコメディ。実に重いテーマをこのように笑い飛ばせるのは素晴らしい。

我が国の漫才も面白いが、こういう「真面目で重いテーマを笑い飛ばす」という文化には素直にうらやましいと思う。一例をあげよう。

ハリウッドの監督が、私がイラン系だと知ると。

「それはすごい。"アラーの名のもとにお前を殺す!"と言ってくれ」

「それもいいけど、"私は医者だ"じゃだめ?」

「いいよ。その後に"この病院を乗っ取った!"と言ってね」

うろ覚え+和訳だからぜひ引用した動画を見てね。

自分に繰り返し言っていることだが、「相手」を「全体」として見るのは間違っている。米国のラジオ放送で聞いたセリフだが、Generalization is always wrong.なのだ。イラン系、イスラム教徒、9.11以降それをまとめて危険物扱いするが、その前にもいろいろな「分類」が存在していた。全ては間違っている。

もっと言えば、個人の中でも私にとって尊敬出来る部分と許容できない部分はいりまじっているし、今日のその人は、昨日のその人とも違うかもしれない。この物の見方が正しいかどうか私にはわからないが、気が軽くなることは事実である。


未来はいつも悪夢

昨日こんな動画を見つけた。

いつものことながら、Microsoftの「未来のコンセプト」は退屈だが、今回はそれに加えていくつかの感慨が頭をよぎる。

  • 要約すれば:Information at your fingertips with iPhone Interface
  • 何もかもがiPhoneを思わせる動きのデザインなんだが、天下のマイクロソフトがそれで情けなくないのかな?
  • 情報が指先で閲覧できるようになれば、、ということなんだがそれで世の中はよくなるんだろうか?皆幸せになるんだろうか?教室で翻訳システムや手書きの図形が命を持ち始めるシーンだけはいいと思うが、あとは「便利さ」の羅列でしかない。

もう一つ動画を紹介しよう。

これは1995年に発表された「2005年」の未来像である。無駄なシーンが多いが2:05あたりから見てほしい。

ハードウェアが小さくなり、インタフェースの動きがiPhone風になったほかは基本的に何も変化していないことに気がつくと思う。

つまりMicrosoftのビジョンはこの15年間ほとんど変化していないのだ。考えて見れば製品も大して変化してないよね。

「不便をなくす=マイナスを0にする」ことと「幸せを作り出す=+を創りだす」ことの間には深くて長い溝がある。というか基本的にはそれは別物なのだ。

いい加減に「便利さ」以外のFuture Visionを見せてもらえんかな、と思う今日この頃、とか言っている場合じゃないよね。私も今は「新しいものを作る」立場なのだから。